ホテル再建記録⑤ サリス夫妻

「二〇一九年八月二十三日。オレが十九歳のときに、奴らは来た」

 シリンジの表情がいちだんと険しくなる。


「その日、仕事を終えたオレは、サンドストーム警報が発表されたと聞いて、書きかけの業務日報を放りだして大急ぎで店を出た。移動手段はバイクだから、視界を奪われると途中で立ち往生してしまうし、サリス夫妻には、車で迎えに来てもらうような迷惑はかけたくなかったんだ」


 彼はなんの説明もなくサンドストームという単語を口にしたが、外国人の西坂にとって、それはあまり馴染みのある言葉ではなかった。タクシーの車内で詳しく説明されていなければ、シリンジが語る当時の状況を正確にイメージすることはできなかっただろう。


「制限速度を無視して走って、それでなんとか、サンドストームに追いつかれずにコブラパレスに帰ることができた。間一髪のタイミングだった」

 話を聞きながら、西坂はあたまのなかにセパレートシティの地図を思い浮かべていた。ホテルコブラパレスは、街の西側、街外れの丘の上に建っている。副業運転手の説明では、風は東から西へ吹くとのことだったので、帰宅するシリンジは、迫るサンドストームから逃げるようにバイクを走らせたことになる。


「ホテルに入ってロビーを見回したら、フロントカウンターにサリス夫妻が二人で立っているのが見えて、それで、かるく手を振ってから四階の自分の部屋に向かったんだけど、いまとなっては、もっとちゃんと言葉を交わしておけばよかったと後悔してる。あのとき二人は、サンドストーム警報に気づいていなかったんだ」


 断片的な情報からサンドストーム警報について想像してみる。警報といっても、やはりリアルタイムで情報媒体に触れていなければ、発表そのものを知ることができないのだろう。自国の緊急地震速報などとは異なり、個人端末を経由して強制的に注意喚起を行うものではないのだと西坂は理解した。


「自分の部屋に入ってバックパックを下ろすと、すぐに砂粒が窓ガラスを叩く音が聞こえてきた。ベッドに倒れ込みながら、あと少し遅かったら危なかったとか、そんなことを考えていたんだと思う。目を閉じて風の音を聞いていたら、隣の部屋でなにかが倒れる音がしたんだ。窓が開いたままになっているんだと気づいて、そのときになってはじめて、サリス夫妻が警報を知らないという可能性に思い至った」


 サンドストームの発生に備えて、コブラパレスには部屋の窓を強制的に閉める仕組みがあるのだというが、それらはすべて、ホテルスタッフが手動で作動させる必要があるとのことだった。


「あの時間帯にサリス夫妻が二人でフロントに立っているということは、ほかのスタッフはすでに帰宅しているということになる。被害が広がる前に知らせないと、と思ってすぐに部屋を出たんだけど、隣の部屋のドアが視界に入ったところで、先に窓を閉めるべきだということに気づいた」


 窓を開け放した状態でサンドストームが通過するとどうなるのか。部屋の向きにもよるのだろうが、東を向いていた場合、砂が侵入して大変なことになるのだろう。この先のセパレートシティでの生活を想像し、想像していたより厄介な街だなと西坂は思った。


 シリンジは話を続ける。

「隣の部屋はマグノリアの部屋だった。彼女の部屋は……、なんというか不可侵領域のようになっていて、死んだあともそのままの状態で保存されていたから、普段からオレは、その部屋だけは立ち入らないようにしていた。だからというわけじゃないんだけど、部屋の照明スイッチの横に、マグノリア専用の呼びだしボタンがあることをすっかり忘れていたんだ」


 区画は分かれているのだろうが、客の出入りがあるホテルの館内に子供部屋があるのだから、親としては、万が一に備えた防犯対策を行わずにはいられなかったのだろう。サリス一家の特殊な住環境を物語るエピソードだと西坂は思った。


「スイッチを入れた瞬間に、間違って呼びだしボタンも一緒に押してしまって、あっ、まずいって思ったんだけど、明かりが点いた室内を見て、そんな思考はすぐに吹き飛んでしまった」

