過去の落とし物

茉莉「さっむ。」


結華「流石東北の朝って感じ。」


茉莉「あったかいもの飲みたくない?」


結華「飲むより手をあっためる派。」


茉莉「あー…わかる。」


朝から新幹線を待ちながら

そんな会話をのびのびとしていた。

寒さのせいで耳が冷え、

痛みを感じるようになったので

耳元までマフラーをあげて包む。


久美子さんの好意で

また駅まで送ってもらった。

今日から日本海側かつより北の方へと向かう。

弘前駅の方で今日の分のお宿を

予約してくれているらしい。

普通にビジネスホテルっぽいところだけどと

言ってくれたけれど、

旅行とは呼べるものの

主には観光ではないし、

旅館に泊まるよりも

気張らなくていいような気がする分、

幾分か落ち着くんで

むしろありがたかった。


しばらく待っていると

新幹線が滑り込んできて、

朝というのに数人並んだ人々が

こぞって中に入っては

それぞれの席に座った。

茉莉たちも座っては

昨日のように横並びになる。


茉莉「窓側じゃなくていいの?」


結華「外に興味ないからいい。」


茉莉「ずばっというねえ。」


結華「あんた手前に取り繕う必要もないだろうし。」


茉莉「へえー。話せば話すほどこんな感じの人だったんだってなるなぁ。」


結華「どういう意味?」


茉莉「いい意味で。」


結華「はぁ…今更?」


茉莉「巻き込まれて知り合ってからは1年弱経ってるけど、何かと関わってこなかったじゃん?」


結華「確かに。」


茉莉「だから文字情報しかなかったんだよ。」


結華「ツイートのね。まあ、それだけなら捉え方が歪むのもわかる。」


茉莉「しかも半角文字使ってて余計わかりづらいし。変な人だろうなとは思ってたけど。」


結華「そっちこそ遠慮ないじゃん。」


茉莉「てへ。」


らしくないことを口にしてみても

引くことなく「きめぇ」と

ひと言言われるだけで終わる。

変に優しくされるより

茉莉にはこのくらい

乱雑な方がちょうどいいのかもしれない。

それこそ、数年間fps界隈にいて

優しい言葉が飛び交うこともあるけれど

何かと乱暴な言葉も飛び交う場所だったから

そう言ったもののほうが

慣れているのかもしれない。

普段摂取する言葉が

性格や生活に反映されると

しみじみ感じる。


座り直していると、

時間になっていたようで

新幹線はゆるりと発車し出した。

また耳が詰まるような感覚になる中、

隣の彼女が徐に口を開いた。


結華「それで、昨日のことは。」


茉莉「昨日のこと?」


結華「逃がさないって言ったでしょ。」


茉莉「あー。」


あの時、茉莉はどんな顔をしていたっけ、

結華はどんな顔をしていただろう。

ぼんやりと昨日のことを

大昔の出来事のように

淡く思い出していく。





°°°°°





茉莉「ん?」


結華「茉莉のお母さん、いい人だよ。お父さんだってそう。」


茉莉「うん。」


結華「…茉莉がお父さんお母さんって呼ばないのって理由」


茉莉「あー…また移動してる時話すよ。ちゃんと話す。」


結華「…分かった。忘れたなんて言わせないから。」


茉莉「あはは、逃げ場ないねー。」


結華「逃がさないから。」


茉莉「…。」


結華「…でも、どうしても嫌なら無理矢理には聞かないわよ。」


茉莉「別に嫌じゃないよ。」


結華「…。」


茉莉「ちょっとびっくりしただけ。」






°°°°°





今思えば、逃がさないという割に

無理矢理には聞かないと

矛盾していることを言われたような気がする。

一体どっちなんだと

その時つっこんでいればよかった。


茉莉「んー…その前になんだけど。」


結華「何。」


茉莉「そっちの予想的にはどうなの。」


結華「…予想ね。」


茉莉「そう。」


結華「まあ言葉を選ばずにいうと、血は繋がっていなさそう…って感じはする。再婚とかそういう感じ?」


茉莉「んー、ぺけ。」


結華「なんかうざ。」


茉莉「くはは、なんでよ。」


結華「昨日まで思い詰めてそうな顔してたのに、今はけろっとしてて変なやつ。」


茉莉「言葉を選んでくれー。」


結華「んで、結局なんなの。」


茉莉「うん。…茉莉、昔に施設にいたんだよ。今から行く施設に。」


結華「孤児院…だったっけ。」


