心残りを削って

茉莉「ただいまー。」


兄ちゃん「おかえりー。」


連日学校に行く日々。

それも金曜日である今日で

一旦区切りとなる。

来週には3連休もあることだし、

それだけをモチベーションに

学校に通っているまである。

高校に進学すると決めたのは茉莉だけれど、

毎日元気に通って

能動的に勉強して…というのは難しすぎた。

疲弊しながら家については

自分の部屋に鞄を放る元気もなく

ソファの横に鞄を寝かせて

茉莉もソファの上で寝そべった。

食卓に座っていた兄ちゃんは

背持たせに隠れて見えない。

仰向けで天井にくっつく

電気を眺めていた。


兄ちゃん「そんな疲れた?」


茉莉「疲れた。考えてもみなよ、金曜日だよ。」


兄ちゃん「確かに。」


茉莉「しかも、月曜から金曜まで毎日6時間勉強して帰ってくるんだよ。」


兄ちゃん「確かに…!ってお前はほとんど寝てるだろ。」


茉莉「たまに。」


兄ちゃん「たまにかい。寝てんだよ。」


茉莉「兄ちゃんは高校生の時どうだった?」


兄ちゃん「そりゃあずっと起きてるし、手あげて答えてたし、クラスメイトが困ってりゃ」


茉莉「本当は?」


兄ちゃん「マジで毎時間爆睡。」


茉莉「駄目だこりゃ。」


ソファから腕を垂れさせて

スマホを撮ろうとするも

それすら億劫になってしまって、

つけっぱなしだったテレビを見る。

夕方のニュースがすでに始まっており、

直近で話題になっていたものが

報道されていた。


兄ちゃん「でも俺は寝てた分全部部活に回してたかもな。」


茉莉「あー。」


兄ちゃん「ま、言い訳ってこった。」


茉莉「んだね。」


兄ちゃん「言うなあ…。」


茉莉「2月になったね。」


兄ちゃん「それは昨日言うべきやつじゃないか。」


茉莉「なんか今ふと思った。」


兄ちゃん「学校はいつから春休み?」


茉莉「3月下旬。」


兄ちゃん「うお、じゃあまだ学校あるな。」


茉莉「兄ちゃんはもう休み?」


兄ちゃん「おう。就活準備しながら時々バイト行って、って感じだな。あと遊ぶ。」


茉莉「1番最後がメインでしょ。」


兄ちゃん「そりゃあ人生の夏休みだからな。」


茉莉「就活っていつ終わるの。」


兄ちゃん「人によるけど夏前に終わってたら良いねって感じだろうな。」


茉莉「じゃあ夏に終わるとして、その後の半年くらいは何するの?」


兄ちゃん「人によるけどなあ…その間にリゾートバイトとかで稼いでる人もいるし、とことん遊ぶ人もいるし。兄ちゃんは圧倒的後者だな。」


茉莉「うお。予想通り。」


兄ちゃん「やること終わらせてから死ぬほど遊ぶのは気持ちいいぞ。」


茉莉「やることねぇ…。」


兄ちゃん「宿題やったか。」


茉莉「帰ってきたばっかだよ。」


兄ちゃん「それもそうだ。よし、宿題をやってこい!」


茉莉「こんにゃろー。」


やってやらぁ、

そう言いかけて、

なんだか乗せられているようなのが癪で

結局寝返りを打って終わった。

うつ伏せになって今度は

眠るように腕で枕を作る。


明るい話をしていると

気が紛れているのがわかった。

けれど、紛れるだけであって

煙の奥底に見える炎の根源が

いつまでも脳内でチラつくのだ。

その火の粉がたまに

茉莉の顔にまで飛んでくるようで、

その度に思い出させられる。

できるのであれば

忘れてしまいたかった。

忘れれば楽だなんて

よく言ったものだ。


そういえば、篠田さんがいなくなった時、

正しくは透明になった時、

茉莉は綺麗さっぱり忘れていた。

その時は、非道かもしれないが

全くと言って良いほど苦しくなかった。

反面、羽澄が茉莉とのことを

覚えていないと言った時は、

とことん痛かった。

覚えてしまっている茉莉だから

こんなに痛むんだ、と。

忘れていたらそもそも

会おうなんて気持ちにはならない。

覚えていたからこそ、

覚えてしまっていたからこそ、

痛くて痛くて仕方なかった。


その前科があるからこそ、

忘れることは怖いと思うと同時に

痛くないと思ってしまう。

でも、忘れられない間、

茉莉は追うことしかできない。

目を逸らせるほど

大人になりきれないまま。


茉莉「ねー。」


兄ちゃん「ん?」


茉莉「茉莉、10年前に一緒にいた友達を見つけたじゃん?」


兄ちゃん「この前会ってきた人だろ?」


茉莉「うん。」


兄ちゃん「よかったな。10年ぶりに再会できることなんてあるのかって思ったよ。」


茉莉「茉莉も。…それでさ。」


兄ちゃん「何だ?」


茉莉「…その。」


兄ちゃん「話したくないなら話さなくても良いけど、話さなくちゃわかんないぞ。俺、察し悪いから。」


茉莉「ダサいこと言ってる?」


兄ちゃん「いいや、かっこいいこと言ってる。」


茉莉「そっか。」


兄ちゃん「ほんで?」


茉莉「……んー…その、さ。生みの親を探したいなって。」


言葉は尻窄みになりながら

それを口から吐いていた。

どう思われるかが怖くて、

それ以上にその次に

茉莉に向かって放たれるであろう

矢のような声が怖くて

今まで言えなかった。

けれどいってしまった。

こんな感情を持つのであれば、

