針と糸

1週間はあっという間に過ぎ去り

また木曜日がやってくる。

気づけば2024年のうち

12分の1は過ぎているし、

2月だって1週間がすでに過ぎている。

時間というのはだらだらと過ごすほど

早くすぎるような気がする。

時間か早くすぎるというのは

楽しんでいる証拠だかなんだかとは

よく聞くけれど、

無意に過ぎ去る早い時間は

しょうもないものでしか

ないのではないかとふと思う。


先週の木曜日は確か

あまりにぼうっとし過ぎて

渡邊さんからあれこれ言われたんだっけ。

確かに、母親を探すかどうか

決めあぐねていた時だったと思う。

久美子さんに聞いても

駄目だと言われ、

まだ早いなんてはぐらかされて。

じゃあ、いつだったら良いんだと

反発したい気持ちすら湧いた。

結局兄ちゃんの助力もあって

条件付きだけれど探しに行っても

良いということになったのだから

結果としては良かったといえるだろう。


今日はぼうっとしないように

…し過ぎないようにしないとと

心の中で襷を締めるように整える。

そのための動作が

散歩になっているのかも知れない、

はたまたただの習慣だろう。

また廊下を渡り歩いては。


「おまーつりーん!」


快活な彼女の声が

心地よいというより

型にはまるピースのように

ちょうどいいと感じた。


後ろから駆け寄ってきては

とん、と背中をタッチされる。

振り返れば、いつものように

髪をひとつに結んでいて

片側の横髪だけ垂らしたままの湊がいた。


湊「ふふん、そろそろ会う頃だと思っていたのだよ!」


茉莉「ほんとにぃ?」


湊「うむ。まつりんはね、木曜の移動教室後に出現しやすいんだ。知ってた?」


茉莉「あんまり。後者の中でもいろんなところ歩いてるし…。」


湊「あらほんと!木曜日の分布はこの辺なんだよん。」


湊は教科書を持ったまま

くるりとその場を一周した。

見れば見るほど犬っぽく見えてくる。


湊「今日は発表テーマの最終決定だっけ?」


茉莉「あー、6限?そうだと思う。」


湊「前回ので大体決まったけど、なんか他のいい案があればそっちでもいいよねえ。」


茉莉「う…先週はごめん。」


湊「ん、何かあったっけ?」


湊は本当に多くのことに

ある意味鈍感に生きているのだろう。

先週も同じような会話をしたような気がする。

そのくらい「自分がしてやった」

「今度はあんたがしろよ」と

思っていないのだろう。

恩着せがましくないその姿勢が

ものすごく頼りになると感じるし、

この人がいれば大丈夫だと

安心にもつながっていた。


茉莉「ぼうっとし過ぎてたっていうか。」


湊「ま、眠たい時もあるよねん。興味ない授業とかうちも秒速で寝るし。」


茉莉「へー、意外。なんでも意欲的にやってそう。」


湊「なはは、だったら留年はしてないよーん。」


茉莉「まあそうかもだけど、でも確か先週の…事前調べ、ちょっとしてなかった?」


湊「あー、あればがちがちの勉強って感じじゃないし、普通に興味湧いてちょっとだけねん。」


茉莉「すごい。茉莉だったら興味なかったらいやいやすることになるのに…。」


だからこそ、興味のない分野でも

ある程度力を発揮して

頑張れる人はものすごいと

思っていたんだっけ。


茉莉「実は元々興味あることだったとか。」


湊「いいや、全く。北海道は海鮮丼美味しそーくらいにしか思ってなかったよん。」


茉莉「くはは…。」


湊「でもね、調べてくと案外面白いんだよ。興味深くなってくんの。」


茉莉「そうなの?」


湊「例えば…アイヌの人たちの暮らしを調べてると、この時の時代背景はこうだから…とか、もし大雪や災害があったらどこに助けを求めるんだ…とか。」


興味のない、なかったはずの分野でも

力を発揮できる人は

闇雲に頑張っているわけじゃない。

自分の行っていることや

調べている物事に

興味を持つことに長けているのだろう。

茉莉の中では、その知的好奇心の高さが

頑張れる、と結びついていたらしい。


何でだろう、と思っても

どうでもいいやと思ってしまう

茉莉とは正反対のように見えた。


はたまた、いつも通り

6限の修学旅行のグループワークでは

また別の意見が飛んでくる。


彼方「調べ学習とか無理。キモすぎる。」


湊「そこまで言いますかい?」


彼方「興味が湧いて初めて自分から調べる方が身につくだろうに、無理やり調べて最後に答えも提示しない。知識の荒付けが気に食わない。」


湊「なるへそー。良い研究者になりそうだねえ。湊さんびびびっと来ちゃったよ。」


彼方「何でそうなるの。」


湊「裏っ返してごらんよ。気になったことはとことん調べそうじゃない?」


湊はペン回しをしては

肘をついてプリントを眺めていた。


湊「うちは浅く広くってわけ。その分彼方ちゃんは狭く深くだろうねぇ。」


まるで奥底には触れませんと

断言しているかのように、

同時に分析をするかのように

そう言っていた。

もう何回目だろうか、

回数を重ねてくると

段々と渡邊さんの扱いに

慣れてきた…というか

呆れて手をつけられなくなったというか、

湊が何かと返事をして

収めることが一連の流れになっていた。


渡邊さんは渡邊さんで、

納得すれば押し黙るし

納得しなければ反論している様子が窺える。

言い負かしたいという

考えも微かながらに見えるけれど、

1番は納得したいのだろう。

理由もなしにする何かが

とてつもなく嫌なだけかもしれないと、

先週の視野が狭まっていた茉莉からすれば

考えられないような視点で

そう思っていた。


が。


彼方「…。」


茉莉「…。」


駅でまた会っては

睨んできているような気がして、

こちらもむすっとしか顔をする。

ああ、また何か

話があるんだろうなと察するも、

彼女から足を引っ掛けようとしてきたり、

当たり屋されに行ったりということはなく、

今日に限って素通りできてしまう。

嬉しいことのはずなのに

それが何だか妙で、

完全に言いがかりかもしれないが

ガン飛ばしてきたことを理由に

人1人分を空けて横に立つ。

マフラーをしているものの、

布が薄いせいか

それとも風が強いのか

耳がきいんと冷えた。


彼方「何。」


茉莉「何も。毎回突っかかってきてそっちこそ何。」


彼方「は?あんたのほうでしょ。」


茉莉「今色々あって忙しいのに、こっちのことに脳のリソース割きたくないんだよね。」


彼方「じゃあ割かなきゃいいじゃん。」


茉莉「意識を向けなきゃいけない状況にしてるのはそっちだよ。」


彼方「何それ、不幸自慢?」


茉莉「何でそう曲がった捉え方するのかな。」


彼方「うちの方が大変な思いしてるし。うざ。」


茉莉「別に不幸そのものに優劣つけなくていいんじゃないの。」


彼方「たかだか躓いたような不幸と人生お先真っ暗レベルの不幸を並べられちゃ困るんだけど。」


茉莉「茉莉のは躓いたレベルだって言ってる?」


彼方「そうでしょ。」


茉莉「事情も知らないでつらつらと。」


彼方「じゃあ言ってみなさいよ。」


たまたま前を通った男子学生2人が

気まずそうにこちらをちらと見ては

足早に去っていくのが見えた。

こんな喧嘩、駅で堂々するなんて

迷惑極まりないだろうな。

茉莉だって近くで喧嘩しているようであれば

近づきたくないと思う。

嫌いな人と関わっている間、

茉莉は嫌いな自分に

なっているような気がした。


ひと呼吸置く。

渡邊さんの言う不幸は、

中学生時代に自分の不貞が

周囲に知られてしまったことだと思っている。

そんなこと、元からしなければ

今だって平穏に過ごせていただろうし、

こんなに捻くれることも

なかったのかなと思う時がある。

全て自業自得なのに

他責で終わらせる彼女に

苛立ちを覚えていた。

だからこそだろうか。

密かに茉莉の過去の方が大変だなんて、

さっき自らが発した言葉と

矛盾した感情を抱いている。


彼女に教えることでもないだろうが、

これで以降突っかかられなくなるのであれば。

そんな叶わないだろう未来を

淡く見定めて口を開いた。


茉莉「…明日から本当の親を探しに行くの。どこにいるかわからないけど。」


彼方「へえ、じゃあ今は施設?」


「へえ」だけで終わるか、

さらに暴言を吐かれて

終わるかと思っていた。

けれど、質問が来るなんて

思ってもいなくて

唾が変なところに入りかける。

普通であれば「あ、そうなんだ」と

深入りしなさそうだけれど、

遠慮がないのがまた彼女らしい。


