ホテル再建記録⑭ 地下洞窟
セパレートシティに戻った西坂は、公式サイトに掲載されている博物館の番号に電話をかけた。仕事を任されている者だと名乗り、館長にアポイントを取りたいと用件を伝える。
電話に出た事務員は、「確認する」といって十分ちかくこちらを待たせたあと、明日の午後三時なら空いていると面倒くさそうに答えた。
構わない、といって念のために相手の名前を聞くと、電話口の事務員はジムと名乗った。だいぶ前にシリンジが話していた「怖がりな事務のジム」の話を思いだし、スマートフォンを耳に当てたまま笑いをこらえる。対面でなくて助かったと内心で安堵しながら、西坂は通話を終了した。
翌日、地底爺と再会した西坂は、挨拶もそこそこに訪問の目的を口にした。
「今日はコブラパレスの件でおうかがいしました。二十四年前にホテルの改装工事が行われているのですが、館長はそのことをご存じでしょうか」
「二十四年前も経ちますか、ええ、知っています」
「その際、許認可の修正が行われていませんでした」
西坂の言葉を聞いて地底爺は目を見開いた。やはり、申請漏れの認識はなかったようだ。
「問題になっているのは地下室です。改装後の地下の状態を把握したうえで、さかのぼって修正を行う必要があります。入口が塞がれているので確認できないのですが、完全に埋めたのか、それとも部屋が残っているのか、どちらなのか教えていただけないでしょうか」
施工主のドニアンが他界し、当時を知る人間がほかにいないことを説明する。
「困りましたね」
地底爺は眉間にしわを寄せた。
「市長を務めていたころはとても忙しかったので、ホテルに関することは、すべてサリス夫妻に任せていました。ドニアンを紹介したのは私ですが、具体的にどのような工事をしたかまでは把握していないんですよ」
「そうですか、わからないですか」
西坂は肩を落とした。シリンジの退院が間近に迫っているというのに、ここにきて、細い糸でつながっていた手がかりが途切れてしまった。あとは任せておけと豪語しておきながら、このようなありさまでは、どんな顔をして彼を出迎えればよいのかわからない。
すると地底爺は、なんの脈略もなく暴力警官の名前を口にした。
「パイロン」
「えっ?」
「パイロンには聞いてみましたか?」
案内役としてソワニ村まで同行してもらったが、地下室のことについては聞いていない。というより、聞く必要がないと思っていた。どうしてパイロンの名前が挙がるのか、西坂にはその理由がまったくわからなかった。
「詳しい話はしていませんが、どうしてでしょうか」
「パイロン一家は、コプラパレスの近くに住んでいたんですよ。サリス夫妻が嫌な顔一つしないで招き入れるので、彼は小さいころから、頻繁にコブラパレスに出入りしていました。改装工事が二十四年前だとすると、悪ガキのパイロンが、工事現場に勝手に侵入していてもおかしくないな、と思いまして」
幼いころのパイロンに、サリス夫妻との交流があったというのは初めて聞く情報だった。子供時代のパイロンを思い浮かべてみると、地底爺の言葉どおり、工事現場に入り込む悪ガキしかイメージすることができない。
「失踪事件に固執するのは、サリス夫妻と個人的なつながりがあったからなんですね」
「もちろん、お世話になったサリス夫妻に対する想いもあるでしょう。ですが、彼の場合は、マグノリアとの約束が原動力になっています」
「マグノリアとの約束……」
西坂は地底爺の言葉を復唱した。昨日のパイロンの発言とも一致する。どうやら地底爺は、パイロンとマグノリアの関係について、詳しい事情を知っているようだった。
「その話、詳しく聞かせてもらえないでしょうか」
パイロンには悪いが、無用なトラブルを避けるためにも事情を聞いておくことにする。
「いいですよ。べつに隠すような話でもありませんし」
地底爺が語るパイロンの話は、西坂が抱いていた彼に対する暴力的なイメージを覆すものだった。
コブラパレスに頻繁に出入りしていたパイロンは、サリス夫妻の娘であるマグノリアを、年の離れた妹のようにかわいがっていたという。毒蛇ハンターの家に生まれたパイロンは、身につけた知識や技をマグノリアの前で披露し、彼女もまた、そんな彼を実の兄のように慕っていたとのことだった。
