第08話 不意打ち
タイムトラベルとタイムリープはほぼ同義だが、近年ではこの2つは区別されている。
タイムトラベルは肉体を伴って時間移動するが、タイムリープは肉体を伴わず精神のみが時間移動する。
タイムトラベルは別時間の自分を外から観察することになり、タイムリープは別時間の自分自身に現在の自分の意識が入り込むことになる。
タイムトラベルなら移動先に物を持ち込むこともできるし、逆に物を持ち帰ることもできるが、タイムリープはどちらもできない。タイムリープで移動できるのは意識と記憶のみ。
「準備はいいですか?」
「はい。万端です」
私にできるのは心の準備だけ。
覚悟はとっくにできている。
でもいまの私にあるのは覚悟だけではない。伊居さんの夢が私の夢にもなっていた。
私は前回の続きにダイブした。
時刻は23時。ちょうど電車が自宅の最寄り駅に着いた。
一瞬、どこだかわらかなかったが、アナウンスを聞いて慌てて電車を降りた。
降りたあとにタイムリープさせてくれたらよかったのに、と一度は思ったが、人混みの中を歩いている瞬間に飛ばされると危ないからだとすぐに納得した。
私はコンビニに寄って注文していた隠しカメラを受け取った。
けっこう大きな段ボールを受け取ったが、夫は寝ているはずだから大丈夫。
帰宅すると、やはり家の中は真っ暗だった。夫は先に寝ている。
いつもなら心の中でボヤいているところだが、今日は好都合。リビングで段ボールを開けて堂々と隠しカメラを取り出した。
それから、各カメラの説明書をひととおり読んだ。
カメラは種類ごとに2つずつある。それを1つずつ設置していく。
置時計型はリビングと寝室に。ACアダプター型とUSB型とペン型は全部夫の書斎に。
出たゴミは可燃ゴミの袋に入れて地域指定のゴミ捨て場に捨てに行った。
これで今回の任務は完了。
就寝準備はAIに任せて私はログアウトした。
「お疲れ様です。今日はここまでにしましょう」
「はい。お疲れ様です。わかりました」
気づけばすっかり日が暮れていた。
私が仮想過去にいる間の経過時間は現実でも同じだけ時間が経過する。
仮想過去だからといってのんびりしていると伊居さんに迷惑をかけてしまう。
「続きは明日で大丈夫ですか?」
「はい。お待ちしています」
そうして私は伊居さんのラボに通うこととなった。
翌日、朝からラボを訪れ、さっそく昨日の続きにダイブした。
時刻は23時半。帰宅直後。夫は寝ている。
リビングに行くと、ダイニングテーブルの上にUSB型とACアダプター型の隠しカメラが置いてあった。
メモ書きはない。無言の圧力を感じる。隠しカメラがバレたのだろうか。
私はさっそくカメラのデータを確認した。
USB型とACアダプター型はかなり早い段階で見つかっていた。どうやら隠しカメラの機能には気づかれていないようで、USB型はスイッチを切られていなかった。ACアダプター型はコンセントから外した時点で切れていた。
もうこれらのデータを確認しても意味がない。本命は夫に見つからなかったカメラたち。
まずペン型。
書斎に入ってきた夫はデスク前で少し固まった。見覚えのないUSBを見つけたのだ。それを2つとも手に取り、書斎を出ていくときに2つのACアダプターも外していった。
そのあと、動体検知で夫が部屋に入るたびに1分ほど撮影されていたが、この日の夫は金庫を触らなかった。
このころはまだスマホを金庫に入れていないので、毎日は触る必要がないのだ。
残りは置時計型。
結論から言うと、置時計型に引き出しの鍵や金庫の解錠方法は映っていなかった。
しかし、とんでもないものが映っていた。
時刻は正午。夫が家に1人の女性を招き入れた。
ついに浮気現場が撮影されたと思ったが、違っていた。あまり若くなさそうな時点で違和感はあった。
その女性は家に入るやいなや、家事を始めたのだった。
キッチンで皿を洗い、1人分の料理をして夫に出した。
夫が食べ終えるとまた皿を洗う。
そのあと、女性はリビングを掃除しはじめた。
掃除の格好でいろんな部屋を行き来している様子からして家じゅうを掃除している。
カメラに近づいて彼女の顔がよく見えたが、やはり若い女ではなく、おもいっきりおばちゃんだった。
女性は夫の書斎にだけは入らなかった。
掃除を終えると、再度キッチンで作業を始めた。
調理を終えると、それを皿に盛りつけてラップをかぶせた。
なんと、帰宅後の私に用意されていた料理は彼女が作ったものだったのだ。
女性はその作業を終えると帰っていった。
「コール・ログアウト!」
『ログアウトしますか?』
「はい!」
私は思わずログアウトしてしまった。
隠しカメラや映像を確認するパソコンはそのまま放置して仮想過去から帰ってきてしまった。
装置から吐き出された私を待っていたのは、気まずそうに水を差し出す伊居さんだった。
「お疲れ様です」
「信じられない。夫は家事だけは完璧だと思っていたのに……」
私は受け取った水を飲みもせず、うつむいた。
夫は家事をしていなかった。
私が稼いだお金で家事代行サービスを使っていた。
専業主夫って何? 何をしているの?
答えは映っていた。
何もしていない。夫は何もしていなかった。
リビングの置時計型カメラに映っていた夫は、ただご飯を食べ、ソファーに寝転がってテレビを見ているだけだった。
テレビ画面は映っていないので何を見ていたかはわからないが、しきりに操作していたことからしてYouTubeでも見ていたのだろう。
「すみません、伊居さん。少し休ませてください」
「わかりました」
伊居さんは私を応接室に案内してくれた。
フカフカのソファーに身を預け、伊居さんが用意してくれたコーヒーに口をつける。
頭の中がグルグルする。
ソファーに背中を押し付け、上を向いて顔に両手をのせた。
ショックだ。前から迫りくる暴走スポーツカーを警戒していたら、うしろからトラックに
不倫だけを疑っていたので、あまりにも不意打ちだった。
私を1人にしてくれていた伊居さんがノックをして応接室に入ってきた。
「
「いえ、仕事ですので……。じゅうぶんに休ませていただきました。続きをお願いします」
もはや私は勇者になった気持ちでいる。
魔王城に向かう足取りで、VAISのある部屋に向かった。
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