ホテル再建記録⑥ コブラパレス

 二○二四年三月二十七日。歓迎会の翌日は曇天だった。少しでも暑さがやわらぐことを期待したが、すぐに無駄な考えだと思い知らされることになった。この国の熱気は筋金入りだ。


 アパートメントを出発した西坂にしざか馬頭ばとうは中央市場を目指して歩きはじめる。隣を歩くエドワード・シリンジは今日も上機嫌だった。


「それではバトーさま、本日は、専属ガイドのわたくしエドワード・シリンジが、セパレートシティの魅力を余すことなくご紹介申し上げます」

「なんの真似だよ」

 芝居がかった口調のシリンジに向かって西坂はいう。

「開業したら、宿泊客向けの観光ガイドでもやるつもりか」

 それもいいかも、といって笑い、シリンジはすぐに芝居を再開した。


「いま、わたくしたちが歩いているこの大通りは、セパレートシティを東西に貫くメインストリートなのですが。はい、そこのバトーさま。この通りの名前はご存じですか」

「バケットストリート」と西坂は即答する。そのくらいのことは予習済みだ。

「正解です。ちなみに、名前の由来については諸説ありますが……」


 シリンジの説明を聞きながら、通りを行き交う人々の姿を眺める。どのような天候でも日差しから身を守る手段が必要なのだろう。男性の多くは帽子をかぶっており、女性もなにかしらの布を頭部に巻きつけていた。

 今日はこのあと、シリンジにコブラパレスを案内してもらうことになっている。午後にはアポイントがあり、オーナーの地底爺に挨拶をする予定となっていた。


「さて、ようやく中央市場に到着したわけですが、ここを境に東側がゼブラ地区、西側がコブラ地区となっております。市立病院、警察署、教会など、街の主要施設はすべて東側のゼブラ地区にあるので、忘れずに覚えておいてくださいね」


「はい」と西坂は手を上げる。「質問があります」

「なんでしょう、バトーさん」

「コブラパレスは街の外れにあると聞いていますが、この通りを西に向かえばホテルに行けますか」

「もちろん着きます。この通りを西に行くと市立博物館がありますが、そのまま、まっすぐ進むとホテルにたどり着きます」


「もう一ついいですか」

「はい、どうぞ」

「腹が減りました。食事をさせてください」

 しばし笑いあったあと、朝食を取るためにカフェに入ることにする。案内された店は中央市場の一角にあり、看板にはポップな書体でアンカーポイントと店名が書き記されていた。シリンジの話によれば、ここは彼が以前アルバイトをしていた店なのだという。

 彼の好物だというアイスケーキを食べながら、西坂はさりげないふうを装って、以前から気になっていた質問をした。


「いまさらなんだけどさ、どうして、うちのホテルに支援を要請する気になったの? ホテルの開業支援なんて、それこそ実績のある会社はほかにいくらでもあると思うんだけど」

 下手な発言をして藪蛇になるのだけは避けたい。そういった思いがあって、実際に現地に来るまでは口にするのを控えていた質問だ。だが、ここまで来てしまえば、もはや契約解除の心配をする必要もない。依頼の背景についてシリンジに聞いてみることにした。


「ああ、それね。いや、たいした話じゃないよ。サリス夫妻がいってたんだけど、バトーのホテルの前の総支配人が、研修でコブラパレスに来ていたらしいんだ」

 三十年以上前のことなのだというが、初めて聞く話だった。コブラパレスで研修をした前総支配人は、サリス夫妻にとある約束をしたのだという。


「約束って、どんな?」

「困ったことがあれば、無償で協力するっていう、そんな感じの約束」

「無償!」と西坂は叫んだ。

「いや、さすがに無償ってことはないけど、バトーのホテルが一番安かったってのも事実なんだ」


 具体的な金額を聞いて驚いた。コブラパレスに出向中も、会社は西坂に対し給与と出向手当を支払うことになる。シリンジが口にした金額が正しいのであれば、最終的に西坂のホテルは損失を被る計算になった。

