ホテル再建記録⑫ オーバーワーク

 セパレートシティ空港に到着した西坂は、その足でシリンジが入院している市立病院に向かうことにした。


 スマートフォンの配車アプリを起動して、専用乗り場にタクシーを呼ぶ。ステータスがAVAILABLEと表示されていたので、副業運転手のガブリエルを指定することにした。

 十分で到着したタクシーは、西坂を乗せ目的地の市立病院へと走りだす。


「久しぶりじゃないか、バトー」

 ガブリエルの運転する車は、空港の敷地を出てからも適切な速度を維持していた。

 事故を起こしてからというもの、彼の運転は以前よりもだいぶ慎重になっている。


「休みをもらったんだ。それで二週間、国に帰ってた」

「そりゃあ、うらやましい。おれなんか、本業と副業で休みなしだよ」

 新車を購入した彼は、休み返上で仕事漬けの毎日を送っているとのことだった。


「完全にオーバーワークだろ、それ。また事故らないように注意しないと」

「大丈夫。大丈夫。最近気づいたんだ。長い目で見れば、安全運転が一番稼げるって」

「いや、気づくの遅すぎだろ」


 半年ほど前の出来事を思いだす。サンドストームが発生したあの日、シリンジが夜間警備をすることになった背景にはガブリエルの事故があった。偶然が重なった結果ではあるが、あの日の強盗事件で西坂は肩を負傷している。その件で責任を感じさせるつもりはないが、二度と事故を起こさないでほしいと西坂は思っていた。


「で、土産は?」

 ハンドルから離れた右手が、手のひらを上にしてこちらに向けられていた。

「客に土産をねだるなよ」

 そう答えつつも、西坂は彼のために買っておいた地酒を助手席に放り投げる。


「おっ、さすがホテルマン」

「ホテルマンは関係ない。運転中に飲んだら許さないからな」

「努力する」

 ふざけたことをいうので、運転席のシートを強く蹴り上げてやった。


「それで、どう? 最近なにか変わったことあった?」

「変わったことっていうと……、あっ」

 ガブリエルはなにかを思いだしたようだった。

「二週間ってことは、あれを知らないのか」

「なんだよ、あれって」

「事件だよ、事件」

 バックミラー越しにガブリエルと目が合う。

「大学生が喰い殺された事件」


 初耳だった。年末に大きなニュースはないと高をくくって、休暇中は現地の情報をチェックしていなかったのだが、まさかそんな事件が起こっているとは思いもしなかった。

 西坂は後部座席から身を乗りだす。

「その話、もっと詳しく教えてほしい」


 以前から、動物が喰い殺されるという事件は発生していた。だが、人間が被害にあったというのは今回が初めてのことだ。山岳地帯に生息するジャッカルの仕業かと思われていたが、人が殺されたとなると話は変わってくる。


「人間を喰う猛獣って、そんな危険なやつが近くにいるなんて……」

「おい、なんか勘違いしてないか。違うんだよ。動物じゃない。人間が人間を喰ってるんだ」

 噛みちぎられた部位には人間の歯型が残っており、腹部や太股はナイフのようなもので肉を削ぎ落されていたのだという。ガブリエルの話では、現在も犯人は捕まっていないとのことだった。


「犯行現場は複式墓地の近く。サンドストームのせいで目撃者もいないって話だ。おれは本業が警備員だから、殺人鬼から身を守るために自腹でスタンガンを買ったよ」

 げらげらと笑うガブリエルは、冗談か本当かよくわからないことをいっている。


 話を聞いた西坂は、護身グッズを購入すべきか真剣に悩んでいた。強盗と殺人鬼を同じ尺度で考えてはいけない。まんいち殺人鬼に遭遇するようなことがあれば、そのときは肩の負傷ていどでは済まされないことを覚悟しなければならなかった。

「俺もスタンガン買おうかな」

 西坂がつぶやくと、ガブリエルは興奮気味にハンドルを叩いた。

「おっし。それなら、いい店を紹介してやる」

 シートの上で身体を揺らした彼は、前言を撤回して力強くアクセルを踏み込んだ。


 ゼブラ地区の中心にある市立病院は、診察を受けに来た市民で溢れかえっていた。西坂も肩の治療で世話になった病院だが、なにかあればここに来る、というのがセパレートシティでは常識になっているようだった。


 事前に聞いていた番号の病室を訪ねると、ベッドの上のシリンジはカバのぬいぐるみで遊んでいた。脳を使う娯楽は与えていないと楊からは聞いていたが、ぬいぐるみを変形させて楽しんでいるシリンジを見ると、いろいろな意味で気の毒に思えてならない。


「エド」

 名前を呼ぶと、シリンジは持っていたぬいぐるみを瞬時に枕の後ろに隠した。

「うおっ! バトー! バトーじゃないか」

 病衣の皺を意味もなく伸ばしはじめるシリンジに向かって、「そうだバトーだ」と答える。


「おかえり」

「ただいま」


 あらためてシリンジを見た。二週間前と変わらず元気そうに見えるが、よく観察すると目の下が痙攣している。睡眠不足と疲労が原因で肉体が警告を発しているのだろう。そんな彼を見ていると胸が苦しくなった。

「エド……」

 どのような言葉をかけるべきか迷っていると、シリンジのほうが先に口を開いた。


「ごめん、バトー」

「なんでエドが謝るんだよ」

 思わず強い口調になってしまう。

「謝るのは俺のほうじゃないか。大事なときに二週間も仕事を休んだんだから」


 シリンジは過労で倒れた、と楊からは聞かされている。クリスマスイブは約束どおり食事をしたそうなのだが、それ以外は誰とも会わずにずっと仕事をしていたらしい。食事を削り、睡眠時間を削り、肉体を限界まで酷使した末に彼は倒れた。


「違うんだって、バトー」

「なにが違うんだよ」

「トラブルが発生したのに、オレはそれを隠してたんだ。バトーが国に帰ってるあいだになんとかするつもりだったんだけど、うまくいかなくって」


「トラブル?」

 西坂が聞き返すと、シリンジはたどたどしい声で事情を話しはじめた。

「営業許可の件なんだけど」


 セパレートシティでホテルを開業するには市の認可を得る必要がある。特別なライセンスがあるわけではないが、建物自体が定められた建築基準をクリアし、かつ、防火設備が安全基準を満たしている必要があった。

 利用者の生命を預かる施設として、避難経路、火災警報装置、消火設備には細かな基準が設けられており、新規開業のホテルであれば、設計段階からそれらを念頭に置いて準備を進めなければならない。しかし、コブラパレスには、四年前まで実際にホテルとして営業していたという実績の違いがある。今回の改装工事についても、大幅に手を加えるのは浴室くらいのもので、防火設備の大半は動作確認をする程度で問題ないと西坂たちは考えていた。


 一番の懸念点である浴室の工事が完了したのは十二月中旬のことだった。このタイミングでシリンジは、市の担当課に事前相談に出向いている。実際に申請を行うのは建物引き渡し後の一月三十一日以降になるが、立ち入り検査で確認する箇所の工事は完了しているため、問題点の洗いだしなどは先に進めることが可能だといわれていた。

 西坂はこの件をシリンジに一任していた。開業後に発生する諸問題への対応を考えると、行政手続はシリンジが担当したほうがよいと思ったからだった。


「担当者と打ち合わせしてたら、大変なことが発覚して……」

 市が保管していた旧コブラパレスの図面と、シリンジが持ち込んだ新しい図面のベースが一致しなかったのだという。今回の改装工事にあたっては、倉庫に保管されていた廃業前の図面をベースに、施工会社に新たに図面を引いてもらっている。ベースが一致しないというのは、西坂にとっても想定外の事態だった。


「サリス夫妻が建物を改装したみたいなんだけど、それを市に申請していなかったんだ」

 固い表情のままシリンジは言葉を続ける。

「途中で改装した箇所を明確にしないと、旧コブラパレスの許認可を流用できないっていわれて、それで」

 そこまで聞いたところで我慢ができなくなった。


「なんで黙ってたんだよ。そんな重要なこと」

「だってバトー、話せば帰国しなかったでしょ」

「ばかやろう」

 枕の後ろからカバのぬいぐるみを引っ張りだし、それをシリンジの胸に叩きつける。


「おまえの相棒はこいつじゃない、俺だ!」


「ごめん、バトー」

 相棒を見つめるシリンジは、いまにも泣きだしそうな顔をしていた。


「もういい。謝るなって」

「でも、それでも、終わってないんだよ」

「心配すんな。あとは俺がやる」

 任せとけ、と宣言をし、西坂は病室の窓辺に移動する。窓の外に広がる鈍色の空を眺めながら、次は自分が本気を出す番だと心のなかでつぶやいていた。

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