時に鬼憑き

ましさかはぶ子

鬼憑き



その鬼はセイと会う寸前まで人間だった。


目の前で飛び上がり襲って来る鬼の体にある

白い光に右手に持ったくさびを打ち込んだ。


鬼と目が合う。

理性の無い獣のような目だ。


セイはその眼をじっと見た。

鬼の手が彼の首を絞めているがそれはどうでも良かった。


セイはいつ死んでもいいと思っていたからだ。


だが右手に持った楔は鬼の体にゆっくりと入る。

肉をかき分ける感触だ。

そして楔は少し光りながら鬼の体に入って行った。


セイの右手に楔の感触が残る。


まるでセイに生きろと言うように。






2042年。


新ナゴノシティの夜の街は騒がしい。

だがさすがに午前2時も過ぎると人も少ない。


セイはそんな場所を当てもなく歩いていた。

今の気分は狩られる寸前の獲物の気分だ。


そして人気のない歩道で

強い視線と気配を感じてセイが後ろを向くと、

身なりの良くない男が走って来るのが見えた。


彼は先日渡されたものを確かめると、

薄暗い裏通りに全速力で走り出した。


男の手がセイの真後ろで彼を掴もうと空を切る。

多分普通の人ならすぐに捕まえられていただろう。


だが彼なら捕まらない。


すぐに誰もいないビルの裏側にセイは着いた。

その間近に追いかけて来た男がいる。


薄汚れた服を着た男だ。

髪もぼさぼさでいかにも怪しげだ。


そしてその額には二本の角があり、

薄く開いた口元には白い牙が見える。


鬼だ。


鬼の眼はらんらんと光り、セイを凝視していた。


一瞬間が開き、鬼が身をかがめた。

とびかかって来そうな様子だ。

セイは胸元に手を入れると黒い何かを出した。


鬼が3mほど飛び上がる。

そしてセイにつかみ掛かるように両手を前に出して

大きく口を開けた。


セイは逃げる事無く鬼を見た。

そして鬼の体のある場所を確認する。


そこは白く小さく光る所だ。


飛び上がる鬼がセイに近づき、鬼は彼の首を両手で掴む。


だがその時彼が持っていた黒いものが

鬼の白く光る部分に刺さっていた。

その黒いものは楔だ。

20cm程の先のとがった薄い板のようなものだ。


それをセイは鬼の胸元に押し込んでいた。

楔はゆっくりと鬼の体に入って行く。

そして光りながら消えた。


一瞬鬼の手の力はセイの首を強く締めた。

だがすぐにその手は離れて鬼は後ろ向きに倒れた。


セイは咳込みながら膝を突く。


『セイ、大丈夫か?』


彼の耳元にあるヘッドセットから声が聞こえた。


「大丈夫だ。」

『了解、記録されている。位置は捕捉している。

処理班はすぐ着く。その場で待て。』


セイの呟くような声に耳元の通信機が抑揚も無く返事をした。

彼が身につけているヘッドセットであちらにはこの戦闘の一部始終は

記録され目撃されているだろう。


セイは深呼吸するようにゆっくりと息を吸い吐いた。


そして目の前に倒れている男を見た。


男は死んではいない。

封印されたのだ。

先程まで額にあった角も牙もない。

普通の人に戻っている。

そして胸に刺した楔はどこにもなかった。


「セイ、この男か。」


セイが顔を上げると小太りの少しばかり腹の出た中年の男性がいた。

その後には二人の男が鬼だった男の周りにいた。

白いワゴン車が近くに止まっている。

無言で男達は収容袋のようなものに倒れた男を入れ、

ストレッチャーに乗せて素早くワゴン車に乗せた。


「ああ。」

「ご苦労。後はこちらでする。映像は見ていた。」

久我くが。」


セイは久我と呼んだ男に声をかけた。


「これが鬼憑きか。」

「そうだ。」


久我は難しい顔をした。


「ご神託通りだ。鬼の供物であるお前に向かって鬼が生まれる。」

「供物……。

だが言われた通り楔を打ち込んだら動かなくなった。」

「白い光は見えたか。」

「見えた。」


セイは思い出す。

鬼の胸元に小さな白い光があったのを。

それに向かって楔を打てと言われていたのだ。


その楔はまだいくつか渡されていた。

上着の内ポケットに何枚か収納されている。


黒い岩で出来たもので、

20cmほどの薄い板状のものだ。

片方は鋭くとがっている。

素手で持って力を入れると手が切れてしまいそうなものだ。

だが彼は普段から黒皮の手袋をしている。

問題はなかった。