 そこまでして人員を外に出す必要があるというホテルの実情を考えると、社員の西坂としては複雑な気持ちにならざるをえない。改装による収益の増加が想定を下回った場合には、社員たちはさらなる試練に直面することになるだろう。


 朝食を終えてカフェを出た西坂とシリンジは、流しのタクシーを拾ってコブラパレスに向かうことにした。街の人間は乗り合いのミニバスを利用しているが、外国人におすすめはできないとシリンジはいう。使い勝手が悪いうえに、僻地ともいえるコブラパレスまで行く路線は存在しないとのことだった。


「なあ、エド。思ったんだけど、車を買ったほうがいいんじゃないかな」

 西坂のあたまのなかで、昨日の副業運転手の言葉が引っかかっていた。

 街の中心からであれば、タクシーはいまのように簡単に捕まえることができる。問題なのは帰りだ。配車リクエストを拒否するという副業運転手の話が本当なら、ゴーストホテルであるコブラパレスではタクシーを呼べない可能性がある。

 シリンジに副業運転手の話をすると、初耳なのか、彼は目を大きく見開いた。


「なにそれ、怖っ。正真正銘のゴーストホテルじゃん。てか、オレいつもバイクだから、帰りの車とか、そのへんあんまし考えてなかったわ」

 自分たちの移動だけではない。購入した物品を自力でホテルに運ぶケースもあるだろう。ホテルを再建するつもりなら、自由に使える車は必需品だ。そのことをシリンジに伝えると、彼は「たしかに」といって腕を組んだ。車種や予算の問題もあるので、その件についてはあとでしっかり検討することになった。


 さしあたり、今日の帰りは地底爺とのアポイントの時間が決まっているので、行きのタクシーの運転手にチップを渡して、指定した時間にコブラパレスまで迎えに来てもらうことにした。

 運転手との交渉は難航したが、500ホリデーを先に渡して残り半分を帰りに渡すという条件でようやく話をつけることができた。


 交渉成立に安堵した西坂がシートの背もたれに身を預けると、タイミングを合わせたかのように車は斜面をのぼりはじめた。

「もうすぐだよ、バトー。コブラパレスはこの丘の上にある」

 傾斜のきつい坂をのぼりきると、そこはもうホテルのロータリーだった。


「おお、すごいな」

 外観の写真は何度も目にしているが、やはり実物を前にすると驚かずにはいられない。キングコブラを模したこのホテルは、異彩を放つ特殊な建造物なのだとあらためて実感する。


 いちはやくタクシーを降りたシリンジが、西坂に向かって両手を広げていた。

「ようこそ、ホテルコブラパレスへ」

 胸に手を当てて深呼吸をした西坂は、キングコブラの頭部を見上げた。

 このホテルを自分たちの手で甦らせる。いまこの瞬間が再建の第一歩なのだと、そう考えると心が奮い立った。ゴーストホテルなどという呼び名は、もはや気にならなくなっていた。


 エントランスに向かって歩きながら、シリンジがホテルの構造について説明する。

「手前にある縦長の五階建てがコブラヘッド。一階がロビー、二階がダイニング、三階と四階が管理者の居室で、五階が倉庫になっている。そんでもって、奥にある横長の二階建てがコブラボディ。ゲスト用の客室はこっちだね。一階と二階にそれぞれ八室ずつ客室がある」


