ホテル再建記録⑪ 一時帰国

 年末くらいは家に帰るべきだ、というシリンジの言葉に従い、西坂はクリスマスから正月にかけて長期休暇を取ることにした。


 出向中の勤怠はコブラパレスによって管理されるため、休暇を取得するからといって、それをホテルワンダーボックスに知らせる義務はない。二週間の休暇ともなれば妬まれるのは必至で、この場合は黙っているほうが得策なのだが、それでも西坂は、購買部長の藤崎一花には帰国の旨を伝えることにした。


 過去に自作した書式データがコブラパレスでも役に立つとわかり、部門長の許可を得て、社内のファイルサーバーにアクセスしたいと考えていたからだった。


 取引の大半がストップする年末年始は、有給休暇を取得するのが購買部の慣例となっている。有休の少ない若手は出社するが、購買部内に仕事はないため、そのほとんどが他部署のヘルプに回されるはずだ。オフィスが無人になるこの時期であれば、端末を使用させてほしいと頼んでも迷惑にはならないだろうと西坂は考えていた。


 一時帰国とデータの件を伝えると、空港まで迎えに行くと藤崎は答えた。端末の使用については、許可するとも、しないとも、いっていない。帰国便が空港に着くのはクリスマスイブの夜のため、出向中の部下を慰労するための出迎えとも思えず、おそらくなにか、端末使用に特別な条件が出されるのだと想像ついた。


 十二月二十四日。九か月ぶりに母国の地を踏んだ西坂は、空港内のクリスマスツリーを見て違和感を覚えた。無味乾燥なセパレートシティに慣れたせいで煌びやかな光景が眩しく見えるのかと思ったが、すぐに、そうではないと気づいた。

 クリスマスツリーの根もとを見て思いだす。

「あっ」

 植栽の手配を忘れていた。


 西坂は出発前のコブラパレスの様子を思い浮かべた。廃業してから四年の月日が経過し、管理者不在の前庭は荒れ地と化している。営繕が必要だが、ホテルの規模を考えれば専属のガーデナーを雇うのは現実的ではない。専門の会社に頼んで敷地内を一括整備し、植栽のメンテナンス契約を結ぶべきだと考えられる。


 開業までの残り日数を考えれば、ぼんやりしている暇などない。すぐにでも動かなければと相棒の顔を思い浮かべたとき、背後から声をかけられた。

「おかえり、バトー」

 振り返ると、紫色のコートを着た女性が立っていた。


「藤崎部長」

「こんな場所を指定してしまって悪いね。到着ロビーで待つとか、そういうの好きじゃなくて」

「知ってますよ、それくらい」


「荷物はそれだけ? お土産は?」

 足元に置かれたボストンバッグを見て藤崎が驚いた顔をする。

 西坂は苦笑した。

「いやいや、購買部の出張じゃないんですから」


「ふーん」

 藤崎が覗き込むようにして西坂を見る。

「赴任先の武勇伝を土産にするなんて、バトーもずいぶんと偉くなったもんだね」

「嫌味ですか、それ」

 懲戒処分で飛ばされた人間に中途半端な武勇伝を語る資格はない。黄金の短剣で負傷したからといって、そんなもの笑い話にもならないというのは最初からわかっていたことだった。


「まあ、でも」

 西坂は言葉を続ける。

「次の帰国は春になりますけど、そのときは最高の土産を持って帰るつもりです」

 他者にどう思われようとも、シリンジと歩んだ道のりは無駄なものではないと断言することができる。コブラパレスを開業させることができたら、そのときは胸を張って成果を報告しようと西坂は考えていた。


 藤崎はクリスマスツリーを見上げると、「楽しみだな」といって小さく笑った。

 空港の地下駅からエアポートエクスプレスに乗車すると、藤崎は西坂を連れて最後尾のラウンジカーへと移動した。会わせたい人物がいるのだという。

「誰ですか、会わせたい人って」

 西坂が尋ねると、藤崎は少し気まずそうな表情で「いとこ」と答えた。


「どうしてまた、部長のいとこが」

「彼女、WEBマガジンの編集者をしているんだけど、バトーのことを話したら記事にしたいっていいだして」

 コブラパレスに関するインタビューに応じてほしいとのことだった。


「べつに構いませんけど、いちおう相棒にも確認を取りますよ」

「もちろん。無理にとはいわないから」

 藤崎の様子を見るかぎりでは、端末の許可を餌にしてインタビューを迫るような強引さは感じられない。近親者からの頼みを断ることができず、仕方なくあいだを取り持っているだけなのかもしれないと西坂は思った。


