第3話 ゲームへの参加を決意して、後輩美少女にからかわれる。

 小学五年生の時、八月初め。

 当時から読書好きだった俺は、夏休みの間毎日のように図書館に通って、小説を読んでいた。

 同じように毎日図書館に入り浸って、同じシリーズの小説を読んでいる女の子がいることに気づいたのは、その時だ。


 当時住んでいた田舎には、子供が少なかった。

 だから小学生がいたら大体顔見知りのはずなのに、俺はその子を知らなかった。


 不思議に思っていると、女の子の方から話しかけてきた。

 同じ小説を読んでいるから、趣味が合うと思われたらしい。

 その子が読みたい本が図書館にはないなんて、愚痴のような話をされた。

 田舎の小さな公共施設なので、無理はない。

 だけど俺の家にはあったので、そのことを伝えたら家に来たいと言われ、了承した。

 

 以来、女の子は毎日のように俺の家に来て過ごしていた。

 女の子は田舎に住む祖母が入院しているため、夏休みの間だけ家族で来ていると聞いた。

 だから近くに友達はおらず、両親は看病や祖母の家の農家の手伝いで忙しいとか。

 要するに女の子は一人で暇を持て余していたのだろう。

 昼過ぎに俺の家に来て、夕方まで小説を何冊か読む。

 俺も読んだことがある作品の時は、感想を言い合ったりもした。


 転機が訪れたのは女の子が俺の家にあった小説を十日ほどで読み終えてしまった時だ。

 女の子が他に何かないか暇を潰せるものはないかと俺の部屋を漁っていると、俺が書いた小説を見つけた。

 誰に見せるつもりもなく、手探りで書いてみたファンタジー風の冒険譚だったが、女の子はそれを読んで面白いと言ってくれた。


「もっと読みたい! あと、わたしは恋愛小説が好きだから書いてほしい!」


 俺は女の子のそんな要望に応えることにした。

 すぐに短編を一つ書いてみたら、楽しんでくれた。

 恋愛小説と言われても、あまり読んだことがなかったし、小学五年生の俺はまだ恋なんてしたこともない。

 見様見真似だったけど女の子は楽しんでくれた。

 そして、今度はもっと長い話が読みたいと言われた。


 俺が長編を書き終えたのは夏休み最後の日だった。

 女の子は今まで読んだ小説の中で一番好きだと言ってくれた。


「わたしはきみが好き。一緒にいて、小説を読むのが好き。きみの書いた小説も好き。もっときみの小説を読みたいのに……今日でお別れなんだね」


 夏休み最後の日。

 女の子が寂しそうにそう言ったことをよく覚えている。

 当時の俺が、その気持ちに応えたいと思ったのは間違いない。


「立派な小説家になって迎えに行くからお嫁さんになってほしい」


 だからだろう、俺が女の子とそんな約束を交わしたのは。




 そんな調子で、俺は覚えていたことを爺さんに話した。

 もちろん、まだ祖父が生きていた頃だ。


「ふむ、なるほどなあ……」

「で、どうして俺は爺さん相手に昔の思い出を語らされているんだ」


 祖父の家の、縁側にて。

 俺と爺さんは並んで座っていた。


「そりゃあ、お前が小説家としてスランプに陥っていると言うからだろう」

「それと今の話が関係あるのか」

「おうとも。お前が書くのは恋愛小説だからな」


 どうやら、ただからかうために昔の話を掘り起こしたわけじゃないらしい。

 

