魂
「その九津さんとお付き合いしていた人とは
セイは会った事はあるんですか?」
木陰の公園でベンチに座りながら二人は話していた。
「由佳さんか、九津から紹介された時に一度会った。」
「それっきりですか?」
「ああ、九津の葬儀の後に家まで行ったが居留守を使われた。
電話番号も知らなかったし。」
「警察官なんだからこそっと調べればよかったじゃないですか。」
「お前なあ、そんな事駄目だろう。」
セイはため息をついた。
「美戸川が由佳さんの所に送った書類には
俺達が遺伝子を組み合わされたキメラとかそんな事が書いてあったんだろう。
クローンに対する偏見は根強いからな。
ともかく美戸川は俺達を自由にする気は全くない。
警察を辞めたり、結婚なんて絶対にさせる気はない。
結局飼い殺しなんだよ。」
六花は何も言えず俯いてしまった。
「それに普通の人にとってはやっぱり俺達みたいな人間は
つぎはぎオバケみたいなもんなんだよ。」
セイは自分の手を見る。
今は手袋をしているので色の違いは分からない。
ただ季節はこれから夏に向かう。
そのような時期に皮手袋をしているのはおかしな事だ。
今は鬼憑きに使う楔で手が傷つかない様にする意味もあるが。
「結局ただの人の形をした入れ物なんだ。魂も何もない。」
六花が強い目でセイを見た。
「そんな事ないです。私は言ったじゃないですか。
あの時はびっくりしてしまって泣いちゃったけど、
それは怖くて泣いた訳じゃないです。
思いも寄らなかったから。
分かります?
その話を聞くまでそんな事は私は考えてもいなかったんですよ。
セイは普通の人です。」
セイは苦笑いをして六花を見た。
「でも俺はやっぱり信じられん。
今でも鬼が現れて全てを終わらせて欲しい気持ちは
正直ある。」
セイがつい弱音を吐いた。
六花とも長く一緒にいて漏れてしまったのだろう。
セイ自身もどうしてこの言葉が出てしまったのか不思議に思った。
甘えが出てしまったのかもしれない。
「いや、すまん……、」
とセイが立ち上がろうとした時だ。
六花が酷く難しい顔をしてセイを見た。
「それって死んでもいいと言う事ですか?
鬼に殺してくれって事ですか?」
「い、いや、その……、」
「殺してもらうために私と歩いているんですか?
それなら私はバディは今終わりにします。
家にも来ないで下さい。」
セイの頭にふっとクロの姿が浮かぶ。
「猫、どうするんだよ。掃除は。」
少しばかりセイはカチンと来た。
「自分でしますよ。
私は死にたくないから美戸川さんの所に来て
毎日歩いているんです。
なのにセイが死ぬ死ぬって言っているなら
私は死にたくないから一緒にいたくありません。
セイだけ鬼に襲われて勝手に死んでください。」
「お前、そんな言い方ないだろう。」
「死ぬって言いだしたのはセイじゃありませんか。
第一魂が無いだのどうでも良いだの、
もううんざり。」
六花の物の言い様にセイの頭に血が上った。
「うるさいな、お嬢様育ちのお前には分からんだろうが、
美戸川にどれほど酷い事をされたか分かるか。」
「馬鹿にしないで下さい。
生まれがどうだろうとそれなりに苦労してます。
悲劇の主人公みたいにいつまでもぐずぐずして本当に情けない!」
セイは思わずかっとなり立ち上がりって六花を見下ろした。
「俺はキメラでつぎはぎだ。魂も無いんだ!
