第2話 祖父の遺言で許嫁の存在を知った。

 八月末。

 祖父の鏑木かぶらき信孝のぶたかが他界した。

 八月の半ばに持病が悪化して入院し、そのまま回復することはなかった。

 祖父は脚本家で、有名なドラマや映画にも携わっていた。監督を務めることもあり、業界では名の知られた存在だ。


 一方で、変人としても知られており、交友関係は広くない。

 祖父は昔、田舎の親元から家出するような形で上京したため、親戚との縁が切れている。

 一人息子とその妻……つまり俺の両親は、五年前に事故で他界している。

 だから俺が唯一残った血縁者だ。

 そのため、葬儀は自宅にて、祖父の旧友や関わりの深かった者など限られた少数を集めて執り行われた。

 

 現在、九月三日。

 高校では夏休みが明けて二学期が始まっていたが、俺は忌引きで欠席して家にいる。

 広い敷地面積を持つ古風な平屋で、生前に祖父が暮らしていたお屋敷のような建物だ。

 両親の死後、祖父に引き取られて以降は、俺の家でもある。


「ふー……これで大体片付きましたね」


 葬儀の会場として使用していた広間にて、茶髪の女の子が呟く。

 

「悪いな伊万里いまり。学校があるのに手伝ってもらって」

「いいんですよ。私もおじいちゃんにはお世話になりましたし、堂々と学校を休めますし」


 伊万里は同じ文芸部に所属する、一年生の後輩だ。

 今年の四月に、祖父が募集した家政婦の求人に応募してきたバイトでもある。 

 夕食を作ったり掃除をするために、放課後や土日にほぼ毎日この屋敷に通ってくれており、祖父はもう一人の孫のように可愛がっていた。

 本人は学校をサボる口実ができたとか冗談めかして言っているが、伊万里も祖父にそこそこ懐いていたと思う。


「なんにせよ、爺さんも喜んでると思うよ。ありがとう」

「そんなこと言って、本当は先輩がこの広いお屋敷で一人ぼっちなのが寂しいだけじゃないんですか?」 

「……それもそうだな。ありがとう、伊万里」

「今日の先輩はやけにしおらしいですね……ちょっと変ですよ? いつもなら私の軽口なんて適当にあしらうくせに」

 

 伊万里が何やらもどかしそうな顔をしていた。


「俺だってそういう気分の時もある」

「そうですか。そんなに寂しいなら、これからも私がご飯を作りに来てあげますよ?」

「いや、家政婦のバイトは爺さんの世話をするのが主な仕事だったし……俺のことは自分でなんとかするよ」

「ガサツで生活力皆無な先輩が自力でなんとかするって……無理だと思いますよ? 放っておいたらこのお屋敷が埃まみれになるのはもちろん、自分のご飯すらまともに用意しないに決まってます」