地底爺の話を聞きながら、西坂は自身の歓迎会でシリンジが語ったエピソードを思いだしていた。
年に一度、祭りの日にソワニ村を訪れるマグノリアは、シリンジを誘ってホワイトコブラを探すようになるのだが、彼女が蛇好きを自称する背景には、蛇についての豊富な知識を有するパイロンの存在があるのかもしれない。
マグノリアが参加した最後の祭りでは、伝承のホワイトコブラを発見した二人は、主役として担ぎ上げられたと聞いている。
地底爺は一呼吸おいて話を続けた。
「パイロンはホワイトコブラの指輪を探しています」
伝承の蛇を模した白金の指輪で、ソワニ村の村長が、祭りの主役を務めたマグノリアに授けたものなのだという。
「マグノリアはそれを、二十歳になったタイミングで、プロポーズの証としてシリンジに贈ろうと考えていました」
兄のように慕われていたパイロンは、マグノリアから「サプライズの手伝いをしてほしい」と頼まれていたとのことだった。
「結末はご存じのとおり。彼女の願いが叶うことはありませんでした」
マグノリアはシリンジに指輪を渡すことなくこの世を去った。
娘の死後、サリス夫妻は、マグノリアが大切にしていたその指輪をベルトポーチに入れ、形見として、ホテルのマスターキーと一緒に肌身離さず身につけていたという。
マグノリアに「協力する」と約束していたパイロンは、せめて最後に、彼女の願いを叶えてやろうと考えた。シリンジが二十歳になるのを待って、マグノリアからのサプライズだといってホワイトコブラの指輪を渡す。その計画を打ち明けると、サリス夫妻は指輪の譲渡を快諾してくれたとのことだった。
「ときが来たら、パイロンはサリス夫妻から指輪を受け取り、それをシリンジに渡すつもりでした。しかし……」
いまから四年前、シリンジが二十歳を迎える年にサリス夫妻は失踪した。身につけていたホテルのマスターキーと一緒に、ホワイトコブラの指輪もなくなっていたという。
地底爺は顔を上げて西坂を見た。
「彼は、サリス夫妻の失踪事件を、強盗目的の殺人事件と考えています」
犯人は宿泊客の金品を盗もうとするが、客室のマスターキーを奪う過程で失態を犯し、支配人であるサリス夫妻に自身の存在を気づかれてしまう。そのとき、いったいなにがあったのか。夫妻が二人とも失踪している事実を考慮すれば、目撃者を無力化する過程で起きた不慮の事故と考えるよりも、口封じのための殺人と考えるべきだろう。いずれにせよ、犯人は二人を殺害し、死体を隠してその事実を隠蔽した。
「犯人を逮捕して、尋問する。遺体を隠した場所を特定すれば、そこに指輪もあるはずだとパイロンは考えています」
マグノリアとの約束の話はそこで終わりだった。
「いかがでしたか」
地底爺が尋ねる。その表情は穏やかで、どこかこちらの反応を楽しんでいるようにも見えた。
「想像していた話と違ったので、少し驚きました」
西坂は思ったことを正直に口にした。
「普段の言動からは想像つかないですよね。不器用なんですよ、彼は」
地底爺は、しわが刻まれた顔に柔らかい笑みをたたえていう。
「クソジジイ呼ばわりされていますが、あれで私のことも気にかけてくれているんですよ。昨日の朝も、ソワニ村に行くからといって、用件がないか私のところに聞きにきてくれました」
ちょうどよく届けてほしいものがあったそうで、知人に渡してもらえるようパイロンに依頼したとのことだった。
車内で仮眠を取るといっていたパイロンが、裏でそんなことをしていたとは知らなかった。思い返してみると、ドニアンの家を訪問しているあいだに、車の位置が少し変わっていたような気もする。
「ニシザカさんも、どうか彼と、なかよくしてやってください」
「は、はい」
なかよくするのは結構だが、暴力を振るうのだけは勘弁してほしい。あなたからも注意してもらえないか、という言葉をぎりぎりのところで飲み込み、西坂は地底爺にあたまを下げた。
「今日はありがとうございました。地下室については、パイロンさんにも聞いてみたいと思います。あと、今回は許認可の問題なので、その……、申し上げづらいのですが、開業が遅れる可能性も考慮しておいてください」
地底爺はホテルのオーナーだ。プロジェクトの遅延は許さないと非難されることを覚悟していたが、意外なことに地底爺は、「遅れても大丈夫です」と答えた。容認してもらえるのはありがたいが、あっさり認められてしまうと拍子抜けしてしまう。
「ありがとうございます。でも、本当によろしいのでしょうか」
「ええ、問題ありません。それと、これは秘密にしておいてほしいのですが」
地底爺が人差し指を唇の前に立てる。
「コブラパレスの権利は、すべてシリンジに譲渡するつもりです」
「えっ?」
想定外の発言に、西坂は思わず声を上げてしまった。
「彼の熱意は本物です。まるで、若いころのサリスを見ているようだ」
どうやらシリンジは、サリス夫妻の後継者として正式に認められているらしい。
「うまくいかないのであれば、時間をかけて少しずつ進めばいい。私と違って、彼にはたっぷりと時間があるのですから」
そう話す地底爺は、西坂との会話の最後に、今日一番の笑顔を見せた。
地底爺に別れを告げた西坂は、寄り道をせずに、まっすぐアパートメントに戻ることにした。ここのところ、地下室の件ばかりに時間を取られている。その他の仕事も並行してさばかなければ、退院したシリンジに負担をかけてしまうという危機感があった。
自室に戻ってラップトップを起動すると、メールボックスにオンライントラベルエージェントからのメールが届いていた。施設アカウントが承認されたという内容で、客室の詳細などが、サイト上の管理画面から入力可能になっていた。
客室の名称などは、シリンジと話し合って細かい点まで決めてある。入力や紐づけなどはシリンジよりも慣れているため、西坂はその場で迷うことなく作業を開始した。
全十六室の客室の内訳は、キングサイズの1ベッドルームが十二室、クイーンサイズの2ベッドルームが四室となっている。どの部屋も広さは一緒で、55㎡。客室のグレードに差はないため、コブラパレスの場合、部屋タイプは二種類作成することになる。
客室のCGパースは、ホテルワンダーボックス経由で実績のある取引先に依頼し、すでに納品が完了している。現段階ではCGのイメージ画像を掲載し、開業後に実際の写真と差し替える予定だった。
エージェント側の設定が完了すると、次はチャネルマネージャーと呼ばれる一括管理ツールの紐づけが待っている。
複数のエージェントで販売を行う場合、こうした一括管理ツールを導入しなければ、客室の在庫管理は実質不可能といっても過言ではない。在庫を常に共有し、オーバーブックを回避するためのツール。シンプルに説明するとしたら、そのようなところだろう。
一括管理ツールの先には、ホテル側の施設管理システム、プロパティ・マネジメント・システムが存在する。ホテルの従業員が、現場で実際に使用するのがこのシステムだ。部屋が不足するというトラブルを避けるためにも、エージェントサイトで成立した宿泊予約は、すみやかにこのシステムに取り込まれるようにする必要があった。
こうした一連の作業を、契約を締結したエージェントごとに行う必要があるのだが、管理画面の操作方法は三者三様で、初期設定を行うのは骨の折れる仕事だ。エージェントに支払う手数料はおよそ一割。理想をいえば、こうした仲介業者には頼らず、自社の公式サイトだけで予約を受け付けるべきなのだが、ブランド力で劣る中小ホテルは、それだけでは部屋は埋まらない。多様な選択肢が存在する現代においては、訴求力のあるオンライントラベルエージェントに頼るしかないというのが実情だった。
その後、申請していたエージェントから次々に連絡が入り、西坂は各社の対応に追われることになった。全体の遅れを取り戻すには、ここで踏ん張るしかない。片っ端から仕事をこなしていき、そうこうしているうちにシリンジの退院日を迎えた。
二○二五年一月十一日。寝坊した西坂が急いで病院に駆けつけると、シリンジの病室には楊が先に到着していた。
「遅刻だよ」
「申し訳ない。寝坊した」
遅れて気づいたシリンジが、手にしたぬいぐるみを放り投げて、こちらに駆け寄ってきた。
「バトー」
ベッドの横には、スーツケースが口を開けた状態で置かれている。どうやら、退院のための荷物整理をしていたところのようだった。
「あれから一度も来てくれないから、すっごく、心配してたんだよ」
駆け寄った勢いそのままにがっしりと肩を掴むと、シリンジは西坂の身体を大きく前後に揺さぶった。
