友達に会いたかった
朝、らしい。
横からアラームが
大音量で鳴っている。
念の為起きるべき時間の
30分前にセットしていたけれど、
眠気なんてとうに吹き飛んでいた。
茉莉「……。」
今日がやってきてしまった。
いや、来て欲しかった日のはずで、
長いこと願っていた日だったはずなのに、
なんと言えばいいか、
嘘であってほしいとも
思ってしまったのだ。
きっと今日が終われば
それから先目標もなく
ただ長い人生をだらだら生きることに
なるのかもしれないと、
追うものがなくなって
空っぽになったような時間が
やってくるのかもしれないと思うと、
少し怖くなったのかもしれない。
就職も進学もしないまま
高校を卒業するかのような、
自由なのはわかるが
今後何をしたらいいのかわからない。
そういった感覚に近いだろう。
茉莉「さむ。」
足先が冷えている。
朝起きて早々これで
布団の中でまだ寝転がっていたいのに
気温がそれを許してくれない。
体を起こして室内用の靴下を履き、
既に暖房がついていたリビングへと
転がり込んでいった。
兄ちゃん「おはよう。」
茉莉「おはよ。」
兄ちゃん「休日なのに起きんの早いじゃん。」
茉莉「うん。今日はちょっと出かけるから。」
兄ちゃん「あー、昨日言ってたな。横浜?」
茉莉「だね。元々東京ら辺でって話だったけど、お互い神奈川に住んでるってわかってさ。」
兄ちゃん「なら横浜の方がいいわな。」
茉莉「人も東京よりは少ないし。」
兄ちゃん「絶対それが1番の理由だろ。」
茉莉「そんなことないよー。」
茉莉の否定を聞いていたのかわからないが、
適当に「はいはい」と返事をされた。
兄ちゃんは最近何を考えているのか
早起きで健康的な生活をしている。
時折深夜帯のバイトがあって
昼まで眠っていることはあるが、
それも去年や一昨年に比べれば
格段に減っていた。
兄ちゃんは早々にソファで寝転がって
テレビをつけながら
ゲームをしていたらしい。
茉莉「今日暇なの?」
兄ちゃん「ああ。今日は何もしないって決めてたからな。」
茉莉「サボりかあ。」
兄ちゃん「いいや、真っ当な休暇っていうからな?」
茉莉「はいはい。」
兄ちゃん「こいつやりよる。」
茉莉「パン適当に食べちゃうねー。」
兄ちゃん「冷蔵庫に残ってたきんぴら入ってっから。」
茉莉「はあい。」
こうしていつも通り
兄ちゃんと話しているだけでも、
この後羽澄と会うことを思えば
体が時折硬直しそうになる。
手も足も頭も全部が1度
ほんの数秒だけ
再起動されるような感覚。
あったとてどうしたらいいんだろう。
そう焦ってるのだろう。
結局集合場所は決めたし、
少し話せればというように
話をつけてはいる。
けれど、実際少し話すとは言え
どの程度時間はあるのか、
そもそもどこか飲食店に入るのか、
遊びに行く前提なのか。
高校1年生だけれど、
昔から人と遊びに行くことが
極端に少なかった分、
本当に何をどうすればいいのかわからない。
所謂陰キャだのぼっちだの
影で言われていたって
何ら不思議じゃない学生なのだ。
ややパサつき始めたパンに
バターを塗ってオーブンで焼き、
しゃくしゃくになったそれをぱっと頬張る。
朝ごはんを食べている間に、
ニュースから別のものへと
番組が変わっていた。
茉莉「そろそろ行ってくる。」
兄ちゃん「おおー、気をつけてな。」
茉莉「うん。」
ソファから上半身だけ起こして
そう言ったかと思えば、
そのまま玄関まで着いてきてくれた。
鍵くらい自分で閉めると言ったのだけど、
珍しく見送りたいのだそう。
「変なの」と言ったら
「休日の兄ちゃんバージョンだからな」と
変なことを言っていた。
そして。
兄ちゃん「楽しんでこいよ。」
そう言ったのだ。
そっか、と肩の力が
ほんの少しだけ抜ける。
茉莉「うん。行ってきまーす。」
兄ちゃん「いってらー。」
冬の朝と昼の合間。
今日は生憎曇り空。
いつも以上に寒さを感じて
マフラーに顔を埋めた。
最近伸びた髪を結んでいた。
時間が長いこと経っていた。
電車に少し乗って
横浜駅の駅構内にある
とあるカフェの前で待ち合わせをする。
平日でもここには
多くの人が待ち合わせ場所として
使っている印象があった。
やはり目印としていいのだろう。
休日の横浜駅は
やはりと言ったところか、
人でごった返していた。
乗り換えをするだけでも
1度は人とぶつかってしまうだろうと
思ってしまうほど。
茉莉「…。」
どうやら茉莉の方が
先についたみたいで、
DMには連絡が来ていなかった。
一応着いたことを伝えて、
寒くてすぐにポケットへと手を突っ込む。
今日くらいはカイロを持ってきても
よかったのかもしれない。
