#10 自己中の考え方
目を開けた私の顔を、白い髪の少年が覗き込んでいる。
『だ、大丈夫? 随分派手に落ちたね……』
私が何か答える前に、セトラは何歩が下がった。ああ、私が「距離を保て」と言ったから。代わりにぎゅっと服の裾を握り、恐る恐るといった様子で口を開いた。
『あのね……怖かったら、僕が一緒にいるからね』
幻影だ。私が気づいたとき、もうセトラの姿はなかった。
「おめーさん、身勝手な奴だな」
転がり込んだ部屋の窓際にいたのは、アイパッチをつけた筋肉質の男だった。
「もう間もなく攻撃の日だっていうのに、またおめーが関わってんのか。この間のチャイムもそうだったんだろ?」
明らかにこちらに悪意を向けている。だが、一応敵ではないようだ。
「……で、依頼は」
「依頼? ねーよ、そんなもん」
アイパッチの男は手をヒラヒラとこちらに見せつける。それから、はち切れそうなスーツのポケットからタバコを取り出す。ポケットの隙間から歪んだバッジが見える。私が持っているのと同じものだ。
もう何も答えそうにない。
この場に可能性は二つある。一つ目は、このアイパッチの男が私に依頼をわざと教えていない可能性。二つ目は、私が知り合いに騙されている可能性。一体どちらなのか。考える気も起こらない。どちらにせよ、依頼など受けなければ良いのだ。この男に無理やり聞き出すほどのメリットは、私にはない。それに、私は……
気がつくと、男は火のついた煙草を片手に持ったまま私との距離を詰めていた。
「おめーさあ、自分のことしか考えてないだろ。大人ぶっていい気になって、周りのこと全然見とらんやんけ。割を食うのは
頭の猫耳に触れようとして、それがもう無くなっていることに気がつく。
「いい加減に気づけよ。ビユノムがあんたを逃がしたって」
男は舌打ちをした。それから、私の耳に顔を近づける。
「この、
どうでもいい。周りのことなどどうでもいい。いくら迷惑をかけようと、どう思われようと、知らない。それに私は自己中でもない。自分のことすらどうでもいい。そうでなければ、闇に手を染める覚悟もできないのだから。
その考え方が自己中心的なのだとしても。
ペルプ達さえ幸せならば。
周りのことなんて、自分のことだって、
頭から追い出してしまえば良い。
そう、思っている、はずなのに……
アイパッチの男は私から離れ、窓の方に向かう。煙草をくわえ、閉じた窓に向かって息を吐いた。
「そんな訳だから、依頼なんざねーよ。今日に懲りたら大人しくしとけや」
思索を無理やり脳の隅に押しやる。押し返って戻ってくるのを再び押し戻す。
この部屋の扉は一箇所。部屋の広さからして、階段に直で繋がっているはずだ。魔力は尽きている。麻袋はポーチの中に入っているが、中身を取り出して男を奇襲するまでの間に取り押さえられるだろう。窓から出ようとしたら、あの宇宙人に再び出くわすかもしれない。
「ああ? どうした、そんなに殺気立って」
もう一度アイパッチの男に目をやる……少なくとも、こいつの話を聞く必要はない。これは頭から追い出してもいい。流石のみんなもそう言う筈だ。どんな人にでも手を差し伸べるペルプも、常識を備えているキロロも。だから、私は一方的に発言を押しつける。
「私は、自分の中にある闇を操ることができる」
「は? おめー、厨二病なのか? 自己中に飽き足らず?」
「冗談じゃない。例えば、闇を増幅させて『あいつら』を呼び出すことも」
男の表情が変わった。眉間に皺が寄る。目が吊り上がる。それから、腰元の鞘に手をやった。
「何!? まさか裏切る気か……!!」
『そうね、色々考えての行動ではあるけれど』
脳内に声が反響した。目の前に立つのは、青色の服を着た少女……カルモだ。私の方に振り向いて、にっこりと笑う。
『あの人曰く自己中なんでしょう? たまには何も考えずに動いてもいいと思うの。ね、ケトちゃん』
そんな暴論があるか。言い返そうとして、カルモが幻影であることに気づく。私は幻影に手を伸ばす。
「待って――」
我に返る。ポケットに手を押し当てる。魔力が身体を逆流する。「猫耳」は出てこない。足りない。足りない。でも。アイパッチの男が近づいてくる。床が軋む。爪を生やす。無理やり魔力を絞り出す。手元で明滅する「猫耳」を、無理矢理頭に装着する。途端、今度は目の前に陽炎が映る。限界だ。そのまま私は、男に飛びかかる、
ことはなく、ひょいと左に避けた。
「あぁっ!?」
そのまま私は、素早くドアノブに飛びついた。勢いよくドアを開けて、足元も確認できずに階段を駆け下りる。何段飛ばしでもいい。
「おい! 待てや、おい!」
鉄製の音がふたつ、不調和を奏でている。頭の中に響く。男が追いかけてきている。必死にカルモの幻影を探す。
「待って! カルモ! 待っ……!」
「このっ、そういうところを、自己中って言ってんだ!」
どこ? 優雅に笑いながら逃げるカルモはどこに? いない。当たり前だ。私はどうして探している? みんなから離れたのは私なのに!
深紅の光のカーブが私の頬を掠めた。斬撃だ。振り抜かれた「鉤爪」が目の先で煌めく。男は私の背後にいる。
「ビユノム達に迷惑がかかるって分かってんのか!? おめーの行動ひとつで、全員のイノチが飛ぶんだぞ!!」
私は走り続けていた。不調和な鉄の音に、自分の心臓の音が混ざる。
あ……ああ、結局、私はどこかで私のことを優先しているのだ。私の幸せなんてどうでもいいのに、元の幸せを求めている自分がいる。
「『名もなき勢力』の目的を思い出せ! 余計なことをするな!!」
私自身の目的を見失ってはいけない。一瞬でも、あの男の言っていることを肯定してはいけない。私にとって大事なものは、「名もなき勢力」ではないのだ。私にとっては……
「ぜんぶ、どうでも、いい……!」
私の足が、地を踏んだ。階段はもう終わっている。ドアもなく、日の下に晒されている。頬と足に痛みが走る。心臓の脈打ちが大きく聞こえてくる。私は自分が出てきた建物の方に身体を向ける。アイパッチの男は、もう追ってきてはいなかった。というより、隣の状態に気づいてそちらに向かったのかもしれない。手放す寸前の意識を握りしめる気で、私はふたつのビルを見上げた。
名も無き勢力の「第一拠点」は巨大な闇に包まれていた。
おそらく宇宙人以外の何者かがこの混乱に乗じて襲いかかってきたのだ。まぎれもなく敵襲だった。そうなると、爆発音も魔力の暴発ではなかったのだろう。
私には関係のないことだ。闇の前で立ち尽くす青年も、狂おしく泣きじゃくっているクマ耳の女も、私には関係がなかった。知り合いが見当たらなくても、どうでもよかった。心の中で渦巻く混濁した水の中で、冷静な自分の声が聞こえる――ここから離れろ、と。自らのキャパシティの限界に気づかないほど、私は馬鹿ではない。そのまま私は歩き出した。
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