ホテル再建記録⑬ ソワニ村

 翌日の朝一番に、西坂は担当の市職員のもとを訪れた。病院を出たあとすぐに電話をしてみたのだが、翌日でなければ時間が取れないといわれ、それならと業務開始直後にアポイントを取っていた。

 迷惑がられることを覚悟していたが、握手を求めても嫌な顔をされることはなかった。


「えっ、ほんとうですか」

 シリンジが入院したことを告げると、アレムと名乗った担当者は大きく目を見開いた。市の事務職員にしては珍しく、感情を表に出すタイプのようだ。

 申請手続きは自分が引き継ぐと伝え、現状の問題点について尋ねる。

「手間を取らせて申し訳ないのですが、もういちど問題点について教えてもらえないでしょうか」


 アレムは、もちろんですと答え、西坂の前に二枚の図面を置いた。

「ご用件はうかがっていたので、比較のために、客室フロアの図面を用意しておきました。こちらが我々の保管している図面で、もう一枚がシリンジさんの提出した図面です」

 ぱっと見ただけでは違いがわからないが、アレムの話では、天井に設置された排煙口の位置がずれているとのことだった。


「天井を落とす規模の工事をしなければ、こういうことにはなりません。コブラパレスの以前の管理者の方は、大規模な改装工事を行っていながら、その事実を市に申請していなかったということになります」

 短く息を吐き、アレムは続ける。

「調べたところ、定期点検の記録はありました。防火基準はクリアしているので、安全上の問題はありません」


「すみません、それはどういう意味でしょうか」

「新規開業であれば問題ない、という意味です」

 言葉を切って、肩をすくめる仕草をする。

「ですが、許認可を承継するとなると話は別です。このままでは、営業再開を認めることはできません」

 登録と現状が一致していない状態では、認可は無効ということらしい。


「シリンジさんのお話では、以前のコブラパレスを継ぐことに意味があるとのことでしたので、誰が、いつ、どこを改装したのか、それを明確にしていただきたいとお伝えしました」

 手間はかかるが、過去に遡って申請を行えば、許認可を引き継ぐことが可能とのことだった。

 西坂は言葉を変え、復唱する。

「改装箇所、施工時期、それと施工主を明らかにすればよい、ということですね」

「そういうことになります」


 要点をまとめるとシンプルに聞こえるが、シリンジが二週間費やしても終わらなかったというのだから、おそらくなにか、コブラパレス側に大きな障害があるのだろう。なんにせよ、こちらの事情などアレムの知るところではないので、これ以上の質問は不要だった。

「わかりました。資料を揃えてまた連絡します」

 アレムに礼をいってその場をあとにする。


 アパートメントに戻った西坂は、本格的に作業の引き継ぎを開始した。

 二人で共有しているラップトップのスリープを解除すると、倒れる直前までシリンジが作業していたファイルが開かれたままになっていた。念入りに内容を確認し、作業の進捗を把握する。改装箇所の洗いだしは完了しているようで、残る作業は施工時期と施工主を明らかにすることだった。


 廃業前の資料は、コブラパレスの倉庫に保管されている。ラップトップをバッグに詰め込んだ西坂は、昼食代わりのシリアルバーを口のなかに放り込み、すぐにアパートメントを出発した。


 二週間ぶりのコブラパレスはなつかしいにおいがした。愛着が湧くとはこういうことなのだろうか。九か月も開業準備に携わっていると、もはやホテルが身体の一部のようにも思えてしまうのだから不思議なものだ。


 ロビー中央のオブジェの前で深呼吸をしていると、後ろからいきなり声をかけられた。

「バトーじゃないか。久しぶりだな」

 照明工事の現場監督だ。

「お疲れさまです」

「聞いたよ、エドワードのこと。入院したんだって?」

「俺がいないあいだに、あいつ一人でだいぶ無理したみたいです」

「あんたら、いいコンビだけど、二人そろってないとバランス悪いからなあ」

 心情的には反論したいが、実際に一人ダウンしているため否定はできない。迷惑をかけることはないので安心してほしい、とだけ答えておくことにした。


「それで、工事のほうは問題ないですか?」

「あ、そうそう、問題といえば」

 年末年始の休工中に、現場にちょっとした異変があったのだという。吹き抜けの廊下に砂が入り込んでいたようで、掃除をするのが大変だったと現場監督は愚痴をこぼした。


「最近いろいろと物騒だからさ、不審者が入り込まないように確認しといたほうがいいかもしれないな」

「そうですね」

 砂が入り込むということは、サンドストームの発生中に出入りがあったということでもある。博物館での出来事を思いだし、西坂は無意識に負傷した肩を押さえていた。

「ちょっと気になるんで、あとでチェックしておきます」


 工事の進捗について現場監督と話をした西坂は、目的の資料を探すために五階倉庫へと向かった。

 階段を上る足取りが重いのは気のせいではない。正直にいうと気が進まなかった。倉庫内にはラベルのない木箱が山積みになっている。目当ての資料を見つけるには、蓋を開けて一つずつ中身を確認しなければならないだろう。箱の数は百を超えており、確認作業は、最低でも一週間はかかると思われた。


