第7話 凪の想い 1

 僕、雹堂ひょうどうなぎのお父さんは剣道場を営んでいて、お母さんは元陸上選手、姉さんは現役の水泳選手だ。

 そんなアスリート一家に生まれたので、僕も小さい頃から色々なスポーツに触れる機会が多かった。


 中でも一番僕に合うと感じたのは父と同じ剣道だ。

 小学生の頃から父の道場に毎日のように通い、剣道一筋の日々を過ごしてきた。

 すぐに道場に通う同年代の男の子には負けなくなり、全国大会にも毎年出場するようになった。初めて日本一になったのは、中学二年生の時だ。

 思えばその頃から同級生の女の子から「凪ってかっこいいよね」とか「凪って女の子なのにイケメン」なんて言われるようになった気がする。

 呼び方もいつからか「凪くん」に変わった。

 多分、僕の一人称が「僕」だったり、髪型がショートヘアだったり、昔から背が高かったのが理由だと思う。

 当時の僕はそうした扱いを気にしなかった。

 僕が入り浸っていた道場という場所は、基本的に男社会だ。

 良くも悪くも、女の子扱いされた経験は少なかった。

 もちろん、逆に女の子から男の子扱いされる経験だってなかったけど。




 男の子というか「王子様」のような扱いが加速したのは、高校に入ってから。

 一年生でありながらインターハイに出場してベスト8の好成績を収めた後だ。

 気づいたら女子生徒が練習を見にくるようになっていた。


「凪くんカッコいいー!」

「凪くんこっち見て!」 

 

 誰かに応援してもらえるのは、嬉しいと思う。

 知らない人からここまで熱のこもった声援を送られたのは、初めてだったけど。


「えっと、応援してくれてありがとう」 


 とにかく悪い気はしなかったから、僕は小さく手を振って声援に応えてみた。 


「な、凪くんカッコよすぎる……」

「ホント、女の子なのに王子様みたい……」


 なんだか、うっとりした感じの反応が返ってきた。

 その時から少し経って気づいたけど、僕の見た目はイケメン好きな女の子に受けるような感じらしい。

 あと、振る舞い方とかファン対応が王子様っぽいとも言われた。

 どちらも意識したことはなかったけど、結果として僕のことを応援してくれるファンが増え始めた。


 すっかり「王子様」扱いが定着して、気づいたら校内に僕のファンクラブまで結成されていた。


「凪くん、今日もかっこいい……」

「イケメンなのに美人で羨ましいよね」

「私もお近づきになりたいなあ」


 大会に出ると常にファンの女の子が応援に来て、校内を歩いているだけで歓声が上がる。

 正直、ここまで人からチヤホヤされるのは初めてだったから、どう接したらいいか分からなかった。


「凪くん、応援してます! よかったらこれもらってください!」


 面識のない女子生徒から、いきなりプレゼントをもらうようなことも増えた。

 なんだかむず痒いけど、応援してくれる気持ちを無視はできない。


「いつも応援してくれてありがとう」


 そんな調子で素直にお礼を言っていたら、ファンの女の子たちは自分たちの活動が本人に公認されていると思ったらしい。

 ファンの活動は熱量がさらに高まっていった。




 そんなある日のこと。

 僕は一人の女の子から校舎裏に呼び出された。

 なんと、相手は三年生の先輩だった。


「凪くんのことが好きです!」


 正直、どう答えたらいいか分からなかった。

 相手が女の子だったから。

 何より、僕は恋を知らなかったから。

 誰かを好きになるって、どういうことなんだろう。

 結局その時は、相手の先輩が返事をする前に走り去ってしまったから、僕が何かを言うことはなかった。


 問題が起きたのは、それから数週間後のことだ。

 クラスで一緒にいることが多い女友達、茅夜かやに対して、一部のファンが嫌がらせをするようになった。

 嫌がらせをしていたのは、告白をしてきた先輩と、その仲間だった。

 いつも僕と一緒にいるという理由で、茅夜に嫉妬したらしい。

 それからしばらく、僕と茅夜は疎遠になった。

 

