クロ




「高山さん、話を聞こうかね。」


彼女の部屋に座る所を作り花咲と六花は話し出した。

セイはゴミ袋を出してゴミを集めていた。


「うちはペット禁止だよ、最初に言っただろ。

それになんだいこのゴミ。

お隣の佐藤さんから苦情は出ていたけどこんなにひどいとは。」


彼女は小さく呟いた。


「あの……、その前にクロにエサをやっていいですか。

トイレもきれいにしないと……。」

「あんたねぇ……。」


花咲が呆れたように言う。


「ああ、良い、俺がやる。エサはこれだな。スプーン何杯だ。」

「二杯です。少しお湯でふやかしてください。歯が悪いので。」

「分かった、水も変えるぞ。」


手慣れた様子でセイが猫の世話をする。

猫は物陰から彼の様子を見ていたが、

エサの準備を始めるとセイのそばに寄って行った。


「あんたねぇ、」


花咲の説教が始まると思った。

しかし、


「あの猫は病気なのかい。」

「と言うか年寄り猫で捨てられていたんです。

保護しました。」

「あんた、警察関係とか言っていたけど猫も保護するのかい。」

「引き取り手が無かったら殺処分と言われちゃって。」


花咲は腕組みをしてしばらく考える。


「分かった。とりあえず周りの住人の意見を聞いてからだけど、

その事情ならペットもやむなしだ。」


六花はほっとした顔をする。

だが、


「このゴミは許せないね。」


花咲が鬼のような顔をする。


「ゴミを捨てている様子がなかったからどうしているんだろうと思ったら。」

「月に一度は捨ててますぅ……。」

「そう言う話じゃないだろう。

保証人が有名人だったから安心だろうと思ったら。」


花咲が部屋を見渡した。


「これじゃあ普通のマンションには入れないわな。」


その時セイが言った。


「それは俺が責任をもってどうにかします。

この状況は俺には許せない。それに猫にも悪い。」


セイが餌を食べている猫を見てから彼女を睨んだ。


「これから彼女と部屋を片付けます。

夜中に申し訳ありませんが騒がせます。」


玄関で様子を伺っていた佐藤が手を叩く。


「俺はゴミをどうにかしてくれれば猫はそのままで良いよ。

それにそんな猫追い出すなんて出来ないよな。」

「だよね、高山さんもこれに懲りて綺麗にするんだよ。

生ごみの日は月木、資源ごみは金曜。

不燃ごみとかはそれを書いたチラシを入れておくから

ちゃんと守るんだよ。」


花咲がセイを見る。


「あんたの車はとりあえずここのアパートの敷地に停めな。

あんたの彼女の部屋の始末が終わるまでだよ。

彼女ならちゃんとさせないと後々困ったことになるよ。」

「いや、その……。」


花咲と佐藤は立ち上がり部屋を出た。


「彼女じゃないって……。」


セイが呟くように言った。

猫は餌を食べ終わったのか顔を洗いだした。




六花は眩暈が残るので座りながら片付けていたが、

いつの間にか眠ってしまっていた。

その横に猫も寄り添って眠っている。


セイはため息をついて彼女を見た。


一体自分は何をしているのだろうか。

鬼を封印できる力があるのに今は六花の部屋の掃除だ。

しかもその彼女はとびきりのはねっ返りだ。


「最初は大人し気な女に見えたけどな。」


初めて会った本署の中の神域を思い出す。


天井から差し込む光の中に彼女は座っていた。

高貴な顔立ちで巫女衣装を身に付け凛と背を伸ばして。


その女が今はゴミの中で猫と一緒に

無防備な顔をして丸くなって眠っている。

いつの間にか彼女はヘッドホンを外していた。

白く小さな耳が見える。


「耳でも悪いのか?」


ここのところ彼女とずっと一緒にいたが、

ほとんど何も聞いていない事に彼は気付いた。

色々と話をすればこの猫の事も聞けたかもしれない。


セイは上掛けを探すと彼女と猫にかけた。

猫が少しだけ動く。

セイはそれを見てため息をつきながら掃除を再開した。

彼は綺麗好きなのだ。




