ホテル再建記録⑱ エピローグ
『いかがでしたでしょうか。以上が「サンドストームの亡霊」と名づけられたホテルコブラパレス再建記録の復元データとなります』
「ラシード、これって」
「ああ、そうだね。ファティマ」
妻であるファティマの問いにラシードはうなずく。
「間違いない」
しっかりと手をつなぐ二人は、自分たちを迎えにきたと語る彼に視線を向けた。
「あの、えっと……」
『わたしのことは、ビヨンドと呼んでください』
「ビヨンドさん。このあとはどうなったのでしょうか」とラシードは尋ねる。
『このあとですか。このあと、男の遺体は政府によって回収され、とある研究機関に回されることになります。見る人が見れば違いは明らかですからね。国家機密に指定されるのも当然の処置だと思います。なので、ニシザカ氏も、シリンジ氏も、警察関係者のパイロン氏でさえ、最後までこの男の正体を知ることはありませんでした』
「いえ、そういうことではなくて」
『というと?』
「このあと彼は、エドワードは、幸せな暮らしを送ることができたのでしょうか」
ラシードの質問に対し、ビヨンドは少し考え込むような仕草をしてからその問いに答えた。
『あなたたちはハッピーエンドを好む。そういうことですよね。勉強したつもりだったのですが、すっかり忘れていました。申し訳ありません。わたしたちは脅威の排除を第一に考える種族なので、どうしても事件を中心に物事を考えてしまうのですよ。なので、正直なところ、個人の幸せがどうのというあなたたちの思考は、いまひとつ、わたしには理解できません。とはいえ、お二人に安心してもらうことがわたしの役目でもあるので、少しだけお伝えしておきましょう。サンドストームの亡霊が排除されたあと、ホテルコブラパレスはとどこおりなく開業を迎え、役目を終えたニシザカ氏は帰国することになります。シリンジ氏についてですが、その後、彼はヤン氏と結婚し、子供を二人残しました。ニシザカ氏との友情も長く続いたので、まあ、一般的な観点からも、シリンジ氏は幸せだったといえるのではないでしょうか』
ラシードとファティマは、ビヨンドの説明を聞いて互いに顔を見合わせた。
『では、そろそろ出発しましょう』
ビヨンドは目的地への移動を開始し、ラシードとファティマがそのあとに続く。
一行がいる森は広葉樹が密生しており、足元は背の高い下生えに覆われていた。頭上を見上げれば、鬱蒼と茂る樹木の隙間からわずかに青空がのぞいている。道なき道を行くビヨンドは、後続の二人の様子を何度も確認しながら、慎重に前へと進んでいった。
しばらく行くと、視界が開け、目の前に泉が出現した。水面に浮かぶ水生植物は、打ち上げ花火のような虹色の花弁を空に向けている。その光景に息を呑むファティマに対し、ラシードは、目立つ色は生存戦略なのだと説明した。
『ここは、獣たちの水飲み場にもなっています。目が合うと危険なので、わたしが許可するまで、よそ見をしないでください』
ビヨンドの指示に従い、ラシードとファティマは、視線を足元に向けたまま泉を迂回した。
泉を通り過ぎると、その先は急な斜面になっていた。ビヨンドは急勾配をものともせず、一定の速度で先へと進んでいく。ラシードとファティマは、足を滑らせないように、互いの手を取りながら斜面を上っていった。
「水の音が聞こえる。川があるのかもしれない」
ラシードのいうとおり、その先には川が流れていた。森の気配を強引に断ち切る、鋭い刃物のような急流だった。ビヨンドは進路を変え、川沿いを上流へと進んでいく。しばらく歩くと、行く手に落差の激しい滝が姿を現した。一行は滝壺の周りに点在する石の陰に腰を下ろし、身体を休めることにした。
『食事にしましょう』
そういうとビヨンドは、近くの木に生っていた果実をもぎ取り、それをラシードとファティマに差しだした。
「初めて見る果実ですけど、私たちが食べても平気なのでしょうか」
ファティマの問いに、ビヨンドは『もちろん』と答える。
ラシードは少し考えた末にひとくちかじったが、怪訝な表情を浮かべるファティマは果実を受け取ろうとしなかった。
日が落ちてあたりが暗くなると、一行は巨木のうろで一夜を明かすことになった。樹齢四千年を超える木だとビヨンドは説明するが、疲労感をにじませるラシードとファティマはべつだん関心を示さない。しばらくすると会話も途絶え、夜行性の動物が活動を始めるころには、二人は身体を寄せ合って寝息を立てていた。