茉莉「児童養護施設かな。意味合いはほぼ同じだろうけど。そこからとある日に逃げたんだ。」


結華「逃げた?」


茉莉「正確には友達に連れられてそのまま逃げてきた…って感じ。当時茉莉もちっちゃくって判別つかなかったんだろうね。」


結華「いろいろ突っ込みたいところがあるんだけど…迷惑なことに巻き込まれたんだ。」


茉莉「くはは、茉莉自身はあんまそう思ってなかったよ。2人で電車に長いこと乗って、んで都会の方に来たの。」


結華「都会…東京とか?」


茉莉「それもね、施設の場所を聞くと同時に聞いたんだけど、どうやら新宿駅みたいで。」


結華「ああ。」


茉莉「んで、茉莉と一緒に逃げてた友達と逸れたんだよ。」


結華「何年も前とはいえ人の集まる駅だったでしょうに。再会するの難しかったでしょ。」


茉莉「それが再会できなくて。」


結華「え。」


茉莉「それから10年前後、茉莉たちは会えなかったんだよ。それが最近超久しぶりにあってさ。自衛官になるための大学に入学してた。」


結華「すご。再会できるのもそうだし、志しも。」


茉莉「ね。でも、茉莉のこと何ひとつ覚えてなかったの。」


結華「…そう。」


茉莉「逃げてきたには逃げてきたんだけど、1人だったと思うし、そもそもどうやって東京まで迷い込んだのか不明…みたいな。」


結華「今思ったけど、これから行くのって青森県の五所川原駅付近でしょ?」


茉莉「急に?」


結華「確認。」


茉莉「うん。新幹線で新青森まで行って、弘前行きに乗って途中で乗り換え…んで、五所川原駅行きだね。正確にはその数駅前だけど。」


結華「そこから子供2人で新宿駅まで?」


茉莉「そうみたい。」


結華「お金もそうだけど…そんなぱっと逃げ出せる距離じゃないでしょ。」


茉莉「ね。」


結華「ね、って。」


茉莉「記憶上だと朝から電車に乗って夜に逸れた気がするから、本当に1日中乗ってたのかも。」


結華「うわぁ…考えらんない。」


茉莉「茉莉も。…ってごめん、だいぶ話逸れちゃった。」


結華「ううん。」


茉莉「んで、新宿で逸れて…そこで兄ちゃんに拾われたんだよ。それからどういう手続きがあったのかまではわからないけど、国方の家に入ることになったの。」


結華「なるほど。」


茉莉「だから、久美子さんは本当の親じゃなくって育ての親なんだ。」


結華「…それで、今から生みの親を探しに行く、と。」


茉莉「そう。」


結華「思ってる以上にこの旅はそっちにとって重要だったんだ。」


茉莉「うん。」


結華「最初親族っていうから行方不明者が出てて…みたいな感じかと思ってた。何でそんな危ないことするんだって。」


茉莉「…ご心配をおかけしました……。」


結華「ほんとにね。でも最初は教えてくれなかったけど。」


茉莉「それは…ねぇ。」


結華「何で話してもいいやって思ったの。」


茉莉「逃がさないって誰かさんが言うから。」


結華「私のせい?あー、やだやだ。」


茉莉「そういうわけじゃないけど。」


結華「でも、本当に嫌だったら拒否するじゃん。なんか心変わりあったんだ?」


茉莉「探るんだ?」


結華「そういうわけじゃないけど。」


茉莉「うーん。そうだなぁ。」


結華のことは今でも

苦手だと思う瞬間はある。

やはりあのツイートの真偽はわからない。

茉莉からしてみれば、

家族のことをあのように

事故に遭って良かったと、

ましてや血の繋がった本当の姉妹に対して

ああいう言葉を投げかけられるのが

本当に理解できないのだ。

だから、今でも距離は空いている。

互いに名前で読んだことがないのが

その証明とも言えるだろう。


ただ、彼女の見方が

変わるようなことがあったのも

事実ではあるだろう。

例えば、久美子さんの前では

妙に行儀が良かったり、

案外話せば互いに嫌っているだろうし

むしろ反対に気を遣わずに

言葉を投げ交わすことができたり。

時々優しい…といえばいいか、

不器用な優しさだって

見える時もあった。


どうして言っていいと思えたのだろう。

結華とは話したことがなかっただけで

昔からこのような性格だったのだろうか。

茉莉が知らなかっただけで、

明るい…わけではないけれど、

案外話せる性格だったのだろうか。

そのどれもが

当てはまる言葉ではない気がして、

辛うじてふと浮かんだ言葉を

口にしていた。


