12.「僕」の代わりに写る影

「は……?」


 凛華の発言が理解できず、明文は硬直した。

 凛華は紙垂の枝を両手に持ったまま頭を下げた。

「突然に、失礼なことを申し上げてごめんなさい。ですがどうか、わたしの話を聞いてほしいのです」

「も、もちろんです」

 大きく動揺し、気を抜けば逆に怒り出しそうな心の燻りを感じたが、なんとか気持ちをおさえて冷静にうなずき、明文は居住まいを正す。なんと言われようとも、ほかならぬ凛華さまから賜る言葉なのだから、それは神託と同義である。凛華は明文が理解を示したことにほっとした様子で、話し出した。

「ずっと、考えてたんです。明文さんにいただいたDMの質問の答えを。十四年も前に亡くなった紫珠さんが、どうしていまになってあなたの前に現れたんだろうって。まるで突然、思い出したかのように。けどこれって、順序が逆だったと考えれば自然なことだと思うのですよ」

「逆?」

 思わず聞き返す明文に、凛華はうなずく。

「明文さんが紫珠さんのことを、十四年後のいまになって思い出した。それこそが先だったということです」

「僕のほうが、先に……?」

 紫珠の霊が初めて家で目撃されたのは、大学の同期四人で宅飲みをした約一か月ほど前だ。それより先に、自分が紫珠のことを思い出していたということか。でもそんなのは別に、特別なことではない気がした。日常の些細な一場面でふと彼女に思いを馳せるぐらいなら、十四年間でだんだん減っているとはいえ数え切れないほどあったように思う。

 しかし凛華はなにか確信を持っているかのようにはっきりと答えた。

「ええ、そうです。具体的には、紫珠さんを巡る一連の現象が始まるより、一年前のことです。そしてそのきっかけとなった出来事は、青木病院の閉院だと思います」

「……!」

「明文さんにとって青木病院は、紫珠さんとの思い出が残る場所です。だから閉院と聞いて、あなたはずっと胸の内にしまっていた過去の記憶を掘り起こすこととなったのではないですか」

 たしかに一年前に青木病院がつぶれたニュースを人づてに聞いたとき、明文がまず思いを馳せたのは紫珠のことだった。故人を偲んで墓参りにも行った。

「……でも、そのことがなぜ怪奇現象に繋がるんですか。ましてや、僕がその原因みたいに、そんなふうに言われる心当たり、ありません」

 傷ついた小動物のように弱々しく、明文は言葉を絞り出して抗議した。凛華の言うことに楯突くのは心苦しかったが、こればかりは誤解だ。誤解だと思いたかった。さきほどからなぜか脇にじっとりとかく汗が止まらないが。

「おそらく一年前のあなたの行動が、紫珠さんの魂を呼び寄せたのです」

 凛華は声を落とすと、意味ありげに目を伏せる。

「そしてそれは、いまも継続している。だから紫珠さんは、あなたのそばを離れないのです」

「そ、それって、僕のせい……僕がなにかをしてしまってるからってことですか?」

 急に不安が襲って、明文は思わず声を大きくした。そんなこと言われたら、自分の潔白に自信が持てなくなる。恐る恐る頭のなかを探ってみる。一年前、青木病院がつぶれたときにとった行動。久しぶりにその名前を聞いて、あの病院がどういう場所だったのかをネットで調べる、ぐらいのことはしたかもしれない。