 目の前の異様な光景のせいで、一瞬のうちにあたまが真っ白になったのだという。


「全開になった窓の前に、奴らが立っていたんだ」

「奴ら?」

 説明を求めて聞き返すと、シリンジは真顔で信じがたい言葉を口にした。


「地球外生命体がそこにいた」


「まさか」

 西坂は即座に否定したが、シリンジは気にも留めなかった。

「空中に回転と停止を繰り返す車輪のようなものが浮かんでいて、その傍らに立つ奴らは、車輪の回転に合わせて身体の一部を透明化させていった。たぶん光学迷彩の一種なんだと思う。見た瞬間にこの星の生物じゃないとわかった」

 脳内でその光景を思い浮かべようとしてみたが、うまくいかない。聞き慣れない単語が多く、西坂には言葉の意味を理解するのが精一杯だった。


「マグノリアの部屋から逃げたオレは、自分の部屋に飛び込んで、すぐに入り口のドアを閉めた。どこなら安全かとか、そんなことを考えてる余裕はなかった」

 西坂は思う。得体の知れない存在に遭遇したのであれば、逃げだすことができただけでも上出来といえるのかもしれない。危機的状況に直面した場合、ときとして人間は、逃げだすことさえできなくなるのだから。


「だけど、すぐに大変なことをしてしまったと気づいた。階段を駆け上がる足音と一緒に、サリスさんたちの声が聞こえてきたんだ。そのとき二人は、大声でオレの名前を呼んでいた」

「ああ……」

 そうか、と西坂は思った。マグノリアの部屋の呼びだし音を聞いたサリス夫妻は、それをシリンジからのSOSと捉えたのだろう。


「来ちゃダメだ、と思った。すぐに出ていって、逃げろと叫びたかったけど、身体がいうことを聞かなかった。オレは……、ドアの向こうで親同然の恩人が窮地に立たされているというのに、なにもせずに部屋の隅で震えていたんだ」

 シリンジは悲愴な面持ちで拳を強く握っている。


「どのくらいのあいだそうしていたかわからない。気がつくと風の音は止んでいた。部屋を出たオレは、もう一度マグノリアの部屋をのぞいてみた。開いていたはずの窓は閉まっていて、奴らの姿はそこにはなかった」


「サリス夫妻は?」と西坂が尋ねる。

 シリンジは首を左右に振って答えた。

「館内をどれだけ探しても、二人の姿は見当たらなかった。どうすればいいかわからなくなって警察にも来てもらったけど、けっきょくなにもわからなかった」

 警察と聞いて西坂は視線を横に移す。その先には警察官のパイロンがいたが、彼は明後日の方向を向いたまま水餃子を咀嚼しており、この件に関してコメントをする気はなさそうだった。

 西坂の視線が戻るのを待ってシリンジは続ける。


「その晩は、サリス夫妻の代わりにフロントに立って、二人が帰るのをそこで待つことにした。一晩中起きてるつもりだったけど、少しだけ休憩しようと思ってイスに座ったら、もうアウトだった」

 イスの上で力尽きたシリンジは、浅い眠りのなかで夢を見たのだという。追っ手から逃げ回るという内容の緊張感のある夢だった。


「その夢の最後にマグノリアが現れたんだ。彼女は記憶のなかにある子供のころの姿のままだった。夢のなかのオレは声を出すことができなくて、それはマグノリアも同じだったんだけど、それでも、彼女がなにを伝えたいのかはすぐにわかった」

 夢のなかで、マグノリアは片手を上げ、天を指し示していた。

「二人は地球外生命体に連れ去られた。それを伝えるために、マグノリアはオレの夢に現れたんだ」

「エド……」

 名前を呼ぶ以外にかける言葉が見当たらなかった。彼は現実から目を背けているのだと西坂は思った。


 翌日以降もサリス夫妻が帰ってくることはなかった。突然の支配人の失踪でホテルは営業不可能となり、オーナーの地底爺はコブラパレスの廃業を決定したのだという。


 その話を聞いて、西坂は疑問を抱かずにはいられなかった。住み込みで働く古参とはいえ、サリス支配人も雇用された従業員の一人に過ぎない。その気になれば、後任を探して営業を継続することもできたはずだ。にもかかわらず、オーナーは廃業の道を選んだ。彼はなぜ廃業を選択したのか。その理由が西坂にはわからなかった。

