霊能絵師の怪画帖 廃病院の死神奇談

鉈手璃彩子

1.死神さんとお友だち

「明日からまた入院なんだぁ」

 と言って唇を尖らせる古坂ふるさか紫珠しずに、僕はただ一言、

「大変だね」

 と返すことしかできなかった。

「検査入院だから、別に平気だよ」

「ふーん」

 女子と下校していることがクラスのやつらにバレたら、あらぬ疑いをかけられかねない。だから内心僕はヒヤヒヤしていて、念のためちょっと距離をとって横を歩いていた。

 一方で紫珠はというと、自分たちが他人からどう見られているかについてはまったく意識していないようだった。


 肌に触れる風が少し冷たく感じられる季節だった。

 でも僕はかまわず半袖に短パンを着用していた。これぐらいの寒さは寒さのうちに入らない。対して紫珠は、膝丈の襟付きワンピースにピンク色のカーディガンを羽織っている。足元は白いハイソックスにベージュのカジュアルスニーカーで素足の露出がまったくない。紫珠のお母さんは、紫珠のために毎日きちんと外の気温に合わせた洋服を選んでいるんだと思う。

「そういや紫珠ね、病院に行き過ぎたせいで、死神さんと仲良くなっちゃった」

 紫珠が弾んだ声で変なことを言うものだから、僕の眉はぴくりと動いた。

「え、なにと仲良くって?」

「しに、がみ、さん!」

 一歩一歩歩道を踏みしめながら、はっきりと発音する彼女に向かって、

「古坂は、想像力が豊かだよな」

 やれやれと僕は鼻先で笑う。ナントカカントカ症候群とかいう難病を患っている古坂紫珠は、そのせいか心身ともに発育が遅れている、天然な不思議ちゃんだった。

「ちょっと、そんなイタイ人をみるような目でみないでよ」

「もとからイタイ人じゃん」

「ほんとなんだってば。青木医院には死神さんがいるんだよ」

 むうっと紫珠の頬が膨らむ。蒸しパンみたいだ。

「あーはいはい。それで死神ってどんな?」

 しかたなく僕は、紫珠のご機嫌をこれ以上損ねないように話を掘り下げてやる。

 すると紫珠からは、誇らしげにこんな答えが返ってきた。

「死神さんはね、背が高くって足が長くてすらっとしてて、黒いスーツを着てる、かっこいい男の人なんだよ」

「顔はガイコツなの?」

「ううん」

「巨大な鎌を持ってる?」

「持ってない」

「なんだ、じゃあただの人間じゃん」

 僕があきれ混じりに突っ込むと、

「ちがうもん」と声高に反発された。彼女は妙に頑固なところがあって、一度自分の主張を持つとなかなかそれを曲げようとしないのだ。

「死神さんは、紫珠の味方だよって、言ってくれたもん。敵の名前を教えたらすぐに呪ってくれるんだって」

「敵ってだれ?」

「わかんない」

 はーぁ? 僕はあきれてため息混じりの声を上げた。

「そんなのぜったいウソだよ。キミは変なおじさんに騙されてるんだよ」

 なんだよ呪いって。紫珠の話は聞けば聞くほど物騒で胡散臭くなってきた。けどどうやら、死神さんは紫珠の空想の産物というわけでははないようだ。青木医院の――患者だろうか。スーツを着ていると言っているし、だれか入院患者のお見舞いの人なのかもしれない。とにかくそういったあやしげな男が実在するようだ。正直で騙されやすい紫珠は、そいつを死神だと信じ込んでしまっているというわけか。