 するとそれまで黙ってやりとりに耳を傾けていた鹿助が、重々しく口を開いた。

「覚えてなくて当たり前だ。無理に思い出そうとしなくていい」

 依然としてなんのことかわからない。だけどなにかしてしまったことについては否定されなかった。

「俺たちはあんたを責めているわけじゃないし、罰したいわけでもない。救いたい気持ちはいままでと同じなんだ。それはわかってくれ」

「……鹿助さんまでそんな……なにが言いたいんです」

 心臓に少しずつ杭を打たれてじわじわと追い詰められているような気分だ。拝殿の空気はひんやりとしているのに、汗は滝のように流れ続けていた。

 鹿助と凛華は、一瞬目を見交わす。

 口を開いたのは、鹿助のほうだった。

「ぶんたろーさん。あんたのなかには、死神がいるかもしれない」

 思いも寄らぬひとことに、頭をガツンと殴られた。

「まさか」

 乾いた笑いが漏れる。

 だが神妙な面持ちで、凛華が続けた。

「ただわたしたちは、その正体に届きそうでまだ届いていません。いま唯一ヒントとなっているのは、おにいさまのスケッチだけなのです」

 鹿助の霊視はたしかに類い稀なる力だと思うが、人間なのだから間違うことだってあるのではないだろうか。

 と抗議の言葉が喉まで出かかったが、遮るように凛華は言う。

「重要なのは病院での霊視画です」

 彼女の信頼は完全に鹿助のほうにあるらしく、明文は少し悲しくなった。特殊能力を持つ神主の兄と二日前に会ったばかりの他人とでは比べるまでもないのだが。

「スケッチブック一冊、まるまる使ってたやつ……ですよね……?」

「ええ。あのなかに一点、気になることがあって」

 凛華はそう言うと、なんだと思います?とばかりに明文の顔を見た。明文は病院でおこなわれた霊視画を必死に思い出していた。

 紫珠と、紫珠の母親と。看護師もときどき。それと歴代あの病室に入院していた別の患者も何人か描かれていた。それから青木医院長――。

「あなたが写っていないんですよ、明文さん」

「えっ」

 虚をつかれた明文は、短く声を上げた。

「紫珠さんの絵はたくさん描かれているのに、何度もお見舞いに来ていたという子どもの描写は一枚もない」

 そんなの言いがかりだ、もう一度見せてくれよ――とは言い返せなかった。あのスケッチブックは、何度も繰り返し眺めたからだいたい覚えてしまっているのだ。でも自分が写りこんでいないことに対しては、そう言われるまで違和感をおぼえなかった。

「たしかに、あの時間内でおにいさまが描出できる霊視画の枚数には限りがありますし、たまたま明文さんのいる場面を写し取らなかっただけかもしれません。これだけなら、まだそんな説明がつきます。ですがもう一箇所、古坂紫珠さんが昔おかあさまと住んでいらしたアパート。そこで描かれたある一枚により、あなたに対するある疑念が強まりました」

 そのときまで気づかなかったのだが、祭壇の前に並べられたお供えもののなかにスケッチブックが置かれていた。凛華はそれをぱらぱらとめくって、縦に向け、ある一枚の画を明文に見せた。

「それがこちらです」

 アパートの二階から見下ろすアングル。手前に赤いランドセルを背負ったボブヘアの少女が。振り返って後頭部を見せつつ階下に向かって手を振っている。階段の下にいるのは彼女の友人だろうか。目を凝らした明文は、あっと声を漏らしていた。

 階段の下から覗き込んでいるのは、かろうじて輪郭は人のカタチをしているが、その中身は真っ黒に塗りつぶされた、影だった。これでは子どもが大人かも、よくわからない。

 絵の中の姿を目にした瞬間、明文の脳裏にこの二日間見ていた悪夢がフラッシュバックする。

 アパートまで紫珠と一緒に帰った僕は、手を振りながら階段を上がっていく彼女を見送って、それから紫珠の母親に出会うんだ。

 その姿を見た僕は、しだいに現在の意識に戻って、あの母親――古坂りえに憎悪を向けた。

「まさか。この姿は僕じゃない。だってこの記憶は、古坂が生きてる頃の、小学生のときの、一年とかよりずっと前の話のはずじゃないですか。そのときの僕が、こんな死神みたいな姿だったわけがないでしょう……」

 否定したい気持ちを隠さなくなった明文は、大きく首を横に振った。頭が酷く痛かった。悪魔のなかにいるような感覚だ。目眩がする。目の前の凛華や、背後の鹿助が、自分を害する敵のような気がしてくる。

「そう、そこがわたしたちにも不明瞭な部分なのです」

 スケッチブックがまた祭壇に戻された。

 凛華は振り向き、静かに説明を続けた。

「わたしの考えでは、明文さんの心の一部は、いまも十四年前に囚われ続けている。青木病院の廃業とともに、あなたのなかに残っていた黒い感情が、死神の姿をともなって表に溢れて出てきたのではないかと思うのです。それが死神とされるものの正体」

「もし、そんなものがあるとしたら、僕を霊視したときになぜわからなかったんです?」

 この世でいちばん全肯定したい存在だったはずの凛華を前にして、自分でも嫌になりながら、それでも明文は詰問せざるを得なかった。しかしその問いにも、凛華はすでに答えを用意していた。

「おそらくその感情は、普段はあなたの記憶の奥底に眠っているのでしょう。そして、病院やアパートといった、紫珠さんに所縁のある場所で表出する。ただこれは、目にしたわけではないので、あくまで推測です」

 まるで条件下で悪魔的人格が発動するサイコキラーだ――明文のなかで、そんな馬鹿なという荒ぶる気持ちと、もしそうだったらどう償えば、という弱々しい気持ちが綯い交ぜになる。

 そんな明文に向かって、凛華は凪いだ目を向けた。敵対でも同情でもなく、ただまっすぐに、向き合っていた。

「そのため、これよりあなたの一部、黒く染まってしまった半身を呼び出します。そしてその霊視をおこない、あなたの知らないところで死神が実際にこの一年、なにをしたのかを探ります」

 凛華は御祈祷の棒を掲げ持つと、手首をしならせて一度振った。勢いよく、紙の擦れるシャッという音が鳴る。

 その一振りを境界としたかのように、あたりに静寂が満ちた。

 鹿助の気配も消えている。

 身動きができないほどの緊張感に包まれる。

 まだなにか巫女の口説は続いているが、頭に入っては来なかった。酷い腹痛に襲われたときと同じ感覚だ。思考がまとまらない。

 ふたたび聖なる枝が振り鳴らされる。

 巫女の口から発せられる祝詞の声を聞くか聞かないかのうちに、明文は深い意識の谷へと落ちていった。

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