本物の冬が近づいている。
もうすぐ2月らしい。
それを越したらもう3月。
茉莉は後ちょっとで高校2年生になる。
茉莉「…早いよなぁ。」
茉莉が逃げて大都会で
1人迷子になったあの時のことが
割と最近のことのように思い出せる。
空は真っ暗。
なのにどこを見渡しても
ぴかぴかで明るくて。
電球も人も信じられないくらい多かった。
小学生の身長では
人も皆大きな柱のように見えて、
どこを通るにも
ミッションをこなしているような、
危ない橋を渡っているような
気分になっていたっけ。
それが、今じゃ一丁前に
都会で待ち合わせしてる。
もう迷子にはなりづらいらしい。
迷子になったって
自分でどうにかできる術が
思い浮かべられるくらいには
歳をとっているらしい。
しばらく手を突っ込んでいたポケットから
スマホを取り出すと、
ほんの1分前に羽澄も横浜駅に
着いたという連絡が入っていた。
刹那、どくんと心臓が波打つ。
思わず返信するより前に
顔を上げて左右を見渡した。
けれど、羽澄の容姿がわからない。
こういった服装とは
伝えられているものの、
流れゆく人の中から
それを見つけ出すことができなかった。
茉莉も服装を伝えていたよね、と
確認しようとしたその時だった。
「あの!」
茉莉「はい?」
落ちかけていた視線を
ぱっと上に戻す。
もしかしたらスマホを見る直前に
茉莉に向かって歩いてきて
いたのかもしれないが、
びっくりすることに
全く気づかなかった。
左右に向かう人の流れが多すぎて
見つけられなかったのだろう。
そこには、それこそ4月くらいの
茉莉の髪の長さほどだろうか、
ベリーショートで
目はくりっとした
背の高いお姉さんがいた。
スーツのような、
はたまた警察のような
きっちりとした服装をしている。
「国方さん…ですか?」
茉莉「…!はい、ってことは…。」
羽澄「はい、羽澄です!」
何だか、本当に夢のようだった。
羽澄ははきはきと
元気な声をしているんだってその時知った。
通る声をしているななんて
思っているけれど、
実際自分が今
何を考えているのか整然としない。
緊張からだろうか、
糸が何本も絡まったような
脳内になっていた。
けれど羽澄はそんな様子など一切なく、
目を細めて笑っていた。
羽澄「お待たせしちゃってすみません。」
茉莉「ううん、茉莉もさっき来たばかりなので。」
羽澄「そうでしたか!…じゃあ、んー…どうしましょっか。」
茉莉「会うことは決めてたのに、そこからどうするか決めてませんでしたね。」
羽澄「そうなんですよ。羽澄もさっき気がついて。」
すると、羽澄はふらりと
1歩適当な方向に踏み出した。
羽澄「ゆっくり話したいですし、座れる場所でも探しに行きますか。」
茉莉「ですね。」
少し振り返って微笑む姿が
やっぱり年上なんだと感じた。
Twitterから、既に大学生に
なっているらしいことと
同じ高校だったらしいことはわかっている。
大学生ともなれば、
少なくとも3歳は上ということになる。
ゲーム友達とも
そのくらいの年齢差のある人はいたが、
対面となるとまた違う。
部活に入っていないし、
近所付き合いがあるわけじゃない。
高校以外と限定すると
年上の人と対面で関わることは
本当にないのだ。
機会が全くない中、
大学生と関わることになっている。
その上シマなのだ。
そりゃあ緊張もする。
集合場所にしていたカフェから
少し外に出て、
細い道に入ったところで
またカフェが見つかった。
周りを見てみれば、
カフェがいくつもあることに気づく。
横浜へ遊びに行ったことはあるけれど、
そこまで駅から出ることはなかった気がする。
駅構内で済ますことや
試験など元から
決まった用事がある時にしか
行っていなかったっけ。
横浜より東京の早朝散歩に
行ったことのほうが
多いんじゃないかと思うほど。
…それは言い過ぎか。
束の間に吸った冬の空気が
一瞬で肺を冷やしていた。
それが、店内に入ると同時に
雪解けのようにじんわりと温まる。
昭和のような、
はたまた色合いとしては
アンティーク調のような内装に
おしゃれだと思う他ない。
羽澄「あそことかどうですか?」
羽澄はすみっこの席を指差した。
運がいいなんて思いながらその席につく。
店内には人は満員とまでは行かないが
ほぼほぼ埋まっているように見えた。
休日のお昼間なのだから
当たり前なのだろうけれど、
こんなに混んでいるものとは思わなかった。
茉莉がどれだけこういったお店に
入らないかがよくわかる。
公園でブランコを漕ぎながら
話しているほうが
なんだか茉莉らしいとすら思っている。
羽澄「飲み物買ってこようと思うんですけど…メニュー、一緒に観に行きます?」