茉莉「いや。特別養子縁組ってやつみたいだから違う。」


彼方「なんだ。」


茉莉「何だって何。」


彼方「そのくらいで喚くなよって思っただけ。それじゃあ今はいるんでしょ、育ての親。」


茉莉「いるよ。」


彼方「ほら。やっぱりしょうもない。」


茉莉「しょうもなくないよ、茉莉にとっては。」


彼方「今あるものだけ見ればいいのに。」


茉莉「それでも知りたいから。」


彼方「幸せなんでしょ、今。」


茉莉「…。」


彼方「子供を捨てる親なんて所詮クズに決まってんの。そんな人間探す価値なんてないし探すだけ無駄。」


茉莉「何か事情があったのかもしれないじゃん。」


彼方「自分勝手な事情がね。子供のこと考えて捨てるやついないでしょ。」


茉莉「…そうかもしれない。でも、知りたい。」


彼方「…馬鹿みたい。」


呆れたように静かにそう言うと、

興味をなくしたのか

スマホを取り出した。

もうすぐで電車も来そうだったもので、

この場から離れようと

背を向けた時だった。


咄嗟に背負っていたリュックが引かれ、

思わず転けそうになっては

足を止めてはっとして振り返る。

すると、渡邊さんが茉莉を

引き止めるかのように

リュックを引いているのが見えた。


彼方「スマホ。」


茉莉「はい?」


彼方「出して。」


茉莉「何で」


彼方「は?」


言葉が足りないから困惑しているというのに、

彼女はそれを理解していないようで

茉莉がただ無意味に反発していると思ったのか

睨むように見下していた。

それに怯んだわけではないが

このまま不機嫌になられて

今後さらに嫌がらせを受けても

困ると判断し、

静かにスマホを取り出した。


彼女のいう通り操作してLINEを開く。

かと思えばQRコードの

読み取りを行なっては

気づけば友達に追加されていた。

彼女の突飛な行動にまるで訳が分からず

脳裏ではクエスチョンマークが

永久に発生し続けている。


少し待っていると、

渡邊さんとのメッセージ欄に

1人、見知らぬ連絡先が送信されていた。


彼方「こいつ、追加しといて。」


茉莉「え、誰。ってか何急に。」


彼方「元カレの元カノ。探偵の家の娘らしいんだけど死ぬほど馬鹿なんだって。馬鹿すぎて別れたって聞いたし。」


茉莉「え?」


彼方「でも人探しの方法とか手順ならこいつ自身が知らなくても親から聞けるだろうし。」


茉莉「…ありがとう……?」


彼方「明日にはうちはブロックするから。」


やるなら早めにしておけと

言わんばかりの態度だった。

どうして急に親身に

なったのかもわからないし、

探偵の娘さんの連絡先を

教えてくれたかもわからない。

少しばかり同情したのか、

それともこの娘さんは

実はとんでもなく厄介な人で

何かと押し付けられた…とか。


これまでがこれまでなので

隅から隅まで疑いたくなる。

このまま連絡先に追加して

相手は不審に思わないだろうか。

ひと言渡邊さんの方から

伝えて欲しいと言おうとした時には

既に電車がホームに滑り込んでいた。


茉莉「あの」


彼方「私はもう用ないから。」


茉莉「茉莉があるの。」


彼方「知らない。」


そう言って乗り込んでしまう。

そのまま同じ車両に乗り込んで

問いただせばよかったものの、

電車内で話していたって

どうせ喧嘩になるし、

それで周りの人に迷惑をかけるくらいなら

飲み込んで自分で解決した方がいい。

嫌いな人とこれ以上長く

一緒にいなくていい。

わざわざ辛い修羅な道を

目指さなくたっていいのだから。

これが本の中であれば

主人公はきっと渡邊さんの元に向かって

どういうことだったのか

真意を問うたりするのだろう。

生憎、茉莉は等身大の人間でしかなく、

そのような度胸もない。


そう言い聞かせて

ひとつ隣の車両に向かった。

冬風が頬を叩きつけてくる今日は、

これでも暖かい日だと言う。

来週にはもっと暖かい日が来るらしい。

時間は止まってくれないらしい。


明日からは母親を探す旅に

出るらしいのに、

恐ろしいことにまだ実感が湧かなかった。

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