「オレがいないあいだに無茶してないよね、バトー」
「寝坊するような男が無茶するわけないだろ」
「ご飯は食べてる?」
「うるさいな。ちゃんと食ってるって」
入院中の人間に体調を心配されるいわれはない。このまま質問攻めにされても面倒なので、荷物をまとめて、さっさと退院させてしまうことにした。
「ヤンが車を出してくれるらしいから、どこかで食事をしながら、いまの状況を詳しく説明するよ」
過保護な楊の指示により、入院中のシリンジは情報をすべてシャットアウトされていた。すぐに働けという意図はないが、仕事を再開する前に、彼にはホテルの現在の状況を伝えておく必要があった。
「マスターが心配してるし、ランチはアンカーポイントでいいでしょ」
楊が尋ねると、シリンジは壊れた玩具のように激しく首を縦に振った。病院食はうんざりだと訴える彼の目には、以前のような情熱の炎が宿っている。
「よし、決まりだ。マスターのところに行こう」
スーツケースの蓋を閉じ、シリンジの背中を押して病室を出る。退院手続きを済ませると、楊の運転する車で中央市場へと向かった。
昼どきのカフェ・アンカーポイントは、マスターの料理を求める常連客でにぎわっていた。ここのところ物騒な事件が連続しているということもあり、住民たちのあいだでは、外出は昼間のうちに済ませるという意識が広まっているようだった。
「えっ、嘘でしょ。あれ、ぜんぶ終わったの?」
チーズたっぷりホットサンドを頬張りながら、シリンジが驚いた顔で西坂を見る。エージェント案件があらかた片付いたという報告は、彼にとってじゅうぶんインパクトのある知らせのようだった。
「でも、営業許可のほうは障害があって……」
地下室の件で、許認可の継承に問題が発生していることをシリンジに伝える。
「うわあ、まじか。っていうか、地下室あったんだね。知らなかった」
二十四年前の工事のことを彼が知っているわけもなく、思ったとおり、シリンジから有益な情報を得ることはできなかった。残された手がかりはパイロンだが、立て続けに入ったエージェントからの連絡のせいで、いまだ彼からは話を聞けていない。
すると、サンドイッチを手にした楊が意外な言葉を口にした。
「そんなの、探知機を使えばイッパツでしょ」
「探知機?」
西坂が尋ねると、楊は得意げな顔をこちらに向けた。
「うちの大学で使ってるレーダー探知機」
電波の反射を利用した遺跡調査用のレーダー探知機で、それがあれば、地中の構造をおおまかに把握することができるのだという。
「いいんじゃない、それ。使わせてもらおうよ」と軽い調子でシリンジがいう。
「じゃあ、聞いてみるね」
そういうと楊は、バッグからスマートフォンを取りだし、その場ですぐに電話をかけはじめた。
「ハロー、元気? あのさ、ちょっとお願いがあるんだけど……」
電話口で交渉をする楊の横では、ホットサンドを食べ終えたシリンジがアイスケーキを注文している。目指す場所に最短距離で到達する二人を見ていると、ドニアンを追ってわざわざソワニ村まで行った自分が恐ろしく間抜けに思えてきた。
「貸してくれるって」
通話を終えた楊が左手で丸を作っている。
「隣町のアボンにあるから、これから取りに行くって伝えといた」
「えっ、これから?」
聞けば三日後に調査が再開される予定なのだという。調査が行われていない今であれば、探知機はすぐに貸してもらえるとのことだった。
「なにか問題でも?」
「いや、べつに」
退院したシリンジを地底爺のところに連れていくつもりだったが、そちらは約束をしているというわけでもない。楊が休みを取っている今日を逃せば、次にいつ探知機を借りられるかわからないという不安もあるため、地底爺への挨拶は翌日に先送りすることにした。
「アボンってここから遠いの?」
「ここから一時間くらいかな」
セパレートシティを出て、南へ一時間ほど車を走らせたところにアボンという町はあるらしい。双方をつなぐ道は砂漠で分断されているが、道路は整備されているため、楊の電気自動車でも問題なく通行が可能とのことだった。
「バッテリーが微妙だから、向こうに着いたら充電させて」
楊の話では、電気自動車には往復が可能なほどの電力は残っていないのだという。ガソリン車の給油とは異なり、電気自動車の充電には時間がかかるようだった。
