16.土門家の兄妹
「じゃああの死神は、まだどこかにいるってことですか」
スーツ姿の男は、明文に記憶を返して去っていったが、その正体と行方は、わからないらしい。凜華は少し悔しそうにうなずいた。
「ええ。残念ながら、そうだと思います。あの場で祓い清めることができればよかったんですが」
「そこで、ぶんたろーを操っていた死神の正体を、この俺の霊視画を使って突き止めるってわけさ!」
威勢よく言い放ったのは鹿助だった。
「今回は量が描けているからな。かなりいろんなことがわかるはずだぜ!」
自信ありげにスケッチブックを広げる。しかしそこに描き出されているものを目にすると、三人とも言葉を失った。
「真っ黒……ですね」
「ええ。これはなんというか、難しい絵です、非常に」
「ぬああ」
畳の上に五体投地する鹿助。普段の鹿助が得意とする、緻密で穏やかな色鉛筆画は影を潜め、黒い色鉛筆でめちゃくちゃに塗りつぶされている。次のページはもっとぞっとするもので、人間のようなそうでないような禍々しいカタチをした黒い影で、画面いっぱい埋め尽くされている。そんなのが何ページも続いていた。
見ているだけで気がおかしくなりそうなスケッチの数々だ。
「落ち込まないでくださいおにいさま。わたしの霊感でなんとか読み解いて見せますわ」
「そうですよ。心霊写真だってこんなふうにうまく現像できてないことよくあるじゃないですか。それと同じで」
「そう、しかたがねえんだ! こいつはほんとうにやべえ悪霊を視たときによくなるやつだから!」
がばっと起き上がる鹿助の前で、明文と凜華は無言で膝をつき合わせ、この難解極まりない霊視画を、間違い探しに興じるような集中力で凝視していた。
「おまえらのやさしさが痛いぞ、逆に」
たまりかねた凜華がページを次へめくった。もう残りページは少ない。
直後。
「あれ、ちょっと待って、これ下になんか描いてあります」
思わず声を上げた明文は、眼鏡を押し上げた。
そのページもほかと同じように端から端まで黒々としていたが、よく見ると黒く塗りつぶされる前に、建物の外観が描かれていたような形跡がある。
塗りつぶされた記憶——。
明文はふと思いついて、そのページ一枚だけをより分けると、部屋の蛍光灯に透かして裏側から見た。今度はさっきよりはっきりと家の形が見て取れる。
「ここって、青木医院長の家じゃないですか。こないだ行った」
抑えた声で、明文は鹿助のほうを見た。破れやしないか心配になるほどの勢いで鹿助の手がスケッチブックをひったくる。
「なに!?」
「青木俊平は、自分のことを青木家の人間だっていうふうに話してました。けど、医院長とどういう関係だったか、そういや言ってなかったな……」
「そいつも医者だったんか?」
「いや、なんか、そうとも違うともとれるようなことを言っていた気がします」
——半人前だったけどね。
彼の発言が頭の隅によみがえる。
「もしかして」
びりりと電流が走ったように、一気に恐ろしい仮説が明文の脳内で組みあがっていく。青木家の人間で、医者ではないが、内部事情に詳しい。青木医院長の裏の顔についても、やたらと知っている。だとしたら年齢的にも、つじつまが合う。
「鹿助さん。もう一度、青木家に行ってみることはできませんか」
「よし、もちろんまかせとけ!」
すでに察していたようで鹿助はびしっと親指を上げた。
その後、鹿助が青木夫人に連絡を取り、明日の十一時にふたたび青木家に赴くことに決まった。
そしてその日の夜も結局、明文はまた土門家にお世話になることになった。
深夜、部屋の外に一歩出ると縁側で凜華が野良猫と戯れていた。
「ひっ、り、凜華さん」
入浴後らしく、凜華はさわやかな花の香を纏っていた。念入りに手入れされた黒髪は眩い天使の輪を冠している。上下スウェットの部屋着姿は配信で見るよりも華奢な印象を際立たせ、すっぴんでも剥きたてのゆでたまごのような陶器肌に目を奪われる。
自分なんぞがその姿を見ては罰当たりだ。とばかりに顔をそむける明文のほうを見て、
「ふふふ、そんな、逃げなくても」
凜華はさもおかしそうに笑った。
「この子夜になるとよく来るんです。なので名前は「夜」です」
黒々とした毛並みの猫を撫でながら、凜華は言った。
「すみません。凜華さんのプライバシーに土足で踏み入ってしまって……今日こそいい加減家に帰ろうと思っていたのですが」
「ぶんたろーさんには、死神がいなくなるまでここで養生したほうが安全だということで……。兄の勝手な申し出で恐縮ですが、どうかそのようにしていただけませんでしょうか。これでも一応、ぶんたろーさんができるかぎり心おだやかに過ごせるよう、兄なりに気を遣っているのです」
「それはありがたいです」
明文は苦笑いをした。鹿助にはいつも振り回されっぱなしで疲れるが、結果的に状況はよくなっているから文句のひとつも言えたためしがない。むしろ感謝すべきだ。鹿助がいなければ、いまごろ自分は路頭に迷っていただろう。
「あ、もちろんわたし自身も、ぶんたろーさんに泊まっていただきたいと思っていますよ」
というのは建前であることはわかっていたけれど、ふふっと天女の微笑みでそのように願われては、断るなどという選択肢はなくなってしまう。
「どうぞよければそこへ、お座りください」
頭が高かったことに気づいて、慌てて少し離れたところに腰かける。
しかし推しのアイドルとひとつ屋根の下というのはラブコメ漫画でもなければありえないシチュエーションだ。同担にバレたら即死刑だろう。凜華がSNSや配信でうっかり漏らさなければバレるはずはないのだが、その万が一が起きてしまったらと想像してひやひやする。
「あのう、ぶんたろーさん?」
「あ、あ、はい、すみません」
気づけば凜華が不思議そうにこちらの顔をのぞきこんでいる。気を抜くと思考停止して鑑賞モードに入ってしまうので注意が必要だった。
「ちなみに兄はとなりの部屋ですが、そちらにはあまり近づかれないよう」
「え?」
となりの部屋? 右奥に位置するのがそうだ。
そういえば最初来たとき、ちらりと見かけた。禍々しい気配が漏れ出ていた気がするのだが。
あそこが鹿助の部屋なのか?
