才能の有無 【イントロ】


 ※この作品はフィクションです。犯罪を助長する目的はありません、逆に犯罪を減らしたいです。

 

 レファリスは小さな紙コップの中に涙を流して、貯めていた。そしてその貯めたやつを――。

「はい、どうぞ!はい、どうぞ!はい、どうぞ!」

 お手製の涙水は貧困層にバチクソ刺さっている。ごくごく飲んで、ぷはーってしているみんなを見ていると、また涙腺が緩んでくる。とっさに紙コップを手に取って目に近づける。

 ボトッボトッボトッ――。

 ヒアルロン酸がブレンドされた極上の一品が少女の目から生成される。それを貧困層に渡していく。

 ごくごくぷはー、はいどうぞ!ごくごくぷはー、はいどうぞ!(以下略)

 やがて少女の体をムチが襲った。

「涙をくれー、涙をくれー、なみだ、なみだ、なみだああ!」

 大男の怒号が……。


「きゃーっか!他の人がこれを見たらどー思いますかね。この手のタイプの作品は物語ではなく作者自体に矛先が向く可能性がある。小さな女の子を痛めつける。かわいそうな子供を痛めつける。そんなシーンを見て読者は面白いと感じますかね?即ブラウザバックか、作者の人間性を疑われますよ。そうは思いませんかね?」

「思いません。そう思うやつは好きにそうさせとけばいい。人の顔色うかがって、自分の色を見失っている作家のほうがボクはいかがなものかと思う」

「いかがなものか?えっとね、あっと……うん。ああ、はっきりいいます。あなたには才能がありません。夢に負けたのです。きつい言い方かもしれませんが、これ以上いくらやっても、無駄、です。あなたにはさいのうが、微塵も、ないのですから」


 編集者はこの男に金輪際かかわりたくないのだろう。漫画の原稿用紙を突き返し、怒気をはらんだため息をついた。しかしそれは夢を追い続けていた男も同じ。


「君の人間性もだいぶ歪んでいるな。お。め。で。と。う」


 男はイライラを誘おうとこの発言をしたのだろうが、編集者は上を向き目を瞑って、付き合うことをやめた。相手のペースに乗らないのは、男にとってはフラストレーションが募る。唇をつまむ。皮をはがす。血が出てくる。血が出ていることに気付く。指を離して手の甲で血を拭きとると、男も上の電球を見て何とか心を落ち着かせようとした。

 つかの間の静寂が流れる。その沈黙を破ったのは――。ガチャ――。一人の青年だった。アフロだ。髪が目元まである。青年は顔を左右に動かすと言った。


「えっと。お邪魔でしたか?」

「ふっ」


 青年の申し訳なさそうな声を、男は鼻で一蹴した。口角は上がっているのに、眉間にはしわが寄っている。恐怖でしかない。青年は立ち去ろうと――。


「えっと、失礼し」

「期待の漫画家の新人だっけ。名前は確か、よねむらこういち」


 男は声を被せる。腹いせなのかなんなのかは分からない。

 

「は……はい、そうですけど」

「才能だね。ハハハ、次の作品、楽しみにしているよ」


 男は笑みを消し、眉間のしわだけを残した。青年の瞳孔が開く。しかし反対に、編集者は目を瞑って天井をずっと見上げていた。なれ合わない。いがみ合わない。果たしてそれが正解なのかは分からないが、編集者は無を突き通していた。


「はいはい、帰りますよ、さようなら」

 

 それに気づいたのか。男はテーブルに手をついて立ち上がると、青年の肩にわざとぶつかって退出していく。青年は唇を噛んで、痛い、というのを我慢した。言ったら殴られそう、もっと言うと殺されそうな気がしたのだ。数秒、重い空気が流れたあと。


「無敵の人だね」

「……あ、はい」


 やっと編集者が口を開く。空気は最悪。書いてきた原稿用紙を今提出してもよいのだろうか。空気を読めと言われないか。青年は痛みを緩和させるためにそのようなことを考える。


「多分だけど彼、ニュースに乗るかもしれない。もうどうなってもいい。そんな目をしていたよ。君の漫画の、悪役のキャラクターとおんなじ目だ」

「ハハハ……ハハ……ハ……」


 もれてた。ドアの隙間からその会話が漏れてた。


 男はコンビニとかに寄らず、家に帰ると、まずぼろぼろの中古の服をゴミ袋に脱ぎ捨てた。

 次は手洗い。その次はシャワー。上半身と下半身を裸にすると、ふろ場のドアを開けて全身を洗い流す。


 男の体は、実に、妙だった。


 腹の中央が糸で綺麗に縫われていたのだ。俗にいう手術跡だ。赤ずきんに出てくるオオカミのように、もしくは折りたたみスマホの折り畳み線のような。

 男は薄汚れたシャツとよれよれのズボンに着替えると、キッチンに行き、コップを食器棚から取り出した。コップのふちを目に近づけてあくびをする。だめだ、なみだは分泌されるが落ちていかない。男は最終手段に出る。自分の腕を包丁で切りつける。

 よし、涙が出てきた。あとはこれをコップにためて飲むだけだ。ごくん、ぷは。切れた腕は止血して縫った。


 「ボクの涙がこんなにおいしいなんて。ハハハ、ハハハ、そんなこと、自分が一番知ってるくせに」


 男の後ろには、医療現場で見かける医療用白衣の【スクラブ】がハンガーに掛けられていた。


 * * *


 期待の新人、よねむらこういちは怯えていた。編集者と次の作品の打ち合わせをしている最中も、脳裏にあの男の表情がこびりつき、真剣に自分の才能と向き合えなくなっていた。

『才能だね。次の作品も楽しみにしているよ』

 どう考えても楽しみにしている顔ではなかった。どちらかというと作品ではなく、よねむらこういち自体に楽しみを抱いている。そういう顔だった。自身の作品の悪役のキャラクターを見るたびに思い出すかもしれない。もうトラウマにも、なりつつあった。コンビニ、公園、数々の庶民のたしなみを経由してようやく自宅が見えてくる。もう夜の八時。今日はもう、デッサンしなくていいや。そう考えながら路地を歩いていた。


 声を掛けられる前までは。


「よねむらこういち君、偶然だ。ボクの名前、覚えてる?才能が溢れすぎて忘れた?」

「……え……な、っ。え、え、え……?」

「無敵の人。そうだよね、よねむらこういち君。『はい』って言ってたもんね、君」


 

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