「それに、お前が小説家を目指した原点だろう。その約束は」

「原点か、確かにそうかもな」


 中学生になってすぐ、俺の両親が事故で死んだ。

 家族を失って独りになった俺を引き取ったのが、爺さんだった。

 ――何か前向きに取り組めることを探せ。

 突然両親が亡くなった事実を受け止めきれず、全てに対して無気力になっていた俺に対して爺さんはそう言った。


 その時に俺が思い出したのが、女の子と交わした約束だった。

 それ以来、没頭できることを見つけた俺は、悲しい出来事を強引に忘れて、半ば取り憑かれたように夢中で小説を書いてきた。


 初めて賞に応募した作品が受賞したのが、中学一年生の秋だった。

 俺が書いたのは、学生を主人公とした恋愛小説だ。

 俺みたいに大した恋愛経験のない子供がそんなものを書いて受けるのか。

 最初は我ながら半信半疑だったけど「若々しさが滲み出た文章がリアルでいい」なんて評価を受けた。


 中学三年生の頃にはすっかり人気作家となり、高校に進学する頃にはメディア化の話も複数浮上した。

 デビュー以来、年齢や性別など一切の素性を公にせず活動しているが、「文体から察するに恐らく若いだろう」とファンからは推測されている。

 祖父に言われて書き始めてから自分でも驚くほど順調に作家としてのキャリアを積み上げてきたけど、最近唐突に停滞期がやってきた。

 全く筆が進まない。

 だけどその原因が分からない。

 これがいわゆるスランプかと、俺は思い知った。


「お前、その時の気持ちを覚えているか?」

「気持ちって、それは」


 多分あれは、俺にとって初恋だった。

 だけど正直、子供の頃の約束と気持ちは、少し色褪せている部分がある。

 でも仕方ないだろう。

 小学校五年生の夏休みの時に一緒に過ごしただけの、名前も知らない女の子だ。

 相手がどこの誰か分からないし、俺自身も今はあの田舎を離れて東京にある祖父の家で暮らしている。

 普通に考えたら、もう二度と会えない可能性が高い。

 だからあの時のことは昔の懐かしい思い出として、消化されつつあった。


 中学時代には、周囲の友人たちの後押しという名の悪ノリで、別の人と付き合っていたこともあった。

 その人のことが特別好きだったわけでもなかったけど、美人の先輩だったし悪い気はしなかった。

 それどころか、初めての恋人だったから今まで感じたことない幸福感を得ていた気がする。

 最終的には、先輩が高校に上がったタイミングで自然消滅的に別れることになったけど。

 それも一つの経験だと、俺は思う。

 子供の頃の約束だって、ある意味では同じ、一つの経験だ。

 

 昔約束した女の子の顔や声は、かろうじて覚えている。

 だけど、今成長した彼女と出会って気づけるかは、分からない。

 そんな俺に対して、祖父は言った。


「お前はつまらないようで面白いな」

「急になんだよ」

「最近、その理由を儂なりに考えていた」


 俺の疑問を無視して、爺さんは話を続けた。


「お前は昔の思い出を過去として自分なりに消化して、今は今なりに自分の目標を見据えている。そして首尾よく、そこそこに目標を達成し成果を上げている」

「まあ、そうかもな」

「その割には、満足している様子がない。単に作家として貪欲なのかと思ったが、どうやらそういうわけでもない。何かに渇いている様子で、それを原動力にして小説を書いていた。だが最近は半端に満たされたせいで、迷っている」

「全部見透かしたみたいに、よく分からないことを……つまり何が言いたいんだ」


 神妙な面持ちで語る爺さんの言葉の意味は、分かるようで分からなかった。


「お前が満足するためにはまず、その渇きに対する答えを見つける必要があるということだ」

「答え、か」


 その答えが今一番知りたいことだけど、教えてくれるつもりはないらしい。

 話を聞いていたら、余計に分からなくなってきた。

 

「爺さん、本当に俺のスランプをどうにかしてくれようって気はあるのか?」

「おう。近いうちにその機会を用意しよう」


 爺さんは思わせぶりなことを言って、不適に笑った。

 

◇◇◇


「あの口ぶりからして、その機会って今回のゲームのことを指してるんだろうな」


 九月三日、夜。

 俺は一人で縁側に座って、昼間に告げられたゲームのことについて考えていた。


「いつもここに一人で座っていたのは、爺さんだったな」 


 暇な時や小説家として行き詰まった時、俺はこの場所にいる祖父を訪ねた。

 ジャンルは違うけど、祖父も物書きだった。

 俺にとって祖父は、師匠のような存在でもあったと思う。

 色々とふざけた人だったけど、真面目な悩みにはきちんと応えてくれる人だった。

 だから今回のことも、何か真面目な意図があるはずだ。

 半分くらいは、あの人の趣味が入っているだろうけど。


「渇き、か」


 改めて答えを考えてみるが、やはり分からないものは分からない。

 頭を悩ませていると、エプロンを着けた伊万里いまりがやってきた。


「先輩、ご飯できましたよ」

「あー」

「なんだか腑抜けてますねえ」

「ひどい言われようだな」

「仕方ないでしょう。今の先輩は傍から見ればただのガサツな高校生ですよ。最近は全然執筆もしてませんし。これがあの人気恋愛小説家だなんて、誰も思いませんよ。皆もっと立派な姿を想像しているはずです」


