ご神託




翌日『ウヒョウビル』と書かれた古いマンションの前に

パトカーが迎えに来た。


「おい、普通の車で来いよ。」


パトカーから降りた久我が、

建物から慌てて出て来たセイをにやにやしながら見た。


「気分が悪い。」

「私は何ともないぞ。」

「パトカーで来たら俺が逮捕されたと思われるだろう。」

「普通の車で来たらお前は居留守を使うかもしれんからな。」


久我がセイの姿を見た。


「ちゃんとした背広だな。よしよし。」

「何がよしよしだ。」


ビルの他の住人が窓から二人を見下ろしている。

一応普通に話しているので逮捕されたとは思われないだろうが、

帰って来たら何か聞かれるかもしれないとセイは思った。


このビルにセイは半年ほど前から住んでいる。

一階に店舗がある古いマンションだ。

隣に誰が住んでいるかセイは知らない。

近所付き合いなど彼は何もしていなかった。


久我が運転する車の助手席にセイは座っている。

彼は走っている最中も外を隙なく見ていた。


「まあ、そう気を張るな。」


運転中の久我が声を掛けた。

だが、既に日常気を張る事は既に習慣になっていた。

彼の目や耳は普通の人より良く物を見て聞き分ける。


「久我、美戸川は俺に一体何の用があるんだ。

俺を首にするんだろう。」


セイは彼を見た。

久我もいつもとは違う正装に身を包んでいた。


「確かにお前は美戸川室長を殴った、と言うか小突いたからな。

私もその場にいたから室長の態度は確かに酷かったのは知ってる。

その後、どうしてもお前に頼まなければいけない状況になったから、

大問題にはならなかったが。」

「美戸川は好かん。」


セイは忌々し気に言った。


「あいつは俺をずっと物扱いしている。」

「気分は悪いだろうが我慢してくれ。」


セイは答える事無く窓の外を見た。

海沿いを走る道は広く美しかった。


大震災後に復興都市として作られた新ナゴノ市は

完全に計画された都市だ。


道路の幅は広く分かりやすい格子状になっている。

ビルは無駄無く作られ、

商業地域と住居地域は完全に分けられて

住居地域の中には緑の多い公園も沢山ある。

 

