#16 価値観の押しつけは
この男が、私が嫌悪感しか抱けない男が「敵」を裏切った。
知り合いに明かされてもなお、男は動じる様子を見せず煙草を吸っている。口からそれを外し、遠いはずの建物に向かって息を吐く。それから、ようやく知り合いに目を向ける。
「なんでそいつを連れてきたんだ、ビユノム」
「やあ、ヨユング。『依頼』を頼まれてくれないか」
「へえ、うちの勢力は『個人主義』じゃなかったのか」
「状況が変わったんだ。僕にはもう、君達の私情にまで配慮することはできない」
知り合いは嘘をついている。今の今まで、聞きたくもない配信女や文学青年の話をしていたのに。そうだとすると、どうして嘘を吐く必要があるのか?
「そもそも、どうして俺がここにいることが分かったんだ」
「ヨユング、君は毎日ここに来ているだろう」
アイパッチの男は、また目を建物に戻した。
「書面はあとで作成する。これから三日ほど使って、ケトにヤミリーズ・カンパニーの内部情報を渡してくれないかい」
「……断らせてくれ。いくらビユノムの頼みでも、こいつにだけは教えたくねえ」
「間があったね。一瞬迷ったんじゃないのかい」
知り合いは声色を変えなかった。こいつといい、『創立者』といい、どうしてこうも取り繕うのが上手いのか。そして無理やりにでも思い通りに展開を運ぼうとするのが上手い。今回もこの男を言いくるめようとしているのだろう。
「前にも言ったがな、年端もいかない子どもを前線に出そうとするのはやめろ。こいつといい、ミイナルといい……小学生どももそうだ。融通の利く大人だけでいいだろ」
「君は、融通の利く大人じゃないのかい」
「論点をすり替えるな! 今は――」
この男と話す気は失せた。配信女や青年であればまだ対話を試みたかもしれない。それが、情報を得ることに繋がると知ったからだ。しかし、この話を聞く気もない男と対話をすることは本当に面倒だ。考えることすら面倒だが、一応理由はある。「価値観が真逆」なのだ。私は自分の目的のために動くが、男は自分のためだけに動く者を嫌う。
ペルプやセトラだったら、それでも説得をするだろう。キロロだったら喧嘩に走るかもしれない。しかし、そこで思い出したのはやっぱりカルモだった。もう幻聴は聞こえない。でも、多分、カルモだったら――
「渡せる対価なら渡すから、情報が欲しい」
私は淡々とそれだけを告げる。カルモだったら「大人の対応」をする。価値観が違っても、少しくらい苛立ちをおぼえても、ただ優雅に微笑んでいた……私と出会った頃は、そうだった。だとしたら、私もできるかぎりの配慮をするしかない。
「嫌だね。子どもは大人しく拠点で守られてろ」
「情報以外は要らない。あなたは私がどうなっても構わないでしょ」
これが精一杯だと解るのは知り合いだけだろうと思う。男はひとつも答えなかった。代わりに、知り合いが一歩前に進んだ。
「構わないわけがあるか!」
それを制したのは、男の叫び声であった。知り合いの身体が脈打つ。魔法によって固められたかのように。実際にはそうではない。男は、ずかずかとこちらに歩いてきた。
「俺はな、船長だったんだ。このクソッタレな城に負けないくらい大きな船のな。つっても毎回同じ船に乗るわけじゃない。一番多く乗った船がそうだっただけだ」
止まらない。まだ歩いてくる。私は咄嗟に後ろに飛んだ。それでも、男は止まらない。
「そんで、大型船には船員がいるわけだろ。乗客に構うのに精一杯で、ミスも多いが頑張って船を回してくれていた。だが俺は、乗客のことも船員のことも考えていなかった。誰彼構わず怒鳴り散らし、操縦ミスがあれば人のせいにしてきた。その驕りが、周りを考えない自己中な性格が、俺を闇に堕としたんだ」
男はまだ近づいてくる。すると、私と男の間に腕が伸びてきた。知り合いだった。
「いいか、よく聞け!」
男は、知り合いの腕を掴んだ。煙草をもつのとは逆の手で。そのまま、叫ぶ。野獣の咆哮のように、形振り構わず叫ぶ。
「あのときの俺が『ヤミリーズ・カンパニー』にいたのは、俺が自己中心的だったからだ! そして、おめーみたいな奴も同じだ。周りのことを考えなかったら、俺みたいにっ……俺が……っ、あのとき……」
声から力が抜けていく。知り合いは、掴まれた腕を凝視していた。
「悪い……本当は分かってんだ……そう言う今の俺も、ただの自己中なんだって……だがな」
「何も分かっとらん連中に、後悔させたくねえんだ……」
――ピリリリリ……
誰かの携帯の音が鳴った。だが、その場から誰も動かなかった。知り合いは、かける言葉が見つからないのだろう。口を開こうとしてはまた閉じる。男は今は俯いていた。心做しか震えているようにも見える。やがて、ずるずると石畳にへたりこんだ。私は、言葉を選んでいた。
選ぶ? 何故? 情報が得られないとわかった今、何を選ぶ必要がある。どんな態度を取ろうが、今この場で蹴り飛ばそうが、私にはもう関係がないのに。
ああ、またペルプ達のせいに違いない。対話がどうとか、敵を説得しようだとか、平気でするみんなのやり方に渋々合わせていたせいだろう。そう、今の私はペキカセットの一員ではない。かつて配信女にしたように、跳ね除けるのが正解だ。
「鬱陶しい」
私は、できる限り声が冷たくなるよう意識しながら男に言葉を投げつける。
「は?」
「私、距離詰められるの嫌いなんだけど」
言葉を投げつける。男の腹にナイフを刺すように。爪で引っ掻くように。この男を、私から遠ざけるために。
「嫌いなことは嫌いって言うし、誰かに押しつけたい時は押しつける」
「ケト?」
知り合いが私の名を呼んだ。そうしないと気が済まないのか。私はまだ喋り続ける。
「私は誰かのやり方には必要がなければ従わない。自分のやり方に従う。それが自己中だって言うなら、あんたもこいつも同じ」
ナイフを投げ続けても疲れるだけだと私は知っている。
「融通の利く大人が何? 誰だって、自分のやり方を勝手に押しつけてる癖に」
大きな建物が、遠くに建っている。私はあの建物が嫌いだ。ペルプ達と一緒に駆け回った街を思い出す。私はあの街が苦手だった。私も、ペルプ達も、知り合い達も、癪だけど敵も、同じように誰かに価値観を押しつけて戦っている。だとしたら……誰だって、自己中だ。
「もう喋るメリットはない。帰る」
私は知り合いの方を見た。知り合いは……またその顔か。辞めて欲しい。
「君は、本当に変わったね。随分優しくなったよ、ケトは」
は? どこが? 尋ね返す前に、知り合いは男の方を見た。また、冷たい目、だった。
「先程も言ったが、僕達にはもう余裕がない。だから、遠慮なく価値観を押しつけさせて貰うよ……上の命令には従ってくれないか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます