ホテル再建記録② 副業運転手

 二○二四年三月二十六日。十六時間弱のフライトを終え、西坂は赴任先のウロコ共和国に到着した。そこからさらに国内線に乗り換え、依頼人の待つセパレートシティへと向かう。

 セパレートシティ空港に到着したときには、すでに現地時間の午後六時をまわっていた。


 ターンテーブルでスーツケースを受け取った西坂は、当座の現金を入手するために空港内のATMを探すことにした。会社からはコーポレートカードを支給されている。支払いはなるべくクレジットカードで済ませるつもりだったが、この街がどの程度キャッシュレスに対応しているのかは、実際に自分の目で確かめないことにはわからなかった。


 売店の横にATMを発見した西坂は、挿入口に個人のクレジットカードを入れ、現地通貨のホリデーをキャッシングした。コーポレートカードでキャッシングできれば楽なのだが、経理課に確認したところ、設定で不可能にしてあるとのことだった。信用されていないわけではないのだろうが、制限をかけられるとあまりよい気はしない。


 新鮮な空気を求めて空港のエントランスを出た西坂は、一歩足を踏みだしたところですぐに顔をしかめることになった。暑い。暑すぎる。覚悟はしていたつもりだが、実際の体感温度は西坂の想像を遥かに超えるものだった。拷問のような熱気に当てられて、長距離フライトで疲弊した身体が悲鳴を上げている。午後六時でこの暑さということは、日中の気温はさらに厳しいということになる。灼熱の国の現実を前にして、西坂は赴任初日から自身の決断を後悔しそうになっていた。


 約束の時間まではだいぶ余裕があるが、寄り道などせずに、まっすぐ待ち合わせ場所に向かうほうがよいだろう。

 空港内に引き返した西坂は、スマートフォンを取りだし、モバイルデータ通信の状態を確認する。事前に現地用のeSIMを有効化しておいたおかげで、通話もデータ通信も問題なく利用可能になっていた。


 タクシーの配車アプリを起動すると、ラクダをモチーフにしたロゴマークが現れ、次にログイン画面が表示された。端末内のデータメモを確認しながらIDとパスワードを入力すると、用意しておいたアカウントで無事にログインすることができた。赴任先での移動のことを考え、依頼人の協力を得て事前に現地でのアカウント認証を終えていたのが役に立った。


 画面をタップして、さっそく配車をリクエストしてみる。配車アプリ専用乗り場を見つけたのでそこを指定して近くで待っていると、マッチングしたタクシーは十分でやってきた。思っていたよりも便利で驚く。日中の暑さを考えればこれを重宝しない手はないだろう。


 スーツケースをトランクに押し込み、依頼人との待ち合わせ場所である怪獣広場へと向かう。乗車したタクシーは自家用車だったようで、トランクには生活感溢れる私物がたくさん積み込まれていた。運転席に座る陽気な男性は、スピーカーから流れる曲に合わせて小刻みにあごを前に突きだしている。興味が湧いたので話しかけてみると、本業は博物館の夜間警備で、タクシードライバーは副業でやっているとのことだった。


「当てて見せようか」

 副業運転手が後部座席の西坂を振り返っていう。

「あんた、観光客じゃない。ビジネスだろ」

「そうだけど。ちょっ、まえ見ろって、まえ」

 前方の老人を信じられない距離で回避し、副業運転手は続ける。


「どのくらい滞在する予定なんだ?」

「一年くらい」

「おっと、そいつは予想外だ。あんた、もしかして、どっかの企業のお偉いさん?」

「お偉いさんは、タクシーを使わないだろ。社用車があるから」


「そりゃ、そうだ。お偉いさんなんて、俺も乗せたことなかったわ」

 そういって笑いながら、副業運転手は、ハンドルの上部に豪快に拳を叩きつけた。この陽気な男性は、運転は雑だが、人を惹きつけるなにかを持っている。笑いすぎて咳き込む男性の後頭部を見ながら、警備よりも観光ガイドのほうが向いているのではないか、と西坂は考えていた。


「そうだ。あんたに、いいこと教えてやるよ」

 男性に気を許しかけたところで、怪しいフレーズが耳に飛び込んできた。ここが異国であることを思いだし、西坂は瞬時に警戒心を強める。見知らぬ土地では、特に相手の善意には注意をしなければならない。

 西坂は間髪をいれずに答えた。


「ありがたいけど、到着したばかりでチップの現金がないんだ」

 それは事実ではない。ATMでキャッシングしたばかりなので現金の手持ちはある。クレジットカード決済でアプリからチップを送ることも可能だが、知らないふりをした。彼がこの言葉にどのような反応を示すのか、態度を見て相手の真意を見極めようと考えていたからだった。


 すると副業運転手からは思わぬ反応が返ってきた。

「いや、チップはいらない。その代わり高評価を頼むよ」

 ドライバー評価のことをいっているのだろう。配車サービスの満足度評価は、実際にサービスを利用した客の手に委ねられている。一件分の評価にどの程度の価値があるのかは不明だが、運転が雑な彼にとっては、高評価は金銭よりも影響力のある心づけのようだった。

「わかった。あとでGOODボタンを押しておく」

 評価を交渉の材料にしたところで、こちらにデメリットはない。その程度であれば約束しても構わないだろうと西坂は考えた。


「ありがとう。それじゃあ、さっそく」

 副業運転手はハンドルから離した手で人さし指をまっすぐに立てる。

「この街に住むなら、サンドストームに気をつけたほうがいい」


 それは初めて聞く忠告だった。分厚いガイドブックにも、バックパッカーのブログにも、どこにもそのようなことは記載されていなかった。


「街を出て東に行くと砂漠がある。広大な砂漠だ。この国では風は東から西に吹くから、強風が吹くと砂漠の砂が舞い上がってサンドストームになる」

 窓の外に視線を移した西坂は、運転席に座る男性の話を聞きながらこの国の地理について考えてみた。ウロコ共和国の国土は、大まかにいうと東側の砂漠地帯と西側の山岳地帯で構成されている。事前に調べたかぎりでは、東側の砂漠地帯も西側の山岳地帯も、どちらも小さな村が点々としているだけで大きな街はない。セパレートシティをはじめとした近代的な街は、そのほとんどが砂漠と山の境界付近に位置していた。

 副業運転手は、なおもサンドストームの説明を続ける。


「砂の層で空が覆われると太陽の光は遮断される。サンドストームが発生すると、昼間でも一瞬で視界が悪くなるんだよ」

「外を歩けないくらいに?」

 車内に視線を戻し、西坂は尋ねる。


「いや、たいていの場合は、そこまで暗くはならない。風の強さとか、あと発生場所とかでも砂の量は変わるけど、事前に対策をしておけば問題ないレベルだ」

「それはよかった」

「でも、注意が必要なのはそこじゃない」

 車が信号で停止すると、副業運転手はドリンクホルダーのミネラルウォーターに手を伸ばした。


「視界の悪さを逆手に取って、外国人観光客から金品を強奪しようとする連中がいる。注意が必要なのは奴らのような存在だよ」

 ミネラルウォーターをホルダーに戻し、副業運転手はバックミラー越しに西坂を見る。

「身ぐるみを剥がされたくなければ、外国人はサンドストームのなかを一人で外出してはいけない」

 信号が変わり、車は再び動きだした。


「どうしてもというときは、アプリを起動してタクシーの配車をリクエストする。それだけは覚えておいてくれ。俺たちに任せれば、サンドストームだろうが犯罪者だろうが、ぜんぶ蹴散らして、あんたを目的地まで送り届ける」

 彼の話はそこで終わりだった。サンドストームについて聞けたのはよかったが、善意の忠告なのかタクシーのセールスなのかわからない話だった。


「あのさ」

 せっかくなので、コブラパレスについて聞いてみることにした。

「コブラ地区のゴーストホテルって、知ってる?」

 そう質問すると、副業運転手は客の目も気にせず盛大に舌打ちをした。


「知ってるもなにも、うちらのあいだじゃ有名なホテルだよ。リクエストを拾って現地に行っても、どういうわけか、呼んだはずの客がいっこうに現れない。だから、時間切れまでその場で待機して、客を乗せずに空で帰ってくることになる。そんなことが何回も起こるんだ。最悪だろ? 街の外れで場所も悪いから、いまはほとんどのドライバーがあそこからのリクエストを拒否している」


 副業運転手のその返答は、想像していたものとは別種の恐ろしさを西坂に突きつけるものだった。

 これから働くことになる新しい職場では、緊急時にタクシーを呼ぼうとしてもリクエストが拒否される可能性が極めて高い。彼がいっているのはそういうことだった。


「最悪だ。本当に最悪だ」

 西坂がそうつぶやくと、運転席に座る男性は、共感を得たと勘違いした様子で、バックミラー越しに満足そうな笑みを見せた。

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