第二十九話 拝謁

 御簾みすの奥にいるというのに、まるで高貴な身分と思えないようなその物言いに、横から咳払いをしながら入ってきた細面ほそおもてかみしも姿の男は、生真面目に反応した。


「恐れながら、挨拶が済むまでは、どうかそのままで」

「しょうがないのぅ」


 そうして藺草いぐさの匂いが漂う広間に、ふわりと白檀びゃくだんが混ざれば、いよいよピンと空気が張り詰める。


「さて、卜部うらべ明星あかぼし殿、並びに草浜のカヤ様、遠路はるばるよく来てくださった。用件は宵鶸しょうじゃくから伝えた通りでな、こちらにおわしますお二方ふたかたが、是が非でもそなた達を連れて参れと仰るので、無理を通した次第なのだ。それでは、丹王におう様と白帝はくてい陛下よりの御言葉を申し渡す」


 ゲンタもカヤも、ちらりと御簾みすかみしも姿の男を見た以外では、じっと頭を下げていて、しんと冷えたその場所では、その男の声がつむじから入ってくるように感じられた。

 頭を下げたままではよく分からないが、恐らくかみしも姿の男が書状を広げているであろう音が聞こえてきた。そしてそれも終わらぬうちに、先ほどの場違いに明るい声がまた聞こえてくる。


「大久保殿、もうよい。が直接挨拶いたす」

「は、しかし……」

「俺も構わないぞ」


 もう一つ聞こえた重々しい声は、御簾みすの向こうにいる丹王におうのものだろう。

 三人の顔は未だゲンタとカヤには見えないが、少なくとも細面ほそおもての男は、うろたえもせずに「かしこまりました」と言った。

 何かしらの布が畳と擦れる音、そのすぐあとに軽い物の当たる音がして、また布が畳に擦れる音が遠ざかってゆく。


おもてを上げませい」


 この少し低い声はかみしも姿の男のものであろう。

 ゲンタとカヤは無言で顔を上げ、上体を起こして様子を探る。けれど、視線は合わせない。

 二人の視線の先、上段の間左には真白な束帯そくたいを纏い、えいが垂れたこうぶりを被った若い男が繧繝縁うんげんぶちの畳の上に座している。

 上段の間右へと視線を移せば、そこにいたのは、どことなく先ほどの若い男と似ている中年の男だった。しかし、顔も体格もがっしりとしていて、纏っている丹色にいろ衣冠束帯いかんそくたいは似合っていないようにも見える。

 最後に上段の間の手前、ゲンタとカヤから見て向かって右手にいるのが、かみしも姿で細面ほそおもての若い男で、髪は後ろで束ねて総髪にしているようだった。


から話すぞ。構わぬか、丹王におう殿」

「おう」

「では、ゲンタとカヤ、そう固くならずともよい。これから重要な話をするのに、それでは頭に入らぬであろう」

「恐れ多いことにございますれば」

「では、お主にちょくを下す。気楽に聞け」

「は、はは。畏まりましてございます」


 ゲンタとって帝とは、話すことはおろか、顔を見ることすら許されぬ、正しく雲上の人なのだ。いくら命令とはいえ、そのように返事をすることだけで精一杯だった。


「そちら、カヤは息災であったか?」

「はい。薬屋の若旦那も無事そうで良かった」

「ふふふ、そうであろう、そうであろう。それにしてもゲンタもカヤのように話せればいいんだがのぅ。朝廷のしきたりに染まりおって」

「ところで若旦那は都には帰らないの?」


 そういうことだから、このような口をきくカヤの心がさっぱり理解できず、ゲンタは胃を握り潰されているような気分なのである。


「それがなあ、にも色々考えがあってな、しばらくは帰らない予定なのだよ。詳しいことはこれから話し合わねばならぬでの、時間がかかるかも知れんが、よろしく頼むぞ」

「うん、分かった」

白帝はくていさん、俺もそろそろいいか?」

「うん? ああ、もちろん」

「ゲンタにカヤだったか。いい面構つらがまえだな。勘づいているとは思うが、俺が赤烏せきうをまとめている丹王におうだ。白帝はくていさんがこっちに転がり込んできた挙句に、お前らを連れて来いというもんだから、どうしたもんかと思っていたが、ふうん、なるほどなあ。……ま、よろしく頼むぜ」

「はは」


 丹王におうが破顔してガハハと一笑いっしょうすれば、ゲンタの顔には生気が戻ったような感があった。

 それから、白帝はくていに大久保殿と呼ばれていたかみしも姿の男が、再び咳払いを一つ。


「では、私から状況を説明し申す。白帝はくてい陛下が宵鶸しょうじゃく伝手つてを使ってこちらに参られたのが、さきの冬の果てのこと、白葦はくいの都で大火が収まってから二日後のことである。

 聞けば、大火の背後に逆臣ありと、こちらに保護を求めてきての。こちらも断る理由がないゆえ、こうして最大限の配慮をしておるのだ。

 そのような折、手の者から面を被った水干すいかん姿の男が、国内をうろついているとの情報が入ってくるようになった。赤烏せきう水干すいかんを纏っている者など、この頃はとんと見かけぬから、もしや白帝はくてい陛下を探しに来た白葦はくいの者ではないかと、斯様かように思って尋ねたところで、白帝はくてい陛下は、そやつこそが逆臣の弓削ゆげ千晴かずはるであるぞと、こうおっしゃったのだ。……さて、お二方、ここから先は自由に口を開いて良いぞ」


 大久保の口から弓削ゆげの名が出たことに、ゲンタは背筋が固くなり、自分の唾を飲み込む音が耳に残ってしょうがなかった。そして、自由に話をして良いと言われたところで、相談の内容も聞かずに声を発することなど、今のゲンタとカヤにできるはずもない。

 そのほんの少しの静寂は、場違いに陽気な声によって一変する。 


「うむ。がここに来たのは大久保暁鶏ぎょうけい殿が述べた通りだ。そして赤烏せきうの衆には大変世話になっておるが、がここに来たのは逃げるためではない。朝廷と、ただ乙女が犠牲になるだけの御言女おことめという仕組みを壊すため、赤烏せきうの力を借りに来たのだ」


 白帝はくていはそう言って、最上段からゲンタとカヤに微笑みかけた。

 自身がどれだけ突拍子もないことを言っているのかも知らぬ風に。

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