やはりいつぞやに湊が言っていた

「何を話さないかの方が重要」は

的を射ているのだと再認識する。


兄ちゃんは「ほーん」と言ったのち

しばらくの間黙り込み、

何秒、何分経たのかわからない頃、

漸くまた口を開いた。


兄ちゃん「おかんには聞いた?」


茉莉「え、うん。昨日聞いた。」


兄ちゃん「その様子駄目だったと。」


茉莉「そう。じゃなきゃ兄ちゃんに聞かないし。」


兄ちゃん「だよな。まあ、駄目っていわれる理由もわかってるんだろうよ。」


茉莉「危ないから。」


兄ちゃん「ざっくり言うとそうかもな。それに、茉莉にゃちょっと難しいかもしれないけど、元の親のところに戻りたいって言ったらどうしようってなってると思うぜ。」


茉莉「…それも考えた。」


兄ちゃん「これまでの10年間、1回もお母さん、お父さんって呼んだことないだろ?」


茉莉「…うん。いつだか呼んでみようと思ったけど、なんか違うなって。」


兄ちゃん「茉莉は年齢以上にしっかりしてて強い子だからな。余計心配になるんだよ。」


茉莉「強いと安心するもんじゃないの?」


兄ちゃん「まだまだだなあ、妹よ。」


茉莉「…?」


兄ちゃん「弱みを見せれる相手を持っているからこそ強いってもんさ。言うだろ?依存先は多い方が自立してるって。」


確かに、後半の言葉は

ネットかどこかで

耳にしたことがあった。

あの時はまだ中学生だったからか

あまり理解はできなかったけれど、

高校生になって

いろいろなことを経験する中で

なんとなく咀嚼できるようになってきた。


1人だといつか限界が来る。

今度は曝け出すことが怖くなる。

そしてまた抱えるしかなくなる。

この繰り返ししか

方法が取りづらくなってしまう。

別の方法が見つけづらくなって、

視野が狭くなっていって

自分の足元しか見えなくなっていく。


育ての親に相談したことは

思えばそんなにない。

中学の時に受験するのか就職するのかで

話し合いをしたくらいだろうか。

そりゃあ心配もするだろう。

自分たちが頼れない存在なんじゃないかと

自信もなくなってしまうだろう。


兄ちゃん「話は逸れたけど…まあ、いろいろあるかもしれなくても会いに行きたいんだ?」


茉莉「うん。」


兄ちゃん「そっかぁ、そこまではっきり言うんなら仕方ねえか。」


椅子を引いたのか、

兄ちゃんは徐に立ち上がったようで、

ソファの裏まで歩いてくる音がした。

次に耳に届くはコール音。

機械の音が耳に届き、

誰に電話しているのか、

はたまた電話をされているのか気になって

気ままに状態を起こして座った。

ちらと見上げれば

耳にスマホをあてている。

コール音が鳴りながらも待っているあたり、

電話をかけた側なのだろう。

ほんの少しして、電話先の相手に

繋がったようだった。


兄ちゃん「もしもーし。…おー、こっちは元気よ。」


いつものトーンで話す彼を横目に

テレビを眺める。

夕方のニュースから

時間の短いちょっとしたバラエティへと

変わっていた。


兄ちゃん「んー、ん。はいはい、それね。あとで送っとくから。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「そのことじゃなくてさ。……。そう、本題があんだよ。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「茉莉がな、ほんとのお母さんを探したいんだと。……。あ、昨日も聞いた?」


茉莉「…!」


はっとして振り返りそうになるのを堪えて

肩が上がるだけに収まっていた

自分を褒めたい。

てっきり友達と電話しているのかと思ったが、

どうやら久美子さんと話しているらしい。


兄ちゃん「今回ばかりは本気でしょ。だってちょっと前にその同じ施設から逃げて来た子を自分の力で探し出して会ってきたんだから。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「……。まあ心配なのは重々わかるさぁ。おかんは心配性なところもあるしなおさら。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「……。うん、うん。……。そうだな。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「でもな、しっかりしてんだよ。2人暮らししてると結構見えてくるものもあってさ。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「おー。……。まぁなー。言わんとすることもわかる。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「でももうよちよち歩きしてる子供でもねえしさ。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「出会いが出会いなだけに一層不安はあるんだろうけど、大丈夫。そろそろ子離れの時期じゃねえか。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「……。ははは。んだな、俺よりしっかりしてるわ。」


