18.わたし

 夢を見ました。


 夢の中で見た、小さな男の子。なんだか懐かしさすら感じる、けれど確実に初対面のその子は、わたしのことをじっと見つめています。どことなく、わたしと顔立ちが似ているような気はしたけれど。


 彼は、わたしになにかを訴えます。


 彼の唇は動くけれど、そこに声は乗せられていません。なにを伝えたがっているのか、わたしにはわかりません。聞き取れません。


 わたしはその声を聞きたくて、彼がなにを伝えたいのか知りたくて、一歩、また一歩、彼のいる方へ歩みを進めます。ゆっくり、ゆっくりと。彼はその場所から一歩も動くことはなく、でもわたしを待っているわけでもないような、不思議な感覚。


 男の子とわたしの距離があとほんの、二、三メートルというところで、今度は彼の横へ、どこからともなく女の子が現れました。男の子より、少し、女の子の方が背が高いのが印象的です。


 ……わたしは、この女の子を知っています。


 彼女は、先輩が不安定になる度に、わたしの前に現れて先輩を優しく見守っている、そしてわたしに申し訳なさそうに瞳を揺らす、わたしと容姿が似ている先輩のお姉さんです。そう、昔、先輩と彼女が幼かったあの頃、存在自体が無くなってしまったとされる、先輩のお姉さん。



「あなたは」



 そのあと、わたしの口から声が発せられることはありませんでした。同時に、隣にいた男の子が大粒の涙を大きな瞳からぼろぼろと零し始め、女の子はそんな男の子の頭を優しく撫でます。そして、彼女はわたしに手を差し伸べました。


 わたしは、なんのためらいもなく、その手をとりました。


 すると、景色は見知った先輩のご実家。そこには賽銭箱の前で手を合わせているひとりの女の人がいました。女性は、お腹が大きく、妊婦さんなんだとすぐにわかりました。そして、わたしはこの女性を知っていました。今よりも随分と若い、わたしの母でした。


 お腹の中の子は、もしかしてわたしなのだろうか。


 ぼんやりと、母が目を瞑り合掌している横顔を見ていると、本堂が急に騒がしくなり視線をそちらへ移します。中から、まるで人間とは思えないほどの形相で、頭を振りながら涎をまき散らしわけのわからないことを叫んでいるとても普通とはいいがたい様子の男性が飛び出てきました。


 身重の母は、それを見て驚き数歩後退しましたが、男は母の方へと走ってきます。


 危ない……!


 そう思い、母を助けようと駆け寄りました。が、わたしが伸ばした手は母をすり抜けてしまいます。


 母は狂った様子の男に強く突き飛ばされ……お腹を賽銭箱に強く打ち付ける形となってしまいました。そのまま地面へと倒れこみ、お腹を抱えている母の足元からは、真っ赤な、血が、流れ始めました。


 本堂から男を追いかけるようにして飛び出て来たお坊さん数人のうちのひとりは、これもまた今よりずいぶんと若い、先輩のお父さんでした。他のお坊さんたちは男を追いましたが、先輩のお父さんは倒れている母に気が付いて顔を真っ青にし、駆け寄ると同時に、119番へ緊急通報されていました。


 わたしはその様子を見て、足が震えます。立っていられなくなり、その場にしゃがみ込みました。目の前にいる母を助けることも出来ず、今苦しんでいる母に触れることも出来ない。


 過去の出来事を見させられているのだろうけれど、それでもなんとも言い難い、苦しさ、悔しさ、気持ち悪さ、憎さ、いろんな感情に呑み込まれてしまいそうになります。


 ……そんな時、わたしの方に優しくて温かい、柔らかな小さい手が触れました。振り向くと、先輩のお姉さんが眉を下げてわたしを見ていました。


 すると、どうでしょう。彼女がわたしに触れた瞬間、目の前の母と、錯乱しなにかを叫ぶ男の間にどす黒い影がまるで橋のように架けられており、その黒い影の一部がまるで切り取られるようにして、母の大きくなったお腹へ吸い込まれていくのが見えました。


 夢の中であるにも関わらず、わたしはもう耐えきれなくなって、その場で嘔吐しました。起きたら実際にも嘔吐しているのだろうか、なんて途中でぼんやり考えてしまうほど、受け入れがたい事実でした。