「素朴な疑問なんだけど。どうしてオーナーは、後任の支配人を探さなかったんだろう」


 西坂が疑問を口にすると、シリンジは軽く天を仰いでから深いため息をついた。

「そのあたりはちょっとややこしくて。じつはあの日、ほかにも事件があったんだよ。その影響でお金の動きが複雑になってしまって」

「事件?」

「街外れの複式墓地で、地底爺が、その……、見たといってるんだ」

「見たって、なにを」


「地底人を」


 聞かなければよかったと西坂は思った。ゴーストホテル、地球外生命体ときて、次は地底人だという。どう考えても、赴任初日に聞かされるような話ではない。この街はどうなっているんだと、いますぐにでも叫びだしたい気分だ。

「わかった。もういい。その話はまた今度にしよう。いまはエドの話を聞かせてくれないかな」

 刺激的な内容に食傷気味な西坂は、話題を再びシリンジに戻す。脱線せずに彼の話を最後まで聞くべきだったと、いまになって西坂は後悔していた。


「そう、じゃあ」

 後日談だと前置きをしてから、シリンジは続きを話しはじめる。


「廃業が決まれば、コブラパレスに住み続けることはできない。家を追いだされたオレは、地底爺が所有するこのアパートメントに引っ越すことになった」

「それからは、ずっとこのアパートメントに?」

「そうだよ。ずっとここに住んでる。最初は一人で寂しかったけど、ユートンとパイロンさんが来てからは、だいぶ賑やかになって」

 そういってシリンジが笑うと、すかさずパイロンが「うるせえのは、てめえのほうだろ」と異を唱える。二人のやりとりを見守る楊は、呆れた様子でビールをあおっていた。

 彼らにとってはこれが日常の一コマなのだろう。隣人たちの関係性が垣間見えた気がして、西坂は少しほほえましい気持ちになった。


「コブラパレスのほうは、オレが引っ越したあとも、客室家具とかオフィス什器とかを売却する関係で、わりと頻繁に人の出入りがあったんだけど、無人のはずの館内で不審な人影を見たっていう人が続出して」

「それでゴーストホテルと呼ばれるようになった、と」

「そうなんだよ。最悪だろ?」

「ああ、最悪だ。一番ダメな奴だ」

 似たような話を聞いた覚えがある、と西坂は思った。廃業して無人になったあとのコブラパレスは、アウトローに目をつけられ、犯罪の温床になっていたのかもしれない。


「ゴーストホテルなんていう噂が流れると、ほかの用途で使用することも難しくなってしまう。廃業後の事後処理については、地底爺が人を集めて検討していたんだけど、建物を取り壊す案が浮上したと聞いてオレは決意を固めた。サリス夫妻が帰ってくるその日まで、コブラパレスをなくしてはならない。オレが死守するんだって、そう心に誓ったんだ」


 エドワード・シリンジという男性は、サリス夫妻の帰還をかたく信じているのだろう。地球外生命体についての発言は信憑性に欠けるが、失踪した二人の帰る場所を残しておきたいという彼の願いは西坂にも理解できた。

 予想していた展開とはだいぶかけ離れているが、それでも依頼人の熱意の源を知ることができてよかった。シリンジの説明に満足した西坂が「なるほどね」とうなずいていると、仏頂面でフライドチキンを食べていたパイロンがいきなり笑い声を上げた。