鬼だろうが何だろうが知るか!」
セイは怒りに任せて大声で叫んでいた。
ここが人目のある公園内である事も
怒りで頭が真っ白になりすっかり忘れていた。
目の前で六花も立ち上がった。
周りには遠巻きに皆が見ていた。
彼女もかなり怒っているのだろう。
二人とも立ったままにらみ合っていた。
彼女は瞬きもせずセイを怒りの表情で彼を見上げている。
そして六花が大きく息を吸う。
「あなたは何かあると俺には魂が無い、ですね。」
今まで聞いた事がない六花の声だ。
いつも呑気にしゃべる彼女の声には初めて聞く怒りの色が深かった。
セイは口を一文字に強く結んだ。
「どうして私達が鬼に狙われているか分かりますか。」
「……知るか。」
彼女の右手が拳骨を握る。
それがセイの腹に思いっきり突き入れられた。
と言っても元々力がない彼女の拳骨だ。
当てられただけで衝撃は大したことはない。
だが鬼を封印できる力がある。
力ではない力がセイの腹に響く。
セイは息が出来なくなり膝をついた。
セイは咳込むと六花を見上げた。
いつもは下にある彼女の顔が上にある。
六花は見下げるように彼を見た。
「鬼と因縁があるんですよ。それは過去からのものです。
私達が分からない昔です。
縁は魂がないと絶対に出来ないんですよ。
魂は命です。
あなたにはちゃんと魂がある。
だから因縁もあって鬼にも襲われるんです!」
と言うと彼女はこぶしを上に振り上げた。
セイはその手を囚われたように見る。
そしてあっと思った瞬間彼女の拳骨が彼の頭の上に落ちた。
セイが気が付くと自分の家のソファーに寝ていた。
そこには久我がいる。
セイが起きた事に気が付いた久我が
タブレットを見ていた顔を上げて言った。
「生きてるか?」
呑気な言い方だ。
セイはゆっくりと身を起こした。
頭が少しぐらぐらとしている。
「俺は、倒れたのか?」
「高山君に殴られたんだろ?衆人環視の中で。」
セイは思い出す。
公園で休んでいる時に六花と口げんかになったのだ。
「お前達、ヘッドセットとかキャンセラーの通知を切らずに
喧嘩していただろう?
俺はそれを聞いていたからまずいと思って
慌てて公園まで行ったらお前が倒れて高山君がおろおろしていた。
それで高山君がウヒョウビルに連れて行ってくれと言うので
ここにいるんだ。」
セイは恥ずかしさで顔が急に熱くなった。
全部聞かれていたのだ。
ソファーで顔を伏せて喋らなくなったセイを見て久我が苦笑いする。
「目撃者から痴話喧嘩だろうと聞いた。」
「ち、痴話喧嘩って、俺はあいつとなにも……、」
「私はそれは分かってる。だが世間様は知らん。」
久我がにやにやと笑う。
「おい、待て、俺はどうしたらいいんだ。」
うろたえたようにセイが言った。
「高山君から話を聞いたが、
私は高山君の言う事は正しいと思う。」
久我が真面目な顔をしてセイを見た。
セイははっとして彼を見た。
「お前の生まれに関しては私も思うところがある。
人にも言えず辛いだろう。
だが私はお前を差別したか?
同僚としてずっと付き合ってきたつもりだ。」
セイが俯く。
「高山君も一緒だぞ。」
久我がそう言うと立ち上がり台所の方を見た。
するとそこには六花が立っていてこちらを覗いていた。
「高山君、来い。
セイ、高山君、二人でとことん話し合え。」
六花がおずおずと入って来る。
「セイ、高山君はお前が気を失っていた2時間ぐらい
立たせておいた。それで勘弁しろ。」
「その、久我、」
「なんだ。」
セイが複雑な顔で久我を見た。
「お前は一人で公園に来たのか。いつもの部下は。」
「今日は一人だよ。他の奴らはいなかった。」
それを聞くとセイの顔がほっとなった。
六花が何かを言いたげに久我の方を見たが
彼はそう言うと家を出て行った。
久我は扉を閉めてちらりとそちらを見た。
「お前らの普段の会話、時々聞いてるがな、
あれは普通の交際している二人の会話としか思えんぞ。」
と彼は苦笑する。
聞くつもりはないが仕事上聞かなくてはいけない時はある。
「気が付いていないのは本人達だけか。」
久我はにやにやしながらそこを離れた。
部屋に残された二人はしばらく無言だった。
やがてセイが咳ばらいをする。
「まあ座れ。」
と近くの椅子を目で差す。
「申し訳ありませんでした。」
と小さな声で六花が頭を下げた。
セイが横目でそれを見る。
「まあ、俺もあんなところで大声をあげたからな。
悪かった。」
「ですよねー。」
セイがきっと彼女を見る。
六花はちろりと舌を出した。
「お前なあ……、」
いつもの彼女だ。セイは少し可笑しくなった。
「しかし、お前、よくも俺を殴ったな。痛かったぞ。」
「痛くないですよね?私は腕の力はほとんどないし。」
「痛いと言うか殴られる鬼の気持ちが分かった。」