茉莉「うん、そうする。」
羽澄「じゃあ行きましょうか。」
貴重品を持って彼女の背を追う。
身長が高いのはそうなんだけど、
なんだかそれ以上の、
大人の影を見ているような気持ちになる。
羽澄「どれにします?」
茉莉「うーん…カフェオレ系がいいかも。ブラック飲めなくて。」
羽澄「羽澄もです。甘いのにしたいなぁ。ココアとか。」
それもいいなと思っていると、
羽澄は既にレジに向かっていた。
ひょこひょことゆっくり隣に着く。
注文を終えて待って、
そして席に戻る。
荷物がとられていなくてよかったと
当たり前の感情を持ちながら
こうしてまた対面した。
そこで鞄を膝下に乗せてはっとする。
茉莉「あ、お金。」
羽澄「ううん、大丈夫ですから。気にしないでください。」
茉莉「でも…。」
羽澄「羽澄に先輩づらさせてくださいよ。」
茉莉「…ぅ…わかりました。」
羽澄「ありがとうございます。」
茉莉「バイトか何かしてるんですか。」
羽澄「いいえ。バイトできないんですよ。」
茉莉「できない?」
羽澄「はい。大学的に。」
茉莉「そうなんですか。」
羽澄「でも、大学行きながら収入は出るみたいな感じなので大丈夫なんです。」
茉莉「…?」
羽澄「えっとですね…一応大学ではあるんですけど、自衛隊員になるための学校なんです。訓練などなどに専念することが仕事でして。国を守る職でしてお給料が出るんです。」
茉莉「そうなんだ!へぇ、全然知らない世界…。」
羽澄「確かに目を向けようと思わなければなかなか意識にない選択肢かもしれません。」
茉莉「訓練かぁ。体強くないといけない?」
羽澄「そのほうが好ましいんだと思います。けど訓練を通して鍛えられますから。」
茉莉「すごい…。きついんですか?」
羽澄「大変な時もそりゃあありますよ。」
「でも頑張りたいしやりがいもありますから」
そう行ってココアをくるくると混ぜる。
なんとなく目を合わせることが
今は苦手だと感じてしまって
そこらをざっくりと見回す。
思えば飲食店ってあまり
時計がかかっていないななんてふと思う。
羽澄「茉莉ちゃんは今高校生でしたっけ。」
茉莉「はい。1年生です。」
羽澄「わあ、まだまだ楽しい時期ですね。」
茉莉「でももう受験のこと言われ始めちゃってるし、ちょっとだけ気が重い。」
羽澄「早くないですか?」
茉莉「ですよね。茉莉も思う。しかもですよ、共通テストで情報って科目が増えるんだとか。」
羽澄「うわわ…嫌ですね…。今の子って本当に大変ですよね。」
茉莉「くはは。羽澄さんもあんまり年齢変わらないんじゃないです?今って大学何年生なんですか。」
羽澄「羽澄はまだ1年生ですよ。」
茉莉「え!全然見えない。」
羽澄「あはは…羽澄もそう思います。童顔なのもあって子供っぽいっていうか。」
茉莉「あ、ううん。逆で。大人っぽかったからもっと上かと思ってました。」
羽澄「またまた。」
茉莉「ほんとに。なんかね、大学生って大人なイメージがあるんですよ。」
羽澄「あー…言いたいことはわかります。高校生の時は自分が大人になったり大学生になったりなんて考えられなかったですもん。」
茉莉「羽澄さんもですか。」
羽澄「はい。目の前のことでいっぱいいっぱいだった気がします。」
茉莉「そっか…。」
羽澄「3年の時は特にいろいろありましたし。」
姿勢を正したまま
ため息を吐くかのように肩を動かした。
3年生の時。
それこそ、去年の時。
そういえば、Twitterで
誰かから聞いたかもしれない。
茉莉「……なんか、変なことに巻き込まれたって…。」
羽澄「あ、どなたかから聞きましたか。」
茉莉「はい。」
羽澄「そうですか。…まあ、本当に色々。」
茉莉「……聞いても大丈夫ですか。」
羽澄「話しても信じてもらえないと思いますよ。」
茉莉「その、実は茉莉も今年それに遭ってて。」
羽澄「…!」
羽澄はやや俯いていたのに
目を開いてこちらを見つめた。
ぱっちりとした目なもので、
ほろりと涙やら何かかが
こぼれ落ちそうだなんて思ってしまった。
宝石のような目がやがて落ち着いて
ゆっくりとココアを見据える。
羽澄「そうだったんですね。酷いことには遭ってないですか。」
茉莉「茉莉は…あー…うーん、ぱっと見大丈夫です。」
羽澄「あはは…ぱっと見ですか。」
茉莉「うん。なんかね、世界線…が変わっちゃったか何かで、この世界の茉莉と別の…今ここにいる茉莉とが入れ替わったらしいんです。」
羽澄「世界線ですか。」
茉莉「はい。元の茉莉は曲を作ってたらしいんですけど、そんなことしたこともなくて。」
羽澄「なるほど。」
茉莉「他にもトンネルの奥に行った時に別の場所に繋がってて…とか。」
羽澄「…!」