「で、あそこにいるのが、私のいとこ」

 ラウンジカーで西坂を待っていたのは、藤崎よりも少し若い印象の女性だった。


「はじめまして、フォーカスHの南と申します」

「西坂馬頭です。よろしくお願いします」

 揺れる車内で互いの名刺を交換する。


「フォーカスHというと、購読制のホテル雑誌ですよね」

「はい、そうです。三年前に紙の雑誌を廃止して、いまはWEBマガジンとして配信を行っています」

「時代の流れ、ですね」

「それもありますが、弊社の場合は、それだけが理由というわけでもありません」

 南はタブレット端末を取りだすと、自社のフォーカスHを表示させて西坂の前に置いた。


「ホテルに興味がある方の大半はビジュアルに強い関心を持っています。そういった読者層にリーチするにはとにかく写真が重要になるのですが、従来の形態では、ビジュアルに力を入れると文字のスペースがなくなるというジレンマがありました」

 西坂は社内で回覧されていたころのフォーカスHを思い浮かべた。南の言葉どおり、紙面のほとんどがホテルの写真で埋め尽くされていたような気がする。


「その点、WEBマガジンでは紙面の奪い合いはありません。写真は写真、文章は文章で勝負することができる。専門雑誌だからこそ、写真では伝わらないホテルの細部にまで、文章で切り込んでいくべきだと弊社は考えています」

 投稿サイトやSNSの存在によって、個人が撮影した写真を目にする機会は増えている。インフルエンサーが絶大な影響力を持つなか、有料のWEBマガジンが差別化を図るには、独自のアプローチで記事を作成する必要があるのだろう。


 同じことを自分たちの状況に置き換えてみる。考えるまでもなくコブラパレスは知名度が低い。フォーカスH以上に工夫をしなければ、求める客層に情報を届けることはできないだろう。

 ところが、肝心の西坂とシリンジはというと、ハード面の準備で手が塞がっており、プレスキットの作成すらも満足に進められていなかった。営業担当者も採用しているが、入社はまだ先のことで、セールス&マーケティングに関しては完全に手つかずの状態だった。


 フォーカスHは国内向けの媒体ではあるが、彼らが記事にすればコブラパレスの注目度は上がる。開業を控えたホテルにとって、メディア掲載は喉から手が出るほどに欲しい絶好のアピールチャンスだ。藤崎には断りを入れたが、相棒に相談をするまでもなく、今回のオファーは受けるべきだと西坂は考えていた。


「お待たせいたしました」

 横並びのソファに座る三人の前にシャンパンが運ばれてきた。


 藤崎がグラスを掲げる。

「メリークリスマス」

 役目を終えた彼女は、展開を見守るだけのこの状況を楽しんでいるかのようだった。


 グラスを置いた南が、タブレット端末でボイスメモのアプリを起動する。

「では、さっそく、お話をおうかがいしたいのですが。コブラパレスがゴーストホテルと呼ばれるようになった、そのきっかけを教えてください」


「はっ?」

 思わず怒気を含んだ声を発してしまった。


「ですから、ゴーストホテルの……」

「ちょっと待ってください」

 片手で南を遮り、藤崎を睨む。

「部長!」

 勢いよく立ち上がった西坂は、藤崎の手を引いてすぐさまデッキへと移動した。


「どういうことですか、これ」

 自動扉が閉まるのを待って、藤崎に問いただす。

「どういうことって、コブラパレスのインタビューだけど」

「嘘をつかないでください」

「嘘ではないよ。ゴーストホテルの特集ってだけ」

 悪びれもせずそう答える藤崎に腹が立った。


「ゴーストホテルのレッテルを貼られるなんて論外です。絶対にありえません」

 現地でゴーストホテルと呼ばれているのは事実だが、開業に携わる人間としてその呼称を認めるわけにはいかない。フォーカスHからのオファーは魅力的だったが、蔑称を拡散されるのであれば断るしか選択肢はなかった。


「コブラパレスをゴーストホテルとして売りだすつもりはありません。この件はお断りします」

 西坂は強い意志を持って拒否の意向を伝える。

 藤崎は残念だという表情で自身の指の先を見つめていた。

「話題性があったほうが、人気が出ると思うんだけどな」

「それは真剣に取り組んでいる人間に対する侮辱です」


 ラウンジカーに戻った西坂は、インタビューを辞退する旨を南に伝えた。今後のビジネスチャンスすらも失うような強引な断り方だったが、後悔はなかった。

 シリンジを裏切るようなことだけはできない。その想いだけが西坂の原動力になっていた。


 セントラルステーションで列車を降りた西坂は、改札を出て繁華街で飲みなおすことにした。路地裏のバーに入り、カウンター席に座って思い浮かんだ銘柄のウイスキーを注文する。


 しばらく目を閉じて考えごとをしていると、マスターがグラスを置く気配を感じた。頼んだのはウイスキーのはずだが、皿とカトラリーの接触する音も聞こえる。どういうことかと目を開けてみると、ウイスキーを注いだロックグラスの横に、カットされたチョコレートケーキが置かれていた。