茉莉「茉莉もあんまり知らないんだけど…うーん…例えるなら、記憶を失う悠里…の片鱗が見えたから…的な。」


結華「どういうこと?」


茉莉「思っている以上に大人しくって捻くれてるだけの人じゃないって知った感じ。」


結華「これまでの印象悪っ。」


茉莉「まぁ…。」


結華「てか悠里の印象よかったんだ。」


茉莉「Twitter上ではあんな感じだったし、これまでの活動とかちらっと遡って見てたけど、交流多かったから。」


結華「まあそうかも。」


茉莉「正反対の双子かと思ったけど全然。なんだろ、ちゃんと双子だね。」


結華「どうも。」


結華は不機嫌そうに

声のトーンを落としてそう言った。

悠里と一緒にされることが嫌だったのか、

はたまたただの照れ隠しだったのか。

茉莉には見分けることができなかった。


新青森駅まで辿り着き、

そこから在来線へと乗り換える。

神奈川や東京と違い、

どこかしらで乗り間違えたり

乗り遅れたりすると、

1時間ほど電車を待たなくちゃ

行けなくなる可能性があるのが怖い点だった。

そう思えば10分に1度、

山手線では5分に1本電車が来るのは

とてもありがたく、

そして異様に早いことなのだと思い知る。


仙台駅を出発して3時間。

やっとの思いで最寄駅に到着する。

そこから徒歩で15分から20分ほど

歩くことになるらしい。


隅の方に雪が溜まっている部分を

見つけながらも、

触りにいかず真っ直ぐ

目的地へと向かおうとするあたり、

歳をとったなと感じる。

小さい頃はとてとてと雪に向かって

歩いて行っては

小さな手を突き出して

雪に触れていただろう。


最寄駅から一直線に数分進むと、

ついに茉莉のいた

児童養護施設が見えてくる。

徐々に発表直前のような緊張感が

全身を襲い出す。

手が震えそうになる。

心臓がばくんと音を立てる。

その全てを雪のせいと言えば

なかったことにならないだろうか。


不安から結華へと視線を送る。

けれど、気づかなかったようで

マップを見続けては

ようやく顔を上げた。


結華「ここっぽい。」


茉莉「ね。」


結華「あんま緊張してなさそう。」


茉莉「どこが。めちゃくちゃ緊張してるんだけど…。」


結華「そう?声のトーン変わらないから。」


茉莉「うえぇ…。」


結華「あ、まともに受け答えできてないあたり緊張はしてるみたい。」


茉莉「判断基準そこかあ…。」


でも、今の会話で

少しばかり肩の力が抜けた気がする。

深く深呼吸をすることもままならず、

肩で息をする。

息が白いことに今更気づいた。


施設はモダン風で、

ほぼ平屋のような物件だった。

一部屋根裏部屋のありそうな建物もあり、

いくつか似た風貌のそれが並んでいる。

どこに入ればいいのか迷っていると、

偶然にも施設から1人の女性が出てきた。

やや頬がふっくらとした中年の女性で、

暗めの茶髪を後ろに結んでいる。

焦茶色のダウンを着ており、

ぴちっとしていないパンツを着用していた。


女性はこちらに気づくや否や

はっとして近寄ってきた。

茉莉はどうすればいいのかわからず

ただ立ちすくんでいたが、

隣にいた結華が会釈をするものだから

それに倣うように頭を少し下げる。


「もしかして…国方茉莉ちゃん?」


茉莉「あ、はい。」


「よかった…まあまあ大きくなって。」


そういうと、その方は

まるで子供が帰省した時の

おばあちゃんのように

茉莉の背に腕を伸ばして

優しく抱きしめてくれた。

昼食後くらいの時間だからだろうか、

煮物のような…

暖かい家庭料理のような香りが

冬の空気に紛れて微かに漂う。


職員らしき方は茉莉と

あまり身長が変わらないようで、

確かに逃げ出した時期の体を思えば

大きくなったと溢すのも

最もかと納得がいってしまう。

どうやら体ばかりはほぼ大人らしい。


少しの間抱擁した後、

名残惜しそうにそっと離れる。


「無事来られたようで。お隣はご友人かしら。」


結華「はい。槙結華です。」


堀切「槙結華ちゃんっていうのね。…あら、自己紹介が遅れちゃったわね。堀切と言います、ここの職員です。」


結華「あの…国方さんのことはご存知だったんですか。」


堀切「ええ。かれこれ15年前後ここで働いているものですから。」


茉莉「…!」


