ホテル再建記録⑦ 地底爺

 市立博物館でタクシーを降りると、シリンジは西坂をカフェに案内した。昼食に野菜たっぷりのサンドイッチを食べ、いったん外に出てから裏手の通用口へと回る。受付にいる男性に声をかけた西坂は、館長とアポイントがある旨を彼に伝えた。


「館長室ならここをまっすぐ……って、なんだ、エドワードも一緒か」

「やっほー、元気してた?」

 シリンジは受付の男性と顔見知りの様子で、「調子はどうだい」などと親しげに会話をしている。いぜん聞いた話によれば、地底爺の説得に成功するまでの四年間、シリンジはこの博物館でボランティアをしていたらしい。


「なあ、エドワード。ちょっとだけ、夜間警備を手伝う気はないか」

「えっ、オレ?」

 男性からの質問に、シリンジは目を大きく見開いて答える。

「元警官のおっさんいるだろ。あの人、来月で定年退職なんだけど、後任が見つかってなくて。ガブリエルだけじゃどうにもなんないから、しばらくのあいだ事務のジムを夜に回すって話になってんだけど……」

 夜間警備と聞いて、西坂は昨日の副業運転手を思い浮かべていた。アプリに表示されたドライバーの名前も、たしかガブリエルだったような気がする。


「無理だろ?」

「無理だね。事務のジムに夜間警備なんて務まるわけがない」

 どうやら、事務のジムという人物は博物館で一番の臆病者らしい。それを証明するエピソードとしてシリンジが語ったのは、夜間の展示品入れ替え作業中のエピソードだった。

 上司命令で雑用を任されていた事務のジムは、吊られた状態で運ばれてきた民族衣装を見て幽霊だと思い、その場で卒倒してしまったのだという。

 夜間警備は無理だな、と西坂も思った。


「だから、頼むよ」

 男性は両手を合わせてシリンジに懇願している。

 対面のシリンジはというと、指でこめかみを押さえながら困ったような表情をしていた。


「悪い。ホテルのほうが忙しくなるから、ちょっと無理だ。どうしてもってときだけ、そんときだけ手伝うわ」

 ただし、といってシリンジは人さし指を立てる。

「やるにしても月に一回。それ以上は無理だから」

「じゅうぶんだ。それでも助かる。こんど一杯おごらせてくれ」

 完全には断らないところが、エドワード・シリンジという人物の人柄をあらわしている。味方は一人でも多いほうがよい。彼はそのことをよく理解しているのだろう。


 会話を終えたシリンジと一緒にバックヤードを奥へと進む。勝手を知るシリンジが一緒ということで、館長室までの道案内は省かれていた。


「そうだ。バトーに一つ注意しておかないと」

 途中で立ち止まったシリンジが西坂を見ていう。

「注意?」と西坂は聞き返した。

「地底爺はなんというか、変人なんだ。だから……」

「それなら、大丈夫」

 地底爺などと呼ばれる人物がまともであるはずがない。一筋縄ではいかないだろうということは西坂も覚悟していた。

「どんな人でも、失礼のないようにするから」


 ところが、いざ館長室に来てみると、想像とは異なる印象の男性が西坂を待っていた。

「お待ちしておりました、ニシザカさん」

 出迎えたのは柔和な眼の紳士然とした男性で、彼が地底爺だと理解するまでには時間がかかった。


「はじめまして、バトー・ニシザカです」

 求めに応じて握手を交わすと、触れた手を通じて太陽を思わせる体温が伝わってきた。八十五歳と聞いていたが、とてもその年齢には思えなかった。


「遠い国からお招きしたと聞いております。シリンジのためにご足労いただき、本当にありがとうございます。熱意だけが取り柄の若者ですが、どうか彼のことをよろしくお願いします」

「……はい」

 聞き間違いではないかと西坂は思った。コブラパレスのオーナーが、ホテルではなくシリンジをよろしくといったのだ。完全に想定外の言葉だった。


 尽力しますと答えた西坂は、持参した手土産を地底爺に渡す。

「これは、これは、お心遣いありがとうございます」

「私の国の伝統的な菓子です。お口に合えばよいのですが」

 地底爺と話をしながら西坂は思う。この国に来てからというもの、出会うのは癖のある人物ばかりだった。まともな人間と会話をするのは、もしかするとこれが初めてかもしれない。