 問題を解決したい。

 友達を助けたい。

 だけど、茅夜に嫌がらせをしているファンは、普段は僕を応援してくれている人たちだ。

 しかも嫌がらせは、決まって僕の目の届かない場所で行われた。

 茅夜の様子や、噂から察することはできても、直接状況を見たわけじゃない。

 そのせいでどう対処したらいいか、僕には分からなかった。


 そんな時だ。

 悠真ゆうまが助けてくれたのは。

 

「先輩たちがやっているのは応援じゃありませんよ。『誰かのファンだから』って建前を振りかざして、応援している相手やその周りに迷惑をかけているだけの邪魔者です」


 茅夜が嫌がらせを受けている現場に偶然居合わせて、先輩たちにそう言ったらしい。

 なんだか、やけに実感のこもった言葉だと思った。

 過去に自分のファンの行動で迷惑をかけられたことがあるのかも……と思ったけど、さすがにそれはないかな。

 悠真は僕の知る限り、普通の高校生だ。

 

 とにかく、第三者である悠真から注意されて、頭が冷えたらしい。

 嫌がらせをしていた先輩たちは、その場は引き下がったそうだ。

 その後も悠真は具体的な対策まで教えてくれた。


「こういうことが再発しないように、ファンをある程度管理した方がいいと思うよ。例えば最低限の禁止事項を明確にしておくとか」


 悠真に言われた通り、ファンクラブ経由で「僕の友達に嫌がらせするのはやめてほしい」と伝えたら、同じようなことは起きなくなった。

 結局、悠真のおかげで全て解決した。


 だけど当時の僕にとって、悠真はあまり話したことのないクラスメイトの一人だった。

 だから、友達を助けてくれた上にその後の対応まで面倒を見てくれたのが不思議だったので、直接聞いてみた。


「偶然見かけたから」

「本当にそれだけの理由で助けてくれたのかい?」

「まあ、気づいてしまった上で放っておけるほど薄情じゃないというか、放っておいたら後で思い出しそうだなと思ったから」

   

 悠真は当然のように言ってくれた。


「ありがとう。でも助けてもらってばかりじゃ申し訳ないから、何かお礼をさせてくれないかな?」


 僕がそう言うと、悠真は少し考えてから答えた。


「それなら文芸部に入ってくれないか? 三年の先輩が引退したから、人数不足で部が存続できなくなりそうなんだ。名前だけ貸してくれたら、別に部室に来なくていいから」


 僕はその提案を受け入れた。

 それだけでいいのかなと思ったけど、きっと僕が負担を感じないように配慮してくれたんだろう。


 悠真は基本的に誰に対しても親切にしてくれる癖に、恩を売ろうとしない、お人好しだ。

 いい人すぎる。

 多分、本人はそう言われたら否定するけど。

 でも、確かにただのいい人ってだけじゃなくて、表向きはちょっと捻くれていて鈍感な部分がある。

 そこが悠真の面白いところだし、不思議と他人を惹きつけるような雰囲気がある。

 思えば僕は、この時からそう感じていた。


 とにかく僕は、文芸部の幽霊部員になった。

 ちなみに悠真と一緒にいた壮志そうしも嫌がらせを受ける茅夜を助けてくれたけど、あいつは単純にあの子のことが好きだったらしい。

 助けたことをきっかけに、壮志と茅夜は付き合うようになって、今でもその関係は続いている。壮志はちゃっかりした奴だ。


 僕の友人関係にも少し変化があった。

 茅夜だけでなく、悠真と壮志を加えた四人で行動するようになった。

 剣道場には男子ばかりだったから、男子の方が案外、接しやすい。

 女子と仲良くしてまた迷惑をかけてしまうのが怖かったから、新たに女友達を作ろうと思わなかった。

 現に、二年生で茅夜と別のクラスになってからは、悠真と壮志以外に友達と呼べるほど仲のいいクラスメイトがいないし。

 あれ、僕ってもしかして意外とコミュ障なのか……いや、そんなことはないはず。

 