堀切「立ち話もなんですしどうぞこちらへ。すぐお茶を持ってくるから、待っててくださる?」


施設の中は白を基調としており

清潔感のある内装だった。

暖房が付いており

冷えた体をじんわりと芯から温めていく。

壁にはさまざまな張り紙や

子供たちの制作した絵や

折り紙が貼られている。

施設内には小さい子から

中高生くらいの子までいて、

賑やかに走り回っている子もいた。

茉莉がいた時よりも

規模が小さくなったのか、

そこまで子供が多くない。


堀切「ではこちらで待っててちょうだいね。」


茉莉「はい。ありがとうございます。」


ふと思い出して

久美子さんに用意してもらったお菓子を渡す。

すると「気を使わせてごめんなさいね」と

穏やかな笑顔で受け取っていた。


小さな面談室のような場所に通してもらう。

中央に机があり、

4人がけの食卓のように

椅子が並べられている。

周囲を眺めると

窓の外には見知らぬ景色。

でもここは誰かにとっての家であって

暮らす場所なのだ。


結華「綺麗なところだね。」


茉莉「ね。」


結華「ここで暮らしてたんだ。覚えてる?」


茉莉「ううん、あんまり。」


結華「そう。もう何年も前のことだしそりゃあそっか。」


茉莉「10年は前かなあ。」


結華「そりゃ覚えてないか。」


茉莉「覚えてる?10年前のこと。」


結華「私?」


茉莉「うん。」


結華「うーん…長いこと外にいた記憶くらいはあるけど。」


茉莉「あー。そのくらいしか覚えてないもんだよね。」


結華「そうだね。」


茉莉「…。」


結華「…私、席外そうか。」


茉莉「え、なんで?」


結華「そっちのご家族の話でしょ?聞かれたら気まずくないかなって思っただけ。」


茉莉「うーん、もう知られた時点でそんなに。」


結華「そう。」


茉莉「それに、この後お母さんを探すんだったらどうせ同じ情報を共有するんだし、知っててもらったほうがいいかも。」


結華「わかった。」


昨日までの威勢はどうしたのか、

なんだかしおらしく見えた。

あまり気にせずに待っていると、

暖かいお茶とお菓子を持った

堀切さんがやってきた。

ぷかぷかと湯気がそこらを泳いでいる。


堀切「本当によくきたわねぇ。神奈川からだったかしら。」


茉莉「はい。く…育ての親が仙台に住んでいたんで、前日そこに泊まってからきました。」


堀切「あらそうなの。今いくつになった?」


茉莉「16歳です。」


堀切「じゃあ高校生?」


茉莉「高校一年生。」


堀切「まぁ本当に大きくなったこと。」


堀切さんは心底嬉しそうに感嘆し、

正面の席に座っては

持ってきていた厚紙のファイルを

机の上に静かに置いた。


堀切「ここでの暮らしのこと、覚えてるかしら。」


茉莉「あんまり。」


堀切「茉莉ちゃんがいた頃からここもずいぶん変わったものね。昔まで一棟しかなかったけれど、今は家族のような環境をと思っていくつかの棟に分かれたのよ。」


結華「横に同じような建物がいくつかあったのって…。」


堀切「ええ。それも施設のひとつよ。だから茉莉ちゃんがいた頃の面影はほぼないのよね。」


茉莉「そうだったんですか。」


堀切「あなたがいなくなったのが小学2年生の時だったかしら…今でもあの時を超えるようなひやひやはないかもしれないわ。」


くすり、と今となっては

昔のことだというように小さく笑う。


堀切「羽澄ちゃんって覚えてるかしら?」


茉莉「はい。…つい先月、何年ぶりか再会したんです。」


堀切「まあ!それはよかったわ。元気にしてた?」


茉莉「とても。今では自衛隊員を目指して大学に通ってるみたいです。」


堀切「立派ねぇ。今度あの子にもここに遊びにくるようぜひ伝えてちょうだい。大きくなった子供たちと会えることほど嬉しいことはないですから。」


茉莉「はい。伝えておきます。」


堀切「よかったわ。本当によかった。」


安堵したのだろう、

これまで彼女も

安否はわからなかったのだろうかと

不思議に思う。


結華は興味のないことのはずなのに

姿勢を正して茉莉と

堀切さんの話を聞いていた。


堀切「羽澄ちゃんのしたこと…茉莉ちゃんを連れ出して一緒に逃げたことは…正しい判断ではなかったかもしれないけど、彼女なりに最善の選択だったんだろうと今では思うわ。当時は私も新米で困惑の方が大きかったけれど。」