「なら、早めに出発しよう」
店を出るため立ち上がろうとした西坂は、不意に強く腕を引っ張られた。
「ちょっと、待ってよ」
声の主に視線を向けると、追加でアイスケーキを注文したシリンジが、ふてくされた顔でこちらを睨んでいた。
「オレのやる気は、マスターのアイスケーキでしか充電されないんだけど」
彼がどれだけこの瞬間を楽しみにしていたのかは、不満を訴えるその表情を見れば一目瞭然だった。
「そうだったな。俺が悪かった」
ゆっくり楽しめ、とつけ足して再び腰を下ろす。シャバに出たばかりのシリンジに、他人の都合を優先させるというのは無理な話だろう。急かすのもかわいそうだと思いなおした西坂は、エスプレッソを飲んでいる楊のほうに顔を向けた。
「アボンに向かう前に、アパートメントに寄ってもらってもいいかな」
「いいけど、どうして」と楊が尋ねる。
「病み上がりの人間を街の外に連れだすわけにもいかないし、途中でエドを下ろしてもらおうと思って」
ここにいるのは、先ほど退院したばかりの人間だ。探知機を借りに行くだけであれば、シリンジを連れていく必要はないと西坂は考えていた。
「無駄だよ、バトー」
自信に満ちた声が横から聞こえる。
「いまのオレは、誰にも止められない。地下調査のついでに、レーダーで宝物を発掘してやる」
アイスケーキを完食したシリンジが、悪ガキのような顔をこちらに向けていた。
やる気を取り戻したシリンジの希望もあって、けっきょくアボンまでは三人で向かうことになった。
セパレートシティからアボンまでは高低差のない一本道だったが、聞いていたとおり、途中からは砂漠のなかを走ることになった。道路自体は舗装されているが、目印になるようなポールや標識があるわけではない。サンドストームが発生した場合には、道路の表面は砂で覆われ、目視による走行は不可能となるだろう。楊とシリンジは慣れた様子だったが、助手席に座る西坂は警戒を怠ることができなかった。
アボンに到着すると、楊は大通りに面した石造りの建物の前に車を停止させた。西坂とシリンジの二人に車内で待つようにいい置き、アンカーポイントで購入した手土産のパンを手に、一人でその建物に入っていく。どうやら、この三階建ての古い建物が、セパレートユニバーシティのアボン事務所になっているようだった。
「バトー。ありがとう」
楊がいなくなると、後部座席に座るシリンジが突然あらたまった口調になった。
「本当に感謝している」
「どうしたんだよ、急に」
助手席の西坂は後ろを振り返らずにいう。十か月ちかく同じ時間を過ごしてきた相棒からの言葉だけに、感謝されるのはどこか気恥ずかしいような心地がしていた。
「入院中ずっと考えていたんだ。オレはホテルを甘く見過ぎていたんじゃないかって。もしも、派遣されてきたのがバトーじゃなかったら、もっと早い段階で行き詰まっていたと思う」
「買いかぶりすぎだろ。べつに俺が優秀なわけじゃない」
社内暴力で懲戒処分を受けるような男だ。それに、自分で解決できない問題は、本社の同僚に助けてもらっている。評価されても、及第点が妥当だと西坂は思っていた。
「バトーは優秀だし、いいヤツだよ」
「なんだよ、いいヤツって」
西坂は思わず吹きだしてしまった。
「それは、ほかに褒めるところがない人間に使う言葉だろ」
「じゃあ、バトーはいいヤツだ」
「お、ま、え、この野郎」
助手席から身を乗りだして後部座席のシリンジを叩いていると、運転席のドアが開いて楊が顔をのぞかせた。
「ゲットしてきたよ」
指先に鍵のようなものを摘まんでいる。
「っていうか、どうしたの、二人とも?」
「べつに、なんでもないって」
シリンジが答える。
「そうだ、なんでもない」
西坂も首を左右に振って答えた。
「ふーん」
楊はしばらくのあいだ車内を見つめていたが、こちらが黙っていると、それ以上なにかを尋ねてくることはなかった。
「探知機は倉庫にあるから、車まで運ぶの手伝ってね」
運転席に乗り込んだ楊は、倉庫の鍵を西坂に託すと、アクセルを踏み込んで車を急発進させた。
倉庫に保管されていたレーダー探知機は、西坂の想像よりもだいぶ小型で、安物のベビーカーのような形状をしていた。手押し車の要領で移動させながら、地中のスキャンを行うのだという。
