命の狭間で

 ディアンの案にウィルは反対しなかった。


 正直、自分でも頭を抱えたい気分だったのだ。自分では何も思いつかず、ディアンに頼る。他人任せとジークに罵られるのも当然だ。


 自分を嫌っているディアンが納得してくれのも謎である。


 だが、解決策は提示された。

 ならばやることは簡単で、理解し、準備し、行動する。訓練と同じだ。三カ月救助隊として訓練漬けだったウィルとアリシアの二人はすぐに動き始めた。


 置いてけぼりにされたのは、猟兵の二人だった。


「おい本気なのか。こんなもの自殺するのと同じだ。作戦とも呼べないぞ!?」

「あ、あの。わからないけど、もっといい方法はないんでしょうか……?」


 しかしディアンは二人を完全に無視し、作業に没頭している。相手にされないとわかった二人の次の目標はウィルとアリシアだ。


 だが、二人とて作業中である。

 いつ崩落するかわからない場所に長居などできないというのに、それがわからないらしい。


 とうとうアリシアが無視できなくなった。


「ちょっと、黙ってくれないかな?」

「黙ってって……お前たちが無謀なことをするから止めようとしているんだろうが!」


 脊髄反射のような返答に、アリシアはこめかみを揉む。ウィルも似たような気分だ。特に、音が反響する洞窟内で大声は勘弁してほしい。


「あのね。確かに無謀な作戦だよ。成功する確率がどれくらいかわからないし、失敗したら取り返しがつかないと思う」

「そうだろう。だったら他にいい案を――」

「だから。そのいい案って何?」


 答えはない。

 当然だ、答えがあるのならディアンもそれを選択している。ジークは新進気鋭の若手猟兵団を率いているらしいが、ディアンの経験と比べるべくもない。


 この中でもっとも経験豊富なディアンが無謀な案を出すのなら、それ以外に手がないということだ。


「何もないなら黙って。代替案もないのに不満だけ言うなんて、ただの卑怯者だよ。どうしても気に入らないなら二人で脱出したらいいじゃない」

「お、お前ら救助隊だろ! 俺たちを見捨てるのか!?」

「それは――」


 アリシアの肩を抑え、ウィルは言葉を奪う。


「ああ、見捨てるよ」


 なんとなくだが、アリシアにその言葉を言わせたくなかった。言うなら、嫌われ者の自分が言うべきだ。


 代わりに殺されそうな目でジークに睨まれたが、必要経費と割り切る。


「救助隊は助けられる命は助ける。でも、自分の生還が第一優先だ。お前たちが足手まといになって道連れにされるくらいなら、見捨てる」

「……貴様っ!」


 再び殴りかかろうとしたジークが、突然吹き飛んだ。


 岩壁に頭を強かに打ち、ぐったりと地面に横たわる。どうやら意識を失ったらしいが、ジークを蹴り飛ばしたディアンは悪びれる様子もなかった。


「面倒くせぇからそのまま気絶させとけ。それより、早くしろよ」

「ああ、助かった」


 カミナが暴れることを心配したが、小心者らしいカミナが一人で何かをすることはなさそうだ。ほっと息をはき、残りの準備を終えて配置についているディアンに合流した。


「よし、お前らは手前に投げろ。俺は奥だ」

「了解。俺は左、アリシアは右を頼む」

「わかった!」


 時期を合わせ、握り占めた練り玉に火をつけて一斉に投げる。


 ウィルとアリシアは手前の左と右へ、そしてディアンは獣人の膂力を生かして入口間際までの大遠投だ。地面に転がった練り玉はおおよそ狙い通りに散らばり、しばらく燻った後で爆発的に煙を吹き出した。


 その煙は空気より重く地面に沿って広がっていく。一見すればただの煙だが、触れた岩石蟲は驚くほど過剰な反応を見せた。


「おおー、さすが補助士御用達の嫌煙香だな。効果覿面こうかてきめんだ。一気に逃げてくぜ」

「凄いな。アリシアのおかげだ」


 ディアンとともにウィルが褒めれば、アリシアはぶんぶんと首を振る。


「私のおかげじゃないよ!? ラーミアルフィさんがすぐ死にそうだからって融通してくれただけで、褒めるならラーミアルフィさんだよ!」


 とんでもない理由だが、これで生存の目が出たのだと思えばいくらでも感謝したい。


 だが、これで道ができた。

 ある程度岩石蟲が移動したのを見計らい、ディアンは崖下に身を躍らせた。


 着地と同時に岩石蟲たちが騒ぎ出すが、明らかに動き出しが遅い。嫌煙香から吹き出す大量の煙が確実に効果を発揮している。縄張りに侵入した異物への本能的殺意と、嫌煙香がもたらす凶悪な嫌悪感がせめぎ合うわずかな均衡、ディアンにとってはそれで十分だ。