茉莉「最善…ですか。」


堀切「ええ。羽澄ちゃんから聞いた?」


茉莉「いえ。…それが、当時のことを覚えてないみたいで。」


堀切「そうだったのね。じゃあまずはそこからお話ししましょうか。ちょっと辛いお話になるかもしれないけれどいいかしら。」


茉莉「はい。覚悟はしてきてます。」


堀切「わかったわ。」


「本題が気になるでしょうけど

少し話に付き合ってちょうだい」と

ファイルの上でお辞儀をするように

手を重ねてそう言った。


思えばこれまであまり

疑問に思ってこなかったけれど、

羽澄がなぜ茉莉を連れて

逃げ出したのか知らなかった。

当時茉莉と羽澄は

仲が良かったという記憶はあまりない。

むしろ、その逃げ出した

1日の関わりのことしか脳裏になかった。


堀切「これは、東京で保護された羽澄ちゃんが教えてくれたことなんだけどね。当時就職したての職員が、あなたに暴行を加えていたらしいの。」


茉莉「…そうだったんですか。」


堀切「それがいつ頃から続いていたのかはわからない。1年未満であることはわかっているけれど…職員である人たちの目にも届かないよう密かにしていたのね。……気づいてあげられなかったことが今でも悔しい。…ごめんなさい。」


思い詰めるように

ファイルの上に乗せた手を

ぎゅっと握っている。


堀切「茉莉ちゃんは大人しくて先生の言うこともちゃんと聞いている子だったから、もしかしたら忙しくしている職員たちに気を遣って言えなかったのかもしれないとも思ったの。」


茉莉「…。」


堀切「それにある日気づいた羽澄ちゃんは、翌日茉莉ちゃんを連れて逃げ出したらしいの。彼女は大人に対して警戒心のある子だったから…職員に相談しても揉み消させると思ったり、改善しないと思ったりしたのかもしれない。」


忘れてしまったと

申し訳なさそうに俯く彼女を思い出す。

そして、何年も前の

笑顔だった彼女のことを思い出す。

あの時のあの手の引き方は

言われてみれば焦っているようにも

映っていたかもしれない。


堀切「ここに来る子は何かしらご家庭の事情を抱えているから…だから、大人は頼れる存在じゃないと思ったのだと感じているわ。頼れる存在でなかったこと、今でも申し訳なく思っているの。」


結華「…。」


堀切「2人がいなくなってその日は騒然としたわ。その晩、東京の警察から連絡があったの。それから保護してくれた人…それこそ国方さんのお家や警察の方々と連絡を取ったの。」


ほつり。

外で何かが動いた。

横目で見てみれば、

柔らかそうにほぐれた雪が

はらりと舞い始めている。


堀切「後からわかったことだけれど、不幸中の幸い…といえばいいのかしら。性的被害もなかったのよ。ただ体にいくつかあざが見つかった。」


茉莉「…なるほど。」


堀切「このまま施設に戻るのも心のケアとしてどうなのかっていう話になってね。暴行された場所を見たらフラッシュバックすることだってあるかもしれないし、トラウマを抱えて生きることはしんどいんですもの。もちろん暴行を加えた職員は解雇になって…それから無理に施設に戻るのではなく、茉莉ちゃんと羽澄ちゃんがどうしたいかを聞いたの。」


雪の降る景色が視界の隅に映る。

ここら本当に青森なのだと、

茉莉の住んでいた故郷なのだと思い知る。


堀切「そしたら茉莉ちゃんは国方さんのお家にいたい?って聞いたら首を縦に振ったの。保護されていた数日間の間に何があったのかわからないけれど、偶然にも国方さんのお家は養親になるための研修を受けていて、条件を全てクリアしていたのよ。」


茉莉「施設としても安心できる養親先だったって感じですか。」


堀切「ええ。羽澄ちゃんは東京を1人で歩いていたところ警察に保護されて、別の児童養護施設にいてね。この施設に居たいとは言わなかったけれど、戻りたくないとはしっかり口にしたわ。」


