第二章
#5 生きる以外の選択肢は
――キーンコーンカーンコーン……
年季の入っていない電子音。
これは学校のチャイムではない。私はもう学校に通っていないからだ。私の名前は学校の名簿からも自動的に消滅している。だから当然戸籍はなく、私は学校内にいるはずがないのだ。だから、これは学校のチャイムではない。もしくは、今いる場所が明晰な夢の中であるのだろう。
学校にはろくな思い出がない。誰かを避けるのに全ての労力を使っていた。休み時間の度に教室を飛び出した。とにかく誰とも話したくなかった。グループワークだけは無理をして話していたが。それほどまでに、私は誰かと一緒にいるのが嫌だった。ペルプ達を例外として。まあ、出会った頃は本当に嫌だったけれど。同じ学校の同じ学年だとバレてからというもの、朝にも休み時間にも放課後にも話しかけてきて、余りにしつこいので諦めたというのが正確な所である。
ああ、朝から一体自分は何を考えているのだろう。追慕はしないと決めていたのに。チャイムはまだ続いている。続いている……?
目を開けた。いつもの天井だ。反射的に起き上がる。それから、背中の激痛に蹲った。
「いっっっっっ……」
医者と戦ったのは三日前の話だ。今日は次の戦闘をすると決めていたが、これでは無理かもしれない。
いや、それよりチャイムだ。流れているのは紛れもなく学校のチャイムである。一体なんなんだ。よく聞くと、チャイムだけでなく喧騒も聞こえてくる。声が大きい人たちの叫びが聞こえる。新参ではない者も驚いているあたり、何か只ならぬ事態が起こっているのだろうか。
私ははしごをつたって部屋を降り、廊下に出た。
「ミィちゃーん!!」
その時、一際大きい誰かの叫び声が聞こえた。
「まどぶっ」
誰かが酷い声をあげてぶつかってきたようだ。気がつくと私は、誰かの胸の中に顔を埋めていた。跳び上がるようにして離れる。ぶつかった相手は呆然としていたが、やがて電流が走ったような顔で慌てて謝ってきた。
「ああ、申し訳ない。怪我はありませんか?」
相手を見上げると、酷く焦っているように見える。長身で、袴を着た紫髪の男。一度も見たことがない人だ。でも、どこか誰かに雰囲気が似ている気がする。私は目を逸らす。
「……大丈夫」
「其れは良かった。
ミイナル。どこかで聞いた名前だが、思い出せない。私が答える前に、私が出てきた方を見て青年は付け足した。
「や、見かけるわけないか。時間をお取りして申し訳ない。此度は全体何のつもりで……」
その先はチャイムの音にかき消されて聞こえない。青年はまた歩き出した。それが流れるように加速に繋がる。「此度は全体何のつもりで」か。恐らく今回のチャイムのことだろう。まあ、私には関係の無いことだ。今日は朝食を食べたらここから離れよう。
そう思っていたが――
十五分後、私は「配信部屋」のドアの前に立っていた。
「――この中に人質を連れて立てこもったようでね。対処を任されたから、ケトにも手伝って貰いたい。もう何人かに声はかけたけど」
隣に立つ知り合いが苦笑いを浮かべた。私は足裏で床を叩く。チャイムは鳴り続けている。流石にうるさい。苛立ちが収まらない。
「で、相手の武器は」
「ミイナルは非戦闘員だから、魔法しか使わないよ。ただ、その魔法が例のないほど強力なものなのさ……精神的に」
現段階では具体的に教えられないということか。今しがた思い出した「あの女」のことを考える。この勢力で一番接触したくない相手だ。キロロなんかは喜びそうだけど。
まあいい、意は決した。手早く終わらせて戦闘に向かおう。深く息を吐き、ドアを開けた。
――キーンコーンカーンコーン……
「今年二回目、放送ジャック~!!」
配信部屋の扉を思い切り開けると、狭い部屋の真ん中にひとりの女が座っていた。パソコンを弄っているらしい。女はぶかぶかのパーカーで、クマのフードを被っている。
「こんにちミー! 今日も元気にしてるかな~!? 恒例だから自己紹介とかしなくていーよね? あっ、テレビだから
女の後ろに、あの青年の頭が見えた。どうも蹲っているようだ。項垂れているといった方が正しいだろうか。
「そそ。さっき面白いボタン見つけたから押してみたんだけどさ~、ね、聞こえる? ずっとチャイム鳴ってんの! これ発見したミイ天才でしょ!」
そんな話をして、「第一拠点」は特定されないのだろうか。やがて、女は私達に気づいて目線をこちらに投げた。
「あれ、ビユノムじゃん」
「一度配信を切ってくれるかい」
女は黙って何かパソコンを弄っている。それから、キャスター付きの椅子ごとこちらを向いた。
「はい、
「『ムクルレ』を返してくれないか」
「えー、人質がいないと配信止められちゃうじゃん? 私の可愛らしさを全世界にアピールしなくちゃ!」
配信女は自信満々といった出で立ちをしている。
「無理に止めようとしたら、この男の個人情報を全世界で公開するからね!」
知り合いは「うっ」と声を漏らした。
私には関係ない話だ。もういいだろうか。服の上からバッジに触れ、手元に「猫耳」を呼び出す。
「へえ~、やる気?」
「ケト」
知り合いが私を呼び止めたが、そのまま猫耳を頭に装着する。目の前の女はふらりと立ち上がる。ヘラヘラと笑っている。爪を立てる。こいつとの戦力差を私は知らない。だけど、今回の目的は勝つことではなくこの部屋から出すことだ。
「私には、その男がどうなろうと関係ない」
私は、女に飛びかかり……
膝から崩れ落ちた。
「ケト!?」
「あれ~、知らないの? 私に触れたら一発アウトなのに?」
声が脳内に響く。私は現状を把握できずにいた。まだ、始めてすらいないのに……?