 ところが、いざ倉庫の入口に立ってみると、西坂の予想は思わぬかたちで裏切られることになった。木箱の半数以上がすでに場所を移されており、そのぶんの中身の確認は終了している様子だった。おそらくシリンジは、移動の時間を惜しんで作業を続けていたのだろう。倉庫の隅には丸めた寝袋が置かれていた。

 そんな光景を見せられてしまっては、気が進まないなどとはいっていられない。シャツの袖をまくり上げた西坂は、自らの頬を両手で叩いて気合を入れなおした。


 手つかずの木箱を開け、一つずつ中身を確認していく。精算ビルやレジストレーションカードであればすぐに見分けがつくが、その他の書面は文章を読んで内容を判断しなければならない。書面を流し読みするという作業は、外国人の西坂にとっては楽なものではなかった。


 どのくらいの時間が経過しただろう。休むことなく木箱の確認を続けていた西坂は、ふと喉の渇きを覚えて作業の手を止めた。ミネラルウォーターのボトルは、階下に置いてきたバッグに入れたままになっている。

 いったん作業を中断してロビーに下りることにした。


 集中していたせいで気づかなかったが、いつのまにか窓の外は暗くなっていた。工事の作業員はすでに撤収しており、ロビーは静寂に包まれている。

 ペットボトルの蓋を開けて、ミネラルウォーターに口をつけたときのことだった。手から滑り落ちたボトルの蓋が、大理石の床をころころと転がっていった。蓋はロビーを突き進み、中央にあるコブラのオブジェに当たって停止する。


 蓋を拾うために屈みこんだ西坂は、大理石の床の表面に削れた跡があるのを発見した。目立つ傷ではないが、放置するわけにもいかない。専門業者に依頼して大理石を研磨することをあたまのなかのリストに追加した。


 覚悟していたことではあるが、開業が近づくにつれて想定外の小さな仕事が増えていく。この先は、完璧にこなそうとは考えずに、優先順位をつけて行動することが重要になるだろう。無理をすればシリンジの二の舞になる。それだけは絶対に避けなければならなかった。


 蓋を手に立ち上がったところで腹が鳴った。ミネラルウォーターを胃に入れたことで、脳が空腹を思いだしたようだ。考えてみれば、今日は朝からまともな食事をしていない。ちょうどよいタイミングだと思い、作業はここで終わりにすることにした。


 翌日はコブラパレスに向かう前に中央市場に立ち寄った。ガブリエルに教えられた店で護身用のスタンガンを購入するつもりだった。

 店は裏通りの目立たないところにあり、事前に聞いていなければ店舗だとはわからない外観をしていた。ドアを開けるには若干の勇気が必要だが、これまでにも何度か同じような経験をしており、この国に来た当初と比べればだいぶ慣れたように感じる。


 店内に入ると、まっさきに銃が目に入った。どうやらこの店は、護身具だけではなく各種銃器も取り扱っているらしい。カウンターの奥では、いかつい顔の男が仏頂面で雑誌を読んでいた。

「スタンガンを買いに来たんだけど」

 用件を伝えると、店員は顔を上げてこちらをにらんだ。

「うるせえな」

 初手から喧嘩腰なところも含めて、どことなく雰囲気がパイロンに似ている。雑誌を閉じたところを見るかぎり接客する気はあるようだが、相手を殴るためであるという可能性も捨てきれない。そんな不安を抱かせる粗野な態度の人物だった。