「さすがに俺を過小評価しすぎじゃないか」

「とか言って、私が家族旅行で数日休んでいたら、その間先輩はほとんど何も食べずに作業に没頭していたじゃないですか」

「そんなこともあったな」


 呆れた眼差しを向けられて、俺は返す言葉もない。


「先輩ならバイト代も払えるでしょうし、ケチケチしないでくださいよ」


 確かに、俺は高校生でありながら人並み以上には収入がある。


「タダでお世話してくれる甲斐甲斐しい後輩になってくれるわけじゃないのか」

「当然です。そういうのを期待するなら、彼女の一人でも作ったらいいと思いますよ?」


 広間の畳に仰向けで寝転がりながら、伊万里は俺を見上げてくる。

 こうして平気で寝転がれるのも、伊万里が日頃から綺麗にしてくれているおかげだ。

 他の住人がいなくなった状態で、俺がここまで行き届いた掃除をできるかと言えば、多分無理だ。


「そうは言っても、相手がいないだろ」

「おや。ここにかわいい後輩美少女がいるじゃないですか」


 自称するのはどうなんだと思うが、確かに伊万里は同級生の男子から人気が高いらしい。

 「小動物的なかわいさがある」なんて評判だけど、俺はある噂を聞いていた。


「伊万里は告白されても『今は誰とも付き合う気がない』って断ってるらしいじゃないか」

「ああ。それはほら、嘘も方便って言うじゃないですか」

「つまり?」

「私に告白してくるのって、ほとんど話したこともないような人ばかりですから。顔しか見てないのが露骨なんですよ」


 やれやれとため息をつく伊万里だが、俺は知っている。


「他の生徒とコミュニケーションを取ろうとしない伊万里にも問題があるんじゃないか? クラスでぼっちって聞いたことあるぞ」

「ぼ、ぼっちじゃないですよ! 同性の友達はいます」


 伊万里は動揺した様子で体を起こした。 


「何人?」

「一人……ですけど何か問題ありますか」

「別に問題はないさ。からかわれたから言い返してみただけだからな。目的達成だ」

「先輩っていい性格してますよね」

「それはお互い様だろ」


 俺が笑って言い返すと、伊万里はどこか不満げな顔をした。


「とにかく私は、『誰とも付き合う気がない』のではなく『しかるべき時にしかるべき相手と付き合いたい』と思っているだけなので、その辺りよく覚えておいてくださいね」

「まあ、よく分からないけど了解した」


 俺が答えたその時、インターホンの音が鳴った。


◇◇◇


 やってきたのは祖父の顧問弁護士をしていた老齢の男性だった。

 名前は大隈おおくまさんと言って、祖父とは学生時代からの友人でもあると聞いたことがある。

 不意の訪問者を、俺は客間に通した。

 

「どうぞ、お茶です」

「おお、わざわざどうも」


 お茶を持ってきた伊万里に、大隈さんは軽く礼を言う。

 祖父の同級生なら年齢は八十を超えているはずだが、整えられた白髪頭にスーツを着込み、背筋を真っ直ぐ伸ばして正座している姿を見ると、まだまだ元気そうだ。


「それで、今日は一体どうしたんですか?」


 大隈さんは先日、祖父の葬儀に来てもらったばかりだ。

 線香を上げるために訪ねてきたにしては、早すぎる。

 向かい側に座る朗らかな雰囲気の老紳士に対して、俺は疑問をぶつけた。


「実は、鏑木かぶらき……貴方の祖父から、遺書を預かっておりましてな。その内容を伝えにきました」


 遺書。

 なるほど、持病持ちで高齢だった爺さんなら、予め用意しておいてもおかしくないか。


「遺書……ってことはやっぱり遺産の話ですかね? 確かおじいちゃんには先輩以外にお身内はいなかったはずですから、税金以外は先輩がもらえるはずですよ」


 お茶を持ってきてから俺の隣に座っていた伊万里が、そんなことを言い出した。

 旧知の中とはいえ顧問弁護士なんて人までいるくらいだし、脚本家としての稼ぎがそれなりにあったのかもしれない。


「実は、話はそう簡単ではないのです」

「他に相続人がいるとか?」

「まあ、それに近いですな」


 はいでもいいえでもなく、それに近いってどういう意味だ。

 そんな疑問を抱いた俺に対し、大隈さんは続けた。


鏑木かぶらき悠真ゆうまさん、貴方には許嫁がいます」

「はい?」

「保護者間の取り決めで、婚姻関係を結ぶことを了承された異性がいるという意味です。実際に結婚するかは最終的には当人同士の意志に委ねるが、一度会って話し合うように、とのことです」


 話し合え、と言われても。


「許嫁がいるなんて初耳です。まさかあの爺さん、そんな重要な話を勝手に決めたんですか?」

「その方は貴方の『約束の相手』であると、遺書には記されています」

「約束の相手……?」

「貴方には昔、将来を誓い合った方がいたはずです」

「あー……」


 将来を誓い合った、なんて言葉は大げさな気はするが、心当たりはある。 

 俺が小学生の時。

 まだ両親が元気に生きていた頃。

 当時、父の転勤の都合で暮らしていた田舎で出会った女の子と、そんな約束を交わした。

 に夏休みの間だけ田舎に来ていたその子とは、図書館で会ったのをきっかけに仲良くなり、毎日のように俺の家で一緒に読書をして過ごしていた思い出がある。


 女の子が自宅のある東京に帰る際、当時十歳だった俺はこう言った。


 ――立派な小説家になって迎えに行くからお嫁さんになってほしい。

 子供どうしで交わした、まさしく幼稚な約束だったと思う。

 何せ当時の俺は、あの子の本名すら知らなかったのだから。

 そのせいで余計に、保護者同士が合意を交わした許嫁というのは、少し飛躍した話だと感じる。


「爺さんは、その『約束の相手』が誰か知っていたってことですよね」

「そういうことになります」

「じゃあ、結局どこの誰なんですか?」

「今回の遺産相続にあたって重要なのは、『約束の相手』を悠真さん自身で探し当てる必要があるという点です」


 大隈さんが、おかしなことを言い出した。


「遺産については悠真さんが『約束の相手』を探し当てることができた場合、悠真さんが相続できるものとする。ただし、間違った人物を『約束の相手』として選んだ場合は、全てをその人物に与える。それが、相続にあたって貴方の祖父が出した条件です」