 全十六室の小さなホテル。それが、これから自分たちが再建するコブラパレスだ。

 玄関ドアの前に立つシリンジが、手にした鍵を鍵穴に差し入れる。真鍮製のハンドルに手をかけると、彼は慇懃な口調でいった。

「まずは、当ホテルのロビーをご覧ください」

 開け放たれたドアからは、放置された建物に特有の淀んだ空気のにおいが漂ってくる。

 西坂は期待を胸に建物内に足を踏み入れた。


「えっと、あれは?」

 真っ先に目に入ったのは、キングコブラの巨大なオブジェだった。


「ウェルカムコブラ」とシリンジがいう。

「ウェルカム、コブラ?」

「ロビーでお客様をお迎えするコブラ。このホテルの守護神だよ」

 守り神が客をロビーで出迎える。どういうことなのか、わからない。

 客に奉仕するマスコットなのか、祀られるべき神なのか、どちらなのかはっきりしてほしいと西坂は思った。


「調度品のほとんどは売却されたけど、あれは買い手が見つからなかったみたいでさ」

 それはそうだろう。このホテルのために作られたようなオブジェだ。買い手が見つかると考えるほうがどうかしている。

「というか、守護神を売ろうとするなよ」

「オレにいうなって、文句なら地底爺にいってくれ」


 ロビーを一周してから、フロントカウンターとその裏のバックオフィスを確認する。あたりまえのことだが、四年前まではホテルとして稼働していたわけで、特に問題点のようなものは見当たらない。ロビーの次はコブラヘッド二階のダイニングを見てみることにした。


 じゃあ、といって壁面の階段をのぼりはじめるシリンジを見て、西坂がつぶやく。

「ないんだな。エレベーター」

「ああ、それね。いわれると思った。実際のとこ、ゲストは三階から上には行かないし、荷物もホテルスタッフが運ぶから、だからエレベーターがなくてもなんとかなっちゃうんだよね。まあ、オレだって、ここに住んでたころはおかしいと思ってたけど」


「エドの部屋って、三階だっけ?」

「四階だよ、四階。三階はサリス夫妻の部屋」

 昨晩の話のなかでいちど聞いた気もするが、地球外生命体の印象が強すぎるために、細かい点については覚えていなかった。シリンジの部屋が四階にあるということは、マグノリアの部屋も四階ということになる。


「まあ、二階はこんな感じだね」

「可もなく不可もなく、ってところか」

 ひととおりダイニングを確認してから、あたまのなかにメモを取る。事前に調べてはいたが、ライセンスの取得に関しては、再度こちらで確認を取る必要があると思った。購買部のマネージャーとして、レストランで使用する什器も守備範囲ではあるが、自国の場合と同じように考えるわけにはいかない。限られた選択肢のなかで、中古品も検討しながら必要なものを購入しなくてはならないだろう。


「三階と四階は、どうする?」

 ホテルには関係ないけど、と投げやりに話すシリンジを見て西坂は考える。そこは彼とサリス夫妻が暮らした家の、成れの果てだ。好奇心以外に理由がないなら、彼に案内をさせるべきではない。

「あとで暇なときにでも見ておくわ。つぎ行こう、つぎ」

 階段をのぼり、倉庫のある五階へと向かう。


「問題は、ここなんだよ」

 最上階に着くなりシリンジは深いため息をついた。

「たしかに。これは厳しいな」

 このホテルにはエレベーターがないため、荷物の出し入れには階段を使用しなければならない。最上階である五階は、倉庫として適切な場所とはいえなかった。


「てか、そもそも、どうしてこんな場所に倉庫を」

「コブラの頭部のために作ったけど、ほかに使い道がなかったんだってさ」

 ホテルの外観を思い浮かべ、なるほど、と西坂は思う。奇抜なデザインを採用したことによって、中途半端なデッドスペースが生みだされてしまったのだ。天井が低く、窓すらないとくれば、西坂でも倉庫以外の用途は思いつかない。