その探知機を運びだす際に、ちょっとしたアクシデントが発生した。
「あっ」
探知機の片側を持っていたシリンジの身体がスタンド型の投光器に当たり、倒れたそれが近くにいた楊のつま先を直撃した。
「ごめん、ユートン」
楊はしばらくのあいだ痛みに悶えていたが、相手がシリンジだとわかると、態度を一変させてその顔に笑みを浮かべた。
「痛かったけど、エドワードだから許す。バトーだったら許さないけど」
「なんでだよ」
痛みでペダルを踏めないと主張する楊に代わり、どういうわけか、帰路は西坂が車を運転することになった。下心丸出しの楊は、ナビゲーターの役割を放棄し、後部座席でシリンジと楽しそうに会話をしている。呆れて言葉もない西坂は、カーラジオの音量を上げ、無心で車を走らせつづけた。
セパレートシティまで残り五キロあまり。風が強くなってきたかもしれないと感じたところで、西坂はインパネに表示された警告ランプの存在に気づいた。
「あのさ、ヤン。なんか、変なランプが点滅してるんだけど」
西坂がいうと、後部座席から運転席をのぞき込んだ楊が悲鳴のような声を上げた。
「まずい! まずい、まずい、まずい。充電するの忘れてた」
この点滅はバッテリーの電力不足を警告しているのだという。
「しかもこれ、残り一パーセントじゃん」
しばらく前から点滅していたようなのだが、カーナビ以外の計器を無視して走行していた西坂は、警告ランプの存在にまったく気づいていなかった。
「一パーセントで五キロは……」
「無理でしょ、さすがに」
そこに追い打ちをかけるように、けたたましいアラート音が車内に鳴り響いた。
楊の車に搭載されている特別仕様のサンドストーム警報だ。
「勘弁してよ、もう」
泣きそうな楊とは対照的に、隣に座るシリンジは意外にも冷静だった。
「バトー。路上で立ち往生するのは危険だと思う」
周囲を砂漠に囲まれたこの道路は、サンドストームが到達すれば視界不良に陥ってしまう。そのような状況下で路上に車を停止させておけば、ハザードランプを点灯させていたとしても、後続車に追突される危険性が高いとのことだった。
「どこか、車を停められる場所は」
「あっ、あそこの岩場なんて、どうかな」
シリンジが指し示す方向には、高さのある入り組んだ岩場があった。
「岩が風よけになるかも」
バッテリーの残量は一パーセントもない。迷っている暇などなかった。
ハンドルを切って道を外れた西坂は、砂の上を蛇行しながら岩場を目指した。かろうじてタイヤの空転は避けられているが、おそらく、そう長くはもたないだろう。
どうにか岩場までたどり着いたとき、タイミングを計ったかのように周囲が暗くなった。
「来た」
サンドストームだ。
車体に当たる砂の音で、舞い上がった砂の量が、街のなかで遭遇するサンドストームの比ではないことを実感する。
刻々と変化していく外の様子に圧倒されていると、後ろでシリンジがため息をついた。
「ダメだ、モバイルも使えない」
どうやら通信障害も発生しているようだ。サンドストームとの関連性は不明だが、救助を要請するにしても嵐が去るのを待つほかない。
「しばらく、ここで待機だな」
風と砂の勢いは凄まじいが、車内で待機していれば安全にやり過ごせるはずだ。
そのようなことを考えていときだった。
後部座席の楊が冗談のようなことを口走った。
「戻らないと」
「えっ?」
「いますぐ戻らないと」
「戻るって、なにいってんだよ、ユートン」
シリンジが呼びかけるが、気が動転しているようで楊の耳には届いていない。
「研究室で待機しないと」
楊のその言葉を聞いて、西坂は博物館の駐車場での出来事を思い浮かべた。ナイトミュージアムを計画していたその日、サンドストーム警報が発令されると、楊は予定をキャンセルして大学の研究室へと急行した。記憶によれば、彼女は、警報発令中は待機を命じられているといっていたはずだ。
すると楊は、次の瞬間にとんでもない行動にでた。
「行かなきゃ」
後部座席のドアを開けると、楊はシリンジの制止を振り切って車外へと飛びだした。
「ダメだ、ユートン」
岩場の奥へ向かう楊をシリンジが追いかける。
「ばっかやろう」
西坂もすぐにそのあとを追った。
なにが正解か、などと考えている余裕はなかった。