「おいおい、まさかいまの話を信じたとかいわねえよな」

「どういうことだよ」

 西坂が聞き返すと、パイロンは手にしていたチキンの骨を皿の上に放り投げた。

「宇宙人なんているわけねえだろ」


「なんだ、それか」

 一から十まですべて嘘である可能性を思い浮かべた西坂は、地球外生命体を否定するパイロンの言葉に安堵のため息を漏らす。シリンジを信じていないわけではないが、地球外生命体については西坂も彼と同意見だった。マグノリアの部屋で目撃されたものの正体については、現段階では判断を保留にすべきだと思う。問題なのは、それをいま、本人の前で口にしてもよいかということだった。

 どうしたものかと苦い顔をしていると、見かねた楊が助け舟を出してくれた。


「エドワードはSFオタクだから、宇宙人とかUFOとか、どうしてもそんな感じの色眼鏡で見ちゃうんだよ。だから、気にしない、気にしない」

「ちょっと、二人とも!」

 自身の発言が軽視されていることに気づき、シリンジが抗議の声を上げる。

「オレの話を信じないのは勝手だけど、バトーをそそのかすのは、やめてくれないかな」

 目の前のケーキを独り占めするように抱え込み、シリンジはいう。

「あんまりひどいと、会費を徴収するよ」

 それを聞いたパイロンがさっと拳を振り上げる。

 どこかで見たような場面だと西坂は思った。


「クソジジイの金のくせに、自分の奢りみたいにいうんじゃねえよ」

 突きだされた拳が肩に当たるのと同時に、シリンジが顔をしかめて痛いと叫んだ。

「悪徳警官だ。悪徳警官がここにいる」

「なんだと? てめえ、もういっぺんいってみろや」

 パイロンはすでに二発目の予備動作に入っていた。


「はいはい、喧嘩はそこまで」

 二人のあいだに割って入ったのは楊だった。どうやら、今度は彼女が仲裁をする番らしい。

 手慣れた様子でビールを手に取った楊が、両者の手にそれを握らせ「乾杯」と叫ぶと、シリンジとパイロンの二人は、先ほどまでのいさかいが嘘のようにおとなしくなった。まるで餌付けされた動物だな、と西坂は思った。


「ところで」

 楊とパイロンを見て、西坂は尋ねる。

「エドがなにを見たかは別にして、ヤンとパイロンさんの二人は、失踪の原因についてどう思ってるの?」

 地球外生命体による拉致を否定しても、サリス夫妻が行方不明になった事実は変わらない。現実的な問題として、失踪の原因を二人はどう認識しているのか、意見を聞いてみたいと西坂は思っていた。


「おれはな」

 最初に口を開いたのはパイロンだった。

「サリス夫妻の件は殺人事件だと思っている。あんたの国ではどうか知らないが、この国では、行方不明者が出た時点で残された者は死を覚悟する」

「殺人事件って、そんな……」

 相手が警察官ということもあり、自然と疑問の言葉が口をつく。

「二人が殺される理由は?」

 西坂が尋ねると、パイロンはゆっくりと首を左右に振った。

「それをこの場で話すわけにはいかない」

 答えたパイロンがシリンジを一瞥したことで、ようやく西坂は、自身の過ちに気づくことができた。サリス夫妻が殺される理由など、シリンジの前で話す内容ではない。配慮を欠いた質問だったと気づいた西坂は、強く下唇を噛んで自分の愚かさを呪った。


「それで、ヤンは?」

 話題を変えるように楊へと顔を向ける。

「私はね」

 彼女の回答は意外なものだった。


「サリス夫妻の失踪は、彼らの自作自演だと思ってる」

「自作自演? それって、自らの意思でコブラパレスを去ったってこと?」

 西坂の問いに、うん、とうなずくと、楊は独特な発想の持論を展開しはじめた。

「子供を亡くしたサリス夫妻は、はじめからホテルを出ていくつもりだったんだと思う。マグノリアのいない世界で、それでも二人は生きていかなくちゃいけないでしょ。自宅と職場が一緒で、しかもそこが娘との思い出がたくさん詰まった場所っていうのは、子を亡くした親にとってはつらいことなんじゃないかな」