 そのようなことを考えていると、シリンジがひじで脇腹を突いてきた。


「なんだよ、伝統的な菓子って。これじゃあ、あっちのほうが依頼人みたいじゃないか」

 そうだった。彼はこういう人間だった。

 テレパシーが使えるのなら、すぐにでもいってやりたい。


「金を出すのが彼なんだから、当然だろ」

 思考だけのつもりが、気づけば脳内の言葉が声に出ていた。


 地底爺が声を上げて笑う。

「どうやら、シリンジとは相性がよさそうですね。なんだか安心しました」

 品の無い男と思われないかと心配になったが、いまさら手遅れだった。


「ところで、ニシザカさん」地底爺の目が鋭く光る。「セパレートシティの歴史についてはご存じですか」

「歴史、ですか。申し訳ありません。そのあたりは不勉強で」

「それはいけませんね。街のことはしっかり勉強しておかないと」

 返す言葉がなかった。その土地のことを深く理解して挑まなければ、事業を継続させるだけの推進力をホテルに与えることはできない。そのとおりだと思った。


「せっかくですから、館内を回りながらウロコ文明についてご説明しましょう」

 流れるような動きで肩に手を回した地底爺は、有無をいわせないという雰囲気で西坂を部屋の外へと連れだした。

 なにかを察したシリンジが、通用口で待っているといい残してその場を去る。

 逃げたな、と西坂は思った。


「こちらへどうぞ」

 博物館のスタッフを呼ぶのかと思いきや、館長自ら案内をするのだという。しばらく館内を歩いていた地底爺は、薄暗い展示室の一角で立ち止まると、街の歴史と呼ぶにはあまりにも遠い古代文明の説明をはじめた。


「紀元前三千年ごろにこの地域で栄えていた文明をウロコ文明と呼ぶのですが、セパレートシティはその中心地であったと考えられています。街の外れにある遺跡からは多数の装飾品が発見されており……」

 地底爺は展示物を指し示しながら、一つ一つ丁寧に説明を加えていく。儀式用の水差し。スカラベのレリーフ。蛇を模した金の冠。頭部が破壊された女神像。奇妙な形状のミイラ。どれも、知っていたからといって、ホテルの開業に役立つような内容の話ではなかった。


「あちらをご覧ください」

 地底爺が歩みを止める。そこに展示されていたのは、大人の背丈の倍はあるかという巨大な壁画だった。


「この壁画には古代人の儀式の様子が描かれているのですが、欠損が激しいため、詳しいことはわかっていません。欠けている部分が発掘されれば、もしかしたら世紀の大発見になるかもしれませんね」

 街の西にあるウロコ文明の古代遺跡では、セパレートユニバーシティの研究チームが現在も発掘調査を続けているとのことだった。


「ウロコ文明は大きな謎に包まれています」

 地底爺は話を続ける。

「人肉を食べていたという痕跡が見つかっているのですが、ある年代を境にその痕跡はぱったりと途絶えてしまいます。おそらく、人肉を食べていたグループが淘汰されてしまったのでしょう。私の考えでは、地上を追われた彼らは地下で生活することを選択し、その子孫が地底人になったのではないかと……」