翌朝、巨木をあとにした一行は、想定していたルートを外れ、谷を迂回して目的地を目指すことになった。土砂崩れが発生した場所があり、ラシードとファティマの足では横断は不可能だった。
途中で何度か休憩を取りながらも、前日と同じペースで歩きつづけ、一行は昼過ぎになってようやく目的地へと到着した。
『お疲れさまでした』
歩みを止めたビヨンドが後ろを振り返る。
『ここが終着点となります』
眼前に広がる奇怪な光景を見て、ファティマは驚きの声を上げた。
正面に見える岩場は、おびただしい数の鳥で埋め尽くされていた。風に揺れる枝葉のように、羽を休める藍色の鳥が、小さなあたまを小刻みに動かしつづけている。わずかにのぞく隙間からは、その奥にある人工物の表面が露出していた。
「ラシード」
「ファティマ」
なにかに気づいた様子のラシードとファティマは、互いの名を呼び合い、力強く相手の手を握った。
二人が落ち着くのを待って、ビヨンドはいう。
『ここまでの道のりはいかがでしたでしょうか。お二人が知っている光景と比べると、この地もだいぶ様子が変わったのではないかと思われます。岩と砂に覆われた土地は、いまではご覧のとおり、植物の楽園です。実感はないでしょうが、お二人が連れ去られてから、五千年の月日が経過しています』
太陽暦における五千年と補足をして、ビヨンドは話を続けた。
『最初にお伝えしたとおり、お二人は、かつてこの星を支配していたホモ・サピエンスの最後の生き残りです。本来であればこの時代にいるはずのない存在。つまり、人類の亡霊です』
「人類の、……亡霊」
茫然とした表情でファティマがつぶやく。
『そして、わたしたちは……』
ビヨンドは自らの種の呼称を口にしたが、その言葉は正しく翻訳されなかった。
『わたしたちは、絶滅したホモ・サピエンスに代わって、この星を支配している知的生命体です。残された古代の記録から史実を明らかにし、お二人が帰還するこのときを待っていました。こうして実際にお話をすることができて、たいへん幸運なことだとわたしは思っています』
「あなたの……、いえ、あなたたちの目的はなんですか?」
ラシードは尋ねた。前日から機会をうかがっていた質問だった。
ビヨンドは空を見上げながらその質問に答える。
『脅威に備える。それがわたしたちの目的です』
視線を落とし、ビヨンドは再びラシードとファティマに身体を向けた。
『具体的な話をしましょう。五千年周期で現れる異星生命体の話です。なんの前触れもなく出現する彼らは、その時代を象徴する種族を見極め、拉致します。痕跡を残さず、巧妙な手つきで、あっというまに。そして五千年後、再び現れた異星生命体は、新たなる種族を拉致するのと引き換えに、前回の種族を解放します。その際、彼らは、解放する種族にギフトを授けると考えられています』
「ギフト?」
ファティマが尋ねた。
少し間を置き、説明しましょうとビヨンドは答える。
『サンドストームの亡霊。その名で呼ばれた人物の正体は、異星生命体に連れ去られた古代の戦士でした。彼は、解放される際に、風を操る力を授けられたと考えられています。文明社会のパワーバランスを崩壊させるほどの強大な力。それを、わたしたちは、ギフトと呼んでいます。そしていま、同じく異星生命体に連れ去られたお二人は、どのようなギフトを授けられているのか。わたしたちが知りたいのは、その詳細です』
淡々と語るビヨンドの話に耳を傾けながら、対峙するラシードは表情を硬くしていた。
「再建記録、でしたでしょうか。あのようなものを、どうして私たちに見せたのか不思議に思っていたのですが、いまはっきりと理由がわかりました。あれは、私たちに対する警告ですね。存在が脅威に転じた場合、亡霊は排除の対象として認識される。選択を誤れば、私たちも同じ運命をたどることになる。そういう意味ですよね」
ビヨンドは静止したまま、『ご想像にお任せします』とだけ答えた。
そして、あらたまった口調で二人の名を呼ぶ。
『ラシード・サリス。ファティマ・サリス。あれは、エドワード・シリンジが、あなたたち二人に残した人類最後の楽園。古代遺跡コブラパレスです。さあどうぞ、先へとお進みください』
ラシードとファティマは、かたく手をつないだまま一歩を踏みだす。
それと同時に、二人の横を風が吹き抜けた。
音が鳴り、葉が揺れ、砂が舞う。
いっせいに鳥が飛び立ち、キングコブラが姿を現した。
(了)
サンドストームの亡霊 旅籠談 @hatagodan
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