茉莉「あとは…茉莉は関わってないしあんまりよくわからないんですけど、透明になって記憶から消えちゃったけど解決して思い出したり…事故に遭った人もいるけど…でもあれば関係なさそうだし。」
羽澄「…事故に遭った人は大丈夫ですか。」
茉莉「記憶喪失になっちゃったんですけど、命に別状はないみたいで、今は学校に通ってるみたいなツイートを見かけます。」
羽澄「よかったです。やっぱり今年のもいろいろと変わらず何かしら起こっているんですね。」
茉莉「羽澄さんの時はどんな感じだったんですか。」
羽澄「羽澄の時は、宝探しのレクリエーションから始まりました。その時の親友が不可解の影響で3ヶ月ほど行方不明になって…その人を助けに別の場所…それこそ海の底みたいなところに行きもしました。」
茉莉「海の底…。なんだか御伽話みたいですね。」
羽澄「そうかもしれません。…羽澄以外だと吸血鬼のようになってしまって今でも戦ってる子や、家族を亡くして別の世界線に行ってしまって…それでもこっちに戻ってきてくれた子。死んだとされた人が2、3年越しに生き返った…なんてこともありましたよ。」
茉莉「え、え?生き返り?なんでもありすぎません?」
羽澄「あはは…そうですよね。羽澄もそう思います。」
茉莉「何人くらい同時に巻き込まれたんですか。」
羽澄「生き返った人も含めると9人ですよ。茉莉ちゃんは?」
茉莉「6人です。」
羽澄「そうなんですね。じゃあ…年間の被害者は減ったと思っていいのかもしれませんね。」
茉莉「…他の人たちはどうなったんですか。」
羽澄「うーん…そうですね、みんなそれぞれ人生を歩んでるであろうことはわかります。受験生の子たちは今も勉強を頑張っているでしょうし、羽澄たちはみんな大学に行ってます。」
茉莉「…よかった。」
羽澄「……でも、いろいろな傷跡をつけられた1年でもあったと思います。」
茉莉「…。」
傷跡を。
茉莉たちの間で考えても
今ですら思い当たる節がある。
茉莉と吉永さんという人は
そもそも世界線が変わっている。
そこでは知らない記憶を
「ああだったでしょ」「こうだったでしょ」と
押し付けられる日々。
今でこそ少なくなったけれど、
当時は本当に辛いと思うことがあった。
曲を作っていたでしょ、
忘れてしまったの、
同じグループだったでしょ。
この後どうしようね。
解散することにしようか。
みんなそれぞれメッセージ書いて欲しい。
兄ちゃんからも
「最近作曲の調子はどう?」なんて
聞かれた日もあった。
適当に流したけれど、
茉莉に覚えのない会話で
溢れていた時期だったと思う。
他にも、事故…が不可解に関連しているのか
てんで不明だが、
もしそれが本当に不可解起因であれば
それも大きな傷だろう。
悠里は事故に遭って記憶を無くしたのだから。
陽奈だって声を失った。
歌が好きだった彼女が
歌うことを諦めなければ
ならない状況になってしまった。
普段の生活にだって支障があることは
間違いないだろう。
トンネルの先に3人で行って、
みんなそれぞれ痛みを抱えたと思う。
茉莉や篠田さんに限っては
陽奈のおかげで出てこれた。
けれど、思えば篠田さんはその後
何が原因だったかわからないが
透明になったという話を聞いた。
茉莉も後から気づいてびっくりしたけれど
当時はすっかり忘れていたのだ。
吉永さんのTwitterも
その時はおかしくなっていたと思う。
篠田さんを探していたようだけど、
それ以上になんだか
恐ろしさを感じたのだ。
何か文字から怖いと思ったのを
思い出してしまう。
羽澄「とある子は事故に遭って…その前にタイムリープのようなことが起こっていたらしくトラウマを抱えてしまったり……それと。」
茉莉「…?」
羽澄「…片足が麻痺してしまって動かなくなったり。」
茉莉「…。」
羽澄「それでも彼女は逞しく生きていて、本当に尊敬する大切な友達です。」
茉莉「…茉莉たちもこれからあるのかな。」
羽澄「わかりません。…ないとは言えませんね。でも、きっと大丈夫。そう思うしかないんだと思います。」
茉莉「そうかも。」
羽澄「すみません。暗い話になってしまって。」
茉莉「ううん、話して欲しいって言ったのは茉莉ですし。ありがとうございます。」
からん。
いつの間にかグラスの中の氷は
徐々に溶け始めていて
体制を崩しては音が鳴った。
店内が暖かいだけあり、
結露したその水滴が
音もなく静かに重力に負ける。
羽澄「…。」
茉莉「…。」
羽澄「あの。」
茉莉「ん?」
羽澄「…茉莉ちゃんもこの前教えてくれましたが、昔のこと…全然覚えていなくてすみません。」
羽澄は小さく頭を下げた。
静かに、静かに。
覚えていないことは
罪だなんて言われる時もあるけれど、
今は断じて違う。
