黒箱の中身は知れない

湊と話してからたった2日ほどしか

経ていないけれど、

既に長いこと出会っていないような

感覚になっていた。

短期間で彼女と2回も

顔を合わせたことなんて

なかったからだろうか。

初めはなんだか騒がしくて

急に話しかけてきた

馴れ馴れしい人としか

思っていなかったのだが、

2年間共に活動していたらしいだけある、

なんだかんだ肌に馴染むといえばいいのか、

話しやすく案外常識人で

いい人だと印象づけられていた。

今後週に1度、修学旅行の授業の関係で

どうせ顔を突き合わせることになる。

別に寂しく思う必要なんてない。


授業との合間に

移動教室でもないのに

廊下に出てみる。

最近意味もなく窮屈さを感じて

教室から出ることが多い気がする。

家の中にいる時もそうだ。

気が向いた時に散歩する癖があった。

今回もその一環だろう、

歩いていた時だった。


茉莉「…っ!」


たまたま。

そう。

そういえば2日前に

湊と教室前で鉢合わせたのも

たまたまでしかなかったっけ。

こんなに広い学校だと思っていても

行動範囲はいつも変わらない狭い世界。

そりゃあこうしてすれ違うこともあるか。


目の前からは長身の細身な女の子。

相変わらずお団子ふたつに

そこから長く垂れる髪の毛。

トレードマークと言って差し支えない。

渡邊さんがまるで水面の上を

歩いているかのように

音もなく静かに歩いていた。

廊下にいる人たちは

自分たちの話にいっぱいいっぱいなのか

まるで渡邊さんが

見えていないかのように過ごしている。

男子生徒は数人目で追っていたけれど。


他の人からすれば

知らない女生徒の1人でしかないだろう。

茉莉だってそうしたい。

中学生時代に知り合っていたら

こんなにはっきりと

彼女を視認することなんてなかった。


ゆっくりと。

俯きながら歩いていた

渡邊さんが顔を上げた。


凍てつくような視線が

また茉莉を刺すように向けられる。


茉莉は。





°°°°°





湊「そうそう、話の途中だったっけ。重く捉えてないならわざわざうちの前で立ち止まらないし、班決めの時にあんな顔しないとうちは思うんだよ。」


茉莉「…そんな酷い顔してた?」


湊「酷いっていうか…なんかねー、人の心を捨てた感じしてたよん。」


茉莉「くはは…どういうことー。」


湊「いやあ、これがまた比喩じゃなくってね。」


明るい調子のまま話を続けられる。

湊はこちらを見ることはなかったのに、

その目がやけに据えているように見えた。


湊「まつりんから感じたことないくらいつめたーい感じがしたの。」


茉莉「…冷たい?」


湊「そ。電池を抜かれたまま数年放置されたリモコンみたいな感じ。」


茉莉「あ、え?」


湊「忘れりゃ痛くないぞーって言ってるように見えたのだよ。」





°°°°°





茉莉はどんな顔をしてるんだろう。

どんなふうな態度を

とっているように見えるのだろう?


