兄と呼べる人

兄ちゃんがバイトやら遊びやらに

出かけてしまって以降、

しばらくどうしようかと

ベッドに転がって考えた。

陽奈とメッセージをやり取りした後、

すぐに育ての親へと

電話なりメッセージを送るなりできず、

今日にまで至っている。

シマのことを聞くのであれば、

必然的に児童養護施設のことも

聞かなくちゃならなくなってくるだろう。

育ての親は許してくれるだろうか。

話してくれるだろうか。


中学生の時ははぐらかされたけど

高校生となった今ならいいんじゃないかな。

それに、その他で

茉莉の情報を知る人なんてそんないない。

兄ちゃんだって知っているかわからない。


迷い続けていたけれど、

脳内で答えは決まっているはずなのだ。

あと1歩が踏み出せないだけで。

それだけのはずなのに。


逃げるように動画やTwitterを見る。

逃げるように布団に潜りかけては

このまま眠ってしまうと

明日に響くなんて思い返して

布団をひざ掛けにした。

逃げるように膝を抱える。

寂しくないと思うのが普通だった。


壁を背に座っていると

だんだんとお尻が痛くなってくる。

長いこと座っていたらしい、

かかとも少し赤くなっていた。

がらんどうな空気に

色が見えそうな気がした。

アイボリー色のような、

生成色より少しばかり

くすんでいる色のような。

砂色といってもいいかもしれない。


今度はリビングのソファに寝転ぶ。

動画もテレビもついていない家は

壁にかかった時計の独壇場だった。


何時間も経っていたのだろう、

気がついた時には

兄ちゃんは家に帰ってきていて、

一緒に夕食もとっていた。

お風呂も終えてしばらく1人で

心の靄を抱えたまま居座るも

どうにも気持ち悪くって、

動画の音声もろくに耳を通ってくれない。


また何かから逃れるように

ふらりとリビングに向かうと、

ソファに寝転がりながら

頬杖をついてパソコンと

睨めっこしている兄ちゃんがいた。

ちらと見えた画面では、

清涼感あふれるホームページを

眺めているようだった。


茉莉「今日は夜勤ないんだー。」


兄ちゃん「ないんだなぁそれが。」


茉莉「何してたの?」


兄ちゃん「んー…ちょっとねえ。」


茉莉「わかった。えっちなやつ見てたんでしょー。」


兄ちゃん「や、ばれちゃ仕方ねぇな…ってちげえよ。就活関連でなー…。」


茉莉「また就活してる。」


兄ちゃん「本格化するのは3月からなんだよ。」


茉莉「え、そうなの?じゃあこれまでやってきたのは?」


兄ちゃん「最近早期化してんだよね。茉莉もない?もう受験のこと言われるとか。」


茉莉「あー…共通テスト終わった次の日とかは「来年は受験0年生ですから」みたいなこと言われたかも。」


兄ちゃん「でしょお?それそれ。」


なるほど、と思う。

最近じゃ若くしてプログラムを身につけて

いろいろと開発に身を投じていたり、

別の方向性だと小学生の子が

痩せ願望を既に抱いていたり。

普通中学生や高校生になってから

習得、経験するであろう

思考や技量、出来事が

前倒しになっているような気がする。

いつかはどこかの民族のように

10歳で働くような世界に

なってしまうのかなと

飛躍した思考で一旦止めておいた。


茉莉「授業はもうほとんどないんだっけ。」


兄ちゃん「ああ、俺?。」


茉莉「そー。」


兄ちゃん「あと期末テスト1週間で終わり。春休み2ヶ月。ほとんど就活。」


茉莉「うわお、現実的な韻踏みやだなぁ。」


兄ちゃん「あっはは、しょうもねえ。」


兄ちゃんがだらけたような

格好をしている後ろで、

リビングにあるラックや棚を

ぼうっと眺めてみる。

すると、下の方に

書類の束が並べられているのが

目に入ってきた。


連日、シマを探そうと

躍起になっているのだが、

陽奈に聞いてももちろんわからず、

親に聞いてもはぐらかされるだろうと