夜中だからか通りかかる人は全くいなかった。

久我は鬼が乗った車を見る。


「やはりあいつも見覚えがある。」


セイがちらりと久我を見た。


「知り合いか。」

「いや、違う。手配書で見た気がするが少しばかり印象が違う。

一体目の時も覚えがある。

美戸川みとがわ室長の所へ送る前に指紋とDNAを採取しなきゃならん。」


美戸川と言う名を聞いてセイが露骨に嫌な顔をした。


「美戸川の話をするな。」

「仕方ないだろう、鬼は室長自ら調べると言っていたぞ。」


セイが舌打ちをする。

それを見て久我が姿勢を正し敬礼をした。


十上とうがみセイ特別警察官、鬼憑きに関してだが

超犯罪調査室から指令がある。明後日の午後一時に向かう。」

「超犯罪調査室……。」

「覚えているだろう、新ナゴノシティ警察本部の

奥まった所にある御神体がある場所だ。」


久我はもったいをつけて彼に言った。


「行かねえ。」


不機嫌そうにセイが言った。

久我が苦笑いする。


「まあ九津ここのつの時の事もあるからな、気持ちは分かるが

本当ならお前はもう首になっているんだぞ。

薄皮一枚で繋がっている状態だ。我儘を言うな。

午後12時30分に迎えに行く。

美戸川室長直々のお達しだ。ちゃんとした格好をしろよ

そこでお前にとってかかわりのある女性と会ってもらう。」

「女性?」

高山たかやま六花ろっかと言う女性だ。今回ご神託を受けた巫女だ。」

「ご神託……。」


セイにとって巫女と言う職業の女性とは全く縁は無かった。

神社すら行った事がなかった。


ともかく美戸川が責任者の超犯罪調査室と言う部署自体に

うさん臭さしか感じていなかった。

だがその部署がある場所はセイは知っていた。


今まで感じたことが無い「畏れ」を知った場所だ。


美戸川に関係している事も行きたくない理由の一つだが、

一番なのはその場所に行きたくないのだ。

だが怖いからと言うのはあまりにも幼稚だ。

仕方なくセイは無言で頷いた。






その翌日、セイは病院に向かった。

一月ひとつきに一度彼は病院で精密検査を受ける。

診察室で主治医の中谷なかたに圭悟けいごが結果を見ながらセイに言った。

圭悟は3年ほど前からセイの体を管理している。


「問題はないな。」


目の前のセイはそれを聞いて返事もしなかった。


「返事ぐらいしろよ、健康と言う事だぞ。」

「……、どうでもいい。

どうせ俺には魂なんて無いからな、

圭悟も知っているだろう。生きていたって仕方ない」


圭悟が苦笑いする。


「お前は全く偏屈だな。

だが毎月の検査はやらなくてはいけないし、

来てくれないと僕も困る。」

「研究対象だからだろ。」

「そうだよ。だからこの前みたいにさぼるな。

英本はなもとが家まで迎えに行くぞ。」


それを聞いてセイが少し困った顔になった。


「来いよ、来月。」


セイは返事はしなかったが圭悟に頭を下げ診察室を出て行った。

扉の向こうには胸元に「英本」とある看護師がいた。


「セイさん、今月はちゃんと来て安心しました。」


と彼女はにっこりと笑う。


「……また家まで来られては、」


英本はなもと香澄かすみが少し難しい顔をしてセイを見た。


「来なければまた電話もするし家まで行きます。

先生も心配しているんですよ。」

「……研究材料だからだろ。」

「違いますよ、先生も私も本当に心配しているんです。」


セイはちらりと香澄を見て頭を下げてそこを離れた。


セイは必ず毎月検査を受けなくてはいけない理由は分かっていた。

半年前までは九津も一緒に検査を受けていた。

だが彼がいなくなってから

その検査を受ける意味が分からなくなって来た。

なので何度か検査に行かなかったのだ。


「丈夫だろうが健康だろうが死んだら意味がない。」


彼はぼそりと呟いた。


セイは九津の葬儀の時を思い出す。

ほとんど人の来ない通夜、寝ずの番をするのは自分だ。

そこに来た美戸川。


死んでしまった九津の前で暴言を吐いた美戸川を

セイはどうしても許せなかった。

そして九津が一番来て欲しかった人は

葬儀が終わっても来なかった。


大事な同僚で友人でもある九津がどんな思いだったか。

セイはそれを考えると何もかもがどうでもいい気がしていた。






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