4.霊視スケッチ

「……って病院でまで勉強!?」

 ベッドの上の紫珠があきれた声を上げる。

「歴史の本、読んでるだけですけど」

 脇のパイプ椅子に座った僕は、そっちを見ずにぶっきらぼうに返事をした。五年生で学級委員になった僕は最近、欠席している紫珠にプリントを届けるようになった。ランドセルを膝上に乗せて、それを台にして読書をするというのが僕の基本スタイルだ。

「明文ってガリ勉だよね〜」

 どこかからかうようなその言葉に、僕はちらりと目線を上げた。紫珠はなにがそんなに楽しいのか、にこにこしている。

「は?」

「だっていっつもテスト百点じゃん」

 なんだ、そんなことか。僕はまた本に目を戻した。

 会話が続かなくなる。しばらく、紫珠が紙に線を走らせる音だけが病室に響く。紫珠が使っているのは、文房具屋によく売っている安めのシャープペンシルだった。紫珠はまだクラスでシャープペンシルが禁止されていた小学三年生の頃からこっそりこのシャーペンを使っている。

 さっきから描いては消し、描いては消しを何度も繰り返している。


「小学校のテストなんて、授業でやったことしか出ないし。それにガリ勉っていうのは四六時中いっつも勉強してるヤツのことだよ。僕は違う」

 紫珠は、集中すると僕の存在をよく忘れる。僕はそのことに耐えかねて、さっきの話題をまた蒸し返してしまう。

「違くないよ、明文もいっつも本読んでるじゃん」

「そういう古坂はいっつも絵描いてるじゃん。それと同じだよ」

「だってわたし、絵を描くひとになりたいんだもん」

 僕の皮肉を意に介さず、紫珠は夢見るような声を出す。

「絵はどこでも、病院でもこうして描けるじゃない?」

「勉強もできるけど」

「それはぁ……脳に悪影響があるかも」

 ……いや、そんなわけないだろ。

「じゃあ明文も描きなよ、絵」

「なんでだよ」

「明文が絵を描いたら、その分わたしも勉強する。これでおあいこでしょ?」

「意味不明」

 不毛なやりとりを続けていると、病室の扉がそっと開いた。現れたのは、背が高くて綺麗な女のひとだった。僕らはぴたりとおしゃべりをやめる。

「紫珠。あまりはしゃいじゃダメよ。熱があるんだから」

 開口いちばん、女のひとは紫珠をやさしくたしなめた。それを聞いて僕は、たぶんこのひとは紫珠のお母さんだと思った。仕事がいそがしくてあんまりお見舞いに来れないって紫珠は言っていた。僕も今日はじめて会う。

 紫珠のお母さんは、僕に視線を移すと、にこっとした。

「お見舞いありがとう。ええとどなた?」

「中川明文くんだよ、ママ」

 と紫珠が機嫌良く口を挟む。

「ああ。同じクラスの。娘がいつもお世話になってます。最近よく来てくれてるんですって?」

 にこにこしながらお母さんは言った。大きな目と小さな口。顔のパーツは紫珠によく似ているけど、なぜだか笑顔はつくりものっぽく感じた。

「学校で配られた手紙とか持ってきただけです。学級委員なので」

 僕は遠慮がちに答えた。

「それはご苦労様。でもあんまり紫珠のことしゃべらせないであげてちょうだいね。早く治して学校に行きたいのはこの子だってやまやまなのよ」

 笑顔のままで、おおげさな抑揚で話す。その言葉のなかに僕は、トゲと呼ぶほどではない、だけど遠回しに迷惑だって言われているようなざらつきを感じた。

 でもそうだよな。元気すぎるせいで忘れるけれど、紫珠は入院患者なんだから、おとなしく寝てないと。

「すみません」

 急に居心地が悪くなった僕は、会釈してさっさと立ち上がり、本を片手に持ったままランドセルを肩に背負った。お母さんの視線が、退室するまで僕についてくるのを感じながら。

「失礼しました」

 振り返らずに、扉の把手に指をかける。

「あ、明文――」

 紫珠があわてたように、僕の名前を呼ぶのを背に受けながら。


 *


 病室の扉を開けた――のと同時に目を覚ました明文は、覚えのない光景にしばらくぼーっとなる。

 その天井は通常の家屋の一階にしては高く、マス目状に木桟が巡らされ格子模様になっていた。

 さらに、お香のような濃厚で複雑な香りが鼻腔をくすぐる。

 なんとなくここが寺社仏閣的な建物だということは察しがついた。

 それと自分はどうやら畳に敷かれた布団の上に寝かされているらしい。

 しかしいったいなぜ、いつの間に運ばれたのだ?

