ホテル再建記録③ アパートメント

 待ち合わせ場所の怪獣広場に到着すると、目印のモニュメントの前には若い男性が立っていた。約束の時間よりもだいぶ早いが、おそらく彼が今回の依頼人なのだろう。電話やメールでは何度もやりとりをしていたが、実際に会うのは今日が初めてだった。


 依頼人の名前はエドワード・シリンジ。年齢は二十四と聞いている。ゴーストホテルの再建という酔狂な野望を抱くこの若者とは、すでに互いをファーストネームで呼び合うほどに親しくなっていた。


「もしかして、バトー?」

 こちらに気づいたシリンジが、腕を大きく広げて駆け寄ってくる。

「ああ、そうだ。俺がコブラの救世主だ」

「なんだよそれ。ちゃんと合言葉をいえよ」

「合言葉はスネイクメン」

「それも違う。おまえ偽物だな」

「バレたか」


 打ち合わせの電話と同じようにふざけあったあと、笑いながら握手を交わす。

「やっと会えた。来てくれて嬉しいよ、バトー」

「俺のほうこそ、会えて嬉しいよ、エド」

 今日からおよそ一年、ホテルコブラパレスが開業するその日まで、彼を全力でサポートするつもりだ。ようやく会うことができた異国の相棒。西坂はこの日が来るのを心待ちにしていた。


「長旅で疲れたでしょ。今日は特別な食事を用意してあるから」

 さっそく家に案内するというので、シリンジのあとについて広場をあとにする。

「ここから近いんだっけ? 道、覚えられるかな」

 冗談半分にそういうと、シリンジは満面の笑みを浮かべて答えた。

「大丈夫、問題ない」


 打ち合わせのときから気になっていたのだが、彼は根拠のない場面でその言葉を多用する傾向があった。おそらく口癖のようなものなのだろう。信用していないわけではないが、相棒の日常生活と深刻なホテルの問題を同じように楽観視しているのではないかという不安もあった。

 先の見通しについては、いずれ真剣に話し合う日が来るだろう。シリンジの無邪気な笑顔を見ながら、西坂は内心でそのようなことを考えていた。


 しばらく路地を進むと、シリンジは二階建ての古い建物の前でぴたりと足を止めた。

「ここだよ。一階が博物館の予備機材倉庫で、二階がアパートメントになってる」


 赴任中の西坂の住居は、シリンジと同じアパートメントを用意してもらっている。彼の隣の部屋が空室だと聞き、そこがいいと強く希望したのは西坂だった。とても古い建物のようで、シリンジは別の物件にすることを強く勧めてきたが、西坂は首を縦には振らなかった。同じ建物に住んでいるほうが、一緒に仕事をする上でなにかと便利だと考えたからだった。


「二階は四部屋あって、オレのほかにあと二人、ユートンとパイロンさんがこのアパートメントに住んでる。今日はバトーの歓迎パーティーだから、二人にも声をかけてあるんだ」

「いや、歓迎パーティーって、そんな大げさな」

「大げさじゃない。当然だよ。なんてったって、バトーは救世主なんだから」

 前を歩く楽しそうなシリンジを見て、西坂は少しだけ嬉しい気持ちになった。熱烈な歓迎を受けるのも、頼りにされていると強く実感するのも、どちらも久しぶりのことだった。


「ここがバトーの部屋」

 そういって通された部屋のなかには、西坂の到着を待っていたと思われる一組の男女の姿があった。二人ともシリンジよりは年上だろうか、見たところ西坂と同年代のようにも見える。


「ベテランって聞いてたけど、思ったより若いね。てっきり、白髪の紳士が来るんだと思ってた」

 先に口を開いたのは女性のほうだった。

 その女性を指してシリンジがいう。

「紹介するよ。彼女はヤン雨桐ユートン。セパレートユニバーシティのフェローで、この街でサンドストームの研究をしている」

 片手を上げた楊に対し、西坂も片手を上げてそれに応える。


 次にシリンジは、楊の隣に座る人物のほうに顔を向けると、

「彼はアイザック・パイロンさん。街の平和を守る悪徳警官だ」

 と男性のことを紹介した。

 するとすかさず、椅子を倒して立ち上がったパイロンがシリンジの胸倉を掴む。

「おい、クソガキ。次におれのことを悪徳警官といったら、冗談抜きでぶっ殺すかんな」


 どうやら彼は、自分が暴力警官であることを隠すつもりはないようだった。苦しそうに顔を歪めるシリンジに頭突きをくらわせ、そのまま首を回転させて悪人面をこちらへと向ける。