茉莉「…。」


兄ちゃん「すぐそこに茉莉いるけど変わる?」


茉莉「…!」


兄ちゃん「……。はい、はーい、わかったー。」


「ん」と言葉にはせず、

ソファの背もたれ越しに

スマホを渡して来た。

伸ばされた手から上を

見上げたくなくて、

俯いたままそれを受け取る。

手が微かに震えているような気がした。

冬なのに、あれかな。

ヒートテックもきてるし

暖房も付いているからだろう。

汗ばんだ肌が服に触れる。


茉莉「もしもし。」


久美子『もしもし、聞こえる?』


茉莉「聞こえるよ。」


久美子『話、聞いたよ。私としてはまだ不安だけど……でも、本気なのよね。』


茉莉「うん。もし久美子さんから聞けなくても、自力で探すつもり。」


聞けなかったとしたら

羽澄に施設の場所を聞いて、

知っていたらその場所に電話するか

自分の足でその場所まで行く。

もし羽澄が施設の場所を知らなかったら

全国の児童養護施設を書き出して

一件一件電話をしていくしかないのだろう。

けれど、そこまでして

母親を探したいと思ってしまった。


久美子『…わかった。』


茉莉「…。」


久美子『いつまでもはぐらかしているわけにはいかないものね。』


茉莉「…ありがとう。」


久美子『ううん。こちらこそ待っていてくれてありがとう。生憎、お母様がどこに住んでいるかはわからないのだけど、施設の場所はわかるわ。』


茉莉「うん、お願い。」


久美子『場所なんだけどー』


茉莉「…。」


静かにその言葉を耳にする。

何年も聞いていた声だったのに、

なんだかたった今だけは

知らない人の声のようだった。

きっと久美子さんも

強張っていたのだと思う。

そっか。

怖いのは茉莉だけじゃないんだ。

久美子さんだって

教えることは怖かったんだ。


聞こえて来たのは

青森県から始まる住所だった。

「後でメッセージで送っとくわね」、

その文字列が電波を通して伝う。


茉莉「ありがとう。」


久美子『じゃあまずはそこに電話するのかしら。』


茉莉「あ、それで相談なんだけど…もう直接言ってその場で聞いて…んで、一気に生みの親を見つけるまでしようと思うの。」


久美子『え、一気に?』


茉莉「そう。」


久美子『いつ頃?』


茉莉「来週末の3連休。」


これは前々から時折考えていたことだった。

ずっともやもやし続けているのも嫌だし、

できることであれば

短期決戦にしたかった。

ゲームだってそうだ。

長々とランクを上げるよりも

いつも早くに終わらせてしまう。

そっちの方が期限に追われなくて

のびのびと遊べるから。


…結局が気が向いているだけかも

しれないけれど、

それなら今だって

その衝動に任せた方がいいと思った。

このまま生みの親のことが

どうでも良いと思ってしまったら、

それこそもう出会う機会はないだろう。

そう直感していた。

欲にも賞味期限があるのだから。


久美子『…突然なことね……けど、わかった。』


茉莉「…。」


久美子『来週末、久しぶりに帰省して来なさいな。直接施設まで行っても良いけど、ちょっと田舎の方だから時間かかるかもしれないし。』


茉莉「うん。」


久美子『…来週こっちの方に来てお母様を探すなら…ひとつ、条件をいいかしら。』


茉莉「…?」


久美子『1人で行かないこと。お友達でもいいから誘っておいでなさい。』


茉莉「兄ちゃんは?」


兄ちゃん「何が?」


茉莉「来週末暇?」


兄ちゃん「インターンあるけど何か?」


茉莉「なるほど。」


兄ちゃん「え?」


茉莉「わかった。久美子さん、友達でもいいんだね?」


久美子『ええ。彼氏でもいいわよ。』


茉莉「まだいないんだなーこれが。」


久美子『いつでも待ってるから。』


久美子さんはくす、と

楽しそうに笑った。

そこで漸く緊張の糸が

解れたことを理解する。

自然と口角が少し上がっていた。


急に話を振られた兄ちゃんは

何が何だかわからず

きょとんとしていたけれど、

茉莉が笑っているのを見て安心したらしい、

食卓に戻る音がした。

きっと足を組んで

テレビでも見ているのだろう。


久美子『日程はまた話し合いましょう。必要であればお宿もとるから。』


茉莉「何から何までありがとう。」


久美子『いいえ、このくらいしかできないから。』


茉莉「…じゃあ、また。」


久美子『ええ、気をつけて。』


兄ちゃんに変わるか

聞くのを忘れてしまったけれど、

それを問う前にぷつりと

電話は途切れてしまった。

耳からスマホを話す。

その跡がわずかに残っていた。


兄ちゃん「なんかよさそうじゃん。聞こえてないからわかんねーけど。」


茉莉「うん。それがねー」


最初からスピーカーにして

話していればよかったかななんて思いながら

久美子さんと話したことを

そのまま伝えた。

来週突如向かうことになって

兄ちゃんもびっくりしていたけど、

「行動力だけは化け物級だな」と

笑って肩を叩かれた。


突発的ではあるけれど、

もし母親のことを抜きにしたら

ただの東北旅行だ。

…少しくらいは楽しむ気持ちも持って

雪に足を踏み入れられたらいいな。

それこそ、お母さんと一緒に。

そう微かに願うばかりだった。

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