第09話 仮想タイムリープの最大のメリット

 今度は自宅で隠しカメラを設置する段階まで戻ってダイブした。


 卓上の備品に紛れ込ませるやり方では見つかってしまう。

 今度は物陰に隠す形で設置した。木の葉を隠すなら森の中ではなく土に埋める戦法だ。


 ログアウト、待機、再ログインして隠しカメラの確認。昼食休憩を挟み、そのローテーションを繰り返す。

 そしてようやく夫が金庫を開けるシーンの撮影に成功した。


 引き出しの鍵の隠し場所は最下段からひとつ上の引き出しの底面だった。

 内側ではない。引き出しを開けた状態で下から覗くと、そこに小さな封筒が貼り付けてある。

 その中に鍵が隠されていた。


 ただ、残念なことに金庫の解錠方法はわからなかった。


 金庫はダイヤル式で、夫が金庫を開けるときはどうしても背中で隠れてしまう。

 それにおそらく、夫の背中がなかったとしてもダイヤルのメモリが小さすぎて隠しカメラでは読み取れない。


 そこで私は決意した。

 仮想過去なら自分の行動をなかったことにできる。それを活かさない手はない。


 仮想過去からログアウトした私は、伊居いいさんに言って次のダイブ先の時間を夫が金庫を開ける少し前に設定してもらった。


 その時間、もちろん私は仕事中だったけれど、無断で中断して帰宅した。


 静かに玄関扉を開け、音を立てないように中に入る。

 夫が金庫を開けに書斎に入った隙にキッチンから包丁を持ち出し、時計を見つめる。

 夫が金庫を引き出しから取り出すタイミングはあらかじめ伊居さんに確認してもらったので、その時間になると同時に突入する。


 ――バン!


 勢いよく扉を開け、私は夫の書斎に突入した。

 そして、夫に包丁を突きつけた。


「金庫の開け方を教えて!」


 突然の出来事に、夫は何が何だかわからないという様子で硬直している。

 数秒経ってから、夫は眉尻を下げたまま私にほほえみかけてきた。


「何をしているんだ、香織かおり。その冗談は笑えないぞ」


「私は本気よ。証明する必要があるなら、いまからあなたの腕を切りつける」


「わ、わかったよ……。でも、金庫の開け方を聞いたあとはどうするんだ? 俺が通報するリスクを考えたら、おまえは口封じのために俺を殺すんじゃないのか?」


 夫が冷静すぎて頭にくる。慌てふためいてさっさと解錠方法を教えればいいものを。


 私は夫を強くにらんで冗談ではないことを見せた。


「殺さない。だって、あなたは通報できないもの。もし私が捕まったら、あなたは収入源を失って生活できなくなる。だからあなたは通報しない」


「でも金庫を開けたところで、家に置いている分の金が入っているだけだぞ。これに何の意味があるんだ」


「私が欲しいのは金庫の中身じゃなくて金庫の開け方。つべこべ言わずに教えて。教えるなら殺さないけど、教えないなら命の保証はしない」


 そうは言ったけれど、たとえ仮想過去でも私には人を殺すことなんてできないと思う。


 でも夫はそんな私のことなんて理解していない。

 私を落ち着かせようと、金庫の解錠方法を教えてくれた。


 解錠方法はダイヤルを右回りで17を4回、左回りで32を3回、右回りで49を2回、左回りで86を1回。その状態で鍵を回せば金庫を開けることができる。

 金庫用の鍵はキーリングで引き出しの鍵と一緒に保管されていた。


「これでいいのか? いまので覚えられたのか?」


「覚えたわ」


 本当は覚えていないけれど、VAISのログで確認できるから覚える必要はない。


「じゃあ、もういいだろ」


「いまのが合っているか確認する。実際に金庫を開けて」


 私が包丁を突きつけると、夫は金庫を解錠してみせた。

 嘘は言っていなかった。


 私は包丁を構えたまま後退し、夫の書斎を出ると扉を閉めた。


「コール・ログアウト」


『ログアウトしますか?』


「はい」


 かなり強引なやり方になったものの、どうにか金庫の解錠方法を知ることができた。


 これは仮想タイムリープだからできたこと。

 本当のタイムリープだったら、こんな捨て身なやり方はできない。

 もちろん、現実でもできない。


 このあと、伊居さんにログを確認してもらい、私は金庫の解錠方法をスマホにメモした。


「やっとひとつ目の目標が達成できましたね、草井くさいさん」


「はい。ありがとうございます。伊居さんのおかげです」


 ふたつ目の目標は、夫のスマホの通話履歴やSNS通信履歴を確認すること。

 これは証拠にもなるものなので、現実世界でやる必要がある。仮想過去で確認しても、それは証拠にはならないのだ。


 今日の仮想過去へのタイムリープはここまで。あとは会社に戻って、報告書を作らないといけない。

 次の任務は帰宅後になる。

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