#8 世界が揺らぐ

 青年と司書の攻防は続いている。司書は殆ど立ち位置を変えていない。

「あらあら、つまらない物語になりそうね。うちの蔵書にする価値もないわ」

「ガチ恋君、右!」

 配信女の指示。青年は息を吸い、右に飛んではまた万年筆を振るう。それから、必要のない反論を飛ばす。

「私は知っている! 図書館の資料は主観で選んでは為らないのだと!」

「うふふ、闇に染まった本こそが、読む人を染めあげるのよ」

 青年は攻撃を避けてはいるが、一度として司書に攻撃を当てていない。飛んでいく文字を見るに、威力が弱いわけではない。単に狙いが悪いのだ。

「あーっ、後ろに引いて!」

 青年は後ろに跳ぶと、縦に万年筆を振るう。文字が飛ぶと同時に、紫色のインクが壁に跳ねる。

「本が誰かを闇に染めること自体には反対しない。其れは作者の言論の自由に拠る。然し……!」

「上! あ、やっぱり下!!」

 次に振るった万年筆の文字は、司書の右脚を掠めた。

「貴様は先生と先生の本を闇に染めた! 既にあるものをのだ! 故に、私は貴様を許さない!!」


 私は首を振る。いつまでも戦闘を眺めていてはいけない。ロープとマキビシを壁に沿って張っておけば、いつかは引っかかるかもしれない。だがそれを仕掛ける時間はない。司書をもう一度見る。腕の部分に当てられれば、吹き矢の毒が効きそうだ。どこまで効く毒かを検証しておけばよかった。


 私の頭の先を掠め、文字が後ろに飛んでいく。壁にヒビが入っていく。

「行きなさい、マイ・ライブラリー!!」

 大きな風の音がして、次の瞬間頭の上に何かが落ちてきた。

「わっ、何!? 鳥!?」

 違う。羽ばたく本だ。羽ばたく本が襲いかかってきている。猫耳をぎゅうぎゅうと押してくる。

「ヤブ医者と違って良心的な攻撃でしょう? うふふふふふ! さあ、このまま押し潰してしまいなさい!!」

 司書とも呼べない女は両腕を上げ高らかに笑っている。青年が呻いた。またなにかボヤいているが、夥しい数の本の羽音で聞こえない。配信女はその後方で顔を庇っている。


『なあお前、ホントは本が大好きなんじゃねえのか?』

 羽音に混ざって、脳内に反響するキロロの声。

『大好きなモノを……こんな風に扱っちゃだめだろうがぁぁぁっ!!』

 言っていたか言っていなかったか、それすらも分からないセリフ。脳内で創られたキロロの幻影は、その場で車に変身して飛び出していく。部屋の大きさ次第では一度しか攻撃できないことも忘れて。


 私は掴んでいたマキビシロープを離した。続いて吹き矢を掴む。頭に本の背が当たる。筒に口をつける。

――ヒュッ!

 矢が風を斬る音。その次のセリフを待たず、私は女の懐に飛び込んだ。左手に持っていたマキビシロープを顔面に押し付ける。

「ぎゃっ!!」

 本の羽音が途絶えた。止まれない。止まってはいけない。即座にしゃがみ、腿に爪を立てる。

――ゴッ!

 何か重いものが頭に落ちてきた。配信女よりも攻撃力が弱い。ならば回避は不要。さっと後ろに飛び、背中側に回り込もうとしたとき、左足にマキビシがくい込んだ。

鋭い痛み。拍子に体内の魔力が身体の縁から散るのを感じ取る。足が滑って態勢が崩れかけるのをなんとか持ちこたえる。

「やってくれたわねええええ……!」

 女の身体には闇が迸る。周りに浮いた本も急に闇を帯び始めた。闇の効能など知らないが、魔力よりも汎用性が高いことは知っている。

「こうなったら容赦はしない。とびきりの闇に出会わせてあげ……っ!?」


 司書の動きが止まった。後頭部に大きな棒が直撃したのだ。

「っ、はあっ、はあっ」

 万年筆を投げたのは青年だった。肩で息をしている。

「ミィ、ちゃ!」

 トン。妙に軽い音と共に、配信女が後ろから女の手を掴んだ。闇が配信女の腕から身体につたわるのが見えた。だが、それは一瞬のこと。まもなくその闇は途切れる。


「はい、気絶! ね、ミイに掛かれば余裕だったでしょ? じゃ、次回もよろしくね☆ まったみってミ~!」

――ピピッ

 高い二つの電子音と同時に、女は前のめりになって倒れた。

「録画かんりょー! あ、でも流石に『秘蔵動画』にしとこっかな? ほとんどガチ恋君しか映ってないしー」

 配信女は一人で喋り続けている。吹き矢の筒を口に咥える。左足を上げ、刺さったマキビシを両手で外す。足に痛みが走った。靴を貫通して針が届いてしまっていたのだ。帰ったら手当てをしなくてはならない。

