欠けた月
茉莉「…。」
気づけば窓の外を見ている。
前を向けば先生が授業をしているけれど、
ラジオだと言わんばかり。
時にぼうっと上を見て
電灯に目をくらませては
今度下を見たりもした。
目の前に黒い斑点が広がっていて、
先生の顔を見ても
まるでトンネルの先で見た夢の
あの本当のお母さんのように、
顔にちょうど黒いもやがかかって
見ることはできなかった。
その時思い出すのは決まって
昨日のことだけ。
本当に10年来の友達と、
シマと出会ったのか。
再会できたのか。
まだ夢だと思ってしまう。
本当に夢じゃないのか。
その確証が得られないような
気がしたけれど、
連絡先を見れば羽澄の名前が
登録されているのだ。
茉莉「……。」
本当にひと段落ついてしまった。
心残りがひとつ
雪のように溶けていった。
現実感のないまま
現実の世界を見ている。
今だけは空に鯨が泳いでいたって
信じてしまいそうなほど。
ただ、ひと段落ついたと同時に
これまで見えていなかったはずの
出来事までが
視界に飛び込んでくるようになった。
それは生みの親のこと。
°°°°°
茉莉「でもね、最近気になるんだ。本当のお母さんとお父さんのこと。」
羽澄「…探す、と言うことですか。」
茉莉「……そこがね、迷ってるところ。」
羽澄「なるほど。」
茉莉「こうして10年ぶりに羽澄と会えて、もしかしたらって思っちゃって。」
羽澄「うん。」
茉莉「で、もし連絡が取れたり、話ができたらって思う時があるんだ。」
羽澄「…そうなんですね。」
茉莉「…どう思う?」
羽澄「そうですね…。…個人的にはあまりおすすめはできません。」
茉莉「育ての親もね、茉莉がいた施設のことを教えてくれなかったの。子供だからって。」
羽澄「子供だから…というより……そうですね、言葉が難しいですけど…。」
茉莉「いいよ、酷なことでもそのまま言って欲しい。」
羽澄「…子供を捨てるような親なんです。今更会ったところで、碌な人間じゃないと思うんです。」
茉莉「…!」
羽澄「話したところで嫌な話を聞くかもしれません、暴言を吐かれるかもしれません。そんなリスクを負ってまで、母親である人のところに送り出したいとは思いません。」
茉莉「…なるほどね。」
羽澄「育てのご両親は良い方ですか。」
茉莉「茉莉には勿体無いくらいとっても。」
羽澄「…なら、尚更そうした方がいいかと。」
---
羽澄「……でも、諦めたくないのであれば、羽澄は茉莉ちゃんのことを応援します。」
茉莉「……えっ…。」
羽澄「会いたいんですよね、知りたいんですよね。それ以上の愛ってないんじゃないかなって思うんですよ。」
茉莉「…でも、どちらかといえば会うのは悪手でしょ?」
羽澄「そんなの、気持ちが超えて仕舞えば正論の方が悪者です。」
茉莉「…!」
羽澄「だから、どんな選択をしようと羽澄は応援しています。」
茉莉「…ありがとう。」
°°°°°
羽澄からそのひと言をもらってから
もしかしたらこのまま進んだって
いいんじゃないかと思ってしまった。
羽澄とのことが解決して、
今度は別の問題が映るようになってしまった。
まるで宿題を終えた後
別の課題に手をつけるように、
はたまた美味しいものを食べた後、
さらに美味しいものにしか
興味を持てなくなったかのように。
良くも悪くも、まえまでのことに
興味を引かれすぎなくなっていた。
やっぱり本当のお母さんのことが
長いこと気になってしまって、
結局家に帰り着くまで
延々と考え続けていたと思う。
きっと湿気った面を
していたに違いない。
家に帰ってもまとまったはずの考えが
散開していくような気がして
また寝転がる。
どれほどの時間を無駄にしただろう、
一睡しかけてようやく目を開く。
そこで漸く心が決まり、
育ての親である久美子さんに電話をかけた。
家族であると言うのに
名前で呼ぶのは変だろうか。
変…ではあるだろうな。
母にあたる人を久美子さん、
父にあたる人を徹也さんと呼んでいた。
でも、兄ちゃんだけは
兄ちゃんと呼んでいた。
小さい頃…それこそ、国方のお家に
入ることになってすぐの頃、
確か兄ちゃんと大喧嘩をしたんだと思う。
それから気づけば
その呼び方になっていた。
ある意味家族と認めているような、
心を許している人と
捉えられるような気もして、
久美子さんと徹也さんに
申し訳ない気持ちが浮かぶ。
茉莉「…。」
しばらくコール音が続く。
もしかしたら出かけていて
出れないのかもしれない、
時間が悪かったのかもしれないと
思ったその時だった。
久美子『もしもし。』
茉莉「あ、もしもし。久美子さん?」
久美子『うん。元気にしてた?』
茉莉「元気元気。風邪もひいてない。」
久美子『よかった。なによりだわ。』
電話越しの久美子さんの声は
元気そのもので、
聞き返すまでもないと
思ってしまうほど。
何を返そうかと、
いきなり話をしてもいいのかと
決めあぐねていると、
久美子さんが口を開いた。