「えっ」と西坂は声を上げてしまった。

 迷いのない口調だったが、その内容は常軌を逸したものだった。

 地底爺がはっとした表情で西坂を振り返る。


「失礼しました。地底人は博物館の公式見解ではありません」

 ですが、といって地底爺は言葉を続ける。


「シリンジから話は聞いていますよね」

「はい」

 西坂は昨晩のシリンジの言葉を思い浮かべた。

 地底人の調査を手伝う。それが資金援助の交換条件になっていたはずだ。


「聞いています」

 深呼吸して言葉を続ける。

「正直なところ、地底人などといわれても信じるつもりはありませんが、個人的な考えは別にして、自分の仕事はしっかりやり遂げます」


 肯定するという選択肢もあったが、ここは本心を口にすべきだと西坂は考えた。相手が喜ぶ言葉を並べたところで、それが最適解になるとはかぎらない。

 返答を聞いた地底爺も、特に落胆した様子はなかった。


「結構です。仕事と割り切ってもらったほうが、こちらとしてもやりやすい」

 ですが、といってまっすぐな目で西坂を見つめる。

「私が地底人を目撃したことは事実です。そこは譲れない。――忘れもしない、二〇一九年八月二十三日の出来事です」

 そして彼は、四年前の状況について詳しく語りはじめた。


「その日は、夕方になってサンドストーム警報が発令されたので、閉館時間を繰り上げて早めに博物館を閉めることにしました」


 シリンジから話を聞いている西坂は、その日がサリス夫妻の失踪日であることも知っている。この目撃事件がきっかけとなり、地底爺はホテル事業からの撤退を決意したとのことだった。


「スタッフの一人がバイク通勤だったのですが、閉館作業が終わるころには周囲はサンドストームに覆われていたので、彼のことは、私が家まで車で送り届けることにしました」

 専属の運転手がいるわけでもなく、自身が運転する車でスタッフを家まで送り届けたのだという。四年前の出来事とはいえ、当時すでに八十歳を超えていたはずだ。自らハンドルを握りサンドストームのなかを疾走する。その姿を想像した西坂は、もはや目の前の地底爺に対し畏怖の念すら抱いていた。


「スタッフを玄関先まで送り届け、自宅に帰ろうと車のドアハンドルに手をかけたときのことでした。車道を挟んで向かい側にある複式墓地から奇妙な声が聞こえてきました。あとから思えばあきらかに不審な状況なのですが、そのときの私には助けを求める声のように聞こえて、気づけば声のするほうへと足が向いていました」

 まるでホラー映画のような展開だな、と西坂は思った。


「無人の墓地を奥へと進むと、そこに……」

 まっすぐに西坂を見つめたまま地底爺はいう。


「居たんです」


 なにが、とはいわず、地底爺はただ「居た」とだけ説明した。

 目を見開いたまま両手を広げ、なにかを催促する仕草のまま動きを止めている。

 プレッシャーに耐えきれず、西坂は尋ねた。

「なにがいたんですか」

 地底爺は両手を下ろし答える。


「地底人」


 予想したとおりの回答だった。

「サンドストームが吹き荒れるなか、腰巻きだけの半裸の男性が素手で墓を掘り起こしていたのです。それを見た瞬間に私は確信しました。あれは地底人だ、と」


 墓を掘り起こすという行為の異常性は、相手が常人ではないことを如実に物語っている。異形と思いたくなる気持ちも理解できるが、少し飛躍しすぎなのではないかと感じた。西坂のなかで墓泥棒と地底人がどうしても結びつかない。


「あの……、地底人は、墓を掘り起こすものなのでしょうか」

 西坂の問いに、地底爺は「はい」と即答した。

 説明が必要だと気づいたのだろう。地底爺はすぐに言葉を続ける。


「この国の伝承の一つに墓を掘り起こす怪異が登場するのですが、それが地底人と呼ばれています」

 古くから語られる怪異と聞き、西坂は自国の妖怪をイメージした。地の底から姿を現す異形。人という文字がついていても、おそらく化け物に近い位置づけなのだろう。地底に生活圏を築いているようなSF的解釈の地底人とは、根本的に種類が異なっていると感じられた。


「地底人は、どうして墓を掘り起こすのでしょうか」

 西坂の質問に対し、地底爺は「遺体を食べるためです」と答える。

 それを聞いて合点がいった。

 この地には遺体を喰う怪異としての地底人の伝承が存在する。そのいっぽう、ウロコ文明の研究が進められるなかで、古代人の人肉食の痕跡も発見されていた。伝承で語られる怪異の起源が古代人にあると考える者が現れても不自然なことではない。


 足元を見て考え込んでいた西坂が顔を上げると、地底爺は話の続きを語りはじめた。

「私の存在に気づくと、地底人はその場から逃げだしてしまいました。掘り起こされた墓は棺桶の蓋が開けられていたのですが、幸いなことに、複式墓だったので被害はありませんでした」