 言葉には出さなかったが、西坂は楊の意見に同意することができなかった。べつに彼女の主張におかしな点があるわけではない。自分はサリス夫妻に会ったこともないし、もちろん二人の気持ちを代弁できるとも思っていなかった。それでもやはり、楊は間違っていると感じてしまう。娘との思い出がたくさんある場所なら、そこを離れたくないと考えるのが親というものではないだろうか。


「そして彼らのもとにエドワードが現れた」

 楊は話を続ける。

「実の子ではないけれど、娘が生きていれば結婚するはずだった少年。その少年もまた、不慮の事故によって家族を失っている。そこでサリス夫妻は考えた。せめて彼が独り立ちするまでは、この街に留まって成長を見届けるべきではないだろうか、と」

「つまり、エドの存在がサリス夫妻をこの街に引き留めたってこと?」

「そういうこと。エドワードが学校を卒業して、中央市場のカフェで働くようになったから、二人は安心してコブラパレスを去ったんだと思う」

「じゃあ、どうしてそれをエド本人に伝えないんだよ」

「そんなの、いえないからに決まってるでしょ」

 当然だといわんばかりに、楊が肩をすくめる。

「ったく、いちいちそんな顔しないでもらえるかな。こっちだって好きでいってるわけじゃないんだから」

「いや、俺はもとからこういう顔なんだよ」

 内心の不満を楊に見抜かれてしまい、西坂は彼女の顔を正面から見ることができなくなっていた。


「とにかくさ、エドワードが見た宇宙人は、誰かが仕組んだトリックだという前提で考えてみてよ。エドワードがSF好きだと知ってるのは誰? マグノリアの部屋に入って仕掛けを設置することができるのは?」

「それは……」

 該当する人物はサリス夫妻しかいない。それくらいはさすがにわかる。


 すると、西坂の言葉を引き取るように、それまで黙っていたシリンジが口を開いた。

「まあ、こんな具合に三人の意見は食い違ってるわけだけど、話を聞いてバトーはどう思った?」

「どうって、そんなこといわれても」

「バトーの一票で勢力図が変わるんだ。頼むよ」

 懇願するように指を組むシリンジは、さながら玩具をねだる子供のようだった。


「少しあたまを整理させてほしい」

 厄介な質問にあたまを抱える西坂は、自身に向けられる期待の眼差しから逃げるようにバスルームへと向かった。鏡に映る疲弊した顔を見ながら、ひとまずは回答を先送りにしておこうと考える。


「おい」

 顔を洗ってバスルームを出ると、ドアの前には険しい顔をしたパイロンが立っていた。

「ちょっと、こっち来い」

 有無をいわせない勢いで、西坂を廊下へと引きずりだす。


「な、なんだよ、いきなり」

「あんたがなにを考えてようと、他人のおれにはいっさい関係ない。けどな、一つだけ警告しておく。おれの邪魔はするな。そして、クソガキの言葉を信用するな」

「待てよ、それじゃあ、二つじゃないか」

「うるせえ。てめえ、ぶん殴られてえのか」

 胸倉を掴もうとする腕をかわし、西坂はパイロンに向かって早口で問いかける。

「どうしてだよ、どうしてエドを信じちゃいけないんだ」

 するとパイロンは、西坂が予想もしていなかった言葉を口走った。


「容疑者だから」

「はっ?」

「サリス夫妻殺害の容疑者なんだよ、あのクソガキは」

「どういうことだよ。おい、ちゃんと説明しろ」

 気づけば西坂はパイロンの胸倉を掴んでいた。


「警察の捜査が終了したあとも、おれは独自に失踪事件の調査を続けていた。決定的な証拠こそ見つけていないが、おれは、犯人はあのクソガキだと確信している」

 パイロンの言葉に説得力はなかったが、推測だけでものをいっているようには見えなかった。


「調べた結果、クソガキの両親とサリス夫妻には、どちらもそれなりの額の財産があることがわかった」

 西坂の手を乱暴に振りほどき、パイロンは話を続ける。

「その両家の遺産を総取りした人間がいる。いわなくても誰かわかるよな」

「いや、でも、エドは山岳地帯のソワニ村に祖父母がいるって」

「両家ともに故郷の村に金を還元する気はなかったみたいだ。万が一の場合に備えて、財産のすべてをクソガキに残す遺言書を作成していた。まあ、いまとなっては、それが彼ら自身の意思なのか、クソガキの意思によるものなのかわからないけどな」

