23.エピローグ

「みなさーん! こんにちはろりん、凜華ですっ。動画の投稿、しばらく開いちゃってごめんなさい。たいしたことじゃないんですけど、ちょっと転んで足をくじいてしまいまして。いやあ、最近運動不足なのが祟ったのでしょうか。アイドル時代は、こんなとろくておっちょこちょいなわたしも一応ダンスのお稽古をさせていただいていたんですが、そのときもよく——」


 朝からスマートホンにかじりついて動画視聴がやめられない。凜華の長尺の雑談配信が溜まっていたため、一秒も途切れることなくその癒しボイスを再生していられるのだ。


「というわけでほんとに。みなさんは、心霊スポットに行くことはそうそうないとは思いますが、どこに行く際にも、お足元にはじゅうぶんお気をつけてくださいね」


 にこっ。


 はいっ、と反射的に返事を口に出しそうになる。キモいにやけ顔を、慌てて真顔に戻す。


 凛華が動画投稿をしばらく休んでいたのは当然ながら、青木病院での出来事が原因だった。崩壊に巻き込まれた際に頭を打ってしまったので、脳に異常がないか病院で検査していたのだ。運びこまれたのは駅前に一年前にできたという新しい総合病院で、幸いなことになんの問題もなく二日後には退院できた。

 巷で噂の病院倒壊に自分が関わっていたことを、凛華は徹底的にひた隠しにしている。配信アイドルに炎上の可能性が少しでもあるネタはご法度だ。だからどんなに美味しいネタでと動画や配信内で、それはいっさい語られることはなかった。


「さて、それじゃあ今日もおなじみのあのコーナー、霊障お悩み相談室いきましょうか」


 いつも通り明るく、凛華の配信は進行していく。

 一週間と少し前に明文の送った心霊お悩み相談DMが配信内で読まれることは、もちろんない。わかっていることなのだが、やはり悔しく、そんな自分の傲慢さにはあきれてしまう。

 読まれるお悩みは、家の中でラップ音が聞こえたとか、墓地で肝試ししてから左脚が痛いとか、変な写真が撮れちゃったんですけどこれって心霊写真ですか? とか、明文自身が体験した騒動に比べると、しょうもない案件ばかりで笑えてくる。画面のなかの凜華も、自分に笑いかけてくれているような気がした。というのはまあ虚構だが。


 病院の倒壊は、翌日の新聞の地域版では大きく報じられた。ネットニュースにもちょろっとした記事が上がっていたらしい。

 それによると、なぜか青木病院の建物は、シロアリが原因で老朽化にともない梁が朽ちて崩壊したことになっていた。

 木造住宅でもないのにそんな事態が起こるわけない……とだれかが少し考えればとたんにボロが出てきそうな誤魔化しなのに、なぜだか世間は騙されていて、かなり無理ある言い分がまかり通っていた。

 行政が処理しなければいけない面倒な廃施設だったから、壊れてくれただけでもいくらかありがたく、いちいち追及しなかったのかもしれない。

 青木家の長男がずいぶん前に亡くなっていたことも、病院倒壊の一件をきっかけに少しだけ報じられた。ネットの掲示板でも一瞬ネタになり、ご近所ではちょっとしたゴシップになった。

 けれどきっと何か月かしたら、話題にのぼらなくなるだろう。

 青木医院長の奥さんが早々に引っ越したという話も聞いている。施設に入ったとか病院に入ったとか、噂が飛び交っているが、ほんとうのところはだれにもわからない。

 今後、倒壊した病院の残骸は片付けられて更地になり、その横に大きな空き家が誕生することになるだろう。

 一応事故物件になるわけだが、いつか買い手がつくのだろうか。


「あ、あのぶんたろーさん……」

 背後から凛華に声をかけられて、ばっと振り向くと同時に、

「いつまで配信みてんだこの野郎!」

 わしゃわしゃっと髪を掴まれたかと思いきや、その頭をぶんぶん揺さぶられる。

「うああ、えっと、おはようございます」

 病院の崩壊から一週間。明文は療養中と称して、なんとなく神社に居候してしまっていた。だが、ここで過ごすのも今日で最後だ。今日からようやく、職場に復帰する。


 談笑していると縁側に、また人懐っこい黒猫が遊びに来た。「朝なのに、夜」と笑いながら凛華が戯れる。

「あの場所からはもうなんの気配も感じないんですか?」

 明文はこっそり聞いてみた。

 凛華は少し考えたのち、きっぱりと答えた。

「病院に溜まっていた地縛霊も、死神も、すっかり消失して、土地は浄化されてしまいました」

「それは……言わずもがな、凛華さんのお祓いのおかげでってことですよね?」

 しかし凛華は、明文のその問いにはゆるゆると首を振った。

「わたしがなにかしたわけじゃないんです。実は、祓の儀は最初のほうで中断してしまっていました。だから浄化はわたしの力ではありません。たぶんかれらは自然と、かれらの意志であの場所から消えたんだと思います」

 黒猫を撫でながら、凛華は遠い目をした。

「死神になってしまった青木俊平は、すべてを破壊することではじめて、あの病院から解き放たれて自由になれたのかもしれないですね」

 そうであってほしいと願いをこめて、明文も遠くに目をやった。


「そういや」と鹿助が声を出した。

「あの例のアパートから飛び降りたっていう身元不明の飛び降り遺体についてだが、警察のほうで正式に、古坂恵子のものだと断定されたらしいぞ」

「そうですか」

 いつか知ることになると覚悟はしていた報告だけれど、明文は表情を少し曇らせる。

「どうやら古坂恵子には数年前からアルコール依存症とうつ病の診断が下っていたらしく、もともとかなりヤバイ状態だったようだな」

「そうだったんですね」

 明文のかけた死神の呪いが、死の選択の引き金となったのかどうかもちろん証明するものはなにもない。だけど彼女に一時的にでも殺意を抱いてしまったことは、やはり否定できない。だからこの罪の意識は、一生背負うことになるだろう。