「とはいえ、簡単じゃねぇな!」


 獣人の脚力に物を言わせた疾走は、見下ろすウィルたちが驚くほど速かった。


 だが、本能的殺意に天秤を傾かせた岩石蟲も動き出し、ディアンの進路が狭まって行く。ギリギリだが、進路が閉じ切るほうが早そうだ。


「ディアン、急げ!」

「ディアンさん、道が……っ!」


 二人の大声はディアンに確かに届いたのだろう。


 黙れと言わんばかりに右手を振り、さらに加速していく。


 そしてついに、その時は訪れた。

 悲鳴じみた声を上げながら煙の中に侵入してくる岩石蟲がディアンの前に立ちはだかる。


 くるりと体を丸め、次々と動き出す。

 回転する状態でどうやってディアンの姿を捉えているのか分からないが、その動きは正確だ。煙のおかげで数が少なく、動きが鈍いことだけが唯一の救いか。


 だが、ディアンは怯むことなく飛来する岩石蟲の群れの中に飛び込み、俊敏な身のこなしで駆け抜けていく。


 光が差し込む穴まではもうほんのわずかだ。

 一歩、二歩、三歩――死が渦巻く暴風の中で揺らめく木の葉の如く、確実に駆け抜けていく。それでも全てを避けることは難しい。


 致命傷だけは避け、多少の被弾は受け入れる。

 右手に激痛を感じ、ちらりと視線を向ければ有り得ない方向に曲がっている。へし折れたのは確実で、痛みすら感じない。


 さらに左の肩を弾き、頬を抉るように掠める。

 吹き出す血潮の熱さが凄まじく、視界を埋めつくす岩石蟲の姿に軽く絶望を覚えた。


 だが、それでも。

 ディアンはついに希望の穴へたどり着き、地面を滑るように飛び込んだ。


 一瞬の静寂のあと、アリシアが歓声を上げ、ウィルも声こそあげなかったが、思わず拳を作り喜んだ。


「よし。これで助けが来る。あとは……こっちがそれまで生き残るだけだ」

「うん、そうだね」


 振り返れば、すでに崩落は始まりかけている。

 ディアンがカウフマンたちと合流するまでどれくらいかかるか分からないが、どれだけ早くとも崩落前に間に合うとは思えなかった。


「こっちもできるだけやるか」

「うん。ラーミアルフィさんに大感謝だね」

「すぐに死にそうなアリシアにもな」

「それ、ちょっと嫌味」


 くすりと笑うアリシアに、肩をすくめる。


 ラーミアルフィから融通された補助士の道具は二つ。


 一つ目は嫌煙香、二つ目は粘着網だ。

 嫌煙香と色味が異なるが、見た目はほぼ同じ練り玉である。しかし中身は全く異なり、二人が壁に向かって投げると同時に蜘蛛の巣状に広がった。


 蜘蛛蜂の死体から取れる粘着液を纏った蜘蛛の巣状の鋼糸は、本来であれば襲ってくる晶石獣を絡め取ったり、道を塞ぐなどに使うものだ。


 しかし今回の使用方法はそのどちらでもなく、壁にありったけ投げつけての補強だ。


 果たしてそれだけで耐えられるのか。

 細くり上げられた鋼糸は見るからに頼りない。カミナはまったく信用できないらしく顔面を蒼白にしているが、アリシアは毅然と彼女を励ましている。


 ウィルは彼女の反応が鋼糸の強さを知っているからと勘違いしているが、実のところアリシアは鋼糸についての知識はない。アリシアが信じているのは鋼糸の強度ではなく、ウィルだ。


 これまで何度も助けられた。

 もちろん自分の努力もあったが、仮入隊ができたのも、訓練にここまで耐えられたのも、ウィルの助けがあったからだと思っていた。


 まして、実際に命を助けられた。

 初めて出会った時は心に傷を負った頼りない少年に見えたが、いまはもうそんな風には思わない。誰よりも頼りになる相棒、アリシアはウィルをそう思っていた。


 だからこそ、ウィルの呟きにも平然と答えた。


「ダメだな。崩れる」

「でもなんとかなる。大丈夫だよ」

「……ああ、そうだな。こっちだ」


 カミナとジークを引きずるように崖ぎりぎりへ。もちろん突き落とすような真似はしない。ウィルの勘がここだ・・・と告げていた。


「死にたくなければ伏せて、目と耳を塞ぐこと。絶対に動くな。わかったな」

「は、はい」

「アリシアも――」


 同じように伏せろと言いかけて、毅然とウィルの横で指示を待つ姿を見て、気が変わった。


「ここを崩す。あとは、思い切り支える」

「わかった」


 わけのわからない指示だろうに、アリシアは微塵も揺るがず頷いた。


 いい相棒だ。

 ウィルは鉄針を取り出し、思い切り天井に投げつけた。一度、二度と投げつけると、限界を迎えた天井が崩壊する。


 奥から崩壊していたのであれば岩が押し寄せ崖から押し出されただろう。しかし手前から崩壊が始まったことで、力の方向が変わった。奥へ奥へと岩が流れていく。


 それでも、大量の岩が押し寄せてくるのは変わらなかった。


 粘着網に堕ちた大量の岩が、鋼糸に絡めとられる。しかし重みに耐えられなかった鋼糸はどんどんと伸び、一瞬の均衡を迎えた。


「いまだ、支えて!」


 掛け声一下、二人で粘着網に背を当て、下から押し上げる。


 均衡を超えて弾け飛びそうだった粘着網は、二人の力を借りてかろうじて均衡を維持する。


「あとは……っ、このまま! 耐えろっ!」

「耐える……っ! 絶対……っ!」


 ウィルとアリシアの絶叫が、薄暗い広間に響き渡った。


 あとはもう祈ることしかできない。

 一人ではなく二人の力だ。きっと生き残ることができる、そう信じて二人は力を振り絞った。

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