明文が訝るのを見て凜華は話題を変えた。
「悪霊、生霊、魑魅魍魎、そういう人ならざるものに憑かれ悩んでいる人を、探し出して、霊視とお祓いで清めるのが、代々、土門家の神主の仕事なんです」
「そうなんですね」
いまや突然そんな話をされても驚かなかった。ただ自分は運が良かったのだ、と改めて思った。凜華のことはただ霊媒の力を持っているという噂だけで頼らせてもらったわけで、巫女業のことも、神主の兄がいることも、知らずにDMを送った。でもこうして然るべきお祓いを受けられた。凜華の配信者としての活動は、ちゃんと社会貢献になっているのだ。
「霊的な能力は、みんな生まれつき持っているのが当たり前で、世の中の役に立てていくことが初めから決まっていたんです。でも兄には霊感がなくて、わたしには霊視の力がなかった。だからふたりで協力してやっていくしかなかったんです」
生まれたときから将来が決まっている、ということか。
わからない世界だが、窮屈そうだ。となんとなく思う。
「ただ兄は、わたしがほんとはステージの上にあこがれてるってことを知っていて。それで神主としての仕事はほとんど自分で引き受けてくれました。わたしが巫女のお仕事をするのは、ほんとうに霊媒の儀式が必要なときだけでいいって。そうして高校生のときには、アイドルのオーディションを受けさせてもらえました。夢をかなえられたのは、兄のおかげなんです」
うっとりと語りながら、黒猫の首の下を指でくすぐる。来世でいいからそのポジション代わってほしいと思ってしまう。
「それがいまはどういうわけか、心霊系の動画配信が主になってしまいましたけどね。結局わたしには、霊媒しかとりえがないのです」
「そんなことないですよ。僕は凜華さんの霊媒の能力があってもなくても、凜華さん推しだったと思います」
明文は身を乗り出す勢いで言った。きょとん、とあどけない表情がこちらを見てぱちぱちと瞬きし、照れたように逸らされる。
「ありがとうございます」
凜華は青みがかった黒猫の瞳を見つめながら、少し翳りのある笑い方をした。動画内で惜しみなく振りまいている癒しと慈愛スマイルよりも、こっちのほうが自然に見えてしまった。その力のと家柄のせいで、彼女は思っているよりずっと、いままで苦労してきたのではないだろうか。「霊媒アイドル凜華」は凜華の表に出しているごく一部にすぎないのではないだろうかと、明文ははじめて思い至る。安易にその力に頼ったことを少し反省した。けれどそれにしてもやはり、感謝のほうが大きかった。
「鹿助さんは、ちょっとマイペースが過ぎますけど、やさしいんですね、きっと」
「そうなのです! おにいさまのようなやさしいおにいさまはほかにいないと思います」
鹿助のことをほめると、とたんにぱあっと輝く凜華の笑顔。それを見るとやはり嫉妬心が燃え上がってしまい、あいつと仲良くやってはいけなさそうだなと思い直す。
にゃあ、と黒猫がひと鳴きして、凜華の手元をすり抜けると、あっというまに暗闇に溶けていく。
「ただ、安眠妨害されるととても不機嫌になるのです。見境なく備品を破壊したり……だから近づかないほうが良いのですよ」
「わ、わかりました」
あの巨漢がキレて暴れたら恐ろしいかもしれない。明文が素直にうなずくのをみて、凛華は満足げに微笑むと、立ち上がった。
「ではそろそろ、おやすみなさい、ぶんたろーさん」
画面の向こうからではなく、
「わたしの自室は二階ですので、なにか御用の際は遠慮なくお呼びくださいね」
そういうと凜華は一礼して廊下の向こうへと下がっていった。
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