「あれは、お腹の中にいるのは、わたしなの?」


「いいえ、あなたではないよ」


「でもあれはわたしの母です」


「そう、あなたのお母さん。そして、この子のお母さんでもある」



 先輩のお姉さんの声は、透き通っていました。そしてわたしの問いに、その澄んだ声で返事をしてくれました。思えば彼女と会話が出来たのははじめてで、声を聞くのもはじめてだったけれど、どうしてかとても落ち着く、心の底へ静かに落とされるかのような、そんな声。



「あなたが生まれる前より先に、あなたのお母さんはこの子を授かっていたの。けれど、不慮の事故……私の父が、あの男を抑えきれなかった故のあの事故で、この子は彼女のお腹の中で死んでしまった。そしてあの男の中に入り込んでいた……成仏することも叶わない、闇に呑み込まれてしまった霊の一部がもがき苦しんでいる最中、赤ん坊という光を見つけてついには、融合してしまった。この子はね、あなたのお兄さんになるはずだった子なんだよ」



 そんな話は、父からも母からも聞いたことがなかった。なかなか子供ができなくて不妊治療をおこなったことがある、とは聞いていたが、わたしを妊娠するより前に妊娠の経験があり、死産しただなんてことは、一度たりとも。



「この子の魂は、黒にはなりえなかったけれどそれでも光を失って、ここに縛り付けられることとなってしまった。成仏することも出来ず、成仏出来ないからこそ、転生することも叶わない。このままずっと放っておけば、彼はきっと闇に呑み込まれて、そして私の家族を恨む結果になったでしょう。それに私にはね、かわいいかわいい、弟がいるの。つい、この子を弟と重ね合わせてしまって……だから、私は私の存在を以て、彼に寄りそうことにした。私は、あの子の姉であり、今はこの子の姉でもある。……だから、あなたの姉でもある」



 先輩のお姉さんは、優しく笑って、倒れる母の腹部を、すり抜ける手で撫でた。



「ここにあなたが宿った時、私とこの子は、まだ種と卵でしかないあなたに会いに行ったわ。それはどうしようもなく温かくて、輝いていて……私たちの分まで、生きて、と。そして、願わくば私の大切なあの子を守って、と。そのお願い、聞いてくれてありがとう」


「どういうことですか」


「あの子はね、お寺の子だから見えるものは見えるのに、精神が異常に霊障に弱くて、体も心も壊しがちだった。でも、とあるご先祖様と水神様の御加護によってなんとか命を灯していたの。あの子が成長するにつれ、その力だけでは足りなくなってきていた時、ちょうど私が人ではなくなったことで、あの子の霊障に対する精神に力を付与することが出来た。それでもまだ、あの子には足りなくて……そんな中、あなたはあの子と出会ってくれた。本当、運命ってこのことをいうのでしょうね」



 先輩のお姉さんは、まるで子どもをあやすように、今度はわたしの頭を撫でる。



「あなたがあの子に触れるたび、あの子の魂は光を帯びた。……更に、体を重ねることで、その魂は輝く膜を張り、もうあの子は、霊障を恐れる必要は無くなった。あなたは、あの子は私とあなたが似ているから、傍にいるのだと思っているでしょう?」



 そうして、その手はわたしの頬を包んで。



「そうじゃないのよ。あなたといることで、あの子は救われている。そして、あの子は……これ以上は私が言うことではないわね。きっとそのうち、直接あの子が伝えるでしょう。でも、あの子は救われたかもしれない。けれど、あなたはどう?」


「わたし?」


「そう、あなた。あなたは、そんなあの子の傍にこの先もいられるかしら。あなたには、あの子を癒す力はあっても、自らを守る術は持ち合わせていない。あの子と一緒にいることで、怖い思いもたくさんしてきたね。それでもあなたは、あの子の傍に、この先もいたいと思う?」


「それは」



 わたしは、わたしの兄であるらしい男の子を見たあとに、彼女の瞳を真っすぐ見つめて。



「わたしは、先輩を愛しています。この先も、先輩とずっと一緒に過ごしたいと思っています。例えなにがあったとしても。わたしは先輩の傍を離れるなんて、微塵も考えたことはありません」


「……そう」



 そして、夢の中の少女は嬉しそうに笑った。

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