「スタンガンを……」

「二度もいうんじゃねえよ。オレが馬鹿みたいじゃねえか。というかおまえ、ゴーストホテルを手伝ってるホテルマンだろ」

 驚いた。名乗る前に当てられたのは初めてのことだ。

「どうして、それを」

「単純な話だ。アイザックからいろいろ聞いている」

 この店の経営者だという彼は、パイロンの実兄だった。言動が似ているのも当然だ。


「そのホテルマンは数字も読めない蛮族だから、店に来ることがあれば、売り値の三倍を請求しろといわれている」

 ヒドイいわれようだが、相手がパイロンであれば仕方ない。

「蛮族は金なんて持ってないよ」

 兄のほうとは初対面だが、パイロンだと思って相手をすることにした。


「欲しいものは力ずくで奪うことになるけど、それでもいいの?」

「上等じゃねえか、やれるもんならやってみな」

 鼻息を荒くするパイロンの兄を見ながら、どっちが蛮族だよと内心でつぶやく。

 けっきょくこの店では、チップを多めに支払うことになった。購入したスタンガンに不満はないが、二度とこの店を訪れることはないだろう。


 スタンガンと一緒にストレスを抱えて店を出た西坂は、このあとに待ち受ける木箱との格闘を思い浮かべてため息を漏らした。慣れない力仕事をしたせいで、腕は筋肉痛を引き起こしている。目当ての情報を見つけるまで、あと何箱分の資料に目を通す必要があるのか。答えを知っているなら教えてほしい。アーケードの中心に祀られたカナビの神像に語りかけてみたが、信仰を持たない西坂が神託を授かることはなかった。


 下手に期待しないことがよかったのか、最後の一箱になるまで木箱を開けつづけるという最悪の事態だけは回避することができた。コブラパレスの倉庫で作業に集中すること六時間、木箱の残数が二十を切ったところで目当ての資料が見つかった。

 ホテルの改装は二十四年前に行われており、ドニアン・コンストラクションという地元の工務店が工事を請け負っていた。


 資料をもとに申請書類を作成した西坂は、それをアレムに提出した。順調にいけば、シリンジが退院する前に手続きが完了する。そう説明されて、身体が軽くなった。退院したシリンジには、よいニュースだけを聞かせてやりたかった。


 ところが、書類を提出した翌日に、アレムから思わぬ連絡があった。改装後に部屋が一つ減っているのだが、それについての申請が抜けているとのことだった。

 客室もバックヤードも、間取りを変えるような改装工事は行っていない。見間違いではないかと疑ったが、詳しく聞いてみると、そうではなかった。


『地下室です』

 電話口の向こうでアレムはいう。

『以前のコブラパレスには、地下室が存在していました』

 アレムのいうとおり、古い図面には、現在のものにはない最後の一枚が存在していた。ロビーの真下にある地下室を描いた図面だ。

 だが、それは西坂も気づいていたことだった。


「ロビー中央の階段下ですよね。そこはオブジェが置かれているので、いまは地下には行けないようになっています」

 なにかしらの理由があって、サリス夫妻は地下への入口を塞いだのだろう。改装後のコブラパレスでは、地下室は存在しないことになっていた。


「営業施設として申請しないつもりですが、なにか問題でも?」

『部屋を残したのか、すべて埋めたのか、どちらなのかを明確にする必要があります』

 アレムは事務的な口調で説明を続ける。

『完全に埋めたのであれば、地下を登録から削除する必要がありますが、部屋が残っているのであれば、三階から上の居住部と同じように、営業外区画として残しておくことになります』

 手続きの内容が変わるため、地下の現在の状態をはっきりさせる必要があるとのことだった。


「わかりました。調べてから、あらためて連絡します」

 通話を終えた西坂は肩を落とした。手元の資料に地下室に関する記載はない。倉庫に戻って残りの木箱を確認する必要があった。

 それから一日かけて残りの二十箱の中身を確認したが、地下について記載された資料は最後まで見つからなかった。こうなれば、あとは当時を知る人間に話を聞くしかない。失踪したサリス夫妻を除くと、二十四年前の工事を知る人物は、施工主であるドニアン・コンストラクションの関係者しか思い浮かばなかった。


 施工主の名前をネットで検索すると、建築関係者のプロフィールページが複数ヒットした。適合性の高い検索結果をすべて確認してみたが、どれも無関係なものばかりで、目当ての工務店と関係がありそうなページは見つからない。

 同業者であればなにか知っているかもしれない。そう考えた西坂は、世話になった取引先にも尋ねてみることにした。


 今回の改装工事では、照明、空調、浴室、内装、と複数の取引先と仕事をしている。どこか一社くらいは知っているだろうと予想していたのだが、返ってきたのは、名前すら聞いたことがないという期待外れの返答ばかりだった。

 実体を伴わないペーパーカンパニーである可能性を考えはじめたとき、ホテルに絨毯を納品した老舗の繊維メーカーの担当者から有用な情報が寄せられた。


 ドニアン・コンストラクションは実在していた。

 飲食店の内装などを手掛ける小さな工務店で、代表のドニアンは十年以上前に会社をたたんでいる。廃業後はセパレートシティを離れ、家族と一緒に故郷の村に帰ったとのことだった。