 顔を上げてカウンターの向こうを見ると、視線の意味を察したマスターがサービスだといった。クリスマスイブの客にはザッハトルテをサービスすることにしているのだという。

 いかにも甘そうなそのザッハトルテを見ながら、西坂はケーキ好きのシリンジの顔を思い浮かべていた。植栽の件を早めに伝えておきたいところだが、連絡は明日にしておこうと考えている。楊とディナーの約束があるといっていたのを思いだしたからだ。


 西坂の努力の甲斐もあって、楊は着実にシリンジとの距離を詰めている。彼女に好意を寄せるパイロンには申し訳ないが、西坂としては、相棒のシリンジに幸せを勝ち取ってもらいたいといつも思っていた。


「メリークリスマス」

 ウイスキーを二杯飲んだあと、マスターに礼をいって店を出た。路地裏から表通りに出ると、歩道の植え込みが白く染まっていることに気づいた。雪が降っているのだとわかり、意識が自然と上を向く。街路灯に照らされたところだけが、雪の輪郭がはっきりしているように感じられた。


 近くの店舗から甘い香りが漂ってきて、西坂の脳裏に再びシリンジの顔が思い浮かんだ。彼はこれまでの人生で一度も雪を見たことがないのだという。


 いつか必ず、この光景を彼にも見せてやろう。

 決意を込めて大きく息を吸うと、肺のなかに冷たい空気が流れ込み、身の引き締まる思いがした。


 翌日からはホテルを転々とする生活が続いた。賢明な休暇の過ごしかたとはいえないが、家ではなくホテルに滞在することにしたのには理由がある。休暇中にできるだけ多くのホテルを利用し、良いと思った点をシリンジに共有しようと考えていたからだった。実現可能なものがあれば、コブラパレスにも取り入れたいと西坂は考えている。


 一介のサラリーマンにホテル生活を満喫する余裕などないが、今回の一時帰国にあたっては、地底爺から個人的なボーナスをもらっているので問題はなかった。とはいえ、法外な額のそのボーナスには裏があり、西坂は一つ頼まれごとをしている。


 頼まれたのは科学博物館に対する提案で、地底爺が個人的に寄付をすることを条件に、セパレートシティ市立博物館からの研修者を受け入れてもらえないかというものだった。地底爺は引退を視野に入れており、次期館長候補の副館長をいまのうちに国外で研修させたいと考えていた。


 提案だけとはいえ、出向先の本来の業務とは関係のない仕事だ。使者のような真似事をするのは気が進まなかったが、西坂にもホテル研究の資金が必要という事情があるため、あくまでも館長の友人として依頼を引き受けることにした。


 科学博物館では総務課長の男性が対応してくれたが、依頼内容を伝えると、受け入れは難しいという答えが返ってきた。学芸員であれば検討はするが、組織のナンバーツーは手に余るということらしい。地底爺には申し訳ないが、予想したとおりの展開だった。


 休暇中に宿泊するホテルを探す際は、ミドルクラスを中心に選ぶことにした。コブラパレスの実際の販売価格とは乖離があるが、そもそもウロコ共和国とは物価が異なるため、ベンチマークは慎重に行うべきだと西坂は考えていた。


 年内の六日間で首都圏の六つのホテルに滞在した西坂だったが、さすがに大晦日はどのホテルも満室で、この日だけは社員寮の自室で過ごすことになった。年越しそばの準備をしながら、なんとなくつけていたテレビに視線を向ける。画面には年末恒例の歌番組が映しだされていた。

 しばらくすると、出演者の一人がホテルのベルスタッフの衣装でステージに現れた。それを見た西坂は、購買部の前に在籍していた宿泊部のことを思いだした。当時は年末年始に休みを取ることなど不可能だった。いまこの瞬間も働きつづけるスタッフがいるのだと考えると、どうしても申し訳ない気分になってしまう。


 年越しそばを食べ終えた西坂は、近くの神社に初詣に行くことにした。年の初めに神前で誓いを立てるのが西坂の習慣になっており、今回はコブラパレス開業に全身全霊を捧げることを宣誓するつもりだった。


 除夜の鐘を聞きながら夜道を歩いていると、セパレートシティのアパートメントが思い浮かび、少しだけ感傷的な気分になった。シリンジはいま、なにをしているのだろうか。そんなことを考えながら、神社の鳥居をくぐる。

 参拝後に引いたおみくじは大凶だった。


 二○二五年一月六日。出国を翌日に控えたその日、西坂のスマートフォンに着信があった。取り乱した様子の楊が、電話口でその事実を告げる。

 シリンジが倒れたとのことだった。

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