だがセイは昨日鬼を封印したビル裏を思い出した。

どれ程清潔で美しい所でも人が住めば闇が生まれる。

それは避けようのない真実だ。


暗いビルの谷間に沈んだ鬼は

人の心の闇の象徴の様にセイには思えた。


やがて車はそそり立つビルに着いた。

新ナゴノシティ警察本部だ。

現代の技術を集約したような新ナゴノシティの警察本部の奥に、

そこだけ区切られている場所があった。


その一角は神が祀られている神社だ。


高い天井はガラス張りで青空が見え、明るい光が入り込んでいた。

檜の床張りは傷一つなく輝いている。


そしてその部屋の奥には広い白州があり、

そこには注連縄をつけた見上げる程の大きな黒岩があるはずだった。


セイはそれを一度だけ見た事がある。


警察官としてここに配置された時にこの場所に来た。

部屋に入り黒岩を見た途端全身から冷汗が噴き出した。


ぞっとしたのだ。


この場所は神聖な場所だ。

どこも清潔で整えられて美しい。

だがあの黒岩だけは彼にはおぞましいものに見えた。

本能的な恐ろしさだ。

全身が粟立った。


それから何年経っただろうか。


仕方なくやって来た彼ははっとする。

黒岩は割れてばらばらになっており、注連縄は切れて下に落ちていた。

黒岩の欠片は彼に渡された楔だ。

白州の上に沢山散らばっている。


その黒岩を背にして一人の痩せた小柄な男が座っていた。

セイが警察官を首になりかけたきっかけとなった男だ。

鋭い目つきの神経質そうな顔つきだ。

表情に感情は感じられない。人形の様だった。


セイは胸糞が悪くなり帰りたくなった。

だが男の少し離れた前に座っている女がいた。


巫女姿の小柄な女で横顔が見える。

ボブと言うよりいわゆるおかっぱ頭で

ヘッドホンのようなものをつけていた。


耳はヘッドホンのハウジングに覆われて見えない。

ヘッドバンドは後頭部にあり、髪の毛にほぼ隠れていた。


彼女は背筋をぴんと伸ばし、日差しの中で凛と座っていた。

その時彼女はセイの方を見た。


黒々とした目が彼を見た。

短い前髪が額の真中でまっすぐに切られている。

個性的な髪型だ。


「久我とSEI-10(セイ-テン)、座れ。」


石の前にいる男、美戸川が言った。


「美戸川室長、久我くが隼人はやと警部補と十上とうがみセイ、参りました、遅くなりました。」

「構わん。」


白衣に紫の袴をつけた美戸川が巫女を見た。


高山たかやま六花ろっかだ。」


おかっぱ頭の彼女が頭を下げる。


「彼女も鬼憑きだ。」


セイははっとして彼女を見る。


「高山は先週初めて鬼憑きを経験した。」


この小柄な彼女が鬼と遭遇したとは。

セイは驚いた。


彼ですら鬼を払うには結構苦労した。

捕まえられたら自分自身の命すら危ないだろう。

それをこの女性が……。


「しばらく一緒に行動しろ。何が起こるか知りたい。」


美戸川は何の感情もなく言う。

まるで実験だ。


「一緒と言いましても……。」

「高山は了承している。

彼女は巫女だ。自分で身を守り他人を煩わす事は無い。

SEI-10からは了承を得る必要はない。

高山は今日から久我の配下に入り報告を入れろ。以上だ。」


それだけ言うと美戸川は立ち上がり後ろも見ずに部屋を出て行った。


あっけにとられた様子で久我とセイは六花を見た。


「高山六花です。よろしくお願いします。」


彼女は頭を下げた。

セイと久我が六花の前に座った。セイは胸元のネクタイを緩めた。


「久我さん、先日はどうも。」


六花がにこりと笑って久我に軽く頭を下げた。

黙っているとどことなくとっつきにくい感じがあったが、

笑うと少し垂れ目になった。

セイがちらりと久我を見る。


「彼女があのご神託を受けた巫女だ。」


セイがはっとした顔をして彼女を見た。

六花がにやりとしてセイを見た。


「俺が供物とか……、」


セイがぼそりと言う。


「供物は美戸川さんが言いました。そして私も供物らしいです。」


まるでそれが当たり前のように彼女は言った。


「高山君は元々はこの神社、茨島神社の代々の巫女の家系だ。」


だから巫女衣装なのかとセイは思ったが、

耳元にはその衣装にはそぐわないヘッドホンをつけている。


三月みつきほど前にこのご神体が突然割れたんです。」


彼女は白州の方を見た。

白の上に黒い板状の物が散らばっている。

それは天井から落ちてくる日差しの中でくっきりと見えた。


「楔は石の欠片だな。」

「そうです。それで鬼を封印せよ、と。」


六花がひたとセイを見た。


「私は既に高山君から詳しく聞いているが、

セイはまだ聞いていないだろう。

高山君、すまんが奴に説明してくれるか。」

「はい。」


六花が頷いた。


「私がご神託を受けたのは石が割れてからです。」


だが六花は頭を掻いた。


「ご神託と言っても夢ですけど。

夢に女性が出て来て鬼が放たれたと。

人に取り憑き姿を変えるので楔で封印せよと。」

「鬼……、」


一瞬この時代にそんな馬鹿なとセイは思った。

だが昨日、セイは額に角があり牙のある男に襲われたのだ。

言われた通り封印するとその姿は変わっていた。

鬼はいるのだ。


セイがちらりとばらばらになった石を見た。

以前見た時は全身に汗が噴き出すほどにぞっとしたが

今は全く感じない。


「鬼と言っても元々人だろう?何故鬼に変わる?」

「鬼は長い間封印されていて弱っています。

この世に現れる事が出来ないのかもしれません。

自分の魂を飛ばして人を変えているようです。」


セイは腕組みをする。


「弱っているのならそのうち死ぬんじゃないか?」

「それが……、」


六花が眉を潜める。


「その鬼は天候を支配するもので、死ぬ事はないのです。

封印するしかないと。

それと今はどこにいるのか分かりません。」


セイがため息をついた。


「だから俺がエサなのか。」

「そう言う事です。私もそうですからエサ仲間ですね。」


六花が軽く言う。


「しかし、どうして俺がエサなんだ。

神社とか鬼とか、そんなものに付け狙われる意味が分からん。」

「そうですね、私はこの神社と縁があるので

狙われる理由は分かるんですが。」


セイは久我を見た。


「俺は普通じゃないだろう?」


一瞬六花が妙な顔をする。


「セイ、止めろ。」


久我が意味ありげに言った。


「まあ、とりあえず今日から二人は

一緒に行動するように。街中を歩けと言う事だ。」

「歩けって意味があるのか?」

「鬼憑きと言うものが起こったのはまだ2回しかない。

先週の高山君と昨日のセイの件だ。

だが美戸川室長はそれが何度も起きるのではと考えているようだ。

だから歩けと言う事じゃないか。」


セイがわざとらしく大きなため息をつく。

だが六花は表情も変えない。


「それでな、室長はお前の家か高山君の家のどちらかで

待機せよとの事だ。

リモートワークみたいなもんだ。

まあセイは出歩く時はヘッドセットをつけているし、

高山君はヘッドホンだ。

そこからこちらは居場所と映像をチェック出来るからな。」

「ここに来なくて良いと言う事か。」

「まあそうだな。」


セイは少しばかり妙な気がした。

詳しく聞こうとした時に六花が慌てて言った。


「だ、ダメです、私の家はダメ、

絶対にダメ、ダメったらダメ、ダメです。」


両手を振り回して大声で拒否をする。

その様子をセイと久我があっけにとられたように見た。

激しく手を振り回し、慌てふためく巫女姿の女だ。

両耳にはヘッドホンをつけている。


一体この女は何なのだ。

セイは何も言えなかった。


しばらくみなは静かになる。


「……しかし、どうして家で待機なんだ。」


セイがぼそりと言う。

すると六花が能天気な声で言った。


「私や十上さんを見たくないんじゃないですか。」

「お、おい、高山君、」


久我が少しばかり焦ったように言う。


「だってそうですよね、

鬼関係なんてそんな仕事、みんな信じないし。

美戸川さんは胡散臭いし信用出来ないし。

それに私は美戸川さんの目の上のタンコブですから。

報告さえすればそれで良いんじゃないですか?

私は美戸川さんと会わずに済むならそれで問題なしです。」


セイが驚いたように六花を見た。

見事な上官批判だ。

セイはあっけに取られて久我を見た。


「まあ、高山君は嘱託扱いだから正式な警官じゃない。

でもほどほどにしろよ。

それでしばらくは美戸川室長と呼べ。」

「はあい。」


彼女は久我を見てぺろりと舌を出した。






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