60年代当時のアメリカの生活なんて、一度も体験したことがないのに、懐かしさすら感じてしまうほどの圧倒的な質感があった。
虹乃ノランさんの作品は、その作中世界の住人から見えるなんでもない日常をすごく美しく描いていて、一文一文に魅了される。
主人公が見て、感じたこと、その細部の描写が丁寧で、とんでもなく感情移入してしまった。
全ての描写が見事の一言なんですが、そんな中でも戦場の描写は一体どこからそんな知識を得たのかと怖くなるほど。でも、参考文献を見て納得。質の高い作品は、作者の感性や文章力に加えて、知識も間違いなく必要なんだと改めて実感した。
温かい日常と戦地の落差や主人公の苦悩。決してライトとは言えない、読み応えのある一作で、それでも最後は前を向いて生きていくしかないと思わせてくれる。
ちなみに、同著者の『ベイビーちゃん』という作品も合わせて読むと、より作品を深く楽しむことができます。
本当に無料で読めてしまうのが申し訳ないレベルのクオリティです!
まず初めに、ベトナム戦争のワードで苦手意識を持たないで欲しいです。この物語は単なる反戦やカウンターカルチャーではなく、自分がすべてを失ったと感じた時に、最後は何によって救済されるかを示唆してくれます。そして救いとは、自分を悼み、励まし、今を強く生きること。自分はそのように感じましたが、読む方それぞれが自分の救いについて考えていただければそれで良いのかと。
また描写自体も秀逸で、どうして60年代のアメリカの空気をここまで描けるの? と唸りました。トウモロコシ畑、サニー・デイヴィス・Jr.、レイ・チャールズ……そして伝統的な田舎と反発する若者という構図は、幾多のアメリカン・ポップスが取り上げてきた題材でもあります。もちろんベトナム戦争も。
とにかく丁寧に織り上げられたこの作品、私のレビューなどよりも、いますぐご一読を!
舞台は1960年代のある国で起きたこと。
トウモロコシ農家の息子のベンは、田舎町に引っ越してきたハンナとの出会います。友人とも言えるグレッグはハンナを気に掛けるベンに背中を押したりして、彼女と彼の交流のきっかけを作ったりします。
彼ら三人の穏やかな日々は続く──わけではなく、1960年代の当時はある戦争が起きており、ベンたちはその戦争に巻き込まれていきます。またハンナも彼らに隠し事を抱えていました。
その当時をあらわす雰囲気と描写は文章で読んでいても伝わるもの。
読んでいて切なく、そして戦争を引き起こしてはいけないと改めてわかります。
物語だとしても、この話の中には彼らの生きた証があります。
私は読んでいて彼らの生きた瞬間を見たと思いました。
静かな田舎町で繰り返される単調な日常。
その単調さの中に現れた風は、心を震わせ春風を運んできた。
想いを揺さぶられ、新しい自分を発見し、寄り添う心を育ててくれた。
しかし、生死をかけた激動の日々がやってくる。
単調だった暮らしが一変する。
彼女の元へ、友と共に必ず生きて帰る。
壊されていく精神を抱え、それだけを頼りにただ生き抜くことの苦しさ。
どちらも同じ現実なのに、人の作り出したものとは思えない落差が今もどこかで起こっている。
独り残された彼に唯一あるものは、彼女が教えてくれた絵を描くということ。
生き続けなければいけない彼は、生涯をかけて彼女と共に描き続けるのだろう。
戦争描写のある物語です。幸せなことに戦争というものから距離を置いて暮らすことができており、それゆえ私にとってはリアルなイメージを抱きにくい題材でした。しかし、調べ上げ、丁寧かつ繊細に描かれたこの物語からは、リアルなその場を想像でき、読み進めるほどにゾクゾクとしました。スクロールする指がプルプルと震えました。一気読みしたいと思いつつ、濃厚な文字の連なりに圧倒され、休憩を挟みながらの読破となりました。質感の異なる二部が、絶妙な加減で絡み合うさまは、まるでフォンダンショコラのよう。ぜひ多くの方にこの物語を味わい、そしてこの衝撃の後味を感じてほしいです!
このような小説をWebで、しかも無料で読めることに驚きました。
舞台は1960年代。保守的な町の農家に生まれたベンは、安穏で退屈な日々を送っていた。そこにやって来たハンナとの出会いが、彼の停滞に変化をもたらす。
読み始めてすぐに洋画、文学、といった印象を抱きました。
舞台が海外であり、それを感じさせる皮肉やユーモアに富んだ言い回しがされているというのもありますが、何よりも、この作品には実在感があります。実在する土地や歴史で、登場人物たちは確かに生きて、その時を過ごした。そんな実感があります。
色彩感に溢れた第一部も映像として読めたのですが、特に第二部の戦争の場面では鮮明な映像が見えました。そこに違和感なく、息をするように入り込めたのは、作者様が作品と事実に真剣に向き合い、必要なものを考え抜き、選び抜いたからであると感じました。
必要なことは作品の中に全て描かれています。私がここにこれ以上書くのは野暮でしょう。
ミズーリ、ベトナムと舞台が変わり、時が流れても、作品には一貫した軸が通っています。
ぜひ、多くの方にじっくり読んでいただきたいです。胸に強く残るもののある作品です。
「照りつける太陽の光が、僕の背中をローストターキーの表面のようにこんがりと焼きつける。」
本作最初の一行ですが、既にこの時点で、文章が濃厚な空気感を帯びているのが凄い。
ローストターキーの異国感、太陽と焼かれた鳥のイメージから伝わる乾いた焦熱感。
もちろんそれは最初の一行では終わらず、アメリカの田舎を包む澱んだ倦怠感、そこに身を置くがゆえの閉塞感など、文全体が濃密な空気感を纏っています。
物語を演出する小道具や各種の固有名詞についても細やかに設定されており、細部まで手を抜かず構築された世界観が、作中の情感を裏打ちしています。
そしてそれは、第四章で舞台がベトナム戦争の戦場へ移っても変わらない。
手を抜かず構築された細部と濃密な空気感は、凄惨な戦場をも余すところなく活写しています。
容赦なく表現される過酷な現実は、第三章までの雰囲気が確立されているからこそ、より深く強く胸に刺さります。
戦争の後、主人公にはいったいどのような結末が待っているのか。
現時点ではまだ掲載されていませんが(これを書いている現在、掲載は第五章三話まで)、幸せに終わるとは考えにくい気がしています。
どのような結末になるにせよ、見届けさせていただきたいと思います。
[2024/01/08追記]
遅くなりましたが最後まで拝読いたしました。
結末は、予想していたよりも希望のあるもので少しほっとしました。
未来に希望があるとしても過去の傷が消えるわけではないですが、歩む道が標(というほど、たしかなものではないかもしれませんが)として存在するのは、何かしらの救いに思えます。
本編が別にあるとのことで、そちらも時間ができましたら拝読してみたいと思います。
ありがとうございました。