#7 余った一人が良いんだ
苦虫を嚙み潰したような顔をしていただろう。私は、「鬱陶しい」と言った相手に同伴を頼み込んでいた。まずは、廊下を歩いていた青年に。青年は二つ返事で了承したが、問題は配信女――
「あんたが謝るなら行かないでもないけどさ~? やっぱり私、まだ痛いわけだし?」
「ごめんなさい」
私は事務的に謝罪をした。まあ、「顔」を武器にしている人に跡を残すのはやりすぎた。その点に関しては別に謝ってもいい。配信女は意外そうな顔をする。
「へー、あんた謝れるの? そうは見えないのに? ふうん。次の雑談のタネができちゃったな~」
「報酬は二人で二分割していい。私はいらない。十分後に出る」
それだけ言って、私は歩き出す。青年と配信女がどうするのかに、私は興味がなかった。来たくないなら来なければいい話だ。
自分の部屋の入口のカーテンをあけると、私のスマホがあった。知り合いが置いたのか。手に取って確認する。無線で繋がっているが、連絡は来ていない。部屋の中に潜り込んで上の収納を開けると、寝間着とポーチ、そして袋が落ちてくる。荷物もだいぶ増えたものだ。
何を持っていくか。吹き矢は当然だ。液体の毒も。ご丁寧にハケまでついている。あとで矢のほうに塗ればいい。それから、事前の準備としてロープにマキビシを五つほど括りつけていた。残りも持っていこう。あとはいらない……いや、ナイフは一応持っていこう。ナイフは鞘に収めて腰に下げ、トラバサミだけを袋に戻した。
服の上からバッジを触る。大丈夫、落としていない。そういえば、青年の魔法を聞いていない。そもそも魔法を知っているかどうかさえも分からない。もしそうであれば……ロープを渡せばいいか。配信女にも何か渡した方がいいかもしれない。
ペキカセットで戦っていたときには、いちいち戦力のことなど考えていなかった。多分、個々の戦闘能力と立ち回りを信じていたからだ。「信じる」ことの不安定さを危ぶむだけで、行動に移すことはなかった。今は完全に信じられない相手と共に戦わざるを得ないのだから、念を入れなければ。再び今回の作戦を頭の中で反芻する。
外に出ると、雨はやんでいた。
「湿気苦手なんだけどなー……」
などと後ろを歩く配信女がほざいている。
ビル街はサラリーマンでごったがえしている。傘を降ろすのも忘れ、疲れきった表情の人ばかり。もはや異様だ。異様であることにすら、誰も気づいていない。
「……宿敵の影響が強まってゐる」
青年が呟いたのを聞き取った。「あれ、そう?」と配信女が反応する。
「ミイにはよくわかんないな~、具体的にどのへんがそーなの? おしえておしえて?」
「嗚呼、可愛……ゴホン、宿敵は、此の世界全体に薄ら闇を撒いているとの噂。此の街の人々も、その闇を吸ってゐるのでしょう。私共に回るのも時の問題かもしれない」
私はまだ二カ月も住んでいない。二か月前まではあの片田舎の街に変わった様子はなかった。もう変わってしまっていたら……どちらにせよ、こちらに引きつけなければならない。そうした方が良いだろう。『創立者』もその意図を理解しているといいけれど。
路地に入り、まだ歩く。湿った地面の上。泥水が跳ね返る音が聞こえる。
「そういえば」
聞いたことのない沈んだ声に振り向く。配信女が自分のフードの片耳を触りながら続ける。
「ミイね、最近は『名も無き勢力』向けの配信しかしてなかったけど、昨日久々にネットで動画配信したんだよね。
青年も前に向き直る。路地から抜ける直前、配信女の呟きが耳を突いた。
「もう、間に合わないかなー……」
路地の向こうに、『初作テトリビル』はあった。当然事前調査はしていないが、どうも空きビルらしい。石の外壁は、下の方に穴が開いている。大分使い古されたビルだった。そこまで高くはない。二階建てぐらいだろうか。
「此処で、戦闘をするんですか」
青年が私の左に、配信女が右につく。私は頷いた。そういえば、詳しい説明をしていない。