「昔からしっかりした2人だったわね」と

思い出と自分の不甲斐なさを噛み締めながら

お茶に口をつけていた。

真似るように茉莉もコップを手に取る。

それだけで手が徐々に

温まっていくのを感じた。


堀切「羽澄ちゃんはあの幼少期もあってか人を守るお仕事に就こうとしているんですもの。茉莉ちゃんも素敵な大人になるわね。」


茉莉「そんなそんな。」


堀切「私がいうのもなんだけれど、安心して進みなさいな。」


大丈夫とは直接的に言わずとも、

こんなに勇気づけられることが

あるのかと感心した。

堀切さんはひと息ついた後、

「話し込みすぎちゃったわね」と

照れるように頬を掻く。


堀切「さて、本題なのだけど…事前に茉莉ちゃんの生みの親御さんについてと聞いているけれど、あっているかしら。」


茉莉「はい。今、お母さんがどこにいるか知りたいです。」


堀切「そうね。気になるわよね。」


茉莉「…。」


堀切「初めに伝えておくけれど…茉莉ちゃんの望んでいる回答ができないと思うわ。」


茉莉「…そう、ですか。」


結華「…口を挟むようで申し訳ないのですが、茉莉の生みの親の個人情報がない…ということですか。」


堀切「ないわけじゃないのよ。ただね、茉莉ちゃん。」


しわの刻まれた目は

やけに据えていて、

酸素の粒子まで見ようと

しているのではと思うほど

鋭い目つきのように思えた。


堀切「茉莉ちゃんはここに来る時、親御さんに連れられたんじゃないのよ。」


茉莉「…え。」


堀切「それより前…乳児院の頃から預けられていたの。基準の年齢がきて、その乳児院からこの施設に移ってきたのよ。」


「これがその時の見せられる分の書類ね」と

厚紙のファイルを渡してくれた。

そこには乳児院の住所と

預けられた日時。

そして。


湯山佳織の文字、住所に電話番号。


堀切「これに加えて、茉莉ってあなたの名前が書かれたメモ用紙の一部が入っていたの。」


茉莉「…!それ、昨日育ての親から受け取りました。」


堀切「そうだったのね。そこに湯山佳織さんってあるでしょう。これがお母さんの名前なのよ。」


茉莉「住所まで…ありがとうございます。」


堀切「でもね、聞いてちょうだい。」


茉莉「はい。」


堀切「もう何年も前に確認したのだけど、電話番号は繋がらなくなっていたのよ。…それと、引っ越しもなされたみたいで、住所には別の方が住んでいたわ。」


茉莉「…!そうだったんですか…。」


堀切「ええ…うちで管理しているものだとそのくらいしか情報共有できなくてごめんなさいね。」


茉莉「いえ。ありがとうございます。ものすごく助かります。」


情報を教えてもらう他にも

談笑している間に

あっという間に時間は経っており、

着いた頃は昼過ぎだったのに

既に夕刻が迫っていた。


「そろそろお時間かしら」と

堀切さんは席を立つ。

話を切り上げて

茉莉と結華は彼女の後を追った。


玄関先に行くまで、

まだ子供たちは元気に

遊んでいる姿が見えた。

子供の体力は底がない。


堀切「それにしても茉莉ちゃんと羽澄ちゃんたら、あの年齢でよくあんな距離を移動したわね。覚えてる?」


茉莉「長い間電車に乗ったな…くらいは。」


堀切「びっくりしすぎて、あの時時間が止まったかと思ったんだから。」


茉莉「…そう言えばお金ってどうしてたか知ってますか?羽澄がそんなに持ってたようにも思えなくって。」


堀切「ああ…それね。無賃乗車だったからのちに施設の方から払ったのよ。」


