第10話 収穫

 会社から帰宅した。時刻は23時。


 夫はやっぱり先に寝ていた。

 ダイニングテーブルの上にはラップがかけられた料理がある。今日はチャーハン、から揚げ、キャベツの千切りとミニトマト。鍋には味噌汁。


 いつもならノータイムで電子レンジに突っ込むのだけど、今日は手が動かない。


 嫌悪感がすごい。


 私は毎日、見ず知らずの人が作った料理をそれと知らずに食べさせられていた。


 こんなことってある?


 けれど、よくよく考えてみると、不倫をしている夫の手料理よりも家事のプロが作った料理のほうがマシかもしれない。


 料理や食材に罪はない。

 おなかも空いた。


 私はチャーハンとから揚げの皿を電子レンジに突っ込んだ。


 ――ピーッ、ピーッ、ピーッ!


 皿を取り出し、ラップを剥がす。


「…………」


 箸を手にしたところで止まる。


 やっぱり気持ち悪い。


 でも、食べないと夫に怪しまれる。

 ゴミ箱に捨てたりしたら、夫か料理を作ったおばちゃんに見つかる。


 味は変わらない。いつもと変わりない。

 お店で出される料理だって知らない人が作ったものじゃないか。何度もそう念じながら、私は料理をかき込んだ。


 それから、シャワーを浴びて心を洗い流し、ついに現実での任務を開始するときが来た。


 もう日付は変わっている。ドライヤーの音でも夫は起きてこなかった。大丈夫だ。


 夫の書斎に入り、扉を閉めてから電気をつける。

 引き出しの鍵は仮想過去で見たとおりの場所にあった。


 金庫を取り出して机の上に置く。

 そして、ダイヤルを回す。


 右17を4回。


 左32を3回。


 右49を2回。


 左86を1回。


 そして鍵を差し込み、回す。


 開いた。金庫が開いた。


 中には夫のスマホが入っていた。

 暗証番号はわからないけれど、指紋認証でロック解除できるはず。


 私は夫のスマホを片手に寝室に入った。

 灯りはつけず、夫に忍び寄る。そして、夫が寝ていることを慎重に確認する。寝息のリズムを注意深く聞き、狸寝入りをかましてないか確認する。


「ねぇ、あなた。ねぇ、すぐる


 小声で呼びかける。さすがにこれで反応がなければ完全に眠っているだろう。


 夫が寝ていることを確信した私は、ゆっくり布団をめくり、そっと夫の手を取った。

 そして指をスマホに当てる。


 スマホのロックが解除された。


 私は寝室を出て扉を閉めた。


「ふぅ……」


 まだ今回の任務は半分。ここからが本番。


 夫の書斎に戻った私は自分のスマホを取り出し、カメラに夫のスマホ画面を映した。そして録画を開始する。


 今度は夫のスマホを操作し、通話履歴を映す。

 履歴には家事代行サービスや飲食店、理容室の名前があるだけだった。


 そこまでは想定内。

 本命はこっち。SNSの通信履歴。


 緑のアイコンをタップしてアプリを開く。

 いちばん上に女の名前が出てきたので、それを押す。


桃背ももせ恵奈えな……」


 その名前には見覚えがあった。

 私が探偵から報告を受けた、夫が一緒に食事をしたという女性の名前。


 会話の履歴から頻繁に会っていたことがうかがえる。

 雑談的な内容はほぼない。いつどこに集合するか、その情報がひたすら羅列されていた。ときどきアプリ内で通話したという記録も挟まっている。


 私はそれを初期からスクロールしていって時系列順にやりとりを撮影した。


 あまり生々しい会話はなく、これだけでは不倫の証拠とは言えない。

 でも、夫がいつどこで彼女と会っていたかという情報は得られた。収穫としては十分。


 私は夫のスマホを金庫の中に戻し、金庫を閉め、引き出しに戻す。

 すべて音を立てないよう慎重にやる。

 引き出しに鍵をかけ、鍵を元の位置に戻す。


 これで任務完了。私は夫の書斎を出た。


「何してんの?」


 ビクッと心臓が跳ねた。いま私はすごい顔をしてしまったかもしれない。

 書斎から出てくるところを夫に見られた。しかも手には自分のスマホ。どう見ても怪しい。


「あ、ごめん。起こしちゃった?」


 平静を装って何気ない会話をつくろうも、夫のいぶかしむ視線が私に突き刺さる。


「何してんの?」


 同じことを訊いてきた。先に自分の質問に答えろとでも言うように。


 一瞬、「コール・ログアウト」という言葉が頭をよぎったけれど、いまは現実世界だと思い出す。


「ごめん。モバイルバッテリーを持ってないかと思って。明日、仕事で使うかもだから」


「持ってないよ」


「そっか。じゃあ明日、会社でほかの人に訊いてみるね」


 私はどうにか笑顔を貼り付けて寝室へ向かった。


香織かおり


 夫の隣を通り過ぎるとき、私は呼びとめられた。

 またしてもビクッとしてしまい、再び顔に笑顔を貼り付けるのに時間がかかった。


「何?」


 ようやく振り返った私に対し、夫も白々しい笑顔を向けてきた。


「仕事で疲れているんだろう? 早く休んだほうがいいよ」


 心にもないねぎらいと心配の言葉。気遣うフリだけは一丁前だ。


 でもバレなくてよかった。


 いや、夫は書斎に入っていった。

 私が何かしていないか確認するのかもしれない。用心深いことだ。


 私もいまのうちに化粧台の下の金庫に自分のスマホを入れ、朝のアラームを置時計のほうで設定した。


 私が布団に入ったあと、すぐに夫も寝室に入ってきた。

 私は布団の中で夫に背を向けて目を閉じた。

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