第12話 後輩にとって先輩はチョロい。

 程なくして。

 居酒屋の個室に、伊万里いまりがやってきた。


「おお、先輩が酔っ払った女の人に手を出そうとしています」


 個室の扉を開けながら、伊万里はニヤニヤと笑っている。

 実は伊万里には、こんなこともあろうかと居酒屋の近くで待機してもらっていた。

 もちろんタダじゃない。

 臨時のバイト代をたっぷり請求された。


「逆だ。どちらかと言えば、俺の方が襲われてる。だからとりあえず助けてくれ」

「はいはい、いいご身分ですねえ本当に」


 なんだかんだと言いながら、伊万里は俺と一緒に宵崎さんを引き剥がしにかかった。


「んー、誰この子……? 悠真ゆうまくんの彼女〜?」

「違います、私はただの後輩ですから気にしないでください」


 引き剥がされながら不思議そうにする宵崎さんを、伊万里は適当にあしらっていた。


「やれやれ……この人はどうします? このまま置いていきますか」

「正直そうしたいけど、酔い潰れた人を放置するのもあまり良くはないよな……」

「誰か共通の知り合いを呼んで来てもらうとか?」

「そんな人はいないな。そもそも宵崎よいさきさんとは親しいわけでもないし」

「ふむ……あ、そうだ。宵崎さん、スマホはありますか?」


 座席に寝転がっている宵崎さんに、伊万里は問いかけた。


「……? あるよー」

「じゃあ、ちょっとロックを解除してください」

「はーい……」

「ちょっと失礼。お、この人なら良さげですね」


 伊万里は宵崎さんのスマホを操作して、誰かに連絡していた。


「これでよし。宵崎さんのマネージャーさんっぽい人を呼び出しておきました」

「伊万里って、酔っ払いの扱いが妙に上手くないか?」

「おじいちゃんが生きていた時は、よく居間で酔い潰れていたところを起こして、寝室まで誘導していましたからね」

「ああ、なるほど」


 伊万里は俺の家で、家政婦のバイトをしている。

 爺さんはもう一人の孫みたいな感じでかわいがっていたので、多分適当にやっていても許されただろうけど、伊万里は案外、仕事をきちんとこなすタイプだ。 

 週に何度も居間で酒を飲んでは酔い潰れていた爺さんを、放置せずに面倒を見てくれていた。 


 とりあえず人を呼んだし、俺たちは帰ろう。

 会計を済ませ、俺と伊万里は店を出た。


◇◇◇


 俺と伊万里は、歩いて駅へと向かっている。


「それにしても先輩、モテまくりですね。さっきの声優さんに、アイドルの鈴白先輩、生徒会長の四条先輩……最近は凪先輩とも噂になっているんでしたっけ?」


 隣を歩く伊万里が、皮肉っぽく言ってくる。


「モテまくり……なんて手放しで喜べる状況じゃないことくらい、わかってるだろ」


 俺にとっては「約束の相手」を見つけることが最優先事項だ。

 誰でもいいわけじゃない。

 何より、宵崎さんみたいに遺産目当てで近づいてくる人には特に警戒する必要がある。

 複数の女性から言い寄られたからって、能天気に喜ぶ余裕がない程度には複雑な状況だ。

 爺さんの遺言に端を発したゲームは、開始から一週間が経過しているが、現状の進捗は芳しくない。

 既に接近してきた人の中に「約束の相手」がいるのか、まだ再会していないのかすら、分かっていない。


「いろんな女の人が先輩に近づいてきているのに、誰が本物か分からないって……鈍感ですねえ。結婚の約束までしたくせに」

「その話を持ち出されると、何も言い返せないんだよな……」


 子供の頃の短い期間の話だから。名前を知らない。相手の見た目も変わっている。

 色々と理由はあるけど、結局のところ全部俺の言い訳だ。


「美少女が選り取り見取りな状況ですから、すぐに一人を決めるのが難しい気持ちは分かりますけどね」

「俺を優柔不断な男みたいに言うな」

「じゃあ美少女に囲まれた結果目が肥えて、昔約束した女の子のことがどうでも良くなった男とか?」


 今日も伊万里は辛辣だった。


「どうでも良かったら、俺はここまで色々考え込んでないと思う」


 俺は伊万里に対して、はっきりとした口調で言い返す。


「ふーん? じゃあ先輩は、いざ『約束の相手』を見つけ出したらどうするんですか? 例えば……告白してみたり?」


 直前までの態度の割には、興味深そうに伊万里は訪ねてくる。


「まだ、何も決めてない。見つけ出した時の、自分の気持ち次第……だと思う」

「なんだか、はっきりしないですね」

「だけど会ってみたいのは間違いないよ。家族を失って絶望していた俺が、前を向けた理由だからな」


 ――立派な小説家になって迎えに行くからお嫁さんになってほしい。

 あの約束がなかったら俺は、両親の死を乗り越えられず、今も無気力に日々を過ごしていたかもしれない。


「先輩って、そんなセリフをよく恥ずかしげもなく言えますよね」

「まあ、そういうのも小説家の特権だ」

「なんだか、聞いてるこっちが恥ずかしくなってきます」


 伊万里がちょっと引いていた。

 ……もしかして共感性羞恥ってやつか?


「なんにせよ、しばらくはこんな調子が続きそうだ」

「ってことは今日みたいに臨時ボーナスをもらえる機会が増えそうですね。先輩の家でのお仕事はバイト先として美味し過ぎます」


 しめしめと笑みを浮かべる伊万里に、俺は前から思っていたことを話すことにした。


「前にも少し話したけど、雇い主である爺さんがいなくなったことだし、そろそろ他のバイトを探したらどうだ?」

「え、先輩が新しい雇い主ってつもりだったんですけど」

「確かに今はなし崩し的にそうなってるけど、この歳で今後も家政婦の世話になるのは将来自立できなさそうだろ」


 その家政婦が、バイトの後輩である伊万里だったとしても。


「先輩が自立って、前もそんな悪あがきを試みてましたねえ……あ、まさか『約束の相手』の前でカッコつけたいとか? 先輩にも女の子の前で見栄を張りたい気持ちがあったんですね」


 伊万里はやたら大げさに、納得したような反応を見せる。


「まあ、否定はしないよ。見栄とか承認欲求が多少でもなかったら、小説家なんてやってないし」

「……昔の約束のために小説を書いているみたいなエピソードを聞いた後だと、ガッカリしますね」


 伊万里がジト目を向けてきた。


「俺だって、思考回路はその辺にいる高校生と同じだからな」

「本当に自分がその辺にいる高校生だと思っていたら、そんなことは言いませんよ」


 伊万里は呆れた様子でため息をついた。

 が、すぐに気を取り直して、


「まあでも……私は近寄りがたい天才みたいな雰囲気を出されるより、そういう等身大な感じで振る舞う先輩の方が扱いやすいです」


 伊万里は屈託のない笑みを見せた。

 珍しい。

 いつも辛辣な後輩にデレ期到来か……って思ったけど待て。

 

「扱いやすいって、別に褒めてないな?」

「お、さすがに気づきましたか。でも今ので絆されそうになるあたり、先輩って結構チョロいですよね」

「チョロいって……そんなことはないだろ」

「いえ、先輩はチョロいです」

「もしかして伊万里って、俺のことを馬鹿にしてる?」

「どちらかと言えば褒め言葉です、私にとっては」


 そう言う伊万里はやけに楽しそうだった。




◇◇◇


今回は後輩ちゃん・伊万里と「約束の相手」について話す回でした。

次回からは別ヒロインの個別ルートに入っていきますので、お楽しみに!

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