#12 言葉が人を変えるとき
私は、闇に包まれた建物を、「第一拠点」を見上げている。誰もいなかった。普段は影の差した顔で歩いている人達でさえも。
昨日は、不器用料理店でひと眠りした後でここに来る選択を取った。起きる時間が遅く、もう夕方だ。時と言えば、道中、攻撃の日までの日数を数えた。まだ半月以上ある。それなのに侵入されたとすれば――
「僕達は間違いなく負けるね」
隣にいる知り合いがやや冷たい声で告げた。私がこの場所に戻ってきたことを不服としているようだ。
「武器はまだ『
いくつかの星が、夕闇の中で光っている。上から降ってくる夜が、知り合いの顔を暗く照らしている。ああ、誰かに向かって極力気を使うなんて、何故私からしなければならないのか。まっすぐ、真剣に、その顔を見つめる。
「具体的な数がないと分からない。教えて、どうすれば今からでも勝ち目があるのか」
知り合いは目を見開く。不器用料理店に迎えに来て、私が「第一拠点」に戻ることを伝えてから、もう何度も動揺が抑えきれていない様子だ。
「事務的でいい」
私は目を逸らす。やっぱり無理だ。気持ち悪い。それでも、情報にかける価値があるから。目的のために消費する手段として「誰か」が必要であるとすれば。私の気持ちを犠牲にしてでも。
「『第一拠点』の八階B室の本棚の中に、ヤミリーズ・カンパニーに関する情報が書かれた書類がある。その中に、潜入経路が書かれたマップがあるんだ。だが……」
そこで知り合いは言い淀む。私は知り合いを睨んだ。目線だけで先を促す。
「……君も気づいているだろうが、うちの構成員で潜入に向いている者は少ない。君に関わっていない人員にも。だから」
知り合いは突然頭を深く下げる。ローブのフードが頭にばさりとかかる。
「頼まれてくれないか。今すぐにとは言わない。数日中に拠点からマップを取ってきて、それからヤミリーズ・カンパニーの本拠地に忍び込んで欲しい」
聞くが早いか、私は駆け出した。
「ケト!?」
服越しに、『バッジ』に手を当てる。思えば、このバッジに関しても、自分の魔法に関しても、疑問は尽きない。自分のことさえ分からないのに、敵のことなど分かるはずもなかったのだ。だったら、私は、やっぱり――
玄関から入ると、蒸気のような闇が私の身体に纏わりついてくる。さっさと行かなければ。ポーチが震えている。走りながら漁る。無理やり詰め入れた吹き矢やマキビシの中から、振動するスマホを引っ張り出す。
《ケト、聞こえるかい。幹部クラスの敵は潜伏していない。だがそれ以下の敵は残っている可能性が高い。他の部屋はいい。階段を昇って、とにかく上に急ぐんだ》
手に持っているスマホから、知り合いの声が流れてくる。言われなくても分かる話だが、私は返答せずにそのまま駆ける。
「ふふ……私はそこまで馬鹿じゃないわよ?」
立ち止まる……司書とも呼べない女、それからヤブ医者が通路を塞いでいる。スマートフォンから何か声が流れた。私は爪を立てる。
「さあ、荒治療が必要かな?」
本が飛んできて、目の前に着弾する。医者が口を開いた。また手下を召喚するつもりだ。私は空いたままのポーチに手を突っ込む。中身を見境なく、医者に向かって投擲した。結果を確認せず、私は二人の方に突っ込んだ。
医者の攻撃は針、女の攻撃は本だ。両方とも遠距離攻撃。攻撃を避けて遠くに走ることさえできれば、もう驚異ではなくなるはずだ。猫のように床を転がる。
「二度も三度も勝てるとは思わないことね!」
「そうとも! さあ、大人しく闇に呑み込まれて――」
二人を視界から外す。声も聞かない。階段への道は遠い。私は起き上がり、廊下を滑るようにして走る。
――キーンコーンカーンコーン……
「なっ!?」
聞き覚えがあると認めざるを得ない電子音に、爆発しそうなほどの大声が混ざってくる。
《こんにちミ~☆ 屋内放送だよ! あーあ、敵さんビビっちゃってる~》
《
ドガッ、という音が聞こえた。足元に水が飛び散る。瞬時に理解する。あの女がスプリンクラーを作動させたのだ。しかも、最大出力で。飛んできていた本も、針も消えた。喚く声さえも掻き消されている。
《ね~え、そこのムカつく奴。宇宙人に言われてやっただけで、助けるのは一回きりだからね! ほらさっさと行って!》
《ケト嬢! 私共は外に待機して居ります! 何かあったらすぐ参ります故!》
いらない。鬱陶しい。それも言葉には出せなかった。階段の続きは昇る必要がない。八階に辿り着いたからだ。B室はすぐそこにある。
《ケト、救援をもう何人か呼んだ。書類が手に入ったら、窓があったところからもう一度飛ぶんだ》
知り合いの声は落ち着いている。そのまま走る。本棚が倒れている。白い紙が複数枚、束になって散らばっている。銀色とも灰色とも取れないファイルと共に。間違いなくこれだ。私は床に這いつくばり、書類を掴んだ。
掴んだ瞬間、周りの闇が一気に強くなる。
「……っ!」
《どうした!?》
身体の周りを、闇が取り囲むのを感じた。
次に訪れたのは、無音だった。私はこの闇を知っている。過去に堕ちたことがあった。でも、その時は――
『ケト!』
私は固まった。自分でも固まったと分かった。その声には、完全に聞き覚えがあったからだ。あの時、いや、何度も助けてくれたひとつの声だ。