羽澄は何にも悪くない。
茉莉「謝ることは何にもないですし…とにかく、頭を上げてください。」
羽澄「…はい。でも」
茉莉「じゃあ…んー、楽しい話をしようよって言いたかったけど…思い出話ともなればそうはいかないかも…でも、羽澄さんの昔のこととか聞きたいな。」
羽澄「昔?」
茉莉「はい。記憶では同じ施設にいたんですし。」
「そういえばそうでしたね」、と
話を聞いたところそうらしいねという
ニュアンスを含んでそう言った。
羽澄は小さい頃、
今の落ち着き払った雰囲気とはまるで違い、
やんちゃをしている女の子だったらしい。
喧嘩っ早いところがあり、
嫌なことがあれば割とすぐに
堪忍袋のおが切れて
殴りかかっていた時もあったのだとか。
でも、偏見も交えてになってしまうが、
施設にくる人たちは
何かしら事情がある。
だから、それが全て羽澄の人格のせいだとか
全く思わなかった。
羽澄「それからとある日、同じ人、同じ環境…なんだか全部が嫌になって逃げ出した…んだと思います。」
茉莉「その時、茉莉を引っ張って一緒に連れ出して行ってくれたんです。」
羽澄「…それが、あまり覚えていなくって。」
茉莉「じゃあ逃げてきた時のことは?」
羽澄「それもさっぱり。多分1人で施設を出た後、どうやって移動したかもわからず、そのまま神奈川の施設に移ることになったんです。」
茉莉「…そう、なんですね。」
羽澄「茉莉ちゃんの覚えているものと違うみたいですね。」
茉莉「うん、全然違う。」
羽澄「よければ教えてもらえませんか。」
茉莉「もちろん。」
それから茉莉は、
羽澄が施設から
連れ出してくれたことに加えて、
雪の積もったある日に
2人で電車に乗って逃げてきたことや、
誰もいないじゃないで
歌を歌ってくれたこと、
そして大都会で逸れたことを話した。
それらを聞いても尚、
羽澄はぱっとした顔をせず、
何やら夢の中で咀嚼しているような、
現実味のなさそうな話だと
言わんばかりに聞いていた。
羽澄「そうだったんですか。」
茉莉「茉莉の記憶ではね。でも、もう10年も前のことだし、それに当時茉莉もちっちゃかったし。ちょっと齟齬があるかもです。」
羽澄「それでも、大枠の一緒に逃げてきたってことは確実ですよね。」
茉莉「そのはずです。」
羽澄「…悔しいですね。思い出せないことがこんなに辛いなんて。」
茉莉「…。」
羽澄「友達にも言われたんですよ。」
茉莉「なんてですか。」
羽澄「昔の逸れた子のこと、まだ探してるのって。」
茉莉「…!」
羽澄「どうやら記憶を失う前、そのことを話していたみたいで。だから、茉莉ちゃんの言うことが事実だとは理解しているんです。」
羽澄さんはぽつりぽつりと
枯れた土の上に降る雨のような、
か細い声を絞り出していた。
°°°°°
麗香「そういえば先輩、怪我はないけぇ?」
羽澄「え?あ、あぁ。無問題ですよ!」
麗香「怪我ひとつもない?」
羽澄「はい!頭は若干じんとするような気もしますが、体は歩きすぎて痛い以外何もありません!」
麗香「頭がじんとするって…よくないんじゃ。」
羽澄「うーん、でも爪楊枝で突かれてるくらいなんですよね。」
麗香「ふうん…?」
羽澄「まあ、何か異常事態になれば麗香ちゃんを頼ります!」
麗香「はーい、分かったけぇ。」
---
麗香「そういえば、あのー…あれ。」
羽澄「あはは、何ですかー。」
麗香「逸れた友達はまだ探してるけぇ?」
羽澄「え?」
麗香「ほら、海で話してたけぇ。今の施設に移る前に、一緒に逃げてきた子。」
羽澄「…。」
麗香「関場先輩?」
羽澄「…それって、誰の話なんですか?」
麗香「…え?」
羽澄「羽澄は…そんな記憶ないです。」
麗香「あては関場先輩から聞いたけぇ。しっかりと。」
羽澄「でも、羽澄は…。」
麗香「…っ!」
羽澄「…あれ………っ…誰でしたっけ…。」
---
麗香「そういえば、羽澄先輩。」
羽澄「はい?」
麗香「思い出せた?」
羽澄「何をですか?」
麗香「ほら、昔逸れた友達を探してるって言ってたやつけぇ。」
羽澄「それは全然…。」
麗香「…。」
羽澄「その友達のことは何ひとつ覚えていないんです。それから、どうして羽澄は今の進路にしているのか分からなくなっているんです。」
麗香「進路?」
羽澄「…はい。剣道部に入ったのも、将来就職先を自衛隊にしたのも全部…。」
麗香「…そうけぇ。」
羽澄「…。」
麗香「守りたかったんじゃない?」
羽澄「…守り…?」
麗香「そうけぇ。あてはそうなんじゃないかなって、前に話を聞いた時に思ったけぇ。」
羽澄「羽澄が話してたんですか?」
麗香「うん。少しだけね。」
羽澄「今度教えてください!」
麗香「りょーかい。」
°°°°°
茉莉「…。」
羽澄「今こうして自衛隊員になれるよう通っていますが、いつからかその理由もわからなくなってしまったんです。」
なんと声をかけていいかわからず、
口寂しくなってカフェオレを飲む。
実際、その話が上がっていると言うことは
十中八九羽澄がシマで
間違いはないのだ。
本物のシマであることに
嬉しさが込み上げていた。
本人と本当に出会えた。
そのことは嬉しいこと極まりない。
ただ、この喜びを分かち合えないことが
ちょっぴり寂しかった。
羽澄にとってはただの初対面の人で、
何か昔に繋がりがあったらしい
知らない人でしかないのだから。
なんだか、一緒に長いこと
試験勉強をしてきて
同じ大学に合格できたのに、
その共に頑張ってきた勉強期間のことを
すっかり忘れ去られているような気持ちだ。
…何だか、全てを覚えている方が
苦しいのかもしれないとすら
思ってしまいそうだった。
知らないのは罪だと言う。
でも、知っていると苦しいのだ。
知らないのは楽なんだ。
茉莉も多くのことを忘れてきた。
きっとその中には
大切にしなければならないものもあったろう。
学校でのこと、出会った人のこと、
すれ違った人のことなど、いろいろ。
でも忘れている。
その方がきっと楽だから。
茉莉「でも、羽澄さんは頑張ってるじゃないですか。」
羽澄「…。」
茉莉「その姿を見れて、茉莉は元気づけられましたよ。」
羽澄「元気ですか。」
茉莉「うん。…茉莉は羽澄さんじゃないし、反対も然り…茉莉にはまだやりたいことも目標もないけど、1人じゃないんだって気持ちになる。羽澄さんがどこかで頑張っているのだから、茉莉も頑張ろうって思える気がします。」
羽澄「…っ。」
茉莉「だから羽澄さん。」
目を伏せた。
目を合わせられないと思った。
できるのであれば、
茉莉は誰かに、それこそ羽澄に縋って
どうして覚えていないんだと、
ずっと探していたのに
羽澄さんは忘れて以降
探しもしていなかったんでしょと
責め立ててしまいたかった。
誰も茉莉のことを、
昔の茉莉を知らないのか、と。
みんな茉莉を捨てるのか、と。
できるのであれば、
喚いて、喉が枯れるまで、
いや、喉が枯れたって
どうにかしてこの脳内と心臓、肺、
その他臓器に溜まったどす黒い靄を
吐ききってしまいたかった。
だけど、それを忘却した、
ましてや旧友であるシマに、
羽澄さんにするのは違う。
そう思ってしまった茉莉は、
大人ぶったまま、子供ぶれないまま
こう言うことしか口にできなかった。
茉莉「だから、今日からまたいろんなことして思い出作っていこうよ。」
羽澄「…っ!」
茉莉「…って、茉莉も学校あるし、羽澄さんも大学は忙しいからそんな頻繁なのは無理だろうけど…。」
羽澄「…いえ。茉莉ちゃんのためだったら週末いつでも駆けつけますよ。」
茉莉「くはは。週末だけなんだよ。」
羽澄「大学の規約上、休むことができなくて。なので、週末だけですが。」
茉莉「それでも嬉しいな。」
羽澄「羽澄もです。たくさん遊びにいきましょう!」
羽澄さんは憑き物が落ちたような、
これまで「忘れている」
ということに対しての罪悪感から
一部鎖を解かれたような顔をしていた。
よかった。
そう思うと同時にカフェオレに口をつける。
その時だけ、カフェオレは
酷く苦く感じた。
そしてしばらく…長いこと
カフェで話し込んだ。
逃げた先、茉莉は国方の家に
特別養子縁組をして
家族として暮らしていること。
高校が同じこと。
どうやら高校には
羽澄さんの友人も何人か
通学しているらしいこと。
そして羽澄の通っている
大学のことなど。
他にも、今はやっているものだとか
最近何にハマっているかだとか。
そして最近あった
面白かったことやしょうもないこと。
いろいろ話していた気がする。
気づけば日は傾きかけていて、
随分と長居してしまったことが
ようやくわかった。
カフェから出ると、
生憎曇り空が出迎えてくれた。
自然と2人の足は
横浜駅へと向かっていることに気づく。
そこでなんとなく察する。
お互いに、今日はここまでなのだろう、
と思っていることに。
ゆっくりと歩き出す。
まるで今日よ終わるなと
言っているかのように。
それでも互いに駅に向かって
歩き出しているのだ。
思っていることとしていることが
ちぐはぐすぎて
笑えてきてしまいそうなほど。
意味もなく高層ビルを
ぼけっと眺めていると、
ふと隣から声がした。
羽澄「茉莉ちゃん。」
茉莉「ん、はい?」
羽澄「今更なんですが…その…。」
茉莉「え、何ですか…。」
羽澄「…その、昔ながらの友達ってこともわかったので、羽澄みたいに敬語が癖になってるわけじゃなければ、よければ普通に話しませんか。」
普通に。
