ホテル再建記録⑧ 監視カメラ

 翌日から、本格的にホテルの再建計画が始動した。

 四年前までホテルとして営業していたコブラパレスは、老朽化によってくたびれた印象はあるものの、ベースがしっかりしていることもあり、建物自体に手を加えずともホテルとしての運用は可能だった。リニューアルはデザインと設計を専門の会社に依頼するのが定番ではあるが、サリス夫妻のコブラパレスをなるべく残したいというシリンジの意向もあり、デザイン変更は見送って必要な箇所の改装工事だけを実施することにした。


 実施する工事は、LED照明の増設、空調設備の更新、浴室のフルリフォーム、それと絨毯と壁紙の張り替えだ。エントランスやロビー、ダイニングはそのまま活用し、利用客の満足度に直結する客室設備を重点的に刷新することにする。

 それらの工事は大手に頼めば一括で発注することが可能なのだが、見積もり額が予算を大幅に超えてしまったために、費用を負担する地底爺の首を縦に振らせることはできなかった。仕方なく大手は諦め、工務店やメーカーと直接交渉をしながら、施工管理は自分たちで行うことにした。購買部出身の西坂では力が及ばない問題もあったが、その都度、ホテルワンダーボックスの専門部署に相談をして、一つずつ障害をクリアしていった。


 一週間、二週間と日が経つに連れ、セパレートシティでの暮らしにもだいぶ慣れてきたように思える。サンドストームに遭遇する機会こそなかったが、日常生活の延長にあるイベントなどはおおむね経験をし、その最低限の対処方法も身につけていた。


 改装工事の請負契約の目途も立ち、作業日程について工務店で打ち合わせをした日の夕方の出来事だった。隣を歩くシリンジが「あっ」といって、素早く前方を指し示した。なにごとかと目を凝らしてみると、進路の先に楊の姿があった。


「あ、エドワードじゃん。それにバトーもいる」

 彼女のほうも、すぐにこちらの存在に気づいたようだった。

 楊のもとに駆け寄ったシリンジが、好奇心丸出しの表情で尋ねる。


「外でユートンと会うなんて珍しいね。こんなところでなにしてたの?」

「監視カメラの修理を依頼しに来たとこ」

「カメラ? カメラって大学の?」

 シリンジの質問に楊は首を横に振って答える。


「大学じゃなくて、地底爺の」

「地底爺のカメラ?」

 西坂は首をかしげた。

「私の専門はサンドストームだから、本当はデータ収集用に専用カメラを街じゅうに設置したいんだけど……。うちの大学お金ないから、だからメンテナンスと引き換えに地底爺の監視カメラを使わせてもらってる」


 既設カメラに便乗していることはわかった。しかし、疑問はまだ残っている。

「そもそも、どうして地底爺は監視カメラなんて……」

「そりゃあ、地底人を撮影するためだよ」

 代わりに答えたのはシリンジだった。


「四年前、あの人は地底人調査に全力を注ぐために、それまで手掛けていた複数の事業からいっせいに手を引いた。ホテル事業もその一つ。個人の資産をいくつか手放して、その金で街じゅうに監視カメラを設置したんだ」


 とんでもない話だと西坂は思った。個人による監視カメラのばら撒きなど、どのような理由をつけたとしても行政が許可するはずがない。つまり地底爺は、本人にその気がないとはいえ、無許可で市民を監視していることになる。事実が公になれば批判は免れないだろう。

 なによりも問題なのは、監視カメラの設置に私財を投じているという点だった。


 シリンジを見て西坂はいう。

「もしかして、いまの地底爺に、再建の資金援助なんて無理なのでは」

 彼がどの程度の収入を得ているのかは不明だが、四年前に保有資産の一部を手放すほどの出費をしておきながら、ホテルの再建が可能なほどの現金を手元に残しているとは思えない。シリンジと地底爺、双方の認識にずれがないか、あらためて確認すべきなのではないかと西坂は思った。


 先ほど打ち合わせをした工務店との請負契約においても、契約締結の翌月に代金の半分を支払うことになっている。金がないでは済まされないところまで話は進んでいるので、先ほどのシリンジの発言はどうしても見過ごすことができなかった。

 疑問を口にした西坂に対し、シリンジは人さし指を立てて返答した。


「それについては心配ご無用。採算が取れているらしい」

「採算を取るって、どうやって」

「ユートンの大学以外にも、警察とか企業とか、いろいろなところに監視カメラのデータを提供していて……」

 にやりと笑い、シリンジはいう。

「取るべきところからは利用料を徴収してる、けっこう稼げるって、地底爺はそういってた」


 本当なのだろうか、と西坂は首をかしげる。実際に会話をした印象では、地底爺は「けっこう稼げる」などと発言するような人物ではなかった。それに加え、データの提供先に警察の名前があるというのも、どうにも信じがたい。


「警察にデータを提供って、あの人、博物館の館長だろ」

 西坂がそう指摘すると、シリンジは中途半端にうなずいて答えた。

「いまはそうだけど。いちおう昔の肩書きがあるから」

「昔の肩書き?」

「元市長っていう肩書き。だから、いろんなところに顔が利くんだよ」


 それを聞いて、少しだけカラクリが解けたような気がした。年齢を感じさせない行動力、人を惹きつける紳士的なカリスマ性、そして学術系の人間には不似合いな財力。どれを取っても、彼が凡人ではないことを如実に物語っている。おそらくだが、社会的地位の高い彼は、元市長という肩書きのおかげで、さまざまな場面で優遇されてきたのだろう。一瞬でも金の心配をした自分がばかばかしく思えた。