中学生の時は自分のことを

子供だと思っても見なかった。

小学生から成長して

もう大人だと思い込んでた。

もしかしたら今もそうなのかも知れない。

大人だと思い込んでるだけの

ただの子供なのかもしれない。

モラトリアムを言い訳に

許されているものがあるのだと知るのは

きっとまだ数年後先の未来。


そうだとしても、

今何かを変えることはできるんじゃないか。

たとえ未熟だと気づくのが

数年後だとしても、

今何かを変えれば

その先少しの未来は変わるんじゃないか。

それが大人のきっかけになるのなら。


こちらにガンを飛ばすように

歩いてくる彼女を

じっと見つめた。

ガンを飛ばしてるように

見えるだけかも知れないし、

茉莉が見てるから見返してくる

だけなのかもしれない。

考え方、感じ方で

世界は変わると思った。


茉莉「あの。」


彼方「……何?」


茉莉「…えっと…特に理由なんてないんだけどさ。」


彼方「話があるならはっきりいいなよ。」


茉莉「あー、グループのことで少し話したいなって。」


彼方「修学旅行の?」


茉莉「そうそう。ほら、渡邊さんって保健の係だったでしょ?」


彼方「そうだけど。…何?出てけって?」


茉莉「違う違う。そんなこと言わないよ。」


彼方「あっそ。」


意外、とでも言いたげに

ふんと鼻を鳴らした。

彼女から見て茉莉は

そんな薄情な人物に映っているらしい。


茉莉「保健って確か湊と一緒だったよね。昨日湊と少し話したんだけど、気にかけてたよ。」


彼方「へぇ。それをどうしてあんたから聞かなきゃならないの?」


茉莉「えっと…ただの気まぐれっていうか…。」


彼方「何が言いたいの。」


茉莉「うーん…湊はいい人だし頼っていいよってこと…かな。」


彼方「それは何に対して。」


茉莉「係りで困ったことがあったらってことに対して。」


彼方「付き合い長いの?その湊って人と。」


茉莉「えっと…。」


彼方「先週会ったばかりじゃないの。」


茉莉「待って待って、そんな質問責めされてもちょっと困る。」


確かに茉莉からしてみれば

湊と出会ったのは先週のこと。

まだ1週間しか経ていない。

けれど、湊からすれば

実に2年ほどは

一緒にいることになるのだ。

どう説明すればいいのか迷っていると、

渡邊さんは重たいため息を吐いた。


彼方「ほいほいと人を信じられるなんて幸せな人。」


茉莉「そんな言い方」


彼方「本当に信頼できる友達なんていないくせに。」


語気強く、茉莉の言葉に

被せるようにそう言った。

まるで全てを否定したいと

言っているかのような圧に

思わず口が竦む。


彼方「心を許せる人なんていないんでしょ。」


思わず心臓に刃物…棘のような

細い何かが刺さったような音が

聞こえてきたかと思った。

確かに友達だって

家族…だって、

いつでも相談できるかと聞かれれば

違うと答えるだろう。

それなりに信頼している人はいる。

親も、兄ちゃんも未玖だってそう。

けど。


茉莉が何を言っても

許してくれるような、

茉莉が何を言っても

結果的に離れては

いかないだろうというような

信頼ではない。

…離れないことが信頼の全てかと問われると

それもまた違うだろうけど、

茉莉の全てを、

明るいところも適当なところも

暗いところも全て全て

受け入れてくれるような人たちでは

ないと思ってしまっている。

気を遣っていた。

茉莉のことで迷惑をかけないようにって。

遠慮していた。

茉莉のことが普段とならないように。

相手の負担にならないように、と。


いい意味で遠慮をしなくてもいい人は

ぱっと思い浮かばなかった。

辛うじて兄ちゃんが

その位置にあたるかどうかだ。


もし、今巻き込まれている他の人たちと

もっと仲良くなることができていたら、

もしかしたらそんな仲に、

いい意味で遠慮しなくて良い仲に

なれていたのかな。


…もし。

もしもの話。

シマと今でも縁がつながっていたら

なんでも話せる仲になっていたのかな。


止まりかけた口を動かす。

でまかせでも良い。

何か返さないと負ける気がした。


茉莉「いるよ。」


彼方「ふぅん、家族にも恵まれて幸せそうに。」


茉莉「…。」


彼方「うちのことなんて何も知らずにのうのうと。」


茉莉「それはお互い様でしょ。」


刹那、一瞬空気が固まり

時間が止まったような気がした。

はっとして顔を上げる。