 村の名前を聞いて、はっとした。

 ソワニ村。

 ドニアンはサリス夫妻と同じ村の出身だった。


 連絡先を教えてほしいと頼むと、そこまでは知らないという答えが返ってくる。現地に行くしか話を聞く方法はないとのことだった。

 街を離れるのは想定外だが、ほかに選択肢がない以上、ソワニ村に行ってドニアンを探すしかない。


 村に行くことが決まれば、次は移動手段の確保だ。西坂は副業運転手のガブリエルに頼もうとしたが、行き先を伝えた瞬間に断られてしまった。報酬は弾むと伝えても、いっこうに話を聞いてもらえない。金額の問題ではないのだという。

 山岳地帯のソワニ村は、セパレートシティからおよそ200キロ西にある。未舗装の道を進むことになるため、慣れた人間でなければ山越えは難しいとのことだった。


「ここに来てトラブルの連続だよ」

 その日の夜、西坂がコーヒーを飲みながら愚痴を漏らしていると、アンカーポイントのマスターは意外な人物の名を口にした。

「それなら、パイロンさんに頼んでみるのはいかがですか」

「パイロンって、あのパイロン?」

「そうです。あのパイロンさんです。前にサイドビジネスの話をしたと思いますが、じつはあの方、何度もソワニ村に行っているんですよ」

 毒蛇ハンターの話は聞いていたが、山岳地帯の村まで足を運んでいるというのは初耳だった。仕事で使用しているパトカーとは違い、プライベートカーは四輪駆動なのだという。


「でも、引き受けてくれるかな」

 彼は警察官ではあるが、困っている人間を助けようなどと考える人物ではない。案内役を引き受けるとはとうてい思えなかった。

「そんなの簡単ですよ」

 タンブラーを磨きながらマスターがいう。

「ヤンさんを使えばいいんです」


 マスターが語った計画は、楊に一芝居打ってもらうというものだった。

 年明けから多発している監視カメラの故障によって楊は多忙を極めていたが、ソワニ村までの同行は無理でも、パイロン相手に芝居を打つくらいなら問題ないと、依頼を引き受けてくれた。

 楊の言葉は暴力警官に多大な影響力を持つ。本人の口から「シリンジの代わりに村まで行くことになった」と告げられると、パイロンはソワニ村への案内役を二つ返事で承知した。すべてがマスターの思惑どおりで怖いくらいだった。


「おい、ホテルマン」

 運転席に座るパイロンが鋭い目で西坂を睨む。

「怪我しても文句いうなよ」

 安全運転は期待するなという意味だ。


 当日になって楊が同行しないことを知らされると、夜勤明けのパイロンは烈火のごとく怒った。急用だから仕方ないと説明しても、地面に向かって汚い言葉を吐きつけるばかりで、こちらの話をまったく聞こうとしない。落ち着くのを待って、謝礼の金額を倍にすると提案したが、それでも彼の怒りがおさまることはなかった。入念に洗車されたオフロード車を見れば、彼が今回の小旅行をどれだけ楽しみにしていたかがわかる。最初から騙すつもりだったことがばれた場合には、こちらの命はないものと考えたほうがいい。


「その花は、あれか」

 助手席に座る西坂を見てパイロンが尋ねる。

「そう、シリンジの両親とマグノリアに、と思って」

 西坂は膝の上に置いたバラの花束に視線を落とした。


 シリンジの両親とサリス夫妻の娘のマグノリアは、セパレートシティからソワニ村へと向かう途中で、乗っていた車が崖から転落して命を落としている。警察官のパイロンは事故現場を知っているため、今回の行程では、その場所を通過する際に車を止めてもらうように依頼していた。


 十二年前の事故現場は、セパレートシティから西へ、四時間ほど車を走らせたところにあった。崖を削って作った道の急カーブ地点で、危険な場所であるにもかかわらずガードレールは設置されていない。

 車を降りた西坂は、持参した花束を地面に置き、そこに向かって両手を合わせた。バラの献花は適切ではないようにも思えたが、この国の慣例に倣って、市場の花屋が勧めた花を捧げることにした。


「下には行けないのかな」

 考えもなく崖の下を覗こうとした西坂を、パイロンが止める。

「やめておけ」

 肩を掴まれ、力ずくで手前に引き戻された。

「クソガキにはあんたが必要だ。こんなところで死なれたら困る」


「すまない、ちょっと気になって」

 迂闊な行動だったと謝罪した西坂だが、直前のパイロンの言葉には違和感を覚えていた。普段の彼であれば、シリンジのために死ぬな、とは絶対にいわない。思わぬかたちで、パイロンの本音に触れてしまったのではないかと西坂は考えた。


