19.カモシカ

 昔、10代の頃バイトしていたバイト先の先輩の話。


 先輩(男性)とシフトが被ることが多く、よくいろんな話をしてくれました。色白で細身、背が高く(当時訪ねた時に185センチあると伺いました)出立は堂々としている方でしたが、非常に変わっていました。


 いつもわたしにしてくれるお話は、所謂「オカルト」な話でご実家がお寺のためか、血筋によりいろいろなものが見えるんだそうです。


 ちなみに彼にはお兄さんがおり、後継ぎはお兄さんに決まっていました。彼はもともと跡を継ぐつもりもなく、どちらかと言えばそういった類の話を面白おかしく体験するのが好きな……僧侶には向いていないタイプの方です。


 そういうわたしはと言うと、そういったお話が好きではあるのですが……、ビビりなため自らそういった行動を起こすことはありませんでした。怖い話を読んだり聞いたりするのが精いっぱいで心霊スポット等に行くなんてもってのほか。


 先輩と仲良くなったが最後、いろいろな場所に連れまわされるようになり……。



 とある、冬の日の話です。冬、と言っても最短時よりだいぶ日が伸びて来た春が間近となった頃。夕方、空が暗くなりはじめた頃に先輩とわたしは先輩の愛車で山道を走っていました。


 もちろん、いつものように心霊スポットがどうだこうだ、連れまわされている最中。時折民家が顔を覗かせますが、すぐにまた鬱蒼とした木々の間の、すれ違いするのに少し困難なような荒れた道を北へ北へと進んで行きます。




「今日はどこまで行くんですか」


「吊り橋」


「え」


「なんだよ」


「わたし高いところ苦手なんですけど」


「大丈夫だって、俺がいるじゃん」


「そういう問題じゃないです」



 笑う先輩を横目で見ながらわたしは大きくため息をひとつつきました。すると先輩はぽんぽん、とわたしの頭を撫でて、



「渡る手前に用があるから、別に渡らなくてもいいし」


「……先に言ってくださいそういうの」


「でも、せっかくだし。頑張れそうなら渡ってみるか」



 そう言いました。


 しばらく走り続けると、もっと明るい時間であれば観光地として賑わっていそうな小さな商店街を通り過ぎました。ご当地銘菓の名前が書かれた幟が風に靡いているのがとても印象的でした。もっと早い時間に来たらあれ、買えたのかなあなんて思っていると車は再び山道へ。秘境、と言えば聞こえが良いかもしれませんが、なにせわたし達が目指しているのはオカルト的なスポット。背中は粟立つ一方です。



「見て、シカ」


「え、あ、本当だ。でも普通の鹿じゃないみたいですね」


「カモシカじゃない? あれって鹿じゃなくてウシとかヤギの親戚だっけ」


「へー、そうなんですね。なんか、ちょっと幻想的というか神秘的というか」


「まあニホンカモシカって天然記念物だしなあ」



 スピードを落とし、徐行運転となった先輩の愛車はカモシカの横をゆっくり、ゆっくりと通ります。カモシカは逃げることもなく、じっとこちらを見つめていました。特に、わたしとしっかり目を合わせるようにして、こちらを観察しているかのような、そんな雰囲気で。


 無事に横を通り過ぎると、先輩は徐々にスピードを速めていきます。わたしは、少し名残惜しい気持ちがあったため窓を開けて見えるところまで先ほどのカモシカを眺めていました。




「……よっぽど気に行った?」


「うーん、なんだろう。可愛かったのはもちろんそうなんですけど、なんかすごい、不思議体験したーって感じです」


「そ」



 先輩は興味無さそうに、大きくひとつあくびをしました。



「お、ついたぞ」



 あまり整備されていないただの空き地のような開けた場所が駐車場のようで(ちゃんと吊り橋に関する紹介看板と共に「P」の字が記載されていました)愛車をそこに停め、車を降りると空気がとても冷たかったのが印象的です。


 案内板に沿ってしばらく歩くと、すぐそこには渡るのが不安になるような吊り橋。覗き込まなくても見える橋の下は、エメラルドグリーンに光る、流れのあまりない川。勾配が急な坂道や階段の上り下りでへとへとになったわたしたちは少し息を切らしながら、吊り橋の入り口のわきにある石碑へと目を向けます。


 そこには、真新しい花束と、開封されていない煙草が供えられていました。



「二、三カ月前に、ここから落ちて亡くなった人がいたんだってさ」



 石碑は、吊り橋の渡り方なんかが書かれているただの石碑だったけれど、供えられたものによってまるで墓石に見えたのを覚えています。先輩がそれに向かって手を合わせたので、わたしも同じように、先輩の隣で手を合わせました。


 そんなわたし達の、ずいぶん後ろの方から小さく、小さく、メェ、と。


 驚き慌てて振り返ったわたしの視界に捉えられたのは、カモシカです。もしかして、さっきの子だろうか。同じ個体かはわかりませんが、先ほど同様こちらをじ……と見つめています。



「……先輩、帰りましょう」


「んー?」


「帰りましょう!」


「なンだよ、どうかした?」


「いいから」



 わたしは先輩の腕に自分の腕を絡ませて、駐車場へと引き返します。車の前についたところで一度止まると、また、どこからかメェ、と声がしてその主を探すように見渡しました。いつ移動したのか、カモシカは石碑の方へと移動していました。こちらを見つめていたかと思えば、まるでお辞儀するように頭を下げたのです。わたしも同じように、敬意をはらって彼にお辞儀を返しました。頭を深く、深く下げて。



「……なにしてんのお前」


「え、カモシカにお辞儀?」


「カモシカ? どこにいる?」


「え、あそこに……」



 わたしがカモシカへと視線を戻すと、カモシカは首を数回振って奥へと消えていきました。ほら、と先輩の方を見るも、先輩はぴんと来ないようで、



「なんもいない。もしかして俺には見えないヤツだったのかも」


「え?」



 まるでその先には行かない方が良い、と言われているかのような、なんとなく彼がそんなことをわたしに伝えたかったような気がして引き返してきましたが、カモシカの行方が気になります。



「ま、じゃあ帰るとしますか」


「あ、えっと、ハイ」



 次に来ることがあったら次はお供えものも持ってこよう、と思いながら、わたしたちは車へと乗りこみました。


 ……そして、翌々日のことでした。


 ニュース番組を見ていると、あの吊り橋の途中の板が破損して人が落下死したというのです。



「先輩、あの」


「んー」


「あの吊り橋」


「渡るべからず、ってことだったんだろうな。お前の見たカモシカ」


「……そんな」


「なんかさあ」


「はい」


「俺には見えなくてお前に見えた、って、どういうことなんだろうな」



 先輩はわたしの方を見て首を傾げながら、なんとなく納得いかない、というような表情で口を尖らせています。わたしの心情はそれどころではないというのに。



「あそこって、どういう場所だったんですか」


「……おんなじように、数年前に底が抜けて人がひとり死んでんの。その落ちて死んだやつ、高校の時の友だちでさ。山登りとか好きなやつだったんだけど、あの日命日だったんだよ。墓参りじゃなくて、現地参りにしようと思って」


「……あのカモシカって、もしかして」


「さあ、どうだろうなあ」



 あのカモシカが、先輩の高校時代の友人だとしたならば。どうして先輩には見えなかったのだろう。そして先輩が納得いかないのはきっとそこなのだろうな、とも思いました。きっと先輩は、あわよくば彼に会いたかったのではないでしょうか。



「あいつ、重度の女好きだったしなあ」



 ぽつり、呟いた先輩は、昔を懐かしむように笑っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る