久美子『茉莉から電話してくるなんて珍しいね。何かあった?』
何かあった…と言うわけではないけど。
そのひと言を言うか悩んだ。
何かあったといえばあった。
それはそれはたくさん。
渡邊さんとの会話、
中学時代に苦手だった彼女と
同じグループになったこと。
シマと、羽澄と出会って話をしたこと。
不安にさせてしまうだけなら
きっと言わない方がいい。
久美子さんは優しい人だから、
茉莉のことを
気にかけすぎてしまうかもしれない。
できるのであれば迷惑はかけたくない。
それに、湊も言ってたじゃんか。
°°°°°
湊「あと…あー、これは言わなくていっか。」
茉莉「何々、気になる。」
湊「いわなーい。何を話すかより何を話さないかの方が大事なんですうー。」
茉莉「まーた難しくそれっぽいこと言ってるー。」
湊「まあ似てるように見えんの。湊さんったら千里眼持ちなんだから。」
茉莉「あー…鋭いのは認めるけど。」
湊「何だいその不貞腐れた顔はー!」
茉莉「くはは、ごめんごめん。」
°°°°°
ありがとう湊と
心の中で唱えてから
漸く重たい口を開いた。
心臓がバクバクした。
秘密を打ち明けるのと同じくらいには
鼓動が早まっている。
茉莉「あのね…最近、昔の友達と会ったの。シマっていう人。」
久美子『え、会ったの?どうやって。』
茉莉「自分でいろいろと頑張って。」
久美子『そう…。そういえば茉莉が小さい頃よく呼んでたね。シマって。』
茉莉「そうなんだ…。」
久美子『どうだった、楽しかった?』
茉莉「うん。その子、今大学生みたいで。色々と話したし聞いてもらった。」
久美子『よかったわね。』
茉莉「それで…さ。」
不意に言葉が詰まった。
次の言葉を言わなきゃいけないのに、
そうじゃなきゃ伝わらないのに。
羽澄からもらった言葉を思い出せ。
陽奈からもらった言葉を思い出せ。
茉莉「それでね、その…次はって言い方はあまり良くないけど…お母さんを、生みの親を探したいの。そのために、茉莉のいた施設の場所を教えてもらえないかな…って。」
お母さんはあの雪の近くにいるのか、
それとももっと遠く離れた場所にいるのか、
意外にも近くに、
羽澄のように関東にいるのか。
面影も覚えていないお母さん。
茉莉のことを捨てたのだから
とんでもない人だとか、
責任感のない人だとかは予想できる。
それでも会いたいと思ってしまった
茉莉はきっと馬鹿なのだろう。
羽澄を見つけられた。
そして話してきた、楽しかった。
だから大丈夫だって
容易に言ってもらえたら。
そう思ってた。
…だけど。
久美子『…茉莉。そんなに焦ることも無いと思うのよ。』
茉莉「…え?」
久美子『大丈夫、親御さんも元気でやってるわよ。』
茉莉「お母さんが今どこにいるか知ってるの?』
久美子『いいえ、その人については知らないよ。』
茉莉「でも施設とかから少しくらい話は…。」
久美子『ごめんね。私もわからなくて。』
茉莉「じゃあ施設の場所とか」
久美子『もう少し茉莉が大人になったらにしましょう。』
茉莉「何で…!」
久美子『何でも何も。』
茉莉「もう中学生じゃないよ。高校生になったよ。それでも駄目なの?」
久美子『駄目…というか、もう少しいいタイミングがあると思うの。』
茉莉「今じゃ駄目…ってことじゃん。」
久美子『…茉莉のためなの。ごめんね。』
茉莉「茉莉は教えてもらえない方が辛いよ。」
久美子『ごめんなさい。でも、親としてそこはまだだと思うの。』
茉莉「…。」
親として。
本当の親よりも
何十、何百倍もの時間を
一緒に過ごしてきたのだ。
10年ほど共に暮らす中で、
本当の親と言っても過言では無いほどの
繋がりはあるはずだ。
それなのに、教えてもらえないことが、
子供のままだと言われているような自分が
情けなくてちっぽけに見えた。
久美子さんの気持ちもわかる。
茉莉は昔から何を考えているのか
わかりづらかっただろう。
ふらりとどこかに行ってしまいそうな
危うさだってあったのだろう。
それに、会う人が人だ。
もしまた何かがあったらだとか、
茉莉に何かが心変わりや
その他魔の手があったらとも思うのだろう。
だからこそ、茉莉を守ろうと
してくれているのだろう。
わかる。
わかるからこそ辛かった。
茉莉「……じゃあ宿題してくるからそろそろ。」
久美子『…寒くなってきたし暖かくして過ごすのよ。』
茉莉「………うん…。」
久美子『じゃあまたね。』
静かに途切れる電子音。
また、時計だけが堂々と鳴り響く。
茉莉「…わかるけど。」
そのままスマホが手から滑り落ち、
床へと静かに転げていった。
片腕で目元を隠すようにあてる。
今日はこのまま眠ってしまっても
許されるような気がした。
ただの不貞寝だ。
ああ、子どもから抜け出せなかった。
ほんの1、2週間前まで満月だったらしい月は
今では大きく欠けていた。
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