茉莉「え。ごめんなさい、返します。」


堀切「いいのいいの。大人なのだから責任は取らなくちゃいけないと思うのよ。逃げ出したいって、信用ならないって思わせてしまったのですから。」


茉莉「でも…。」


堀切「二次被害を起こしてしまったのは私たちの落ち度よ。これで精算される罪とも思っていないわ。私にできるのはこのくらいしかないの。」


茉莉「…。」


堀切「こうしてまた遊びにきてくれると嬉しいわ。とびきりのサプライズなんですもの。」


茉莉「…わかりました。ありがとうございます。」


本来であれば茉莉が悪い。

幼少期は無口だったのはわかるが、

こういうことをされたと

別の職員に言えば

また違う未来があっただろうから。

羽澄も同様にそう伝えてみたら

また違った未来があったろう。


ただ、どちらにせよ

守ってくれる人が

周りにはたくさんいたのだ。

茉莉や羽澄の罪も被ったのだろう。

考えるのをやめてしまえば

「どちらも落ち度があったよね」で

終わってしまう。

このようなことがあったのだから、

次からどうすればいいか、

考えなければならない。

茉莉であれば修学旅行の班のことだ。

空気が悪いのは茉莉と渡邊さんとの間で

過去のことが邪魔をしているから。

けど、それを「嫌いだから仕方ない」で

終わらせては駄目なのだ。

仲良くならなくてもいい。

けど、互いに衝突しなくてもいい距離感を

考えなきゃならないと思う。


玄関から出る直前、

遠く扉の影に隠れて

こちらをみている

小さな女の子がいることに気づく。

水色のパーカーに

ジーンズっぽいズボンを履いている。

くりくりとした大きな目からは

いつだって涙が溢れそうなほど潤っている。


茉莉「…。」


少しだけ微笑んで手を振ってみる。

すると、その子は警戒したのか隠れてしまった。


何もかもがうまく行くわけじゃない。

ご飯を食べていると

硬いお米があった時のように

少しばかり悲しい感情が揺らぐ。

同時に、茉莉もあんなふうだったと思い出す。

綺麗に人生の筋書きをかけるのであれば

あの子から手を振替してもらって

笑顔で解散することにしただろう。

けれど、そんなことはできないから

あの子は姿を隠した。


堀切「あら、誰かお見送りに来てた?」


茉莉「あ、ううん。全然。」


堀切「そう?ちょっとみてくるわね。」


堀切さんはそう言って

ぱたぱたと近くの教室を見ては、

手を招いている。

すると、さっきの女の子が

ちらとこちらを見出した。


堀切「ほら、お姉ちゃんばいばいって。」


「…。」


堀切「ばいばーい。」


「…。」


女の子はしゃがんで話しかける

堀切さんの真似をして

あどけなく手を振っては

すぐにまた姿を隠した。


こういう時、

素直に喜べばいいのだろうけれど

それがどうにもできなくて

…どうすればいいのかわからなくて

助けを求めるように結華を見る。


茉莉「…!」


すると、結華は珍しいことに

少しだけ微笑んでいた。

結華に子供が可愛いと

思える感情があるのかと

驚きもしたけれど、

それ以上にそっか、と。

これでいいんだ、と思い

堀切さんが戻ってくるのを待った。


堀切「少し気になってたみたい。来客ってそんなに頻繁にはないものですから。」


結華「そんな機微なことまでわかるんですね。」


堀切「なんだかんだこの道15年ですから。他の同期たちはやめちゃったけれど…私はこの仕事好きでね。職員として至らない点も多いけれど、これからも続けていくつもりよ。」