「特別に教えたげる。ミイの魔法タイプは『
――キーンコーンカーンコーン……
女の声は薄れていく。目の前が暗くなっていく。
脳内に反響する、ペルプ達の声。
『大丈夫!? 私達が助けに来たよ!』
『おい、本当にアレを倒すのか!?』
『いいえ、倒せるわ。私達なら、きっと』
『……うん、一緒に倒そう……!』
ダメだ。こんなところで倒れる訳にはいかない。実際には助けは二度と来ないのだ。
「っ!」
再び意識が覚醒する。顔を上げる。立ち上がる。背中が痛い。でも、まだ戦える。しかも勝算がある。
「ね、分かった? 分かったなら邪魔しないで」
私は再び、女に向かって手を振り上げた。
――パンッ!
乾いた音は響くことなく消え失せる。女は驚いた顔をして、手で頬を抑える。ビンタだ。
「もしかして、引き算できないの?」
私は女に向かって告げる。嘲笑の意を込めて。そう、一度に半分以上の魔力を消費するなら、もう脳内信号の操作は使えない。自分から切り札をひけらかしたのだから。私はまだ呆然としている女の方に手を伸ばし、両腕を掴んだ。
「何――」
そのままこちら側へ思いっきり引っ張りながら、後ろに倒れ込む。
―――
目を開ける。背中にふかふかの感触が伝わる。起き上がった。頭に手を当てる。
「起きましたかお嬢さん。嗚呼、好かった」
何か違和感を覚える。ああ、そうだ。あの忌々しいチャイムが消えている。ここはどこだろう。白い天井、桃色のカーテン……医務室だ。
「有難うございました。危険に晒して申し訳ない。
どうやら狙い通りに事は運んだらしい。最後の方は。女を倒れ込ませる間に知り合いを中に突入させ、青年を救出させた。目的はそれで達成したのだから、結局のところ勝とうが勝てまいがどうでもよかった。
「然し、ミイちゃんは矢張り、私を利用対象としてしか見て居られない……」
ただ、もし女の方がまだ奥の手を残していたならば、私は負けていたことになる。それに、最初の魔法を予測できていなかったのも詰めが甘すぎた。
「嗚呼、そう。お嬢さん、お名前は」
私は、もっと……
「……ケト」
一拍置いて、私は枕元に座る青年に名を告げた。
「ケト嬢。覚えました。何か有りましたらお助けしますよ」
青年が頭を下げたそのとき、扉がスライド式に開く音がした。入ってきたのは知り合いだ。肩を上下させている。怒っている――?
「ケト、君は……」
知り合いはベッドの脇で止まった。鼻息を荒くしている。青年は仰け反って知り合いを見上げる。
「ビユノム殿?」
私は知り合いの目を見つめ返した。その口から飛び出したのは、意外な言葉だ。
「ケト。あれで死んだらどうする気だった。死なないことを考慮に入れてくれ」
死ぬ? どうして? 意図するところが分からない。生きる以外の選択肢は存在しない。嫌いだった学校に毎日行ったのと同じように。だって、私は四人のために戦わなければならないのだから。
知り合いの顔はまだ硬い。空気が張り詰めている。このままだと無駄な時間の終わりが見えない。仕方なく頷くと、知り合いは漸く顔を緩ませた。
「とにかく今日は休んでくれ」
それだけ言って、知り合いは踵を返した。それからこちらに向かって振り向く。
「ああ、それと……ミイナルは何とか宥めたよ。ただ、ケトのことを敵視し始めたみたいだから気をつけてくれ」
面倒事が増えてしまった。
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