 とにかくそれ以来、一時期よりもファンの熱は落ち着いたし、僕も少しずつ「王子様」らしく振る舞うのが上手くなったと思う。

 別に王子様になりたいわけじゃないけど、みんな慕ってくれているから、やっぱりその期待には応えたい。

 だけど気を張っていると、少し疲れる。


 そういう時、リラックスできるのは、悠真たちと過ごす時間だ。

 友達と一緒にいる何気ない学校生活は楽しくて、こんな日常がずっと続いてほしいと思っていた。

 だけどある日、それだけじゃ満足できないと思い始めた。


◇◇◇


 一年生の冬。

 職員会議で部活が休みになった日の放課後。

 壮志と茅夜はどこかへデートに行ってしまったので、悠真と二人で下校していた時のことだ。

 駅前の通りを歩いていた僕は、足を止めた。


「ねえ悠真、寄り道して行かないかい?」

「別にいいけど、どこに」

「最近、読みたいと思っていた漫画があるんだ」


 僕はそう言って、駅前のビルにある漫画喫茶を指さした。




「二人で入ると少し狭いな」 

「別の部屋にした方が良かったかな?」


 僕と悠真は、漫画喫茶の個室の中で、小声で会話を交わしていた。

 床が全面シート状になっている、フラットタイプの個室だ。

 一人なら寝泊りできそうなくらい広いけど、二人だと少し窮屈に感じる。

 室内は二人並んで座る程度の広さはあるけど、足を伸ばすほどの余裕はない。


「まあ、座って漫画を読むだけなら問題ないだろ」


 そう返事をする悠真は、壁にもたれかかって漫画を読み始めていた。

 僕もさっそく、読みたかった漫画を手に取った。

 人気上昇中の恋愛小説家が書いた作品を原作にした漫画が最近出たとかで、気になっていたのだ。

 幽霊部員とはいえ文芸部に入ってからは、それまで剣道一筋だった僕も読書をする機会が増えた。

 同じ人が書いた恋愛小説と関連作品しか読まないけど。

 僕は恋なんて知らない癖に、不思議とその作家の小説は楽しめた。




 黙々と漫画を読んで、しばらく経った頃。

 僕はふと、隣に座る悠真を見た。


「……」


 悠真は漫画を読むことに集中しているみたいだ。

 こうして横から見ると、何故か面白い。

 それにしても、近いな。

 少し手を伸ばしたら触れられる……って、あ。


「どうした?」


 本当に触ってしまった。

 僕に脇腹を小突かれて、悠真は顔を見上げた。


「ただなんとなく、近いなあと思っていたら、うっかり触ってしまっただけだよ」

「なんだそれ」


 悠真は不思議そうにしながら、再び漫画の方に視線を向けた。

 ふむ。

 なんとなく面白かったので、僕はもう一度悠真の脇腹を小突いてみた。


「凪?」


 悠真がまた顔をあげた。


「ははは、えい」


 今度は少し、くすぐってみた。


「いきなりどうした」

「悠真の反応が面白いからつい、ね」


 僕はさらに悠真をくすぐってみた。

 

「ちょっ、おい! その辺で……!」

「ははは、悠真もそんな感じで悶えるんだね」


 いつも達観したような感じで読みにくい悠真の表情が、こそばゆさで歪んでいる。

 くすぐり攻撃は悠真に有効みたいだ。

 そう思っていたら、悠真が漫画を横に置いた。 


「いい加減に……!」

「おっと……!?」


 悠真がついに僕の手を振り払おうとしてきた。

 対する僕は、反射的に悠真の手を掴もうとした。  

 普段、剣道をやっている時の癖……だったのかもしれない。

 とにかく、狭い空間で二人が咄嗟に動いた結果。

 僕と悠真は、もつれるように倒れ込んだ。


「あー……凪?」

「これは、えっと」


 僕は今、シートに仰向けに倒れ込む悠真の上に、覆い被さるような体勢になっている。


「とりあえず、どいてもらえると助かるんだけど」


 悠真が気まずそうに、目を逸らした。

 あれ。

 これだとまるで、僕が悠真を押し倒しているみたいだ。


 とくん。

 不意に、心臓の鼓動が高鳴る音がした。 

 僕ってもしかして、今まで異性に対して、結構大胆なことをしていたんじゃないか? 

 そう思うと、急に恥ずかしくなってきた。

 不思議なことに、体は熱くなる一方だ。


 相手が悠真だと余計に。

 余計に……なんだろう?

 別に、怖くはない。嫌でもない。

 むしろ真逆の気分。


 あ、これが好きってことなんだ。

 僕はその時、悠真への恋心を自覚した。



◇◇◇


長くなってしまったので凪視点の話は二分割しようと思います!

よって次回も凪視点のお話です。

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