予想できてしまって

結局聞けずじまい。

望み薄だが、これでは本当に

ネットの人に聞くことしか出来ないかも

しれないとすら思った。

せめて茉莉がこの国方の家に入るため、

養子縁組を組んだとされる

その契約の書類のようなものがあれば、

すぐに施設の場所がわかるんじゃないか。

今度はそう言った思考に囚われて

こうして書類を探しているのだ。


…とはいえ、それほどにまで

重要な書類であれば、

育ての親である久美子さんと

徹也さんのいる

宮城の実家で保管しているのが

容易に目に見えるけど。


ざっと一部に目を通すと、

マンションの契約のあれこれや

水道代、電気代といった書類や封筒、

あとは兄ちゃんの大学での

プリントらしきものが並んでいる。

他の書類も同様なのかと

手を伸ばした時だった。

あまりに物音がしたからか

声が飛んできたのだ。


兄ちゃん「ん?何か探し物?」


茉莉「うん、まあねー。」


兄ちゃん「なになに、どれ探してる?」


茉莉「あー…。」


兄ちゃんがソファから身を剥がして

背もたれ越しにこちらを眺む。

あー…から次に

何を言うべきか迷っていた。

けれどら相手は兄ちゃんなのだ。

ここは正直に言ったって

いいのかもしれない。


いつだって本当に必要なことを聞くのは

勇気がいるものだ。


茉莉「そのー…茉莉が昔いた児童養護施設のことを調べてて。」


兄ちゃん「ああ、何でまた急に。」


茉莉「知りたくなったって言うか。」


兄ちゃん「そうか。まあ気になるよな。」


兄ちゃんは興味をなくしたかのように

またパソコンへと向かうべく

背もたれの奥へ姿を消した。

なんてことないような

平坦とした声のまま続ける。


兄ちゃん「まあ、俺は力になれねえなあ。」


茉莉「そっかぁ。」


兄ちゃん「おかん達なら知ってるだろうけど。」


茉莉「教えてもらえなくて。」


兄ちゃん「もう聞いたの?」


茉莉「いいや、ずっと前に。」


兄ちゃん「そっかぁ。そういや中学の時もなんか言ってたな。」


茉莉「あれ、兄ちゃんにも話したっけ。」


兄ちゃん「すげぇしょぼくれた顔してたから話しかけたじゃん。そしたら「施設のこと聞いたら駄目だって」って。」


喉をやや上げて

当時の茉莉の真似をしているらしい。

似ていないがあまり

僅かな怒りも湧いてこなかった。


茉莉「あー、そんなこともあったかも。」


兄ちゃん「なー。」


茉莉「ん、まあありがと。頑張ってみる。」


兄ちゃん「諦めないなんて相当だな。」


茉莉「うん。今回ばかりはね。」


兄ちゃん「聞け、妹よ。」


茉莉「何急に。」


兄ちゃん「コンビニでコーヒーを買うやつはコーヒーが欲しいんじゃなくてその先の飲んだという状態が欲しいんだよ。」


茉莉「…ん?」


兄ちゃん「よく言うだろ?工具のドリルを買うのは、それが欲しいんじゃなくて穴だって。」


茉莉「はぁ…。」


兄ちゃん「茉莉も施設の場所を知ることがゴールじゃないよなって話。」


茉莉「あーね。」


急に何の話を始めたかと思えば、

どうやら例え話だったらしい。

確かに、と納得してしまったのが悔しい。

きっとあれだろう、

恋人が欲しい欲しいと言っておきながら

実際欲しいのは

その先の信頼関係だ、みたいなものだろう。


詰まるところ、茉莉が施設の場所を知って

何がしたいのかを聞きたいのだ。


茉莉「茉莉が兄ちゃんと出会った日、逸れた友達がいたって言ったことあるよね。」


兄ちゃん「ああ、あるな。生き別れのうんたらみたいな状況だったって覚えてんぞ。」


茉莉「ちょっと違うけど…まあいいや。逸れた子が今どこで何をしてるのか気になって、あわよくばまた出会えないかなって。」


兄ちゃん「もし再会できたら何年ぶりだ?」


茉莉「うーん…10年くらい?」


兄ちゃん「マジか。」


茉莉「マジだ。」


