ボクハニンゲンヲヤメタイ【イントロ】


 *この作品はフィクションです。


 「え…………あ…………お…………お…………え……う……お」


 気が付いた瞬間、エドナンスはここがエレベーターの中のまだ十一階だったことを知る。最上階は二十階。目的地も二十階。つまりまだまだ上昇の途中。気が遠くなりそうな長さだ。

 ああ、箱を置きたい。エドナンスの心の声を代弁するならばそんなところだろうか。箱の中央にはbunnzonnという企業ロゴが印刷されており、外側には切り取り線がついている。

 チン――。

 ドアがパッと開くと、高所恐怖症にはきつい景色が広がっていた。だけどエドナンスは飛行機に乗って日本に来訪した身。いともたやすく歩いていき、二千九号室で立ち止まる。

 ピンポーン――。

 インターホンを押す。すると足音がドアの奥から、ドタドタ、と聞こえ、ガチャリ――。若者の男性が姿を現した。客だ。客はエドナンスの顔を見て眉をひそめ、マスクを掛けると、片手で商品を受け取ろうとする。しかし――。そこでエドナンスは思いがけないことを言う。


「マスク、外してくだサイ」

「?」

「日本語変デスヨネ。マスク、外して、クダサイ」


 エドナンスの質問には答えず、両手で箱を奪い取ると、バタン――。男は勢い良く玄関を閉めた。その時、会社用のケータイが鳴り響く。少し考え事をしていたエドナンスは3コール後、電話に出た。会社の上司からだった。

 

「はい」

「はいじゃねえんだよ。ケーサツの厄介になりたいのかな外国人さん。よかったね、普通なら通報もんだよ」

「え?」

「えじゃねえ。つーほー。つー、ほー。分かる?お客から苦情が来たんだよ。ご理解?」

「ああ、okyakuさんが立場さんにそっくりだったので」

「ああ!? 無理に日本語喋んな。君ん頭ん中どうなっとんや。あいつと似とったのが、客さんに変なこと言った理由か。たわけが」

「タワケ?」


 電話を切られる。意味の分からない日本語を言われ頭がパニックに。エドナンスはくるりと方向転換して仕事場に戻った。


 * * *


 エドナンスの仕事仲間、立場あきひろ。彼は2022年11月35日。会社から急にいなくなり、捜索願いが出された。しかし一年たった今でも見つからず、自○したのでは?と信憑性のない噂が仕事場でも流れていた。


 これから見せるのは立場さんが消えた日のこと。

 

 その日は働き始めのエドナンスを、立場がフォローしてあげていた。しかしそんな立場に、しわを顔全体に作るしかめっ面の上司。

 

「ちょっと立場君、そいつほっといてこれ手伝ってくれんかいな」

「あ……はい、すみません。分かりました」

 

 その二人の様子をエドナンスは遠くから見ていた。ぎこちない動きをする立場あきひろ。どうやら上司とはタイプが正反対のようで、立場の顔色が冴えない。

 

「大丈夫?タチバサン?」

「……大丈夫です。エドナンスさんは今日はこぶ荷物を調べていて」

「おい立場あ!こっちはまったく大丈夫じゃねえよ。この大きな荷物、倉庫に運んでくれや。体は丈夫なんだからすぐには成仏せんかろーが。君のことはこの上司が上手に使ってやるからな」


 どっと笑いに包まれる職場。しかし立場は笑わなかった。それが上司の逆鱗に触れたのだろう。


「なあ君本当に人か。空気も読めんのかいな」


 責められる立場。エドナンスは心の中で「クウキヲヨム?」と疑問符を浮かべていた。

 

「すみません」

「反省だけならサルでもできるわ。サル以下、動物以下、生態系の最底辺のミジンコ以下、そう、プランクトンやプランクトン」


 立場は遂に空気に耐えられず、俯きながら室内から出て行った。エドナンスは後を追い彼の行く先を見ると、トイレに駆け込む姿が。心配に思い見続けるが、立場は出てこない。さすがに肝を冷やし、こっそりと作業を中断し、男子トイレに入る。


「立場さーん、大丈夫デスカー?」


 応じない。いつもなら言葉を返してくれるのに。悲しみに暮れて立ち去ろうとしたとき、ポチャン――。何かが水の中に落ちる音がした。


「立場さーん、立場サーン!」


 違和感に気づく。無音。人の気配を感じない。普通どんなに落ち込んでいたとしても吐息や熱、体がぶつかる音などが聞こえるはず。静かすぎる。


 個室開く。確認。いない。個室開く。確認。いない。個室開く。確認。いない。取り敢えず上司に報告するしかない。


「上司さん、立場さーんがいませーん、いないデス」

「なんやあいつ帰ったんか。お前連れ戻してこい」

「いや消えました。消えたんデス!消えてしまったんデス!」


 これが2022年11月35日の事件の全貌。一度上司は警察に捕らわれたが、事件性がないとして釈放。のちにこれは「立場、立場なくなっちゃった事件」として上司が飲み会で使う鉄板ネタとなった。

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