 伊万里は俺が小説家として活動していることを知っている数少ない人物の一人だ。

 今の俺と世間のイメージを比べて、耳の痛いことを言ってくる。


「まあ、伊万里の言う通りではあるか……」


 そんな返事を口にしていて、思う。

 立派な姿。

 確かにあの時、女の子と約束した俺は、もっと立派な将来像を思い描いていた。

 漠然とした渇きのような感覚がこびりついて離れないのはきっと、俺がまだ子供の頃に思い描いていた自分になれていないからだ。


「なあ伊万里」

「なんですか先輩」

「顔も名前も覚えていない女の子との約束を忘れかけていたのに、頭の片隅には常に置いていて、今更になって掘り起こされてから自分の気持ちに気づく男ってどう思う?」


 俺がそう聞くと伊万里は呆れたような目で見てきた。


「まあ、カッコよくはないですね」

「やっぱりそう思うか」

「でも」

「でも?」


 俺が聞き返すと、伊万里は隣に座った。


「でも、『人は一途になれないからこそ、物語の登場人物が持つ一貫性を美徳とする』……って先輩の書いた小説のセリフで出てきましたよ」

「ああ、あったな」


 伊万里が口にしたのは、俺が高校に上がってから初めて書いた小説の作中で登場するセリフだ。


「要するに、現実の人間は物語の登場人物みたいに割り切った生き方をできる人ばかりじゃないってことですよね?」


 伊万里はしたり顔でそう言った。

 外でもない俺の受け売りでそんな顔ができるのは、面白い後輩だと思う。

 けど、一理ある。


 昔の思い出を完全には忘れきれず、何か漠然とした心残りを抱えているのはつまり、初恋に未練があるからだ。

 叶わない恋だからと目を背けてきたけど、結局俺はあの時の女の子に対する思いを忘れていない。


「決めたよ。俺、爺さんの遺言に乗っかってみることにする」

「つまりゲームに参加するんですね」

「そういうことだ」

「ふーん?」


 伊万里がおもむろに、ニヤニヤし始めた。


「へえ、先輩にもたくさんの女の子から言い寄られたい欲求があったんですねえ」

「別にそこが目当てじゃないからな?」

「そうなんですか? 私は『小説家だからってちょっと達観した感じで大人ぶった振る舞いをする先輩も、ちゃんと男子高校生なんだなー』って安心したんですけど」

「伊万里って俺のこと内心では馬鹿にしてる?」

「まさかー、そんなわけないですよ」


 そう言う割に、笑顔からはどこか小馬鹿にしているような意味合いが感じられる。


「でも案外、先輩みたいなガサツ野郎には誰も近づいてこないかもしれませんね」

「いや、明日からモテまくりだから」

「モテるって、遺産目当ての女の人からですか?」


 冗談まじりで言ってみたら、辛辣な反応が返ってきた。


「手厳しいな」

「じゃあ、もうちょっと優しくしてみましょうか」


 伊万里は何を思ったのか、俺に抱きついてきた。


「えっと、伊万里さん?」

「強がらなくても大丈夫ですよ。先輩が売れ残った時は私がもらってあげますから」


 俺の胸板に顔が埋められているせいで、伊万里の表情は見えない。

 これはもしかして告白……なわけがない。 


「その手は通じないぞ」


 俺は伊万里を引き剥がした。


「ちっ、さすがにバレましたか。うまくいけば私がおじいちゃんの遺産をもらえるかと思ったんですが」 

「伊万里がこういうからかい方をしてくるのは、初めてじゃないからな」


 あの変人の爺さんに懐いていたくらいだ。

 伊万里も大概、悪戯好きだった。


「でも先輩の心臓はちゃんと、ドキッとしてましたよ」

「いや、それは」


 勝ち誇る伊万里に対して、俺は何も言い返せなかった。


「ふふん。先輩に勝って気分が良くなったことですし、そろそろご飯にしましょうか」

「ああ。そう言えば晩飯ができたって話だったな」

「はい。数日遅れる形になりましたけど、明日からは学校にも行かないといけませんからね。さっさと食べてさっさと寝ましょう」


 なんだかんだで、伊万里には世話になりっぱなしだ……なんて、この時の俺は呑気なことを考えていた。

 まさか翌朝から早速、美少女に言い寄られるとは思っていなかったからだ。

 



◇◇◇◇




前置きが少し長くなりましたが次回からはラブコメらしく女の子が続々登場します!

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