掃除は明け方近くになっても終わらなかった。


セイは家に帰るのをあきらめて、

少しは綺麗になった所にごろりと横になった。

どこかにあった多分清潔だろう毛布を掛ける。

疲れていたのでどうでも良かった。


一人暮らしの女性の部屋にいるが、

おかしな気持ちなど全く起きなかった。


「呆れたよ。」


と彼が呟くと六花のそばに寝ていた猫がむっくりと起きて

セイのそばに寄って彼の毛布に入って来た。

六花は静かに寝息を立てている。


「……クロ。」


彼は六花がこの猫をクロと呼んでいたのを思い出した。

クロはゴロゴロと喉を鳴らしている。

その名前はセイにとっては懐かしい名前だ。

彼は子どもの頃飼っていた猫を思い出した。


セイは15歳まで里親に預けられていた。


小さな頃から父母と呼んでいる人が

自分の本当の親ではないとは知っていた。

それでもセイはその二人がとても好きだった。

彼らは警察官で優しく、

そして悪い事をするととても厳しかった。

愛情深い良い人達だったのだ。


ある時セイは黒猫を拾って来た。

歩くのもたどたどしい子猫だ。

そのまま放置しておけばすぐに死んでしまうだろう。

義両親は何も言わずセイとともに動物病院に行った。

その時義父は言った。


「お前が拾ったんだぞ。最後までちゃんと面倒を見るんだ。」


当たり前の話だ。

当然セイはしばらく昼夜となく猫の面倒を見た。

乳離れもしていない子猫だ。

夜中でも乳を与えなくてはいけない。

その時は父や母がセイを起して彼に面倒を見させた。


「名前はクロ、か。」


とセイが付けた名前を父母はにこにこと聞いた。

当然クロはセイにとても慣れて毎晩彼と一緒に寝た。


だが15歳になった時に彼は美戸川の元へと送られた。

あれから一度もセイは義両親に会っていない。


「……クロももう死んだだろうな。」


セイは今自分のそばにいる六花のクロの頭に顔を寄せた。

息を吸うと少しばかり埃のような匂いがした。

クロの右前足は他の所は全部黒いのにそこだけ白かった。

セイはそこを見て呟いた。


「お前は俺に似てるな。」


生温かい猫の体温と心地良い喉を鳴らす音は

静かにセイの眠りを誘う。

柔らかなその感触は久し振りだった。




「おい、起きろ。」


翌朝、六花はセイの声で起こされた。

彼女が起きると部屋はかなり綺麗になっていた。


「床が見える。」

「……当たり前だろう。」


セイは猫のトイレを綺麗にし、餌の準備をしていた。

水も綺麗なものに変えてあるらしい。

クロが嬉しそうに水を飲んでいた。


「着替えろ。

今日は俺の検診がある。ついでにお前も見てもらう。」

「シャワーを浴びて良いですか。」

「好きにしろ。」


六花はゆっくりと立ち上がった。


「眩暈はあるか?」


セイが聞く。


「大丈夫みたい。」

「そうか。」


餌を少しのお湯でふやかしているセイの足元から

クロが甘えた声で彼を見上げていた。

セイもクロを見ている。それを六花がちらりと見た。


「覗かないでくださいね。」


セイが驚いた顔で見上げた。


「ば、ばかやろう……。」


六花がそれを見てニヤリと笑った。


「クロに優しくしてくれてありがとう。」


そして彼女はさっと部屋の奥に入って行った。

セイはしばらくぽかんと彼女の後を見ていた。

足元でクロが少しばかり強く鳴く。


「ああ、すまん。」


セイが腰を下ろし猫の皿にエサを乗せるとクロはそれを食べ始めた。

彼は猫の後ろ頭を見ながらさっきの彼女の言葉を思い出した。


「ありがとう、か……。」


いつもどこか恍けたような所がある六花だ。

だがさっきの礼の言葉はまっすぐだった。

うにゃうにゃと言いながらクロが食事をする。


「お前は六花に助けられたんだな。」


彼は小さく呟いた。






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