第07話 始動

 ついに作戦は始まった。

 ひとつ目の任務は夫のスマホを見るために金庫を開けること。


 夫は家にある自分のデスクの最下段、その大きい引き出しに金庫を入れている。そしてその引き出しにも鍵をかけている。

 金庫の解錠方法を見つける前に、まずは引き出しの鍵のありかをつきとめる必要がある。


 ちなみに以前、私は家じゅうに隠しカメラを設置して鍵の所在を探ろうとしたことがあった。

 そのときは夫にカメラが見つかり、すべて破壊された。しかも心当たりはないかと訊かれ、シラを切ったら警察沙汰になりかけた。

 私がオオゴトにはしたくないと言ったら夫は引き下がったものの、おそらく私が犯人だと気づいていた。

 実質的に二度とやるなと釘を刺された形だ。


 しかも、それをやったのが夫に警戒されてからだったのが悪かった。夫に「浮気してないよね?」などと軽率な探りを入れる以前のタイミングでやらないといけなかった。


草井くさいさん、ダイブする時期は3ヶ月前でいいですね?」


「はい。夫に警戒され始めたのが1ヶ月前くらいなので、それだけさかのぼれば十分だと思います」


 最後の確認を終えて、私はベッドの上に横たわった。

 伊居いいさんが装置のコンソールを操作して、巨大な装置が私を飲み込む。


 そして、私は過去へ仮想的にタイムリープした。


 私は家にいた。スーツ姿で玄関に立っていた。

 時計を見ると時刻は23時。会社から帰宅したばかりという状況。

 さすが伊居さん。ベストなタイミングだ。


 私は寝室を覗いて夫が寝ていることを確認し、ダイニングテーブルでノートPCを開いた。


 空腹感に襲われ、さっき端に寄せたラップのかかった料理を電子レンジにかける。

 どうせすぐログアウトするから空腹を我慢すればいいとも思ったけれど、この仮想過去はこれっきりではなく数日続くことになるので、ちゃんとこの過去での体調は整えておきたい。


 私は探偵ショップの通販で隠しカメラを買った。

 ペン型、ACアダプター型、USB型、置時計型をふたつずつ買った。

 しめて13万円。高い出費だけど、仮想過去なので現実の私のふところは痛まない。


 いちおう夫にバレるリスクを下げるため、コンビニ受取りに設定しておいた。


 ひとまず今回の任務は完了。あとはログアウトするだけ。


 ログアウトすれば、あとはAIが簡易シミュレートによって時間を進めてくれる。

 現実の私が知らないところで、仮想過去の私は勝手にシャワーを浴びて勝手に寝るだろう。

 そう考えると、わざわざ食事を摂らなくても勝手にやってくれていたのかもしれない。


「コール・ログアウト」


『ログアウトしますか?』


「はい」


 私は現実に戻ってきた。

 伊居さんが水の入ったペットボトルを差し出してくれる。


「お疲れ様です」


「ありがとうございます。あ、注文した隠しカメラなんですけど、たぶん3日後くらいに届くと思います」


「わかりました。それでは、次は3日後にダイブしましょう」


 ダイブしている間は、元々あった私の意識は消えて現実の私の意識にすげ代わる。

 ログアウト後に仮想過去内の私の記憶がどうなるかというと、ダイブ中の行動はぼんやり妄想していたか、夢でも見ていた感覚になるらしい。


 つまり、仮想過去内の私はダイブ中の現実の私の思考をうっすら認識しているものの、行動原理は引き継がずに歴史どおりの行動に戻る。

 だから隠しカメラは再びダイブして自分で受け取りにいかないといけない。


「伊居さん、次のダイブはすぐにいけますか?」


「あっ、すぐには無理です。過去の変化による影響をシミュレートしなければならないので、少し時間がかかります。3日分なら1時間くらいかかると思うので休憩にしましょう」


 私たちは再び会議室に移動した。

 伊居さんが用意してくれたコーヒーのおかわりを飲みながら、次のダイブでやるべきことをおさらいした。


 準備は万全に整ったものの、まだ時間まで30分以上も残っている。


「草井さん、何か訊きたいことはありますか? 何でも訊いてください」


「何でも?」


 思わず伊居さんのプライベートについて訊きそうになった。


 結婚は? 付き合っている彼女は? 好みのタイプは? 趣味は?


 喉まで出かかって、どうにか踏みとどまった。

 これはあくまで仕事。VAISについて訊かなければ。

 変なことを訊いて、「これだから女は」なんて思われたくない。


 伊居さんは私の仕事ぶりを認めてくれている。それは彼の態度からなんとなく伝わってくる。

 私は伊居さんを失望させたくない。伊居さんに失望されたくない。


「プライベートなことでも構いませんよ」


「ご結婚はされていますか?」


 許可が下りたので、つい反射的に訊いてしまった。

 プライベートにしても込み入った質問だったと後悔しつつも、私の胸は高鳴っていた。


「してないですよ。学生時代は勉強ひと筋、いまは研究ひと筋。おもしろ味のない人生です」


「そんなことないです! 私は尊敬します」


「草井さんにそう言っていただけて救われます」


 伊居さんが柔らかくほほえんだ。


 私は嬉しくなった。そして改めて決意する。

 伊居さんのためにも、VAISが国家支援技術として認められるように全力を尽くそうと。


 それからの私と伊居さんは、他愛もない話で残りの時間を埋めた。


 そしてついに1時間が経った。

 仮想過去の3日後が私の訪れを待ち受けてくれている。


「では行きましょうか、草井さん」


「はい!」

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