「このことは、土門家が有する独自の情報筋から特別な許可を得て教えてもらった話だ。公にはならねぇ。あくまで内密に、お願いしたいってことだ」

「そんな秘密なことを教えていただいて、大丈夫ですか? 僕がバラしたら鹿助さんが怒られるってことですよ?」

「バレないから平気だ!」

 豪快に笑い飛ばす鹿助をあきれ顔で見ていると、以前はイライラしたものだが、いまはなんだか気持ちが晴れやかになっていく。

「そろそろ僕、仕事行きます」

 名残惜しいが、元はと言えば会うこともなかったはずの人物たちに、気を引き締めて別れを告げる。

「お世話になりました」


「はい、いってらっしゃい、ぶんたろーさん」

 凛華は花の咲くようにふわりと微笑んだ。


 *


「いやあ〜、おかえりなさい、中川先生」

 校長に挨拶と休養のお詫びを終えて戻ってくると、職員室で山城先生が大げさに両手を広げて迎えてくれた。明文は心を込めて、深々と頭を下げた。

「長いあいだほんとうに、ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」

「命に別状がなくてほんとよかったわ」

 どのように伝わっているのかわからないが明文は、病院の崩壊現場にたまたま居合わせて事故に遭ったことになっている。

 休養を取っていたはずなのに、なぜあの廃病院の近くにいたのかということについては、もっと怪しまれるかと思ったが、それで一応の納得はしてもらえているようだ。今後、詮索される日が来るのかもしれないが。

「中川先生〜〜! 心配してました」

「ほんとに。災難でしたね」

「あとうちのクラスの子も心配してましたよ。中川先生ってけっこう、高学年女子に人気じゃないですか?」

 と他の学年の教諭たちまで気を遣って声をかけてくれる。自分の表情がどんどんぎこちなくなっていくのがわかる。

「ご心配をおかけしましてすみませんでした。まだしばらくは、お力をお借りすることになりそうですが……」

「先生なんか、厄落としとかされました?」

 不意に、山城先生が聞いてきたので、

「え?」

 と思わず素の声が出る。

「前より表情が明るいから」

「そうですかね……」

 いまの流れでうまく笑えていたとは思えないのだが。

 厄落とし、と言えばそうなのかもしれない。

 十四年分のしがらみから、解放されたのだから。

 一週間前、五年生の廊下の階段から落ちて腕を骨折する前の自分とは、同じ気持ちであるはずもなく。心の奥が変化しただけだと思っていたが、案外見た目にも出るものなのかもしれない。

「死にかけて、目が覚めたのかもしれません」

 苦笑いをしてみせながら、デスクの引き出しを開けて、こっそりとふたつの消しゴムを中へ転がした。


「みんなおはよう」

 まだ廊下に数人の男子集団がたむろしていたので近づきながら声をかけた。明文の姿を見つけると、餌を見つけた鳩のようにわあっと駆け寄ってくる。

「うわ、重病人だ!」

「先生大丈夫?」

「中川先生、このクラスのだれよりも学校休んでるよ」

「ほんとにごめんな、これからは健康に気をつけるから」

 子どもたちの笑う声がいつもより明るく響いて聞こえる。きっと気のせいだろう。けれど久しぶりにみずみずしい空気を吸って、少し若返ったような気持ちになる。

「でもさあ、先生のは事故じゃん? 気をつけてても、事故ることはあるじゃん?」

 という網谷くんに、

「はいはい、そろそろ教室入ってね」

 と促す。

 チャイムの音とともに、日常が始まる。

 と思って教壇に立った。そのとき。

「先生、みんなで千羽鶴織りました。早く元気になりますようにって」

 急に立ち上がった学級委員長の池田莉子が前に進み出て、クラスのみんなの代表にふさわしいハキハキとした声で言う。

 びっくりして目をぱちぱちとさせていると、その目の前に、莉子が七色の束を両手に掲げて差し出してきた。

 莉子らしいな、と思う。学級委員長として同じ五年生のとき僕は自主的な行動をなにも起こさなかったのに。キミはそんな僕よりずっとえらいね、と心のなかで声をかける。

「……ありがとう」

 わずかに語尾が震えそうになってしまった。それを耳ざとく聞きつけた男子が、

「泣いてる?」

「やばい、やばい」

 教室がざわざわと、騒がしくなっていく。

 静かにさせるために、危うく紫珠の話を使いそうになる。ごめんなさい、ちょっと大切な友だちのことを思い出してしまったんです。そう喉元まで出かかるのを、飲み込む。

 かれらの前ではこの話は、しないと心に決めたから。

 紫珠と僕の話は、小学生の自分たちの物語であって、自分の生徒の小学生たちと共有すべき物語ではないのだ。

 思い直して前を向く。

「ごめん、もう大丈夫だから。じゃあ今日の出席をとりますね――」


 教室の後方で、紫珠が笑った気がした。








 了

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霊能絵師の怪画帖 廃病院の死神奇談 鉈手璃彩子 @natadeco2

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