「複式墓?」と西坂は尋ねる。

「棺桶を二重底にする埋葬方式です。複式墓の場合、ダミーを上段に入れておくことで、下段の遺体を守ることができます」

「守る、というのは」

「諸説あるのですが、遺体を地底人から守るためだと私は考えています」


 地底人が遺体を喰う怪異であるなら、いちおうは筋が通っていることになる。とはいえ、それはすべて、地底人の実在を前提とした場合の話だ。一般社会で通用するような話ではない。実際には、盗人から副葬品を守ることが目的だったのではないかと西坂は推測していた。


「昔の墓は、そのほとんどが複式墓でした。ですが、いまはコストを抑えた単式墓が主流となっています。近代化が進んで、地底人を信じる者が少なくなったことの証でしょう」

 時代の変化を嘆くように地底爺はいう。


「とにかく。街の近くに地底人がいるとわかって、私の人生は一変しました。手間のかかるホテル事業からは手を引き、地底人の調査に残りの人生を捧げることを決意しました。……なので、ニシザカさん」

 地底爺が真剣な顔で西坂を見る。

「お力添えを、よろしくお願いします」

 苦笑いを浮かべて「はい」と答えながら、一筋縄ではいかないなと西坂は考えていた。


 地底爺と別れた西坂は、通用口で待っていたシリンジと合流して博物館をあとにした。バケットストリートを東へと歩きながら、空を見上げて重いため息をつく。


「ねえねえ、なんかいわれたでしょ」

 シリンジがにやにやしながら顔を近づけてきた。

「べつに、たいしたことじゃない」


 正直なところ、本人に会う前の西坂は、地底人調査など簡単にごまかせるとたかをくくっていた。調査を行っているふりをしながら、実際はホテル開業に全力を注ぐ。シリンジのいう変人や、パイロンのいうクソジジイであれば、どうにでもなると思っていた。ところが、いざ蓋を開けてみると、地底爺は変人でもクソジジイでもなかった。半端な覚悟で渡り合える相手ではない。その事実が西坂を憂鬱な気分にさせていた。


「ねえ、なにいわれたの? ねえ」

 しつこく顔を寄せてくるシリンジを横へ押しやり、先ほどの地底爺とのやり取りをかいつまんで説明する。


「なるほど。それじゃあ、頑張って地底人の調査をするしかないってわけね」

「頑張るっておまえ、ホテルのほうはどうすんだよ」

「もちろん、そっちも頑張る。当然だろ」

「はあ……」

 西坂は早くも二度目のため息をついていた。


「まあ、頑張ったところで、地底人なんて見つかるはずがないんだけど」

「えっ?」


 シリンジはいう。

「いるわけないじゃん。地底人なんて」


 それは予想外の発言だった。地球外生命体は存在するが、地底人は実在しないのだという。もはや、なにを基準にすればよいのかまったくわからない。


「たぶんさ、地底人の伝承ってのは、古代人の壁画がベースになってるんだよ。人肉食の痕跡は最近発見されたものだけど、それが描かれた壁画は、何千年も前から遺跡にあったわけでしょ? 昔の人が先に見つけていた可能性だってじゅうぶんに考えられる。壁画を見た昔の人は、人肉を食べる古代人の姿に恐れを抱き、それを民話として語り継いだ。つまり、地底人はただの創作ってこと」


 妖怪と同種の怪異と考えれば、地底人に関するシリンジの主張も間違ってはいないように思えてしまう。博物館でボランティアをしていたからだろうか。シリンジは民間伝承にも詳しい様子だった。


「地底人を信じていないのはわかったけど。じゃあ、どうして協力する気になったんだよ」

 それはまあ、といってシリンジは指先でくるりと円を描く。

「長生きしてほしいから」

 気恥ずかしいところがあるのか、顔を覗き込んでも視線を合わせようとはしない。


「やりたいことをやっているときのあの人は、年齢を忘れるくらい元気だから。だから、その……、少しは手伝ってもいいかなって。オレにとっては、あの人もやっぱ、家族みたいなもんなんだよ」

 空を見上げるシリンジは、少年のように澄んだ目をしていた。

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