「それとね、死神さんはね、病院にいるひとたちのなかで、だれがもうすぐあの世へ行くかがわかるんだって。そのひとを最期まで見届けるのが、死神さんのお仕事なんだって」

 軽快な紫珠の口調は変わらなかったが、僕はぎょっとしてしまった。

 ――いや、でたらめを言っているんだってことは、わかっているんだけれど。

 縁起が悪い。……気味が悪いし。

「あ、でも紫珠はだいじょうぶだよ。死神さんが紫珠の順番はまだって言ってたから」

 なんでだよ。どうしてそんなに自信を持ってだいじょうぶとか言えるんだよ。

 紫珠のひまわりのような屈託のない笑顔に、逆に胸がざわついた。

 こっちはこんなに心配してるってのに。

 低学年の頃から学校は休みがち。何度も入退院を繰り返して、調子良く授業を受けている日々が続いたかと思えば、なんの前触れもなく突然倒れて保健室に運ばれたりして。運動会も遠足も野外活動も参加できなかったのに。修学旅行だって行けるかどうかわかんないのに。

 残念だとか悲しいとか苦しいとか怖いとか、そういう気持ちはないのかよ。

 死神と仲良くなったなんて、どうしてそんな不謹慎なことが言えるんだよ。

 考えていたら、なんだか腹が立ってきた。脳天気な紫珠にも、不謹慎な死神男にも、だ。ランドセルの肩紐を握りしめる指に、力がこもった。

「もしそいつがほんとうに死神なんだったら、そんなヤバいやつの言うことは信じられない」

 気づけば低く冷たい声が出ていて、しまった、と思う。ちょっと突き放し過ぎたかもしれない。ちらりと紫珠のほうを盗み見る。

「――じゃあ、明文あきふみは、紫珠がもうすぐ死んじゃうと思う?」

 静かな、澄み切った声にはっとする。紫珠はこちらに顔を向けていて目が合う。肩口でまっすぐに切りそろえられた紫珠の髪は、一本ずつがとても黒く細くて、振れるたびにさらさらとなびく。

「……っ」

 やめろよ、いまそんな話してないだろ。

 となりで、小さな顔に不釣り合いな大きな瞳がぱちぱちと瞬きするのが目に入る。僕は耐えきれず、顔を背けた。

「それは……」

 咄嗟になんて言えばいいかわからなかった。

 一瞬の沈黙が、とても気まずく感じられた。

 けど一呼吸おいたのち紫珠はにやっとして、

「あはは! 残念ながら、まだ紫珠は死にません〜! まだやりたいことあるし」

 と言ってはばたかせるように大きく両手を広げた。僕はひとりで勝手に落ち込んだ気分になりながら、夕刻の空を仰いだ。

 僕の気持ちなどつゆほども知らないからっとした紫珠の笑い声の余韻が、茜色に染まった雲のあいだを響き渡っていった。




 そのわずか二週間後、古坂紫珠は亡くなった。検査入院中に容態が急変して数分、あっという間に、手の施しようのないまま息を引き取ったのだという。


 ……ほら見たことか。死神なんかと仲良くするからだ。連れて行かれたんだよ。


 五年生全員でお通夜に出た。

 たぶん全員が泣いていたと思う。正直言って、女子とか泣きすぎで声がうるさかった。

 僕の目からはなぜか涙は出なかった。

 ただ身体にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚で、どこへも行き場のない怒りをその奈落に落としながら、紫珠の遺影を見つめていた。


 バカすぎだろ古坂。まだやりたいことあるんじゃなかったのかよ。


 虚しいその笑顔に向かって、ずっとそう語りかけていた。


 僕の胸にはひとつの後悔が刻まれた。

 あのとき―—。

明文あきふみは、紫珠がもうすぐ死んじゃうと思う?」

 と聞かれたあのとき。

 真剣に考えて、もっときっぱりと否定しておけばよかった。

 思わないよ、思うわけないだろ。

 ちゃんとそう言えばよかった。

 言霊の力というものがもしあるのなら、僕のその言葉が最後の最後で死神のもとから君を連れ戻すことだって、できたかもしれない。

 ……いや。そんなの思い上がりだ。運命はきっと変わらなかった。でもたとえなんの力も持たなくても、僕は自分の素直な気持ちをもっとたくさん、言葉にして、君に届けておくべきだったんだ。


 伝えたいことはなにひとつ、言えなかった。


 僕は紫珠がいなくなったあの日からずっと、深い後悔の痕とともに生きている。

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