「ペルプ?」
『ケト! どこにいるの!? 一緒に帰ろうよ!』
分かる。私には、もう分かっている。幻影だった。あれは、闇に堕ちかかっていた私が都合よく作りだした偽物だ。ここ数日に見たキロロも、カルモも、セトラもそうだ。では、これは自分自身が作り出した闇なのだろうか。いや違う。深呼吸をする。ここは第一拠点だ。名も無き勢力だ。「居場所」ではない。私が「居るべき場所」だ。
『ねえ、私、五人じゃなきゃ嫌だよ! ケトも含めて、五人でペキカセットじゃなきゃ嫌だ!』
泣き声と共に、ゆらりと現れた、ペルプの幻影。特徴的な二つ結びに学生コーデと呼んでいた格好。それに向かって、私は言葉を返す。
「私は、ペキカセットじゃなくてもいい。四人が幸せなら、他のことはどうでもいい。その為に、私は戦ってるんだから」
『どうでもよくない!!!!』
ペルプが私の手を取った。まさか、本物? 違う。そんな気がしただけだ。取られた手に、どろどろとした闇の感触があった。一気に肩の方まで登ってきて、私の全身を包み込む。気持ち悪い、とは思わなかった。堕ちるとはこういうことなのだ。
『どうでもよくないよ、本当はそう思ってないの、私でも分かるよ?』
もしこれが、本当のペルプだったら。目を閉じて、声に先を委ねる。
『手放したくないくらい、大切な幸せがあるんじゃないの?』
あった。私にとっての幸せはペキカセットだ。あのかけがえのない、大切な日々だった。ある日突然失うのが怖くて、自分から手放すくらいに。
『戻ってきてよ、ケト……キロロも、カルモも、セトラも、みんなケトのことを探してるよ』
それでも私は、手を振り払う。
返答をせず、ペルプの幻影に背を向けた。偽物だ。偽物なのだ。四人はもう、私のことを覚えていないのだから。
過去に縋ってはならない。追憶に縛られてはならない。何度もそう決意したのに、私は全くダメだった。それでも、何度でも私は背を向ける。もう少しで掴める何かと共にあれば、先を見据えて歩いていけるはずだから。
「……ねえ、お願い……」
別の方向から声が聞こえた。その声の主を確かめる前に、遂に意識までもが闇に呑まれかける。そこで、私は舌を思い切り噛んだ。
「お願い、頑張って、ケト!!」
周りの闇が晴れていく。暗い視界の中に、そこだけ切り取られたような円状の夕焼けが映る。考えている暇はない。また飲み込まれてしまったら、どうなるか分からない。
「ぅあああああああっ!!」
大声を上げながら、円の中に飛び込む。それが窓の外につながっていると分かったときには手遅れだった。ふたたび落ちる。もうスローモーションではない。落ちている。落ちている。闇から、あの幻影から遠ざかる。たった今手放してしまった闇に、手を伸ばす。
「ペルプ!!!!」
身体の縁が黄緑色に発光した。何が起こったのか察した私は、手を下ろす。間もなく、地面に身体がついた。耳元で声が聞こえる。
「ダイジョウブデスカ、ケトサン」
ボイスチェンジャーの声。あの「超能力」を使ったのだろう。言葉を返す気力もない。
「もーっ、そんな奴、置いて行くよ!」
「そ、そんなやつとは……ケトさんは私共の恩人ですのに」
「ソウデスネ、ココデマッテイテクダサイ」
ばたばたと三人分の足音が聞こえる。どうせ役に立たない、こともないか。あの三人がどうなるかは、私には関係のないことだ。これ以上の情報を得るにはキャパシティーが足りていない。身体も、心も。
「ケト、ケト! 君は……っ!!」
誰かの雫が頬にかかる。今度は声に出して反応する。
「気持ち悪い。鬱陶しい。近づかないで」
夜に差しかかっているのに、どこかの馬鹿が大きな懐中電灯で私を照らしている。眩しい。左腕を顔にやった。どかどかと、別の足音が聞こえてくる。誰かが私の右腕を蹴った。
「てめー、なんだその物言いは! またビユノムの好意を蹴りやがって!」
「まあまあ、ケトはそれでいいんだ。ヨユングもあちらに加勢してきてくれないかい」
「チッ……覚えておけ、言葉は時に人を殺すんだからな!」
幸せに永遠は存在しない。幸せなど、私には必要ない。
私が変える必要があるという「考え方」は、今も変わらないままだ。どこをどう変えればいいのか、私には分からない。本当は変える必要もないのではないかと疑っている。だが、この気持ちは? 胸に広がる、気持ち悪い安心感は何なんだ。なぜ、私の口角は上がっている。今の私は、別に幸せではない。四人に貰った最後の幸せさえも、少しずつ霞んでいく。それなのに、どうして私は。
まあいい。これから情報を集めていくうちに分かることだ。敵のことも。私の幸せのことも。
「どういう風の吹き回しだったんだい」
左腕を戻す。知り合いはまだ私の上にいた。雫が何度も落ちてくる。だが、知り合いも笑っていた。私は一度、瞬きをする。
「ケトは人と話すのが苦手なのに、どうして僕の話を聞いてくれたのかと思ったんだ」
答えるのは面倒だが、今後のことを鑑みて適当に答えておくことにした。
「言葉」
その一言だけを答えて、私は目を閉じた。
何かが、変わった気がする。
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