#15 あの日々の大切さ

 私達が降り立ったのは、しっかりとした駅だった。ところどころに錆があるが、概ね新しいように思える。それなのに、自動販売機には蜘蛛の巣が張り、店と思われる場所にはすべてシャッターが降りている。

「あのポスターが見えるかい」

 少し声を落とした知り合いが言う。

「かつて、ミイナルや他の配信者達がコラボレーションをしたときのポスターだよ」

 シャッターには、ペットボトルを掲げて馬鹿みたいに笑う、複数人の写真が貼ってあった。気持ち悪いくらいぎゅうぎゅうにくっついている。

「世界が暗くなっていくに従って、殆どの人が配信者を辞めるようになった。上司に副業を咎められた、夢を追いかけるのに疲れた、など様々な理由でね。ミイナルは、ヤミリーズ・カンパニーが裏で手を回したと思っていて、配信者達を取り戻すためにうちに入ったんだ」


 駅から外に出て、なおも歩き続ける。ネオン街、と言えば正しいか。紫色の光が道行く人を照らし出している。駅の店と同じように、周りの低い建物はすべてシャッターが降りている。半分だけ降りている店の前で、知り合いは立ち止まった。埃を被った本の数々が置かれていた。

「赤いポップが見えるかい。その下に積まれているのが、ムクルレの師匠にあたる人が出版した本だ」

 周りの本が殆ど残っていない中で、ひとつだけ、何冊も積み重なった本の山があった。

「ムクルレは、彼がヤミリーズ・カンパニーの手によって闇に落とされたと考えている。だが、実際のところは分からない。僕は、彼が自分の意思で寝返った可能性もあると思っているんだ」


 知り合いはまた歩き始めた。私が反応をしなかったせいもあるだろう。そこからは暫く無言だった。私達は、海から遠ざかる方向に歩いていた。

「ヤミリーズ・カンパニーはある程度の闇を持つ人間を利用し、この世界を『闇の力』で支配しようとしている。『闇』の具体的な出処は……」

 私は、頭に手をやった。

「ああ、そうだったね。君は意図的に『闇の心』を持ち、幹部達を召喚する戦法を取った。しかし、ヤミリーズ・カンパニーの被害者達……この世界の人類の殆どは、無意識に持っていた『闇』を増幅されてしまったんだ。ミイナルの友人達も、ムクルレの恩師もね」

 この世界が闇に染まりかけているのは、敵――ヤミリーズ・カンパニーだけのせいではない、と言いたいのか。

 ただ、私達に、心に闇を持たないことなんてできるはずがない。私だって、『闇』を意図的に持ったときには、自分が元々抱いていた意思を増幅させただけだったのだ。だから、やっぱり悪いのは敵だ。敵だった。

 そう言い返そうとすると、知り合いは微かに笑ったような息を漏らす。

「違うよ。僕は誰かを責めたいんじゃない。ただね……君の仲間達が毒されていなかったことは『奇跡』だ。笑って過ごしていた日々は、『奇跡』だったんだ。僕は、君達がどうやってあのような日々を抱いていたのか、一片の闇もなく『幸せ』に暮らしていたのか、興味を抱いたんだ。もしかしたらその秘密が、僕達の助けになるかもしれない、と。さっき、君達をいい意味で放っておいたと言ったのは、それだよ」

 知り合いがまた、その場に止まった。低い建物は抜けていて、広い場所に来ていた。

「でも、もうその秘密を暴くには時間が足りないね。かけがえの無い日々を守る時間は、もう終わってしまったのさ……いいかい、ケト」

 知り合いは、右腕を上げた。地面と平行に。何かを指さしていることに気づき、目線の先を確かめる。

「あそこがヤミリーズ・カンパニーの本社だ」


「は?」


 目の前に大きな山がある。

 その山の上に、大きな工場があった。公民の教科書に載っているような、黒いパイプと鉄筋でできた城。どこから登れるか試したい、なんて子供のようなことは言わない。どこからでも登れそうで、しかしどのパイプがどこに繋がっているか分からない、入り組んだ黒い城、だった。端と端が見えず、奥行がいくらあるのかも測りとれない。

「何で連れてきたの?」

「君に現実を見せるため。それから、僕が、君を事前情報もなしに敵地に送り出すような薄情者ではないからさ。ほら」

 知り合いはいつの間にか、手にファイルを持っていた。前に、私が取ってきたものだ。

「この中に、潜入経路の書かれたマップが入っている。勿論複写したものだけれどね。本物と照らし合わせてみてくれないか」

 図面が描かれた一枚の紙を取りだし、建物に向かってかかげてみる。

「……分かるわけない」

 不要な言葉を思わず毒吐いた。知り合いにとってはここから情報を読み取ることなど当たり前なのだろうか。

 顔をあげる。フードで隠れているはずの知り合いの顔が、今は見えていた。厳しい顔をしていた。

「いいや、分かってくれ。僕達はもう、君に優しくしすぎることができなくなってしまった」

 知り合いは、不意に後ろに振り向いた。

「そうだろう、ヨユング」


 私も振り向いて、そちらに目をやった。気づいてはいたが、意図的に視界から外すようにしていた。煙草を吸いながら、建物を眺めているアイパッチの男が立っている。

「ケト、彼は……」


「かつて、ヤミリーズ・カンパニーを裏切った者だ」

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