舞い上がる砂に視界を奪われながらも、シリンジの背中を見失わないよう前進する。入り組んだ岩場を奥へと進むに連れ、風は遮られ、視界はクリアになっていったが、それでも、シリンジの先にいる楊の姿を捉えることはできなかった。
「エド」
西坂が追いついたとき、シリンジは険しい顔で正面にある岩壁を見つめていた。
「ユートンが、この先に」
見ると、目の前の岩壁には裂け目があり、すべてを飲み込むかのような暗闇がその奥に広がっている。
「洞窟、なのか?」
入口から先は緩やかな斜面になっており、洞窟は地下へと続いているようだった。
「彼女、戻るっていってたけど、もしかして」
岩場が北へ伸びているとすれば、洞窟はセパレートシティに続いている可能性がある。楊はこの場所を知っていて、洞窟を通って街に戻ろうとしているのではないか。
西坂が自身の考えを口にすると、それを聞くシリンジはわずかに首を傾けた。
「どうだろう。わからないけど、フィールドワークで街周辺を調査してるっていってたから、このあたりの地理には詳しいと思う」
あれこれと考えたところで状況が好転するわけではない。西坂とシリンジは、楊を追って洞窟を奥へと進むことにした。
「なあ、エド」
スマートフォンのフラッシュライトで足元を照らす。
少し前から西坂は、前方の様子に疑問を抱いていた。
「ヤンは、暗闇のなかをどうやって進んでいるんだろう」
先を行く楊がライトを点けている気配はない。自然光の届かない洞窟内で、どのようにして進路を把握しているのか不明だった。
「暗視ゴーグルを使っているのかも」とシリンジは答える。
「あんしゴーグル? どうして、そんなもの持ってるんだよ」
「いや、ゴーグルはオレのなんだけど、ちょくちょく貸してほしいっていわれていて」
暗視ゴーグルは暗闇で視界を確保するための赤外線装置だが、シリンジはそれを、地底人調査の名目で地底爺から与えられていた。
その暗視ゴーグルがあれば、サンドストーム発生中も、行動の制限を受けることなく自由に動き回ることが可能になる。地底人調査の必須アイテムらしいのだが、実際のところ、シリンジも西坂もまともに調査など行っていないため、与えられた暗視ゴーグルに活躍の機会はなかった。
最新型のそのゴーグルは小型で持ち運びも容易だが、まさか楊が携帯していた薄いバッグにそんなものが入っているとは思いもしなかった。
「入院中は使わないからって、ずっと貸したままにしていたんだ」
楊は大学の予算が少ないことを理由に、シリンジからゴーグルを借り受けていた。ある意味ではそれも真実なのだろうが、彼女の本性を知る身としては、夜中にシリンジの病室に忍び込むために使用する光景しかイメージできない。
いずれにせよ、楊が洞窟内で暗視ゴーグルを使用しているのであれば、スマートフォンの貧弱なライトで追いつこうというのには無理がある。どこかの時点で重大な決断を迫られることになるかもしれない、という漠然とした不安が西坂にはあった。
その後、しばらくのあいだは無言だったが、足元が平坦になってきたところでシリンジが口を開いた。
「なんか、臭くない?」
たしかに、彼のいうとおり、洞窟の奥から腐敗臭のようなものが漂ってきている。
「死体かな」
「やめてくんない、そういうの」
「悪かった。退院したばっかだもんな、エドは」
「いや、そうじゃなくって」
そのときだった。
「いやあぁぁぁ」
洞窟の奥から悲鳴が聞こえた。楊の声だ。
「ユートン」
シリンジが駆けだす。
西坂もすぐにそのあとを追った。
奥へと進むにつれて、徐々に腐敗臭は強くなっていく。
先ほどまで足元を照らしていたフラッシュライトは、いまは進路の前方を照らしていた。地面の様子ははっきりせず、よくわからないものを何度か踏んだが、なんであるかを確認している余裕はない。気にしないよう意識を切り離そうとしたが、足裏に残る不快な感触は、それを許してはくれなかった。
「ユートン」
シリンジが立ち止まり、その場にしゃがみ込む。
見ると、楊が腰を抜かしたようにその場に座り込んでいた。暗視ゴーグルを装着した楊は、前方から顔を背けるようにしながらも、震える手で洞窟の隅を指し示している。
「なんだよ、これ」
山のように盛られた白いものが目に入った。
「骨だ」
動物のものと思われる膨大な量の骨が、うずたかく積み上げられていた。
