ホテル再建記録④ マグノリア

「コブラパレスの支配人はサリスさんという人なんだけど、この人が本当にすごい人で、オーナーの地底爺からすべてを託されて、それで住み込みでホテルを切り盛りしていたんだ」


 サリスという人物は、家族と一緒にホテルの一角で生活をしながら、支配人兼管理人としてコブラパレスの営業を支えていたのだという。その話を聞いた西坂は、家族経営の旅館に近いな、という感想を持った。


 シリンジの両親とサリス夫妻は、どちらも山岳地帯にあるソワニという村の出身で、同郷の友人として長年交流が続いていたとのことだった。


「サリス夫妻にはマグノリアという名前の娘がいて、彼女がその……、オレの……」

「許婚、でしょ?」

 いい淀むシリンジに助け舟を出すように、隣に座る楊が説明をつけ加える。彼女とパイロンの落ち着き払った様子を見るかぎり、シリンジの過去については、すでに二人とも詳しい事情を把握しているようだった。


「許婚って、もしかして、生まれたときから相手が決まってたとか?」

 西坂が尋ねると、シリンジは不機嫌そうな顔で「まさか」と答えた。

「じゃあ、どういういきさつで」

「結婚相手を決められたのは二〇一一年の夏。オレが十一歳のときのことで、そうなるように仕向けたのはマグノリアだった」

 俯きがちに語るシリンジの表情は固い。まるでこれから、罪の告白でも始めようとしているかのような顔だ。彼にとってこの話題は、あまり気が乗らないものなのかもしれないと西坂は思った。


「うちの親もサリス夫妻も、年に一度、祭りの日に必ず故郷に帰るんだけど……」

 シリンジは落ち着いた口調で当時の出来事を語る。

「大人たちは祭りの準備で忙しいから、そのあいだ、オレとマグノリアはいつも村の外に放りだされる」

 村の子供であれば大なり小なり仕事があるが、街から来た外の子供に特別な役割は与えられない。シリンジとマグノリアの二人は、祭りの準備の邪魔をしないように、村の外で遊ぶよういいつけられていたとのことだった。


「マグノリアは蛇好きで、オレはいつも蛇探しにつきあわされていた。オレは蛇には興味がなかったから、いつもはバレない程度に手抜きして探してたんだけど、その年だけは違っていた。白い蛇を見つけることができたら、ホテルの客が置いていったゲームソフトを横流しするといわれて、欲に目がくらんだオレは必死になって白い蛇を探したんだ」


 おそらくマグノリアは、人並み以上に利発な少女だったのだろう。手玉に取られる少年時代のシリンジの姿を想像すると、少しだけ微笑ましい気持ちになった。

「そしてその日、オレたちは白い蛇を発見した」

 シリンジは話を続ける。

「信じられない長さの嘘のような大蛇だった」

 おそらくそれは本当に巨大な蛇だったのだろう。淡々と語る真剣な表情のシリンジを見れば、誇張された記憶ではないことは容易にうかがい知ることができた。


「そのあと村に戻って蛇の話をしたら、あっというまに村中が大騒ぎになって」

 マグノリアが蛇をスマートフォンで撮影していたため、それがホワイトコブラという希少種であることが判明したとのことだった。

「ホワイトコブラを見た夫婦はコブラの神に祝福される。そんな言い伝えが村にはあって、オレたちは祭りの主役に担ぎ上げられてしまったんだ」

「二人は夫婦でもないのに?」

 西坂がそう尋ねると、シリンジは苦笑しながら首を縦に振った。


「マグノリアが嘘をついて、それをみんなが信じてしまったから」

 自分たちは結婚の約束をしている、とマグノリアはいったのだという。

「ホワイトコブラの言い伝えなんて、そんなもの、オレの両親は一度も口にしたことがなかった」

 でも、といってシリンジは手元に視線を落とす。

「マグノリアの両親は違っていた。彼女は小さいころからホワイトコブラの話を聞かされていたんだ」


 マグノリアが蛇探しの手伝いをシリンジにさせていたのは、蛇が好きだからという理由などではなく、ホワイトコブラを一緒に発見して祝福を得るためだった。毎年恒例となっている蛇探しの本当の理由を知ったとき、シリンジは子供ながらに強いショックを受けたのだという。


「騙されたとわかったときには遅かった。オレの両親もサリス夫妻もすっかりその気になっていて、いつのまにかオレたちは結婚することになっていた」

 そして、ホワイトコブラの一件以降、シリンジはマグノリアのことを避けるようになった。もとからあまり好きなタイプではなかったが、騙されたことが決定打となり、彼女に対し強い嫌悪感を抱くようになったとのことだった。


 そこまで話を聞いた西坂は、マグノリアの婚約者という立場が、シリンジのその後の運命を決定づけたのだと考えた。彼女の父親はホテルの支配人だ。なんらかの理由で廃業に追い込まれたコブラパレスを、後継者であるシリンジが再建しようとしている。そういう話なのだと思った。

 ところが、話はそう単純なものではなかった。

 シリンジはさらに話を続ける。


「その翌年の二○十二年七月六日に、……オレの両親とマグノリアが死んだ。祭りの前日にソワニ村に向かう途中の事故だった」

 それを聞いて西坂は言葉を失った。

 視線を上げたシリンジは、壁の一点を見つめながら当時の状況を静かに語る。

「この年は、祭りの期間中にサリス夫妻が休みを取ることができなくて、それでマグノリアがうちに預けられることになったんだ」


 当初の予定では、シリンジも含めた四人で村に帰省するはずだったが、ホワイトコブラの一件からマグノリアを避けていた彼は、友人の家で手伝いを頼まれていると嘘をつき、一人だけ自宅に残る選択をしたとのことだった。

 その後、シリンジの両親とマグノリアを乗せた車は、ソワニ村に向かう途中の山道で崖下に転落。翌日になって崖下から三人の遺体が発見された。


「事故で家族を亡くしたオレには、村に住む祖父母と暮らすか、義父母になる予定だったサリス夫妻と一緒に暮らすか、どちらにするかを選ぶ権利が与えられた」

 そしてシリンジは、サリス夫妻と一緒に暮らすことを選んだのだという。

 正直なところ、このあたりの事情は西坂にはよくわからない。学校を卒業するまでは祖父母の扶養に入るのが一般的だと思うのだが、シリンジには自分で選ぶ権利が与えられていた。国が違えば法律も文化も異なる。おそらくそういうことなのだろう。外国人の自分が立ち入るべき問題ではないと考え、西坂は黙って話の続きを聞くことにした。


「サリス夫妻を選んだオレは、マグノリアと入れ替わるようにして、コブラパレスの住人になった」

 親を失ったシリンジと子を失ったサリス夫妻。あのとき自分が別の選択をしていればと、消えることのない後悔を抱える彼らは、心の穴を互いに埋めるように暮らしていたに違いない。

 楊もパイロンもシリンジの話を表情も変えずに聞いている。二人があまり口を挟まないのは、この話が茶化すようなネタではないことを承知しているからなのだろう。


「学校を卒業したあとはカフェで働くようになって」

 どうやらシリンジの話にはまだ続きがあるようだった。

「事故を忘れることはなかったけど、サリス夫妻は本当の家族のように接してくれて、それなりに充実した生活を送っていたんだ」

 シリンジはそこでいったん深呼吸をする。

「あの日が来るまでは……」

 さらなる悲劇を予感させる一言を耳にして、西坂はごくりと唾を飲み込んだ。自分から質問をしておきながら、これ以上は聞きたくないとも思っていた。

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