子供たちは多くの傷を抱えて

この場所にくることが多い。

一見普通のこのように見えても、

蓋を開けてみれば

分け合わないで生きてこられた方が

不思議だと思うほど

大きい荷物を背負った子だっている。

辛いことも多い仕事だろうけれど、

その仕事を好きだと言う彼女の微笑みは

安心していいんだと思えるほど

穏やかなものだった。

こうして守ってくれる大人がいるから

ここにいる子供たちは

安心して暮らせるのだろう。


玄関先で温まった靴を履く。

外は雪が未だぱらついている。


堀切「来てくれて嬉しかったわ。…昔は守ってあげられずごめんなさい。」


茉莉「いえ。短い間でしたけど、茉莉はここで過ごせて幸せだったと思います。色々あったかもしれないけど、こうして堀切さんが守ってくれたから、全然怖くないです。」


堀切「…そう言ってもらえるなんてねえ。」


堀切さんは袖を引っ張って目尻にあてた。

心底ここに堀切さんがいて、

長いこと働いてくれてよかった。

…もしかしたら今日この日のために

続けていたのかもしれない。

茉莉や羽澄に謝罪をするまで

辞めるつもりはなかったのかもしれない。

そうであれば、縛っていたことに対して

茉莉も心苦しめられるけれど、

そうではないことを祈り、

最後に抱擁を交わす。


堀切「またいらっしゃいな。」


茉莉「はい。また来ます。」


1歩外に出ると

突然寒空に襲われる。

けれど、何故かすぐには冷えず

外套のポケットに手を突っ込んだ。


ここからは弘前駅の方に向かい、

ホテルで1泊する。

が、そんなことを考えるより前に

手のひらを空に向けて伸ばした。

茉莉はこの雪の中2人で逃げ出した。

茉莉はあんまり覚えていないけれど、

雪は覚えているだろうか。


結華「…あんたってさ「この人こういうことを言って欲しいんだろうな」って言葉を選んで言ってるよね。」


茉莉「そうかな。」


飛ぶ雪をひとつかみして言う。

手のひらを見ると、

既にその姿はなかった。


結華「そんな気がする。たらしっていうかなんというか。」


茉莉「言い方悪ー。」


結華「だからこそ、心の拠り所をどこにも持たない人に見えるんだよね。壁を造られてるっていえばいいか…。」


茉莉「そんなつもりはないんだけどなぁ。こうやって昔のこと話してるだけでずいぶん心開いてるつもりだし。」


結華「なんだ、ただの甘え下手か。」


茉莉「それはそう。昔から自分勝手力があんまなかったのかも。」


結華「張り合いがないことこの上ない。」


茉莉「それを生きがいにされても。」


結華は目を伏せ、

マフラーに顔を埋めてから

「早く行こう」とくぐもった声を上げた。


茉莉「雪、積もるかなあ。」


結華「0℃超えなかったら積もるんじゃない。」


茉莉「うわ、現実的答え。」


結華「それはそうと、まずホテルに入ったら乳児院の場所調べなきゃね。」


茉莉「ね。」


結華「さっき見た感じ、新青森駅の近く…青森駅付近だったけど。」


彼女は咄嗟にスマホを出し、

その画面を見せてくれた。


茉莉「いつの間に調べたんだ。あー、そっち側かあ。」


結華「朝から行けば夜までには仙台に戻れそう。」


茉莉「だね。」


結華「どう、気持ち的に。」


茉莉「どうって難しいなあ。…うーん…すっきりもしてるけど、やっぱり会ったらどうしようの方が大きいかも。」


結華「何話そうとか?」


茉莉「そう。明日さ、もしお母さんに会えたら聞こうと思ってたことがあるんだ。」


結華「そう。どんな。」


茉莉「何で捨てたのって。…何で茉莉を捨てたんだろうね。」


手元には薄汚れたクリアファイル。

その中には挟まる紙、茉莉と書かれた文字。

そして先ほど堀切さんからもらったファイル。

茉莉とお母さんのかけら。

それだけが本当のお母さんの

断片となっている。


結華「酷なこと聞こうとしてるね。」


茉莉「…ねー。」


結華「そもそもこの旅立ってリスキーじゃん。」


茉莉「散々言われた。やめとけとも。」


結華「…だろうね。でも探したかったんでしょ。」


茉莉「うん。だから後悔ないはずなのに、なーんか引っかかるんだよ。」


結華「また捨てられるのが怖くて何も得ようとしてないんじゃない?」


茉莉「…こうして探してるのに?」


結華「一時的にっていうか。脳がちょっと疲れちゃったんでしょ。」


茉莉「なるほどねー。」


結華「ほら、相槌からわかる。」


茉莉「くはは。…あー…何でいえばいいかな…もしまた会って…いらないとか産まなきゃよかったとか言われたらどうしようとは思ってる。」


結華「…。」


茉莉「なら元から茉莉なんて産まなきゃよかったじゃんって思っちゃうだろうから。」


茉莉は生い立ちのせいか、

それとも自分の怠惰のせいか

何をするにもあまり興味が湧かない。

適当に学校に行って

適当に勉強して

適当にゲームして

適当に動画見て。

何も得ることなく生み出すこともなく

その1日を終えては

無意味な時間を生き続けている。

生きている意味がわからないとは

よく言ったものだ。


親のエゴでこの世で呼吸をしている。

今はお母さんを

恨んでいるわけじゃないけど、

もし本当にそう言われたら

感情が穏やかでいる自信はない。


結華「まあでも…わかるよ。」


ぎゅむ。

たまたま積もりっぱなしだった

誰にも踏まれていない雪を踏んだ。


結華「全部なくなるならいらないのにって気持ち。」


悠里のことだろうか。

マフラーの隙間から白い息が漏れる。

それが、彼女の幸せが

煙草の煙のように抜けているように見えて、

冬そのものに酷だなと言葉を投げた。


ホテルに入って早々

靴や外套を脱いでベッドに身を投げる。

そして、スマホを開いて

羽澄に連絡入れた。


茉莉『今日、茉莉たちのいた施設に遊びに行ったよ。今度は一緒に行こうね。』


それだけを残して画面を閉じる。

これまで過去も未来も見えなかったのに、

過去が徐々に明らかになっていく。

10円玉の酸化がなくなるような、

はたまたお風呂場の垢が

なくなっていくような。

そんな心地よさと同時に

自分が何者かがわかっていくようだった。


ルーツを知れば知るほど怖くなる。

過去が全てわかったら

今度は未来に目を向ける。

それこそ無限の選択肢の中に放り込まれる。

大人になる。

そうせざるを得なくなる。

それがきっと怖いのだ。


知らないのは罪だが、

知らないことは楽である。

今日1日を経て、

この言葉の意味が一層重みを持った。


明日も雪は降るだろうか。

考え事をしている間に

瞼が重くなっていくのがわかった。

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