 自分はついさっきまでなにをしていたのだったか。

 直前の出来事を思い出そうとするも、ひどく混乱してしまう。


 病室——いや、教室で。僕は……。


「目ェ覚めたか」


 声におどろいた明文は、がばっと布団を跳ね退け跳び起きた。

 いままで気配すらも気づかなかったが、すぐ傍らに、いかにも屈強そうな若者が正座している。

「おおわりぃ、怪我人をおどろかせちまったな。だが、心配すんな。ここは安全だ。俺は土門どもん鹿助ろくすけつちもん鹿しかたすけると書く」

 腹の底から響かせる声で名乗った男は、よっ、と手を挙げ白い歯を見せて笑いかけてきた。さっぱりとした短髪に精悍な顔立ち。武道の選手か、もしくはアメコミのヒーローのような印象を受けた。

「どうも」

 明文はおずおずと会釈を返す。まだ少し頭が痛み、くらくらする。無言になる明文に、鹿助は少し勢いを緩めて声をかけてきた。

「覚えてるか、あんた教室で気を失ったんだ」

 ああ……そうだった。

 どくんと頭の血管が脈打つのと同時に、一気に記憶が押し寄せる。

 教壇に立ち、朝のホームルーム。出席点呼の最中だった。だんだんおかしくなる子どもたちの発言――焦点の合わない目で狂ったように笑い続ける姿を思い出して、ぞわりと身震いが起きる――そして明文ははっきりと目にしたのだ。欠席者の席に座る、歪んだ古坂紫珠の亡霊を。

「俺があんたを学校からここへ運ばせてもらった。突然お邪魔して失礼したが、緊急だったもんでな」

 そういえば意識を失う直前、勢いよく教室の扉が開いて、身体がふわりと宙に浮いた感覚があった。あれはこの鹿助が、自分を担ぎ上げたためだったのか。

「ここは、どこなんですか」

 渋滞する質問のなかから、明文はやっとのことでそのひとつを選ぶ。

「県内のとある神社だ。あんたの職場からは車で二時間ぐらいだったかね。そして俺は、この神社の神主を務めている」

 鹿助はどこか誇らしげに、胸に手を当てた。言われてはじめて、彼の服装に意識が向く。清潔な白衣に、深い紫色の袴。アメコミのヒーローにはミスマッチな神主装束だった。

 明文はその格好に遠慮がちに目をやりながら考える。神職の人間のだれもがそういった類の能力持ちというわけではないことは心得ているがこの状況、鹿助はどこかで自分の身の回りで起きている不可解な現象について知り、救出しに来てくれたのではないか。

 でもどうやって知ったというのだろう。そこは謎だった。明文が怪奇現象に悩まされていることを打ち明けたのは、直接面識のない霊媒アイドルの凜華ただひとりである。しかもチャンネル公式アカウントに一方的にDMを送りつけただけ。読んでもらえているかすらわからないのだ。

「今朝のあれは、集団催眠状態のようなもんだな」

 どこからどう話を聞き出そうか考えていると、鹿助のほうから口を開いた。

「集団……催眠……」

 ぎょっとしながら明文は、はやる気持ちを落ち着かせて聞く。

「どうして子どもたちが」

「そりゃあんたに取り憑いてるヤツのせいだ」

 鹿助は平然と言ってのけた。

 内心ずっと恐れていたことだったが、「取り憑いている」とはっきり言われたのははじめてで、さすがに動揺してしまう。

「あ、子どもたちはあのあとすぐ正気に戻ったから安心してくれ」

 さっぱりとした口ぶりからは、嘘や隠し事をしているようには感じられない。だがそうは言っても、呑気に安心していられるわけではなかった。

 自らに取り憑いているもの。その正体が昔仲の良かった少女の霊であることは間違いない。ここ数ヶ月、度重なる心霊現象に悩まされてきた。恋人からの誤解と破局、怪我まで負った。

 今回、それがとうとう自分が担任を受け持つ児童にまで及んだということになる。教師としてなによりも守らなければならない子どもたちを、巻き込んでしまったわけだ。

 罪悪感で、ずしりと胃が重たくなる。

「そう気に病むなし」

 鹿助は至極穏やかに明文を諭した。神に仕える職業ゆえだろうか、鹿助の言葉にはどこか心を落ち着かせる不思議な力強さがあった。

「あれをちょっと見てくれ」

 不意に鹿助は布団の足元を指し示す。さっき跳ね飛ばした布団の隙間から、畳まれたスケッチブックがのぞいていた。小学校の図画工作の授業でも使用する、見慣れた黒と黄色の表紙だ。

 見てくれ、と言われたからにはためしに最初のページを開いてみる。するとそこに現れたのは、茶色い毛並みのうさぎだった。色鉛筆のスケッチ画。やさしい色彩とほんわかとしたタッチの絵柄は、絵本のイラストによく似合いそうだ。

 次のページには、今度は一変して青い海に白い船が何隻か停泊している、港町の情景らしき絵。どこか観光地だろうか。これもまた色鉛筆だが、水面に反射する柔らかい光の一粒一粒が見事に表現されていた。

「俺が描いた」

 鹿助は堂々と言った。失礼ながら真っ先に意外だと思ってしまった。筋骨隆々の体躯の持ち主だし実はスポーツ選手なんだと言われたほうがまだ納得できた。絵を描くにしてももっと力強い筆致を想像する。なにせ本人がジョジョや刃牙のような劇画風なのだから。

「意外だと思っただろ」

「はい……あ、いえ」

「ははっ、よく言われる。でも俺がみてほしいのはいちばん最後なんだよ」


 言われるがままにページをめくった明文は、目を見張った。


 古坂……?