「死骸もある」
手前には、腐乱した動物の死骸が横たわっている。どうやら楊は、この光景を見て悲鳴を上げたようだ。楊に目立った外傷がないことを確認し、シリンジは訊ねる。
「どうして一人で行っちゃうんだよ、ユートン」
「ごめんなさい、エドワード。本当にごめんなさい」
ショックで冷静さを取り戻したのか、いちおう会話は成立している。
「いろんなことがいっきに起こって、それでパニックになっちゃって」
暗視ゴーグルを外すと、楊は疲弊した顔をこちらに向けた。
「知っている洞窟だったから、街まで戻れると思ったの。五年前に来たときは、こんなのなかったから」
やはりこの洞窟はセパレートシティまで続いているようだ。楊はそのことを知っていてここを通り抜けようとした。ところが、思わぬ光景を目撃して、途中で腰を抜かしてしまう。暗視ゴーグルを通して見る緑色の世界で、動物の死骸と骨の山がどのように映ったのか、あまり想像したくない光景だと西坂は思った。
「それにしても、ここはいったい」
フラッシュライトで周囲を照らす。そこはわずかに開けた空間になっており、積み上げられた骨のほかにも、焚き火の跡や、動物の皮を敷き詰めた寝床のようなものを発見することができた。
「誰かいたんだ、ここに」
人間が暮らしていた痕跡であることは間違いない。ざっと見渡しただけでも、だいぶ長いあいだ、この場所を住処として使っていたということがうかがい知れる。寝床の横には、ガラクタのようなものが無造作に置かれていた。
「バトー、これ」
シリンジがガラクタのなかになにかを見つける。
「この短剣、博物館にあったやつだ」
「オレの肩を刺した短剣じゃないか」
刃は欠け、装飾も剥がれ落ちているが、見間違うことはない。博物館に不審者が現れたあの日、展示室から持ち去られた黄金の短剣だ。刺された当時の記憶は曖昧だったが、図録を読んで確認したものと特徴が一致している。
自分を襲った犯人はここにいた。
その意味を考えてみるが、気持ちが乱れているせいか、うまく思考がまとまらない。
そうしているあいだにも、シリンジはガラクタのなかに別のものを発見していた。
「あれ、ちょっと待って、これって」
ガラクタのなかから引き抜いたのは、拳ほどの大きさの革の小物入れだった。
「サリス夫妻のベルトポーチだ」
「ベルトポーチ?」
「ホテルのマスターキーとか、貴重品を入れるための小物入れだよ。でも、どうしてこんなところに……」
地底爺の話を思いだす。マグノリアと約束をしたパイロンは、ホワイトコブラの指輪を取り戻すため、それを収めたサリス夫妻のポーチを探しているとのことだった。シリンジの話が本当であれば、この小物入れは、パイロンが探し求めていたものということになる。
「それ、持って帰るなら、オレが預かっとくよ」
「いいけど、どうして?」
指輪が入っているから、とはいえなかった。マグノリアとの約束があるパイロンは、彼女の願いを叶えるために、サプライズでシリンジに指輪を渡そうとしている。
「荷物とライトは俺に任せて、エドはヤンを頼む」
なかば強引にベルトポーチを奪い取り、いまだうずくまったままの状態の楊に視線を向ける。
「こんなところに長居は無用だ。早く外に出よう」
出口について尋ねると、この場で引き返すよりは、セパレートシティに向かって前進したほうが早く洞窟を抜けられる、と楊は答えた。スマートフォンを手にした西坂がライトで前方を照らし、楊を支えるシリンジがそのあとに続く。
西坂は出口を目指して歩きながら、洞窟内で見たものについてあたまのなかで整理していた。奪われた黄金の短剣と、サリス夫妻が身に着けていたベルトポーチ。無関係としか思えない二つのものが、偶然にもこの洞窟でつながってしまった。
ここで生活していた人物はいったい何者なのか。
答えのない問いが脳裏をちらつき、西坂は重いため息をつく。
嫌な予感がしていた。
およそ二時間後、街に戻った三名は、パイロンからの緊急の連絡を受けることになる。
淡々と告げるパイロンの言葉を電話越しに聞きながら、西坂は目の前が真っ暗になったように感じていた。
地底爺が殺害されたとのことだった。
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