「ところで、ユートンはこれから大学に戻るの?」

 シリンジが楊に向かって尋ねる。

「今日はもう帰るところ。あっ、そうだ。エドワードたちも帰りなら一緒に夕飯でもどう?」

「あーごめん、ユートン。じつはバトーが手料理を……」

 そう口走ったシリンジを西坂が大慌てで制した。


「エド! エド! エド!」

 力強く肩を掴み、ぶんぶんと身体を揺すっていいきかせる。

「女性からのお誘いを断るのはホテルマン失格だって、そう教えたじゃないか」

「えっ? そうだっけ」

「いいから、行くぞ」


 ぽかんとするシリンジの背中を押し、彼の背後で楊にそっと目配せをする。合図に応じて微笑んだ楊を見て、西坂は、危ないところだったと内心でため息をついた。ここでヘマをすれば、あとで彼女になにをいわれるかわかったものではない。


 少し前から西坂は、とある面倒な仕事を楊から押しつけられていた。

 楊とシリンジが二人きりで食事をするように、うまく立ち回って状況をアレンジする。タイミングは西坂に一任されているが、二週間に一度は必ず場をセッティングしなければならない。それが西坂に課せられた仕事だった。


 興味を持った対象に強い執着心を抱く楊は、サンドストームの虜であると同時に貪欲な狩人でもある。彼女は狙った獲物を手に入れるまで、つまりシリンジを配偶者にするまで、けっして諦めるつもりはないらしい。「バトー、バトー」と西坂にばかり甘えるシリンジを見て、彼女はこちらに対し、並大抵ではない嫉妬心を抱いているようだった。


 うまい具合に雰囲気のよい店を見つけた西坂は、二人を連れて店に入るなり、ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取りだした。そのまま母国語で通話の真似事をし、シリンジたちには、ホテルワンダーボックスからの緊急の要件だと告げる。慣れない演技で芝居がかった口調になってしまったが、シリンジはこちらの母国語を解していないため、特に問題はなかった。


「悪い。用事ができたから、あとは二人で」

 そういい残して足早に店をあとにする。大通りまで出た西坂は、再びポケットからスマートフォンを取りだすと、こんどはタクシーの配車アプリを起動した。

 緊急の要件だといって別れたからには、アパートメントに戻って夕食を作るわけにもいかない。行きつけのカフェで時間を潰し、頃合いを見て帰宅するのがベストだろうと、そのようなことを考えていた。


 到着したタクシーに乗り込み、行き先を告げる。渋滞に巻き込まれるかと思ったが、中央市場までは十分もかからなかった。運転手の話では、今日はどういうわけか道が空いているのだという。まれにそういう日があるらしいのだが、ドライバー歴三十年のベテランの彼にも理由はわからないとのことだった。


 中央市場の入り口でタクシーを降りた西坂は、昼とは違う静まり返ったアーケードを奥へと進んだ。アンカーポイントの前で立ち止まり、真鍮製のドアハンドルに手をかける。ずしりと重いドアを開けると、この店特有の甘い香りが漂ってきた。


 カウンター席に座った西坂は、エスプレッソとアイスケーキをマスターに注文する。赴任翌日にシリンジと訪れて以来、カフェ・アンカーポイントは西坂の馴染みの店になっていた。


 ディナータイムの店内にほかの客の姿はなかった。はっきりとした違和感があるわけではないが、どうも今夜は街の様子がおかしい。嵐の到来を前にセパレートシティ全体が息を潜めているかのような、そんな緊張感を感じる夜だった。


「今日って、なにかあるのかな?」

 エスプレッソをカウンターに置いたマスターに尋ねる。

「べつになにもないと思いますが、どうしてですか」

「いや、なんか人が少ないような気がして」

「いつもより警官が多いからではないでしょうか。複式墓地の近くで妙な動物の死骸が見つかったと、少し前に来たお客さんがいっていましたよ」

 そういわれれば、今日は警察官の姿を何度も見かけた気もする。


「パイロンさんも忙しいのかな」

「そうですね。今日はいらしていないので、お忙しいのかもしれません」

 西坂の前にアイスケーキを置きながらマスターが答える。

 シリンジや西坂と同様に、パイロンもこの店の常連客の一人だった。


「昨日いらしたときに天候の話をしたので、もしかすると今日はサイドビジネスのほうかもしれませんけど」

「サイドビジネス?」

 手にしたフォークを皿に戻し、西坂は尋ねる。

 マスターは表情を変えずに話を続けた。


「ご存じないですか。蛇殺しのパイロン」

 シリンジの口からも聞いたことのない言葉だった。


「パイロン家は代々、毒蛇ハンターをしているんですよ。いまのご時世、それだけでは生活していけないので、アイザックさんも普段は警官として働いていますが」

 手元のカップに視線を落とし、西坂は重いため息をつく。

 蛇の名を冠するホテル。ホテルを再建するシリンジ。シリンジを殺人事件の犯人と疑うパイロン。毒蛇ハンターという単語からは、不吉な出来事しか連想できなかった。

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