 病室のベッドの上で、備え付けのテーブルに向かい、絵を描く少女。肩口でまっすぐに切りそろえられた髪に、窓の外の夕陽が透けている。

 ページの下のほうに少女がこちらを向いている顔のアップも描かれている。後ろ姿も。そのどれもが、明文の記憶に残っている。


 そのページに描かれていたのは、紛れもなく古坂紫珠だった。


 だけど、どうして。

 古坂と知り合いだったのか、この男。いや、それにしたって……。


 言葉を失っている明文に、鹿助がさらりと言った。

「あんたを霊視して、描いたんだ」

 れいし……?

 戸惑いを隠さずにいると、鹿助が仁王像のように太い眉をしかめた。

「さてはその顔、あんた俺のことを霊感商法詐欺の悪徳業者だと思っているな?」

「いえそこまでの発想はなかったです」

「俺の霊視は、人やモノ、あとは土地に、特に強く残っている記憶や思念を、色や形として感じ取ることができるってもんだ。他人の思っていることを読み取るのと、少し似ているな」

「……はあ」

「つまりそのスケッチは、あんたの周囲を霊視して、みえたものを絵的に表現してみたってことさ。実在の人物の見た目にそこまで寄ってるかどうかは知らねーんだが」

 にわかには信じがたいほど超能力めいた芸当だが、実際にスケッチ画を目の当たりにしている手前、疑う気持ちも湧いてこない。

 だってそこに描かれていたのは、ぞっとするほど紫珠だったのだ。

 写真のようなとか、写実的なとか、そういう意味とはまた違って、あくまで色鉛筆によるふんわりとしたラフスケッチだ。なのに。なにがそう思わせるのかは、明文にも定かではない。ただその少女像が纏う空気が、完全に紫珠そのものなのだった。

「断りもなく、すまんな」

 たしかに、簡単に言えば頭の中を覗かれたということだから本来ならあまり愉快な気はしないはず。でも不思議と腹は立たなかった。

「あんたのなかにもこの子への感情が渦巻いてるのがみえるし、あんたの周囲にもこの子の念みたいなものを強く感じた」

 鹿助の言葉にぎょっとする。

「念ですか。それって、怨念……みたいなものでしょうか」

 霊媒アイドルのチャンネルを視聴しているせいで、自分にも若干の知識があるのだ。思いついたワードを口にしてみる。

「いいや、そういう負の情念ならもっと絵にもそれが表れるはずだ」

 鹿助は断言したが、このふわふわとした画風でどのように怨念が絵に表れるのか、明文にはまるで想像がつかなかった。

「けどこの少女の思いの残滓は、あんたの持つ記憶と、互いに引き寄せあっている状態だ。それが今日みたいな怪奇現象を起こしてる。今日だけじゃない。いままでもあんたの家や職場に、何回か現れているんだろ? 彼女は」

 心臓を突かれたようにどきりとした。まだほかの怪奇現象のことについては話していなかったはずだが。

「……それも、霊視でみえたんですか?」

 すると鹿助は意味深な目配せをして、

「一ページ前に戻ってみてくれ」

 と言ってきた。言葉通り、明文はスケッチブックのページを一枚、前にめくる。

 見開きの片ページを丸々使っていっぱいに描かれていたのは、建物の外観を、下から写生したような構図だった。三階建ての茶色い建物で、手前に花壇と駐車場がある。

「この場所、どこかわかるか」

 鹿助の問いかけに、明文はうなずいた。

「この子が――古坂が入院していた病院です。僕も見舞いに何度か行きました。僕自身は子どもの頃から幸い健康体なもので、インフルエンザになったときにお世話になったぐらいですけど」

 まちがいない。

「地元の町医者か。どういう規模の病院なんだ?」

「けっこう大きかったですよ。入院患者もいたほどですから。「青木医院」っていって、地元ではちょっと有名な青木家って医者一家が、一族で経営していました。いまは廃業してしまったそうですけど」

「そうか」

 と言ったきり鹿助は、考え込むように顎に手をやる。明文はおそるおそる聞いてみた。

「あの……この病院が、なにか……」

「いや、詳しくはまだわかんねぇけどな。ただもしかしたら、そのお友だちの、古坂さんの魂、いまもこの青木医院に縛られてんのかもしれねぇぜ」

「え?」

「でも、古坂は僕の家とかに《出て》ますよね」

「それはあくまで、想いの欠片のようなもんが可視化しただけだ。あんたが引き寄せてるからあんたの近くに出る。本体は別にいるんだよ」

「はぁ、……そうなんですか」

「つまりあんたの目の前に現れた古坂さんにいくら呼び掛けたところで、問題解決にはならないってことだ」

「問題解決……」

「そうだ。古坂さんの魂を解放するには、彼女が現世にとらわれている原因を突き止めなきゃいけないってことだ。そしてその原因のてがかりが、ここ」

 鹿助はスケッチブックのページをこちらに向けて、描かれた建物を指差した。

「青木病院にあるってわけだよ、【ぶんたろー】さん」

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