「あのさ、エドのことだけど」

「あん?」

 以前から気になっていたことを聞いてみることにした。


「失踪事件の容疑者っていうはなし、あれ、嘘だろ。本当は、彼を弟のように思っている。違うかな」

 パイロンの眉がわずかに動く。

「あんたには関係ないことだ」

「サリス夫妻の失踪事件を調べてるのだって、実際はエドのために……」

「違う」

 西坂の言葉をパイロンは即座に否定した。

「クソガキは関係ない。事件を調べてるのは、マグノリアとの約束を果たすためだ」

「約束? 約束ってなんだよ」

「乗れ。これ以上、あんたに話すつもりはない」

 それ以降、パイロンは、目的地に到着するまで一言も言葉を発しなかった。


 崖沿いの難所を抜けると、そこからは一時間ほどでソワニ村に到着した。今日のうちにセパレートシティに戻らなければならないため、どんなに長く時間を取っても二時間しか村には滞在できない。仮眠を取るというパイロンを車内に残し、西坂はすぐに聞き込みを開始した。


 山岳地帯の小さな村では、街に出た人間が後年になって帰郷することは珍しいようで、ドニアンの名前を出すと自宅はすぐに判明した。村民の男性が家まで案内してくれるというので、黙ってあとをついていくことにする。


 歩きながら眺めるソワニ村は、想像していたほどの田舎ではなかった。平屋が多いというだけで、暮らしぶりはセパレートシティの郊外と大差ないように思える。ここに来るまでのあいだにもいくつかの小さな町を通過してきたが、どこも似たような印象だった。さらに奥地へ行けば少数民族の村があるらしいが、毒蛇ハンターのパイロンも、さすがにそこまでは行ったことがないという。


 ドニアンの自宅前に着くと、案内してくれた男性が家に向かって大声でなにかを叫んだ。それまでの柔らかな物腰からは想像もつかない挙動だったために、西坂はその場で思わず身構えてしまった。


 ここで待て。そういわれて玄関先でじっとしていると、家のなかから小太りの男性が現れた。ドニアンに会いに来たことを告げると、男性は自分がドニアンだと答えた。年齢から考えても、どう見ても二十四年前の工事を取り仕切った人物とは思えない。ドニアン・コンストラクションの代表者と話したいといいなおすと、どうにかこちらの目的を理解してもらうことができた。


 男性はドニアンの息子で、本人は二年前に死亡したとのことだった。

 話を聞かせてほしいといって手土産のフルーツを渡すと、少しだけなら構わないと庭先に案内された。プラスチック製のカラフルなイスに腰を下ろし、ハトがくちばしで地面を突く様子を眺めながら故人のことについて尋ねる。


「申し訳ないのですが、父の会社についてはなにも知らないんですよ」

 答える男性の目には、かすかに後悔の色が浮かんでいた。セパレートシティにいたころは、外資系の企業で働いていたのだという。父親の仕事には関心がなく、コブラパレスの改装工事についても、いっさい話を聞いていないとのことだった。


「父は、当時の市長とだいぶ仲がよかったようです。仕事を回してもらえるから安泰だ、と話していたのを覚えています」

 その市長が退任するのを機に、ドニアンは会社をたたむ決意をしたのだという。もしやと思い尋ねてみると、あんのじょう、市長は退任後に博物館の館長に就任したとのことだった。

 ほかでもない。ドニアン・コンストラクションに仕事を回していたのは地底爺だった。


「故郷に帰る、という父を、一人にすることはできませんでした」

 母親は子供のころに亡くなっているため、結婚してからも、彼は父親と同居していたのだという。帰郷する父親と一緒にソワニ村に移り住み、それ以来ずっとこの村で暮らしているとのことだった。


「この村を気に入ったのですか?」

「ええ。コーヒーが好きなので」

 そこへタイミングよく、トレイを持った女性が現れた。

「妻です」

 会釈する女性から、バターを載せた小皿とコーヒーカップを受け取る。

「ありがとうございます」

「この村に住むようになってからは、叔父のコーヒー農園で働いています。妻がいれたコーヒーは最高なんですよ」

 バターを入れて飲むコーヒーは、セパレートシティでは飲めない刺激的な味がした。


 夫妻に礼を述べて家を出た西坂は、パイロンの待つオフロードカーへと来た道を引き返した。

 ドニアンに話を聞くことはできなかったが、収穫はあった。なんということはない。地底爺に話を聞けばよいのだ。彼はコブラパレスのオーナーであると同時に、ドニアン・コンストラクションに仕事を回していた人物でもある。地下室のことを知っている可能性はじゅうぶんにあった。

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