「敵は闇の心を察知して来るから、誘き寄せて戦闘する。手紙にあった奴を呼び出せるかはわからない」
「ああ、標的が居るのですな。其れなら関連する闇の感情を抱けば良いかも知れません。一体
「司書」
私は一歩二歩近づき、ビルのガラス扉に手をかける。
「……司書?」
今度は先程よりも低い声。私はガラス扉を開き、中に入る。埃が一斉に上がった。薄暗がりの中、ポーチの中からマキビシを取り出す。
「ちょっと?」
後から付いてきた配信女の声がした。マキビシを周りにばらまく。本。本と言えば、カルモがよく……
「ねえ、えーっと、ガチ恋君?」
私は振り向いた。ああ、私が闇を抱くまでもなかったらしい。青年は配信女よりもさらに後ろに立っていた。二つの拳を強く握っている。瞳が揺れている。大人しくて頼りない印象が嘘だったかのように、何かに強い怒りを抱いていた。
「司書ブラリア……半年前、私の『先生』を誑かし、闇に染めあげた女……まさか、
「闇に堕ちている人がいるわね。もしかして、あたくしのせいかしら?」
辺りに紺色のもやが漂い始める。青年がびくりと肩を震わせる。
「あたくしは常務ブラリア。常務が態々出向くなんてそうそうないのよ、感謝なさい」
私の正面に現れたのは、ロングコートを着た、ロングヘア―の高身長の女。コートの中にエプロンを着ている。その手には何か図鑑のようなものを持っている。司書か。私は服の上からバッジに触ろうとする。しかし、その前に――
「ああら、この場所も奪って書架にするのも悪くないわね? その為にも、利用者を増やさないといけないわ」
「貴様……! 貴様が先生を……!」
青年は全身を震わせていた。それでも怒りを無理やり沈めたような声を出す。服の裾に手を入れ、何かを握り締める。抜くと、その手に持っているのは「万年筆」だ。
「先生が仰っていた。万年筆とは崇高で高尚なことに使うもの……なのに、先生は……万年筆を折った……!!」
青年が万年筆を振るうと、紫色の文字が現れては司書の方に飛んでいく。
「私の魔法、『
私はため息を吐けなかった。この勢力にいるということは、大なり小なり理由があるのだ。誰かのために戦うことに呆れる権利は私にはない。司書は宙には浮いていないが、さっと左に避けてから、くすりと笑う。
「何をそんなに怒っているの?」
「黙れ! 貴様の、貴様等の所為で……!」
青年は再び万年筆を振るう。私は一度壁際まで下がる。目測でわかる、がむしゃらだ。動きが大きい。あれでは当たらない。司書はまだ一度も攻撃していない。手元の図鑑が開いている。そのうち何か大きな攻撃が飛んでくるだろう。
加勢をしなければならないが、マキビシ以外の罠はまだ準備できていない。そこに、場違いな笑い声。配信女の方を見ると、口に手を当てて笑っている。
「へ~えっ、本気でやれば行けんじゃん! 流石ミイのファン! 配信のネタにしちゃおっかな?」
意地の悪い笑い方で。目をキラキラさせて。配信女は『配信のネタ』を見て笑っている。
「撮って」
私は配信女に、あるものを差し出した。
「ん? は? え~、何?」
「あれを敵が踏む図。青年を上手く動かせられればだけど」
伝わっただろう。伝わっていなくとも、この方法ならこの女は上手くやる。服越しにバッジに手を当てる。私は「猫耳」をつけて歩き出す。
「一人でやらないんだ?」
配信女の声が飛んでくる。
これ以上誰かと一緒にいるのは嫌だ。そろそろ吐き気がする。ペルプ達と一緒にいた頃の奇妙な感覚の片鱗。ここに居る権利はない、と頭の中で静音の警鐘が揺れる。
一人で戦いたいに決まっている。誰のことも気にせずに――勿論そうするつもりだ。そんな我儘が通る状況を創れさえすれば。
飛んできた声を叩き落とすつもりで、私は答える。
「二人組にすれば、一人で余れるでしょ」
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