言ってしまった、と思った。

あまりに一方的に言われるばかりで

かちんときたらしい、

吐き捨てるようにそう言っていた。


が、渡邊さんは特に

気にしていないらしく、

興味なさげにそっぽを見る。

その先に何が映っているのか

想像する余裕すらない。


茉莉「茉莉は渡邊さんのことを心配してるだけ。」


彼方「いつからそんなに偉くなったの。」


茉莉「偉くないし、知り合いの心配くらいしたって良いでしょ。」


彼方「言っとくけどそれ、心配じゃないでしょ。弱者を見て可哀想だから「なんとかしてあげよう」って声かけてるだけでしょ。」


茉莉「そんなつもりはない。曲げて捉えないで。」


彼方「じゃあなんで話しかけてきたの。過去散々言われたあんたが、私に。」


茉莉「…何かきっかけになるんじゃないかって思っただけ。」


彼方「うちと仲良くなるためとか綺麗事ほざく気?」


茉莉「言えたらよかったけどね。でも生憎違う。これは渡邊さんのためじゃなくて自分のため。」


彼方「へぇ…?」


茉莉「茉莉が少しだけ勇気を持つため。その練習。」


彼方「うちは踏み台ってわけ。」


茉莉「それは…。」


彼方「あははっ。」


突然、目の前で誰かが転んで

その表紙に吹き出したような、

ころころと可愛げのある音で

声を上げて笑っていた。

渡邊さんが笑っているところなんて

初めて見たものだから、

まるで夢を見ているのではないかと

勘違いすらしそうだ。

いつだって冷たい視線だけを寄こす彼女は

いつからか同じ人間ではないとすら

思ってしまいそうだったのだから。


彼方「いいよ、踏み台にしても。道具にしたってなんにしたって良い。その代わりうちだってあんたを利用するからね。」


茉莉「…っ!」


彼方「別に悪いことには使わないけど。そのくらいの覚悟があるんなら。」


覚悟があるならいいよ、と

いう意味なのだろう。


どうして単純に

ただ話すだけができないんだろう。

無意味な和解はできないのだろうか。


彼方「それじゃ。湊さんやらによろしくって言っといて。」


茉莉「…。」


最後に皮肉だか嫌味だか、

やり返すようにそう言っては

何事もなかったかのように

振り返ることなく去っていった。

微かに残る甘ったるい香水の匂いが

鼻の奥で絡まっていく。


渡邊さんに話しかける勇気を、

これをきっかけにして持とうと思ったのに、

これでは茉莉が彼女に対して

突っかかったように見えてしまうだろう。

そんなつもりじゃなかったのに。

湊みたいに華麗に交わしたり

うまく話をすり替えられたらよかったのに、

茉莉の口からは何ひとつ

吐き出されてくれなかった。


茉莉「…。」


踏み台か。

言われてみれば確かにそうかも知れない。

茉莉の思う成長のために

渡邊さんの存在を利用するようなものだから。

ある意味トラウマの粗治療。

でもそこまで立ち向かう必要は

あるのだろうか。

これを経て何をするつもりなのだろう、

茉莉は何がしたいのだろう。


きっと何かに立ち向かいたかったのだろう。

それこそ、大人と認めてもらえるように。


茉莉「…そうだ。」


そうだ。

中学生の時、まだ子供だからと

本当のお母さんのことについて

教えてもらえなかったのだ。

とにかく気になって

全国の児童養護施設を

書き出そうとしたけれど、

途方もなくてやめた記憶がある。


だから、こんなことで…と

思われるかもしれないけど、

茉莉自身が自分で決断できて

乗り越えられると知ったら

もしかしたらお母さんのことについて

教えてもらえるかもと思ったのだ。


まずすぐにそのことについて聞いても

教えてもらえないような気がする。

最近気になっている

シマの行方について

はじめに聞くのがいいかもしれない。

さっきも心を許せる友達の話で

ふと思い出したし、

何かしら引っ掛かっているらしい。


シマも茉莉のことを

覚えていたらいいけれど、

そんな美味い話はないだろうな。

そんなことあったら…。

あったらいいな。


茉莉「よし。」


腹の底からやりたいことが、

やらなければいけないと

思うほどのことができたのだ。

妙な焦りと仄かな嬉しさがじんわりと滲む。

味で言うならば

甘しょっぱいようなものだろう、

相反するような感情が

絶妙な具合で混ざり合っている。


体の中でごう、と

血液が巡る音がした。

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