 次に、気絶した女に目を向ける。今回はこの先を観察しなければならない。まもなく女の身体を闇が覆い始める。完全に呑まれると、闇は唾を飲むような気色悪い音を立てて消えてしまった。落ちていた本も、闇に呑まれて消える。

 前回死体が無かったのも、このように消えていたからなのだろう。ただ、これでは「死んだ」のかどうか分からない。呼吸の確認もままならなかった。


「申し訳ない、御二方。私は無力でした」

 しゃがみこんでいる青年は、先程とは打って変わった覇気のない声をあげる。

「そーだね、でも頑張ってたじゃんガチ恋君。えらいえらい」

 配信女は青年の頭に手を伸ばす。頭を撫でると、青年の顔が紅潮した。

 馬鹿馬鹿しい。私は筒を口から外し、床に目を向ける。片付けを済ませてさっさと帰ろう。

「それにしても、君、戦闘上手いね?」

 持っていたマキビシを、意味もなく床にむかって弾く。こんなものを踏んで左足を負傷するなんて。馬鹿馬鹿しい。それが狙いではあったけど。

「……ミイね。最後の一撃は得意なんだけど、それだけなんだ。だから、可愛いミイをみんなに見せることはできても、それ以上の応援は出来なかった」

 地に落ちたローブをくるくると巻く。顔を上げたとき、目に入ったのは壁にできたヒビだった。

「ね、ガチ恋君と、キミと、ミイで組まない? 配信には映さないようにするからさ!」

「組まない」

 私はヒビを見ながら言い放つ。

「今日組んでみて分かった。私が誰かと戦うなんて有り得ない。仲間なんてただの足手まといだし」 

 少し苛立ちを覚えながら答える。やっぱり、無理にでも断ればよかった。次からは、自分だけで……

「ねえ君さ、何かあったわけ? ミイ、ちょっと気になるな~☆ まさか、前に組んだ仲間と何かあったとか?」

 私は爪を立て、そのまま配信女の喉元に持っていく。

「分からない? 私は一人で戦いたいの」

 私の腕を掴んだ者がいる。それでも私は、配信女から目を離さない。

 私は爪を収め、青年の指から腕を引き抜いた。

 言葉は凶器だと私は知っている。誰かを凍らせることもできる。突き刺すことも出来る。関係性を壊す。取り返しがつかなくなる。それを知っていて私は今、故意に二人の心に傷をつけようとしている。なのに、二人はまだこちらを見ている。この二人から、再び私の記憶を消せたら。いやいっそ、私が消えることができたら……

「……私以外のみんなが」

「「え?」」

 配信女が二回、目を瞬かせた。青年も同じだった。二人の眉が下がるのを見た。沈黙の時間が暫く続いた。


「……とにかく、二度と話しかけて来ないで。私もできるだけ接触しないから」

「あ、ちょっとー!」


 私は床を蹴って、扉から外に飛び出した。走る。黒傘を差したサラリーマンの壁の隙間を走る。一歩進むたびに雨でできた水溜まりから泥水が飛び散っていく。水。正体不明の濁流が脳内を掻き回している。

「……っ」

 私は立ち止まった。息を大きく吸う。吐き出す。また吸う。吐き出す。今の濁流は――感情。支配されてはいけない、そう分かっていたはずなのに、どうして。息を吸う。吐き出す。足が痛い。身体が重い。脳裏にヒビの入ったビルが浮かぶ。インクも飛び散っている。だが、どうにもしようがない。歩くのも面倒になって、私は近くの路地に入る。

 ぐらり。世界が揺らぐ。まあ、いいや。私は目を閉じ、深い底へ入っていった。夢もみずに眠れそうだ。睡眠は、休むことだけに使ってしまいたい。

 今日はもう、何も考えたくない。

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