きっと、友達らしく。
もっというなれば
タメ口で、と言うことだろう。
茉莉自身今日丸一日を過ごして
まともに敬語で
話していなかったと思うけれど、
どうやら節々で距離を感じたのかもしれない。
もしかしたら、案外茉莉も
敬語で話すよう
多少は意識できていたのかも。
それを抜きにしたって、
羽澄の方からそう提案しくれたのは
本当に嬉しかった。
嘘じゃない。
これは本当。
茉莉「いいんですか。」
羽澄「もちろんです!その方が羽澄もなんとなく気が楽ですし。」
茉莉「よかった。茉莉もそうだから嬉しい。てか今日ほとんど敬語なんてちゃんと話せてなかっただろうし。」
羽澄「そんなことないですよ。…確かにところどころはなかったかもしれませんが。」
茉莉「くはは、やっぱり。羽澄は敬語が常なんだ。」
羽澄「はい。癖なんです。」
茉莉「そっかー。あ、そういえば。」
羽澄「何ですか?」
茉莉「あー、全然関係ないんだけど、この後どこか行くの?」
羽澄「…?いいえ、どこにも。どうしてです?」
茉莉「服装がきっちりしてたから、何となく。」
羽澄「ああ、これ。気になりますよね。」
両手をやや前下に伸ばして
軽く伸びをするような体制になっていた。
スーツっぽいというか、
学校のブレザーのようにも見えてきて、
腕を曲げるのが少しばかり
大変そうだなんて思ってしまう。
羽澄「これ制服なんですよ。」
茉莉「制服?」
羽澄「はい。みんな寮に住んでいて、1年生は外出の時これを着なきゃいけないんです。」
茉莉「え、厳しいね。」
羽澄「慣れれば案外気になりませんよ。」
茉莉「そっか。じゃあ制服見てここの大学の人だってわかっちゃうんだ。」
羽澄「そういうことになりますね。」
茉莉「へぇ。かっこいいね。」
羽澄「ありがとうございます。」
何気ない話がぶつ切りながらも巡っていく。
このぎこちなさがきっと
10年のひずみなのだろう。
仕方ない。
これから埋めるしかないのだろう。
何故だか羽澄との縁に関しては、
当初から諦めると言う選択肢が
ないように見えた。
茉莉自身も不思議だった。
普段であれば、何かしら弊害があった時
歩み寄ろうと考えることは少ない。
けれど、羽澄だったら。
羽澄なら、今後長い時間をかけても
その忘れ去ってしまったものを
取り戻せていけたら、と思う。
…ある意味、羽澄に対しての
嫌がらせのように。
羽澄「ふと思ったんですけど、茉莉ちゃんも自分のことを呼ぶ時、名前呼びなんですね。」
茉莉「え?」
羽澄「ほら、茉莉はーって言うじゃないですか。」
茉莉「確かに。羽澄もそうだもんね。」
羽澄「はい。何かあるのかもしれませんね。」
羽澄がそう言い終える前に、
目の前の信号が赤になった。
その時、どうしてだろう。
たまたま踏切が思い浮かんで、
そのまま。
°°°°°
羽澄「羽澄って名前、嫌い。」
茉莉「何で?」
羽澄「だって、誰がつけたかもわからない名前だもん。」
茉莉「…そっかぁ。」
羽澄「だから嫌い。」
茉莉「なら、その名前が好きになる魔法をかければいいんだよ。」
羽澄「魔法?」
茉莉「うん。私が羽澄って名前で呼ぶ。」
羽澄「そんな魔法効かないよ。」
茉莉「うーん…そしたら、自分でも呼んでみたら?」
羽澄「自分で?」
茉莉「そう。羽澄って、言うの。」
羽澄「…羽澄。」
茉莉「好きになれそう?」
羽澄「全く。」
茉莉「そっかぁ。」
羽澄「私がやるんだったら茉莉もやってよ。」
茉莉「え?私も?」
羽澄「うん。そしたらその魔法信じてあげる。」
°°°°°
茉莉「…っ!」
そのまま、何故か突如として
冬の電車内にて羽澄と
話していた時のことを思い出した。
何を話していたかどころか
歌ってもらったことしか
覚えていなかったのに。
茉莉「それね、魔法だよ。」
羽澄「…え?」
茉莉「魔法。」
自分のことを少しだけ好きになれる、
好きになれると思い込んでいた魔法。
羽澄は少しの間きょとんとした後、
少しだけ寂しそうに微笑んだ。
羽澄「そうかもしれません。」
車道の信号が赤へと染まりゆく。
そしてまた再び歩き出すのだ。
この間を惜しむように、
茉莉たちの足取りは
ゆっくりになっているような気がした。
何か話さなきゃ。
そう思った矢先、
直近で心のうちがもやもやしていることを
ふと彼女に伝えても
いいんじゃないかと口が開いていた。
何故だか羽澄なら大丈夫、と。
学校やクラスから離れた世界にいて、
茉莉よりも多くのことを経験していて、
茉莉のことを知った羽澄なら
いいんじゃないかって。
きっと焦っていたんだと思う。
今日が終わることに関しても、
明日が続かないような感覚が
することに関したって。
茉莉「あのね。」
羽澄「はい。」