「なんだそれ……」

「要するに、タダで遺産をやるだけでは面白くないから、ちょっとしたゲームをしよう……という、あの変わり者が死に際に思いついたお遊びに付き合わされている、ということですな」


 大隈さんは、どこか懐かしげに小さく笑った。

 祖父は昔から、独特なゲームや余興を催して、巻き込まれた人々の様子を見るのを楽しむ趣味があった。

 祖父は悪い人ではないし、他人に深刻な損害を与えるような真似はしなかったが、それでも巻き込まれた側からすれば普通に迷惑なのは間違いない。

 だから有名脚本家で芸能界でそこそこ顔が広いはずの鏑木信孝の周りには、あまり人が多くなかった。

 偏屈な老人のおもちゃにされるのは御免だったからだろう。

 あの人の遊びに付き合っていたのは、よほどのお人好しか数少ない身内である俺くらいだ。


「爺さんらしいと言えばらしいけど……最期にもう一遊び付き合えってことか」

「そういうことですな。ゲームの期限は一ヶ月。このゲームに参加しない場合は遺産を全て放棄したとみなすと遺書には記されています」


 この辺りは遺書に記載がある場合でも、法定相続人であれば最低限の財産をもらう権利はありますが、などと大隈さんは補足する。


「遺産が欲しければ、とにかくゲームに参加しろってことですね。正直、そこまで執着はありませんが」

「でもいいんですか先輩。遺産の相続を放棄したら、思い出のあるこのお屋敷を手放すことになりますよ」

「伊万里もたまには軽口以外のことを言うんだな」

「先輩、私のこと馬鹿にしてます?」

「逆だ。感心してた」


 俺がそう言うと、伊万里は不思議そうにしていた。 


「しかし、探し当てると言ってもほとんど情報がない中だと、一ヶ月以内って難しくないですか」 

「その点は問題ありません。『約束の相手』はゲームの存在を知っていますから、向こうから悠真さんに接触してくるはずです」

「でもそれだと、ゲームが成立しませんよね?」


 向こうから来てくれるなら、俺が何かする必要はない。

 ただ待っていれば済む話だ。


「問題は本物以外にも、自分が『約束の相手』だと称して近づいてくる女性が複数いる点です」

「つまり偽物も用意したから、その中から見極めろってことですか」

「そういうことですな」

「だったらゲームらしくはなるし、一ヶ月の期限も納得はできますが……」


 いくら爺さんの遺言とはいえ、あまり気乗りしないというのが俺の本音だった。


「『約束の相手』を探し出すことは、お前の渇きに対する答えを見つけることと同義だと儂は考えておる。祖父の最後の遊びに付き合うことは、お前にとっても利のあることだ……と遺書の最後には記されています」


 決めかねていた俺に対して、大隈さんがそんなことを口にした。


「渇き……って、何かの例え話ですかね?」

「まあ、そんなところだな」


 首を傾げる伊万里に対して、俺は答える。

 どうやら爺さんには、遊び以外の目的があるらしい。


「悠真さんにも考える時間が必要でしょうが……色々と都合がございますので、老人の最期の遊びに付き合ってやるかは、本日中にお決めください」


 大隈さんはそう言って、電話番号の書かれた名刺を渡してきた。


「決めたらここに連絡しろってことですね」

「いかにも」

「それにしても、弁護士がこんな遊びに乗っかるってどうなんですか?」

「はは。この私とて、あの変わり者とは長い付き合いでしたからな」


 冗談めかして聞いてみたら、大隈さんは楽しげに笑った。


「まあ……どのような選択をしたとしても、悠真さんの悪いようにはならないであろう、とは申しておきます」

「……? どういう意味ですか」

「それはまた、いずれ」


 大隈さんは俺の疑問に答えることなく、立ち上がった。

 

 さて、どうしよう。

 『約束の相手』である女の子と最後に会ったのは、七年近く前のことだ。

 一緒に遊んでいた期間も、その年の夏の間だけ。

 遠い日の、短い間の記憶と想い。

 あの時の女の子のことを、今の俺はどう想っているのだろう。


◇◇◇◇


次回は明日の朝更新予定です!

祖父との過去の会話を振り返ったりしつつ、引き続き後輩の伊万里ちゃんが登場します。

割と説明回っぽい感じになってますが、多分4話目くらいから本格的にラブコメらしくなっていくと思います。

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