「そこのホテルマンに忠告しとく。一年後に無事に国に帰りたいなら、このクソガキの戯れ言には耳を貸すな。自分の仕事に専念しろ。いいな?」

「ああ、わかったよ。わかったから、エドを離せって」

 両手を挙げて降参の意思表示をし、パイロンに対してシリンジを離すよう要求する。これ以上、相棒の顔が苦痛に歪むのを黙って見ているわけにはいかなかった。


「というか」

 西坂はパイロンと楊を交互に見る。

「二人とも、俺がなにしに来たか知ってるんだ」

「あたりまえだ」

 パイロンが答える。

「このクソガキが毎日のようにあんたの話をするから、こっちは、あんたの仕事の内容も、上司の顔面をぶん殴ったことも知っている」


 嘘だろ、と思いながらシリンジを見ると、彼は嬉しそうに首を縦に振っていた。

「全部話した。今日はこれから、スネイクメンと救世主の話を……」

「もういい。やめてくれ」

 シリンジの口を手で塞ぎ、楊とパイロンに向かっていう。

「オーケー。じゃあ、自己紹介はナシだ。パーティーを始めよう」


 寝室に荷物を置いた西坂がリビングに戻ると、年代物の機械式振り子時計が午後七時を告げていた。テーブルの上には尋常ではない量の料理が並べられている。パーティーと聞いて庶民の宅飲みをイメージしていた西坂は、その光景を目にして思わず「なんだこれは」とつぶやいていた。


「驚いた? すごいでしょ」

 声に反応して振り向くと、そこには両手いっぱいに瓶ビールを抱えた楊が立っていた。

「エドワードにはスポンサーがついてるからね」

 微笑を浮かべる楊がテーブルの隙間にビールを置いていく。姿の見えないシリンジとパイロンは、キッチンでなにかの準備をしているようだった。


 西坂に配慮してのものなのか、テーブルの上の料理は、ホテルのバンケットで目にするような西洋料理が多い。見たことのない品もいくつかあるが、おそらくこの国の伝統的な料理なのだろう。彼女の説明によると、これらはすべて、取り寄せたケータリングの料理とのことだった。


「座りなよ、バトー」

 楊に促され、目の前の椅子に腰を下ろす。

「そのスポンサーって、コブラパレスのオーナー?」

 西坂が尋ねると、対面に座った楊は、テーブルの上の料理に手を伸ばしながら首を縦に振った。

「そう。ついでにいうとね、このアパートメントのオーナーも同じ人」


 シリンジからは、コブラパレスのオーナーは市立博物館の館長でもあると説明されている。再建を渋るその人物を、シリンジが四年の歳月をかけて説得し、最終的には資金援助も取りつけたと聞いていた。その程度の説明は受けていたのだが、アパートメントも同じ人物が所有しているというのは初めて聞く情報だった。


「彼について、エドワードから聞いてるでしょ」

「もちろん、聞いてるよ。えっと、なんだっけな、たしか妙なあだ名で呼ばれてるとか……」


「地底爺」

「そう、それ」

 頭上からの声に反応して顔を上げると、ケーキのようなものを手にしたシリンジが西坂の真横に立っていた。


「その件なんだけど、ちょっといいかな……」

 話があるというので聞いてみると、このアパートメントには使用期限があるとのことだった。翌年の二月に建て替える計画があり、そのタイミングで入居者全員が退去することになるらしい。


 シリンジは申し訳なさそうな顔をしていたが、西坂にとっては特に気にするほどのことではなかった。任期は一年、最後の数か月をどこで暮らそうと生活に支障はない。その頃にはもう、この国での生活にも慣れているはずだと西坂は考えていた。

「十か月後の話だろ。問題ないって」

「ほんと? ああ、よかった」とシリンジが安堵の吐息をもらす。

 そこに、悪人面の暴力警官が大きな皿を持って現れた。

「水餃子を用意した。楊さんのために」

 なにをしていたのかと思えば、パイロンは楊のためにキッチンで水餃子を作っていた。


「えっ、なにパイロンさん、そんなことしてたの?」

 べつにいらないんだけど、と苦笑する楊の前で、パイロンはいまにも泣きだしそうな顔をしている。一般人に頭突きをかますような暴力警官でも、女性に否定されると子供のように落ち込むのだとわかり、それがどうにもおかしかった。


「おい、ホテルマン。なに笑ってんだよ」

 西坂の口元が緩んだのをパイロンは見逃さなかった。

「笑ってないって。こういう顔なんだよ」

「てめえ、ふざけてんだろ」

 顔を赤くしたパイロンが拳を振り上げる。


 やられる、と西坂は思った。

 ところが、暴力警官の拳が飛んでくるよりも早く、ビール瓶を持ったシリンジが二人のあいだに割って入った。

「はいはい、喧嘩はそこまで」

 まずはこれを、といってパイロンの手にビールを持たせる。そのまま西坂にもビールを渡すと、彼は大声で「乾杯」と叫んだ。


 酒を前にした大人たちにとって、それは魔法に似た力を持つ言葉なのかもしれない。直前の揉めごとなどさっぱり忘れて、西坂もパイロンも浴びるように酒を飲んだ。遠慮という言葉に縁のない人間が集まっているせいか、新入りの歓迎パーティーは大いに盛り上がった。


 存分に酒と料理を堪能したところで、西坂はふと思いだした疑問を口にする。

「そういえば、まだ聞いてなかったんだけどさ」

 実務的な話を優先した結果、偶然にもその質問だけが後回しになっていた。


「エドはどうしてコブラパレスを再建する気になったの?」

「えっ」

 ケーキを食べていたシリンジがフォークを持つ手をぴたりと手を止める。


「そっか、そうだね。まだ話してなかったね」

 そういってフォークを皿の上に置いたシリンジは、ホテル再建を決意するまでの経緯について語りはじめた。

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