茉莉「…羽澄って、お母さんとお父さんのこと覚えてたりする?」
羽澄「本当のってことですよね。」
茉莉「うん。」
羽澄「いいえ、全くと言っていいほどわかりません。」
茉莉「そっか。」
羽澄「茉莉ちゃんはどうなんです?」
茉莉「全く覚えてない。」
羽澄「そうでしたか。」
茉莉「でもね、最近気になるんだ。本当のお母さんとお父さんのこと。」
羽澄「…探す、と言うことですか。」
茉莉「……そこがね、迷ってるところ。」
羽澄「なるほど。」
茉莉「こうして10年ぶりに羽澄と会えて、もしかしたらって思っちゃって。」
羽澄「うん。」
茉莉「で、もし連絡が取れたり、話ができたらって思う時があるんだ。」
羽澄「…そうなんですね。」
茉莉「…どう思う?」
羽澄「そうですね…。」
羽澄は少しばかり声色を穏やかに、
それと同時に冷静さをもってして
言ってくれた。
羽澄「…個人的にはあまりおすすめはできません。」
茉莉「育ての親もね、茉莉がいた施設のことを教えてくれなかったの。子供だからって。」
羽澄「子供だから…というより……そうですね、言葉が難しいですけど…。」
茉莉「いいよ、酷なことでもそのまま言って欲しい。」
羽澄「…子供を捨てるような親なんです。今更会ったところで、碌な人間じゃないと思うんです。」
茉莉「…!」
羽澄「話したところで嫌な話を聞くかもしれません、暴言を吐かれるかもしれません。そんなリスクを負ってまで、母親である人のところに送り出したいとは思いません。」
茉莉「…なるほどね。」
羽澄「育てのご両親は良い方ですか。」
茉莉「茉莉には勿体無いくらいとっても。」
羽澄「…なら、尚更そうした方がいいかと。」
わかる。
羽澄の言っていることはとてもよくわかる。
これまで育ての親が、
久美子さんと徹也さんが
本当の親のことを教えてくれなかったのは、
「子供だから」といって
頑なにずっとはぐらかしてきたのは
意地悪をしたいわけじゃないってことは
わかっているつもりなのだ。
でも、茉莉はそれをわかって
呑み込めるほど大人じゃないから。
それこそ子供でしかないから。
守りたいものがあるその気持ちに
理解はできても共感はできないから。
羽澄の言うことは正しいのだ。
でも。
そう口を開きかけた時。
羽澄「……でも、諦めたくないのであれば、羽澄は茉莉ちゃんのことを応援します。」
茉莉「……えっ…。」
羽澄「会いたいんですよね、知りたいんですよね。それ以上の愛ってないんじゃないかなって思うんですよ。」
茉莉「…でも、どちらかといえば会うのは悪手でしょ?」
羽澄「そんなの、気持ちが超えて仕舞えば正論の方が悪者です。」
茉莉「…!」
羽澄「だから、どんな選択をしようと羽澄は応援しています。」
茉莉「…ありがとう。」
これまで誰に相談するわけにもいかず
心のうちにとどめてきた。
話したとて、こうして正論で
押さえつけられてしまうと思ったから。
けれど、どう言葉にすればいいのだろう、
母親を探すと言う選択肢は
必ずしも間違いではないのかも
しれないと思うことができた。
実際に会えば酷いことを
とことん言われるかもしれない。
「お前なんて産まなきゃよかった」って
言われるかもしれない。
心が折れるかもしれない。
そうだとしても、
お母さんのことを知りたかった。
茉莉のことを知るためにも、
それが間違いだったとしても。
そうだ。
間違いじゃない選択肢を
選びたいわけじゃない。
間違いだったとしても、
茉莉自身そうしたいと思える選択肢を
選べるようになりたい。
そうしている間に
ついに横浜駅に着いてしまった。
帰る方向はどうやら別々のようで、
ここで解散することになるらしい。
改めて対面する。
制服を着ている彼女は
とてもかっこよかった。
羽澄「そうだ、茉莉ちゃん。連絡先交換しませんか。」
茉莉「喜んで。いつでも連絡してよ。」
羽澄「はい。茉莉ちゃんも。」
連絡先に関場羽澄の文字が刻み込まれる。
本当に今日は始まり、
そして今日が終わってしまうよう。
白く濁った空から
仄かに赤色の花が咲いていた。
羽澄「じゃあ、またいつか。」
茉莉「うん、またね!」
手を振るほどに小さくなっていく彼女の背。
時々振り返っては
また手を振りかえす。
名残惜しくて、
人にぶつかりそうになりながらも
何度も繰り返して。
そして、角を曲がる。
そして、また1人になる。
でも。
茉莉「…。」
少しだけ力をもらえたような気がした。
今だけは…1人だけれど、
1人じゃないような気もした。
1月28日。
今日のことを忘れたくないなんて
小さな願いを雪降る日にかけた。
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