兄ちゃん「兄ちゃん的には応援してえな。」


茉莉「出た、今だけ兄ちゃんぶってる感じ。」


兄ちゃん「妹が頼りになるもんで兄ちゃんっぽくしなくていいんだよ。しっかりしやがって。」


茉莉「一応褒めてるんだよね…?」


兄ちゃん「もちろん。」


茉莉「ならよし。」


兄ちゃん「あぶね。」


茉莉「おやおや…?」


兄ちゃんは雑に咳払いをして

そのまま返事をしないまま

キーボードを叩き始めてしまった。


もしシマに会えたら10年ぶり…

と言うことは、茉莉たちも兄妹を続けて

10年経ていると言うわけだ。

そりゃあ多少は

背中を預けてもいいかなと

思ってもいいはずだよね。


血のつながりはなくとも

結局大切なのは心のつながりだと

世間が言うのもわかるし、

茉莉が欲しているのも

信頼関係だとはわかっている。

しかし、血縁者が1人もいない、

もしくは知らない身からすると、

血の繋がりのある人が近くにいるのは

少しばかり羨ましくもあった。

…けれど、本当のお母さんやお父さんと

一緒にいたとしても幸せな未来は

なかったんだろうなと思う時がある。

何せ、少なくとも

小学生に上がる前の小さい茉莉を

捨てたような人たちだから。


書類をある程度戻し終えても、

何だか面倒くさくなって

その場で寝転びたくなった。

けれど、床に落ちた1本の髪の毛だけが

たまたま目に入ってしまって、

何となく寝転ぶのをやめた。

フローリングは冬らしく冷たい。

最近また気温が下がったような気がするし、

茉莉が勝手に本物の冬と呼んでいる

2月がくるまではもう少ししかない。


兄ちゃん「最近はさー。」


茉莉「…んー?」


唐突に話しかけるものだから

ワンテンポ遅れて返事をする。

猫と戯れていて

話を聞いていなかったときのように。


兄ちゃん「すげぇ文明機器があんの、知ってる?」


茉莉「何それ。」


兄ちゃん「スマホって言」


茉莉「あー知ってたわ。」


兄ちゃん「はえぇよ。」


茉莉「んで続きは?」


兄ちゃん「そうそう。最近Twitterとかでもわからない曲があったら周りの人がすぐ教えてくれたりすんじゃん?」


茉莉「あー…言いたいことはわかった。」


兄ちゃん「天才だな。」


茉莉「ブラコンやめて。」


兄ちゃん「あららら、そんなつもりはなかったんだけど…。ま、わかったっしょ。」


茉莉「うん。」


兄ちゃんは本当に

茉莉のいた施設について知らないのだろう。

その代わり、今時SNSを使用すれば

容易に見つかるといいたいのだ。


Twitterでは4月当初からずっと

茉莉達のことを助けようとしてくれたり

アドバイスをくれたり、

言い方によってはある種

監視をされているようなものだけど、

何かと手を差し伸べてくれる人がいる。


なら。

もしかしたら、頼っても

いいのかもしれない。


もう茉莉にできることはしたんだ。

それでネットも駄目だったら、

久美子さんと徹也さんに

頭を下げる気持ちまである。


きっとただの意地を張っているだけだろう。

ここまで来たら

引き下がれないと言ったような、

はたまた悩んでいた時間も含めると

多くの時を割いてきたから

ここで辞めると

勿体無いという気持ちだってあるのだろう。

そして何より、茉莉自身

過去のことを全て知ることで

前に進んだ、と思いたいのだろう。


変わったって思いたいのだろう。


あれだけ変化に興味がなかったのに、

兄ちゃんが就活したり、

受験の話があがったりと

周りで大きな変化の波が

連なり始めていたからだろうか、

茉莉もそれに続きたいと思った。

置いていかれたくない、とも

思ったのかもしれない。


それでも、悪くない変化だと思いたい。


目の前に落ちていた髪の毛を

そっと拾ってゴミ箱に捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る