 薄く開いたパイロンの瞳には、獲物を狙う鋭い光が宿っていた。


「だいたい、周囲の人間が、こうも立て続けに死んだり消えたりしていて、そんなの当たり前だってそう思えるか? おれはな、シリンジ夫妻の死亡事故に関しても、車に細工をしたのはクソガキじゃないかと睨んでいる」

「細工って、証拠は」

「年代物のワゴン車が崖から落ちてバラバラになったんだ。細工と経年劣化の区別なんてつくわけがないだろ」

 どうやら、力説するわりに、決定的な証拠は一つも入手していないようだ。


「よく考えてみろよ。あんたがホテル再建の動機を尋ねたとき、どうして奴は、余計なことをペラペラとしゃべった? 親同然の支配人の意思を継ぐ。それだけでじゅうぶんじゃねえか。不幸を印象づけて同情を引こうっていう考えが見え見えなんだよ」

 吐き捨てるようにいったパイロンは、シリンジがいるほうのドアへと視線を移す。


「それに、さっき奴は、夢のなかでマグノリアに会ったといったが、それはおかしいだろ。親同然の人間が行方不明になったんだ。その直後に眠れるわけがない。そもそも、失踪を宇宙人のせいにしている時点で、真実を話す気がないのは明白だ」

 パイロンはほかにもなにかをいいたそうにしていたが、すでに結論が出ている西坂は、かるく片手を上げてそれを遮った。そのままパイロンの目を見据えて、はっきりとした口調でいう。


「いいたいことはわかった。でも、あなただって、推測にすぎないことくらい、さすがに理解してるはずだ。だから一つだけ、俺からもパイロンさんに忠告しておく。依頼人はエドで、俺は彼の味方だ。はっきりとした証拠がなければ、なにをいわれようと考えを変えるつもりはない」

 西坂の言葉を聞いてパイロンはわずかに顔をしかめたが、拒絶されることを覚悟していたのか、すぐにもとの表情に戻った。


「わかった。クソガキに関しては、もうなにもいわない。その代わり、一つだけ約束してくれないか」

 まだあるのかよ、と思ったが、顔には出さず、黙って先をうながすことにする。

 パイロンは顎の先を撫でながら続く言葉を口にした。

「楊さんには手を出すな。彼女はおれの獲物だ」


 シリンジの話題を想定していた西坂は、突然のパイロンの発言に開いた口が塞がらなかった。

「なんの話かと思えば」

 短いため息をつく。

「なんなんだよ、もう……。いいよ、わかった、わかった。約束する。こっちは、ホテル開業まで仕事が山積みなんだ。他人の色恋沙汰にまで首を突っ込んでいる余裕はない」

 それを聞いたパイロンは、満足げな表情で部屋へと戻っていった。もしかすると、彼にとってはこちらのほうが本題だったのかもしれない。


「飲みたい気分だ。もっと酒をくれ」

 部屋に戻った西坂は、手近な瓶を掴んで残ったビールを一息にあおった。ぬるくなったビールは濃厚な異国の味がした。


「あっ、そうそう」

 歓迎会もお開きというところで、シリンジが思いだしたように西坂を呼び止めた。

「バトーさ、オーナーに挨拶したいっていってたよね。明日の午後、地底爺にアポを取ってるから、よろしく。うるさい人だからさ、約束を守れって念を押されると思うけど、適当に話を合わせておけばそれでいいから」


「ちょっと待て。約束ってなんだ」

「えっとね」

「こっちだって仕事なんだ。ちゃんと説明してもらわないと困る」

「ホテルの再建許可と資金面での援助。それと引き換えに、俺たちも地底爺を手伝うことになってる」

「手伝うって、なにを」

 そしてシリンジは、満面の笑みを浮かべて答える。


「地底人の調査」


 酒が足りない、と西坂は思った。

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