「怖かったですか?」
セイは殴られた時の事を思い出す。
「怖いと言うか重力と言うか重いな。」
「そうなんですか。私には分からないんですけど。」
「潰される感じだ。」
「そうですか……。」
セイは彼女が鬼を倒す所を見た事がある。
鬼と彼女の目が合うとその額が開く。
そこには赤い紋が現れている。
それを見ると鬼が動かなくなるのだ。
その隙に彼女の拳骨が白い光を打つ。
それが彼女の封印のやり方だ。
「お前、鬼の間近で拳をふるうって怖くないか。」
六花が少し考える。
「やっぱり怖いですよ。
でもそれをしないと私が殺されるかもしれないし。
痛いのは嫌ですから。」
「だよな。」
彼はため息をつく。
「あのなあ、六花、」
セイが彼女を見た。
「俺に魂はあるのか?」
子どもが聞くような単純な質問だ。
「ありますよ、さっきも言ったじゃないですか。
当たり前ですよ。」
と六花がにっこりと笑った。
「セイの同僚だった九津さんも魂があったはずです。
だから運命の人と会ったんですよ。
クローンだって人です。ちゃんと魂がある。
私は最初からそう思っていましたよ。」
「……俺の遺伝子はつぎはぎだぞ。」
「魂はつぎはぎじゃないです。」
あっけにとられた様にセイは六花を見た。
そしてしばらくすると彼の目から涙が一筋落ちた。
セイが驚いたように膝に落ちた涙を見る。
「ど、どうして泣くんですか、私が悪いんですか?」
うろたえたようにセイが右手の甲で自分の頬を拭った。
「悪くない、悪くない、が……、」
彼は彼女から顔を逸らせた。
「少し一人にしてくれるか……。」
六花が立ち上がり静かに部屋を出て行った。
セイは壁を見ている。
そこに九津が彼女を紹介した時の景色が浮かんだ。
二人とも幸せそうな顔をしていた。
あの幸せは今はもうない。
だがあの二人には何かしらの縁があったのだ。
九津とセイは自分達の生まれについて何度も話をした。
九津は、彼はどう言っていただろうか。
セイには覚えが無かった。
そして自分を育ててくれた義両親を思い出す。
あの人達はとても優しかった。
本当の親でもあんな感じだろうか。
セイには分からない。
だがその人達と出会ったのも縁なのだろう。
セイは今まで六花が言った事は考えた事が無かった。
自分の負の部分しか見ていなかった気がした。
思わぬ涙を流してしまった今、
子どもの様にずっと拗ねていただけのような気がして来た。
セイはソファーから降り洗面で顔を洗った。
鏡を見て自分を確かめる。
この顔は一体誰から貰ったのか。
それはセイには分からない。
だが確かに自分はここにいるのだ。
そしてそれを否定しない人が近くにいる。
それは間違いないのだ。
しばらくすると台所から
ぼそぼそと独り言を言っている六花の声が聞こえて来た。
とても小さな声だ。
「やっぱりまずかったかなあ。
思わず殴っちゃったけど。
セイは痛くないとは言っていたけど……。」
六花は聞こえていないと思っているだろう。
だが耳の良いセイには聞こえる。
思わず彼の口元が緩んだ。
彼が台所に向かうと六花が座っていた。
彼女ははっとした顔で彼を見た。
「行こう。」
彼は手で彼女を呼ぶ。
「どこ行くんですか?」
「今日はもう終わりだ。三よしに行こう。」
「三よしですか。良いですね。料理がとても美味しいです。
あ、お酒飲んでいいですか?」
「良いぞ。」
「セイは飲んで駄目ですよ、私を送ってもらわないといけないし。」
「お前なあ、」
「クロのご飯とかトイレとか、」
「……。」
六花がいつものようににやりと笑う。
セイが横目でそれを見た。
調子の良いいつもの彼女だ。
だがちゃんと相手を気遣っている。
彼女にはそんな優しい気持ちがあるのだ。
「そう言えば車の傷って直したんですか?」
階段を降りながら六花が聞いた。
「あ、ああ、この前修理した。」
「あのう、セイ、さん……、」
六花が少しばかり卑屈な感じで言った。
「そのですね、修理代ってどれぐらいかかったんでしょうか。」
セイが腕組みをして見下ろすように六花を見た。
「九津は車が趣味だったんだ。
あれもちょっと変わった車でな、
塗装も特別なものだった。そうだなあ……。」
六花の目がきょろきょろと動く。
「まあ、今回は大目に見てやる。」
六花の顔が崩れてほっとした様子になった。
「でも今日は奢れよ。」
「えっ、どうしてですか。
大目に見てくれるんでしょ?」
「何を言っているんだ。お前は二発俺を殴ったよな。」
「えーっ……。」
「嘘だ。」
それを聞いて六花が何とも言えない顔をした。
セイはそれを見て何となく可笑しくなった。
そして不思議な事に気持ちが浮き上がって来た。
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