「とりあえず保留だな」

 西坂が嘆息すると、シリンジは「賛成」といってその場で背伸びをした。


 再びロビーに戻り、奥にある客室棟のコブラボディへと向かう。

「そういえばさ」

 ここがゴーストホテルと呼ばれていることを思いだし、西坂はシリンジに尋ねる。

「買い取り業者が人影を目撃したのって、どのあたり?」

 それなら、といってシリンジは前方の斜め上を指し示した。


「このあたりから見て二階の奥のほう、ちょうどあのへんに誰か立っていたらしい」

 西坂はシリンジが指し示す方向を見つめる。当然のことながら、いまは誰もいない。

 奥へと続く横長のコブラボディは、中央を貫く廊下が吹き抜けになっていた。真ん中から二階を見上げれば、一階からでも上階を歩く人間の姿が見える構造だ。


「目撃されたのは、いつも同じ場所?」

 不審な人影は複数回目撃されているらしいが、同じ場所なのか気になった。

「そう。ぜんぶ、このあたりの二階」

 不法侵入が常態化しているとして、同じ場所で何度も目撃されているというのは、どうにも腑に落ちない。いくらなんでも、警戒心が低すぎるのではないだろうか。まさかとは思うが、侵入者自身が、見られていることに気づいていないとか。

 ありえない話ではないが、とても現実的とは思えなかった。


「売却のどさくさに紛れて、無断で館内から持ち出された物品とかは?」

「地底爺からは、そんな話は聞いていない」

「窓が割られてるとか、非常口の鍵が外から壊されてるとか」

「ぜんぶ確認したけど、そんなのはなかった。……てかさ、バトーは、幽霊じゃなくて人間だと思ってるの?」

「当たり前じゃないか」

 きっぱりと答えた西坂に対し、シリンジはどこか不満げな様子だった。


「バトーの国のことは知らないけど、この国ではいろいろあるんだよ」

「いろいろあるから……。だから地球外生命体もいるって、そういう話か」

「なんかさ、棘のあるいい方だよね」

「俺は仕事で来てるんだ。会社に報告できない話をされても困るんだよ」

「いや、オレだって仕事のつもりだけど」

 そこから先は、険悪な空気のまま無言で客室を見て回ることになった。

 十分の内覧が、一時間にも二時間にも感じられた。


 家具を撤去したがらんどうの客室を見ながら、どうしてこうなったのかと西坂は考える。理由は一つしかなかった。自分の中途半端な姿勢が問題なのだ。地球外生命体についても、信じないなら信じないで、ヤン雨桐ユートンやアイザック・パイロンのように、自分の意見としてはっきりいうべきだった。それを、会社に報告できないからといいわけをし、発言に対する責任を放棄したのだ。シリンジが不快に思うのも当然のことだろう。

 このまま意地を張っていても、仕事に支障をきたすだけで得られるものはない。先を歩くシリンジの背中を見つめながら、西坂は、関係を修復するなら早いほうがよいと考えていた。


「さっきは悪かった」

 ロビーに戻ったところで深くあたまを下げる。

「わからないことばかりで少し苛立っていた。本当に申し訳ない」

 顔を上げてシリンジを見ると、彼は胸の前で勢いよく両手を振っていた。

「いやいや、オレのほうこそ、ごめん。到着したばかりでバトーだって不安なのに、あんな話をしちゃって……」

 互いに過ちを認めたところで、先ほどの不適切な発言はともに撤回することにした。


「よし。じゃあ、仲直りということで、ランチにでも行っちゃいますか」

 シリンジは目を輝かせたまま拳を掲げていたが、このあとの予定を考えると無計画に同意するわけにもいかなかった。地底爺との約束の時間は一時間後に迫っている。そのことを指摘すると、シリンジからは問題ないという答えが返ってきた。


「クイックランチ。イベント前の腹ごしらえだよ」

 どうやら、博物館におすすめのカフェがあるらしい。市立博物館は地底爺との面会場所でもあるので、移動にかかる時間のロスはないとのことだった。


 タイミングを合わせたかのようにクラクションが鳴る。先ほどのタクシーがちょうどロータリーに入ってくるところだった。

 シリンジに続いて外に出ようとした西坂は、エントランスの手前でふと足を止める。

 最後にもう一度、怪しい人影はないかと後ろを振り返ったが、しんと静まり返るコブラパレスに不審者が潜んでいる気配は感じられなかった。

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